1 / 1
郵便局に勤める田鍋は、荷物を取りに来た安永に一目惚れをしてしまう。その日から、安永が来るのを待ちわびる日々が続くが、なかなか会うことができず
しおりを挟む
その日、台風の影響で、外はすごい雨風だった。
局内の電話が鳴り響く。
「お電話ありがとうございます。谷川郵便局、田鍋でございます」
電話に出ると、出張に行っている局長からだった。
『あ、田鍋くん?悪いんだけど、雨風ひどいから、外に出てる宣伝用の旗を全部中に入れておいてくれる?』
「はい。分かりました」
電話を切り、僕は急いで外に出た。
その瞬間に、勢い良く吹き付ける風と雨に、思わず顔をしかめた。目が開けていられない。旗が、ちぎれてしまいそうなくらい、はためいていた。
柵にガッチリと縛ってある紐をほどこうとするが、うまくいかない。
「何これ。全然取れな…」
そこに、
「旗を入れるんですか?」
と、声がかかり、細くて長い綺麗な指が、紐を簡単にほどきはじめた。
声を掛けてくれたのは、夕方の荷物を取り集めに来た配達員の人だった。
勢い良く打ち付ける、あまりにもの雨風に、うまく目が開けられなくて、声を張り上げる。
「旗を全部中に入れといてくれって、局長から電話があって!」
「やっておくんで、中に入ってて下さい」
「でも…」
「俺、雨具来てるんで、大丈夫です」
「すみません!ありがとうございます」
僕は、その人の言葉に甘えて、すかさず局の中に戻ったものの、制服も髪もベタベタに濡れてしまっていた。僕は制服の上着を脱ぎ、お客さまに渡す粗品用のタオルを倉庫から出して来て、髪を拭いた。
しばらくして、旗を何本か持って、先程の男の人が局内に入って来た。
「ありがとうございます。助かりました」
僕は慌てて旗を受け取る。そこに、
「田鍋さん、引渡証の印刷、まだでしょ!」
「あ、はい!すみません!」
年配の非常勤である山下さんに、言われ、旗を邪魔にならない所に立て掛けると、慌てて窓口に戻り、パソコンで書類を出力する。
「すみません。すぐに準備します」
僕は配達の人に声を掛けると、
「慌てなくていいですよ」
と、雨具の帽子を後ろへと下げた。
そのあまりにもの整った男前な顔立ちに、一瞬ハッとして、時間が止まったような感覚に襲われた。
本局の配達員の中に、こんな人、いたんだ。って言うか、イケメンすぎて、めちゃくちゃ緊張するんだけど…。頭の中で、いろんな思考が入り交じる。
そして、引き渡す郵便物と荷物を準備して、印鑑をもらう為に、授受用のファイルを用意する。そこに押された、安永と言う印。
安永さんて言うんだ…。
僕の心が、ホワッと温かくなった。
「じゃあ、郵便と荷物、預かって行きますので。ありがとうございます」
「よろしくお願いします」
局を出て行く、背の高い後ろ姿。俳優さんにでもなればいいのに、と思うくらい、僕の目には、何もかもが完璧に見えた。そして、安永さんの優しさと、その容姿に、その日、僕の心はすっかり安永さんに奪われてしまったのだった。
「え?昨日の取り集め、安永君が来たの?」
翌日、少しでも安永さんの情報を仕入れたくて、去年まで本局の郵便課にいたという局長に、話してみた。
「はい。雨具着てるからって、旗を全部入れてくれたんです」
「そっかぁ。安永君は仕事も出来るし、誰に対しても気遣えるし、あれだけのイケメンだから、局の飲み会があると、女子社員が側から離れないんだよね」
「へぇ。そうなんですね…」
確かに、あんなにカッコいい人、絶対に誰も放っておくはずがない。誰しもが、1度でいいから、あんな素敵な人の恋人になってみたいって思うんだろうな…。
