性悪女神と野球部員

広根雅斗

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第十話

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 二人の野球部員に雷が落ちる数分前、転校手続きを終えたルナは重い足取りで歩みを進めていた。

「変な疲れが溜まった気分です……」

 疲労感を全身にまとった彼女は、月守家への帰路についていた。

 午後二時、日差しの暖かさを地面が吸収し、一日の中で最も気温が上昇するこの時間帯は動いていると体が適度に温まる。
 ルナは穏やかな春を歩きながら実感していたが、南山高校が所在する横浜市都筑区には暗い色の雲が徐々に空を塞ぎ始めていた。
 それはまるで雷雲の様な黒さがあったが、普通の雲のように静かに近づいてきているため、どこか不気味さがあった。

「この雲……まさか!」

 ルナが迫りくる不気味な黒雲に気づき、彼女の体に悪寒が走る。
 雲――言い換えれば凝結した水蒸気、その元なる水を操れる者は、ルナの知る限り水星の神のみだ。
 メルクリウスが彼女に迫っている、彼女はその存在を確信した。
 やがてアスファルトの道路に水が滲み、大粒の雨が降り始める。


 刹那――雷鳴と共に、その存在は君臨した。


「メルクリウス……なぜあなたがこの場所にいるんですか」

 気丈に振る舞うルナだったが、その体は小刻みに震えている。
 あくまでも衛星の女神である彼女は、たった一つの例外を除き、惑星の神々には到底敵わない。
 それを一番理解しているルナだからこそ、メルクリウスが水星の守護を手薄にしてまで地球に来たのは、彼女を排除する以外の何か他の理由がある事にも勘づいていた。

「その質問に私が答える義務は存在しない」

 重く、暗い雲が春の日差しを断絶していく。
 その雲たちはまるでルナを取り囲むかのように拡大を続け、周囲の空間が淀み、緊張感の高まったその空間で水星の神メルクリウスが塗装された道を闊歩する。
 その様子はまさしく神に相応しく、畏怖にも似た感情をルナに与えた。
 ルナのおよそ五メートル前に到達すると、重々しい空気を再びメルクリウスの声が切り裂く。

「月の女神ルナ、貴様に命ずる。月守祐希と契約を結び、今すぐに私……いや私たちと戦え」

 抑揚のないその声とは裏腹に、メルクリウスの表情は嘲笑を滲ませている。
 ルナに与えられている任務、または使命は、反応が消えてしまったテラの代役を務めること。つまりは地球を守護することだ。
 そのことを理解しながらも、どこか他人ごとのような気分で月守家での日常生活を送っていたと、メルクリウスと対峙し、ようやく実感したのだ。
 しかし、だからこそ彼女は抗う。

「メルクリウス、あなたの要求に従うことは出来ません」

 その絶望的な戦力差を理解しながらも、毅然とした態度でルナは続ける。

「たとえどんなことがあろうとも、祐希さんの命を危険にさらすようなことは絶対に行いません」

 表情こそ変わらないが、彼女の両手は細かく震えている。
 月の女神の継承者として幼いころから様々な知識を与えられ、想像もつかないくらいの過酷な訓練を積み重ねてきた彼女ではあったが、圧倒的な力の前にして本物の恐怖を感じていた。

「話にならんな……先代とは違い、貴様からは何も感じられない。最初から己の敗北を覚悟している者が勝つことなど不可能だ」

 メルクリウスの表情は嫌悪感を露わにする。
 その方向は要求を拒否されたことよりではなく、ルナに対してのものだ。

「ならば私たちは、今この場所でお前を淘汰する」

 直後、轟音とともにルナの体は宙に飛ばされた。

「がはっ……!」

 ルナの腹部をメルクリウス――ではなく、別の誰かが拳を打ち込んでいた。
 水星の神メルクリウスと契約を結んだ、名前も分からないその人物は執拗にルナを攻撃し続ける。
 フードに覆われた顔は下半分しか視認出来ないが、その執念深い攻撃、歪んだ口元からは大いなる憎悪が滲み出ている。
 雷光の如き打撃は動作に無駄が多いが、それをものともしない程の素早さを持っている。
 一方のルナは成す術もなく、ひたすら殴打され、立っている事さえままならない。
 その様相は戦闘ではなく、蹂躙と言うべきものになりつつあった。

「この雑魚が調子に乗りやがって……なんでお前みたいな奴が…………」

 僅かに響くその声は、感情が死滅したように冷え切っており、悲痛な心の叫びのようにも聞こえる。
 ルナに繰り出される攻撃が次第に激しさを増していく。
 やがてルナの頭部を襲撃者の拳が捉え、彼女は地に付した。

「どうしてお前なんかが……」

 一言だけ呟き、倒れたルナを一瞥することも無く、襲撃者は激しい雨の中に消えていった。
 公園に残されたルナの体は春の冷たさを帯びた雨粒によって徐々に熱が奪われ、彼女の意識は完全に途切れた。
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