短編集

ヒトトセ

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犬を飼い始めた話

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 「えっと……」
 目の前の男はガシガシと頭を雑に掻くと、怠そうな顔でこちらを見る。
 「だーかーら、別れてって。お前めんどくさいの」
 その最後の一言は、本当に必要なものなのだろうか?追い打ちをかけるようにそんなことを言われずとも、私は素直に受け入れるつもりだったんだけれど。そんなことを言っても、どのみちこの男には関係の無いこと。だって、たった今、恋人という関係は終わったのだから。残る関係は?友人?……元より流れで付き合った関係。友人になんてなれない。
 「お好きにどうぞ」
 あっさりと受け入れれば、「そうかよ」と言い残して男は私の前から立ち去る。その間際、電話をかけようと思ったのだろう。開いた画面には、見知った名前がひとつ。
 瀬戸ゆうか。私の知人のひとり。バイト先の人間。
 自分の心の中に、どす黒い何かが湧いたのが分かった。本来なら持たなくていい。持つ必要のない感情。だって、もう終わったのだから。自分を宥めようとするが、一向に落ち着かない。嫉妬?いいや、違う。これは、自尊心を傷つけられた感覚に近い。私という女の価値を、とても下げられた気持ちだ。瀬戸さんは確かに可愛いけれど、あまり性格はよろしくない。そこに負けたかと思うと、腸が煮えくり返る気持ちだ。
 私にもプライドなんてものがあるんだな、なんて思う。
 「さざなみさん」
 呼ばれた気がする。キョロキョロと辺りを見渡す。
 「漣さん」
 今度は近くで聞こえた。すぐに振り返る。そこには、バイト先の高校生である貝塚くんがいた。屈託ない笑みを見せる。
 「どーしたんですか、そんな顔して」
 そんな顔が、一体どんな顔なのか分からず首を傾げる。すると、私がどう思っているのか分かったのか、貝塚くんは私の眉間に指先を当てる。
 「ここにぎゅーっとシワが寄ってました。辛いことでもあったんすか?」
 辛いこと。辛いことって、何だろう?さっきの別れ話?いいや、あれは辛くない。ただ、だけ。
 どす黒い何かがまた湧き上がるのが分かった。でも、すぐにそれは抑え込む。貝塚くんに怪しまれないよう、ニッコリと笑う。
 「まさか。辛いことなんてないよ」
 私の笑顔に問題でもあったのだろうか。貝塚くんの顔は依然として不安そうだ。
 「何か、あったんじゃないんですか」
 確信を持っているかのように告げる。何かはあった。そう思い、口を開く。
 「何かはあったよ。バイト先の子に彼氏を奪われた」
 そう言うと、何故か彼は自分がそんな目に遭ったかのように辛そうで悲しそうな顔をすると、持っていた鞄を捨てて私に近寄り、………近寄り?
 「貝塚くん」
 状況が分からない。ただ、私は温かいものに包まれていた。心臓の音が聞こえる。その心臓は、私のものより随分と働き者らしい。ドクドクと煩いぐらい動いている。
 「……やっぱ、辛いことあったんじゃないすか」
 「別に辛くはないんだよ」
 そんな嘘を、なんて言われてしまう。何故嘘だと思うのだろう?私はそんな顔をしていた?していたとしても、本当に辛くなんてない。強いて言うなら腹立たしいぐらいだ。
 「違うよ。辛くなんてない。本当に、辛くなんてないんだよ」
 嘘だ。とまた彼は言い、今度はぶつぶつと呟き始める。そんな彼に、私は既視感があった。接客業でバイトをしている私たちは、たまによく分からないクレームを受けることがある。私もよく分からない理由でクレームを受け、その時に貝塚くんはそのお客様に手を出してしまった。お客様が逃げたことにより、店長は彼の処遇に困ったようだけれど、次はないと釘をさして彼を残した。まぁ、優秀な人材を失うのは躊躇われたんだろうと思う。
 「バイト先の奴って、誰すか」
 好青年を絵に描いたような彼からは想像も出来ないような、低い声。ブチ切れているらしい。怖い怖い。
 「瀬戸さん」
 教えればその子は無事では済まないと分かっていながら、名前を教える私も大概なのかもしれないけどね。
 私は少し背の高い彼の首に腕を回し、抱き締める。
 彼の耳元で囁く。


 「漣さん!」
 呼ばれて振り返る。そこには、大型犬のように尻尾を振ってくる青年が。
 「あぁ、貝塚くん。どうしたの」
 彼のニコニコと笑う顔は、何処かおかしい。
 「ちゃんとできました!」
 その報告を聞いて、私も笑う。「そっか」と受け入れる。彼のおかしさも、全てを受け入れて。
 彼の頭に手を伸ばし、幾度か撫でる。
 「えらいえらい」
 嬉しそうに彼は笑う。やっぱり、何処かおかしい。もう、私も彼も戻れない。彼を拾ったのは私。そんな私を破滅へ導くのは彼だろう。
 まぁ、我ながらお似合いだと思うから、適度に幸せにはなってみようと思う。亡くなった人の分まで、ちゃんと。
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