そんなことを考えて、1人で勝手にショックを受けて落ち込む。
入社して1年半も経っているのに、昨日初めて会った上に、今度いつ取り集めに来るのかも分からない。
好きになるだけ無駄だと言うことなど、分かりきっていた。ましてや、男の人を相手に恋心を抱くなんて、無謀なことなんだと、今まで何度も思い知らされている。いつからだろう。男の人にしか恋が出来ない自分に気付いたのは…。
「お疲れ様です」
翌日、お昼の取り集めにやって来たのは、こともあろうか、安永さんだった。
その瞬間、僕の心臓が跳ねた。
「あ、安永君。昨日はありがとう。旗を入れるのを手伝ってくれたみたいで」
局長が前に出て来て、安永さんと話す。
緊張して、ハンコを押す手が少し震える。顔が熱くなり、耳まで赤くなっているのが自分でも分かるくらいだった。
「最近、こっち方面回ってるの?」
「いえ。そういうこともないんですけど。課長代理が決めることなんで」
「あいつは適当だからな」
局長が言うと、
「確かに」
と、安永さんが笑った。
そのあまりにもの愛らしい笑顔に、僕の心はますます彼に惹かれた。
安永さんが帰ってから、顔がついニヤけて止まらない。会えるだけでこんなにも嬉しくて、ときめいて、どうしようもなくなる。その日は、家に帰ってからも安永さんのことが頭から離れなかった。
そして、その翌日から、安永さんが取り集めに来たら…と考えるだけで、鼓動が激しくなった。けれど、僕の期待と緊張とは裏腹に、それからしばらく安永さんが来ることはなかった。そんな状態が半年も続いた頃には、諦める気持ちの方が強くなり、取り集めの時間になっても、期待に胸が高鳴ることすらなくなってしまったのだった。
それからしばらく経ったある日の週末、僕は新人研修で2週間一緒に研修を受けていた、同期の片瀬渉流と飲みに行った席で、思わず安永さんのことを相談してしまったのだ。
「ああ。安永さん?うちの局にもたまに来るけど、あれだけのイケメンだし、仕事も丁寧だし、うちの局の女子は安永さんが来たら、かなりはしゃいでるよ。飲みにも誘ってるみたいだし」
「やっぱり、そうだよね…」
そんなこと、分かりきっていたことなのに、胸がキュッと痛む。
「1度、飲みにでも誘ってみたら?翔汰君、男なんだから、普通に声掛けてみてもいいと思うけど」
「でも、もう、うちの局に取り集めに来ることもなくなったし。それに、もし来たとしても緊張して話せないよ…。僕の場合、友達として、ってワケじゃないから」
「そうだとしても、やっぱり女性が誘うのとは違って、向こうはそんなに警戒しないんじゃない?」
「そうかな…」
渉流君の言葉に、僕は少しだけ勇気付けられたような気がした。
そして週明けの月曜日のことだった。僕は仕事でかなりのミスをしてしまい、山下さんにとてもキツく注意をされた。郵便局の仕事は本当にややこしくて、取扱いの種類の多さにも、僕は毎日辟易としていた。非常勤とはいえ、もう15年以上も仕事を続けている山下さんには、業務的な知識に関してなど、敵うはずもなかった。
高校や大学の頃、いろんなアルバイトをしてきたけれど、こんなにも難しくてプレッシャーのかかる仕事を今までに経験したこともなく、何度落ち込んだか、数え切れないくらいだった。
山下さんが気付いてくれなければ、僕のミスが重大事故になりかねなかった。僕はため息を吐いて、ずっと黙ったまま俯いていた。
そこに、
「お疲れ様です」
と、夕方の取り集めの人の声がした。
ハッとして、慌てて席から立ち上がった。
「すみません。今すぐ引渡しの準備します」
夕方の取り集めの時間になっていることにすら、全く気が付かなかった。今日は本当に散々だ。
慌ててパソコンで出力し、授受簿にその日に受付けた郵便の種類と荷物の数を記入する。その時間をフォローしてくれるかのように、局長が前に出て、配達員の人に話しかけてくれていた。
「引渡し、もうちょっと待ってて。今、山下さんにやっつけられて、田鍋君、落ち込んじゃってたもんだから」
いつもの適当な調子で冗談交じりに話し出す。
「大丈夫です。慌てなくていいですよ。待ってます」
「本当にすみません。次の局の取り集めの時間に遅れてしまいますよね。ごめんなさい」
「少しくらい遅れても大丈夫なので、気にしないで下さい」
「ありがとうございます」
引渡証が印字される間に、局長が引き渡す書留類の郵便をまとめてくれていた。
そこに、洗い物を済ませて事務所内に山下さんが戻って来る。
「何モタモタしてるの!?取り集めの時間、過ぎてるでしょ!」
僕へとダメ出しをする。
「すみません」
「まあ、まあ。安永君、待っててくれるって言ってくれてるし」
局長の言葉に、
「え…?」
思わず顔を上げると、そこには安永さんが立っていた。その瞬間、カアッと体が熱くなるのが分かり、一気に緊張してしまい、言葉が発せなくなる。その後、局長が荷物を引き渡してくれ、安永さんは局をあとにした。
安永さんに会えたことで、僕の落ち込みはなぜか解消され、先ほどまでの重い気持ちもどこかへと消え去ってしまっていた。
恋の力って、本当にすごい...かも。
僕は改めて、そう実感したのだった。
その日から、1ヶ月に1度ほど取り集めに来るようにはなったものの、僕の方から話かける勇気もなく、安永さんと初めて出会ってから10ヶ月ほどが過ぎようとしていた。
会えると嬉しいのに、話すらできなくて、会えない日は切なすぎて、会いたいと思えば思うほど辛さが募った。
もう諦めよう…。安永さんのことを想ったところで、この恋が叶うワケがないんだから…。
考えて、自然とため息が零れた。
「新築の家はいいよ。今度おいでよ。薪ストーブの前で飲むお酒は、本当に最高だよ」
新築で家を建て直した局長が、夕方の集荷に来た昔からの知り合いの、非常勤の道端君に声を掛けていた。
「本当ですか?マジで行きます!今度の日曜、めずらしく休みなんで、土曜の夜はどうですか?」
「いいよ、いいよ。おいで。良かったら、田鍋君もどう?」
突然話を振られて驚いたものの、誘いは嬉しかった。
「いいんですか?」
「もちろん。鍋でも囲んで、みんなで楽しく飲もうよ」
局長がニコニコと笑顔を見せる。
「決まりっスね!俺、仲の良い先輩、1人に声かけてもいいですか?今、いろいろ相談に乗ってもらってて」
「いいよ。大歓迎」
そして、週末、僕は局長の新築の家に、急きょ遊びに行くことになったのだった。
「お邪魔します」
僕はお酒のツマミになりそうな手土産と、缶ビールを1箱持って、局長の家へと上がり込んだ。
家の中は、木のとても良い香りがした。
「少し早かったですか?」
局長が、グラスや氷を準備していた。
「いや、大丈夫だよ。みんな、もうすぐ来るだろ?」
そこに、インターホンが鳴った。ガチャリと、玄関の開く音がして、
「お邪魔しまーす!」
と、威勢の良い声が響き、非常勤の道端君が部屋へと入って来た。
「めっちゃいい匂い!新築って感じっスねー」
「お邪魔します」
そう言って部屋へと入って来た道端君の後ろにいる人影に、僕は一瞬、息を呑んだ。
「こんにちは」
少し頭を下げたのは、信じられないことに、あの安永さんだった。
嘘だ…。こんなことって、あるんだろうか?
僕の心は、緊張と興奮で、とても複雑な状況に苛まれていたのだった。
「そっかぁ。みんな大変なんだね」
4人でビールを飲みながら、鍋を囲む。
「どこの局も、人が全然足りないんですよ。俺、非常勤なのに、正社員よりもコキ使われてるし」
「それだけ頼りにされてるってことだろ?道端君、まだ若いし動けるから。周り、ほとんど40代以上でしょ?安永君も、かなりキツイ勤務、組まれてるんじゃない?」
「まあ、今、新入社員もほとんど入ってこないですし、入社しても、すぐに辞めて行きますからね…。冬は寒いし、夏は暑いしで、見た目以上にしんどい仕事なんで、なかなか続かないみたいです」
プライベートで、安永さんの声が、こんなに近くで聞けるなんて…。心だけじゃなく、耳の鼓膜までもが喜んで、弾けているような気がするくらいだった。
「なるほどね…。道端君は正社員の試験、受けないの?」
局長が道端君に尋ねた。
「正社員になると、ノルマとかあるし、精神的にもキツくなるじゃないですか。そういうプレッシャー、本当にイヤなんですよ」
「確かにね。僕たちも、保険や投資信託やカタログ販売とか…。目標額が高いから、営業でかなり苦労してるよ。ね?田鍋君」
「あ...はい」
「ですよねー!」
道端君と局長の会話が盛り上がる中、僕は緊張しながらも、おつまみをつまみながら、チビチビとビールを飲んでいた。
安永さんは、2人の会話を微笑みながら、聞いていた。
はぁ…。本当にいい男だなぁ。肌もきめ細かくて、すごく綺麗だし。外仕事なのに、手や指とかも、こんなに白くて細くて、爪まで艶やかだなんて、きっと手入れとか、毎日ちゃんとしてるんだろうな…。今日、ここに来て本当に良かった。
「安永君、飲んでる?」
不意に局長が安永さんに声を掛けた。
「はい。飲んでます」
「田鍋君は?」
「あ、ちゃんと飲んでます」
「今日は嫁さんも子供連れて実家に帰っていないから、ゆっくりしてって。田鍋君、今日は思いっきり愚痴っていいからね。山下さん、キツイでしょ?」
呂律の回っていない局長が、僕の肩を抱く。
「はい。ありがとうございます」
そして、そのまま僕へと覆い被さるように倒れ込んだ。
「え!?あの…!」
ふくよかな局長を小柄な僕が支えられるワケもなく、そのまま2人して床へと倒れてしまった。
「ちょっ…局長、重い…」
必死に局長の体をずらそうとするが、重すぎて全く身動きが取れない。
「大丈夫ですか?」
安永さんが、局長の体を抱き起こし、横へと転がしてくれた。仰向けになった局長は、そのまま大の字になって眠ってしまったようだった。
「あ、ありがとうございます。息が出来なくて、ビックリしました…」
起き上がろうとする僕の腕を持ってグッと引くと、軽々と起こしてくれる。その大きな手の感触と温かさに、思わずドキッとする。
安永さんて、体のラインとか細いのに、すごく力強いんだな…。そういえば、以前も固く結んである紐を軽々とほどいてたっけ…。
「このまま、寝かしておきましょうか」
安永さんが言う。
「そうですね。道端君は…?」
後ろを振り返ると、道端君も、横になって眠ってしまっていた。
「2人ともピッチ早かったですし、床暖房も入ってるから」
「すごく気持ち良さそうに眠ってますね」
そして、僕たちはテーブルに横に並んで、2人きりでビールを飲み始めた。しばらく沈黙が続いたけれど、こんなチャンスはないと思った僕は、勇気を振り絞った。
「あのっ!安永さんて、今、お付き合いされてる方とかいるんですか?」
「え?」
「あ...、いや、めちゃくちゃカッコいいし、気遣いもできて優しいし、仕事もできるし…。きっと、いるんだろうな、って。あ!答えたくなかったらいいんです!気にしないで下さい」
わーっ!僕のバカ!!いくらなんでも、こんな質問、唐突すぎるだろー!!
急に我に帰り、ビールを一気に飲み干す。そして、動揺を隠し切れず、テーブルの上にあった缶チューハイを手に持つと、僕はそれにも口を付けた。
「大丈夫ですか?そんなに一気に飲むと…」
「大丈夫です。すみませんでした。今日初めてお会いしたのに、立ち入ったことを聞いてしまって」
僕が言うと、安永さんが笑顔を見せ、
「全然。今は、いません。俺、何か恋愛下手なのか、いつも浮気されてしまって…」
と、答えてくれた。
「え?浮気ですか?」
「はい」
「どうしてですか?信じられません。安永さんみたいな人が彼氏になってくれたら、僕なら絶対に大事にします」
「え?」
安永さんが、驚いたように僕を見た。
「あ!そんなこと、男の僕に言われても嬉しくないですよね。すみません」
顔が赤くなる。いくら酔ってるとは言え、こんな所で本音を言うなんて、絶対にドン引かれちゃうよ。
「田鍋さんは、彼女いないんですか?」
不意に尋ねられ、体が少しばかり硬直した。
「僕は…」
どうしよう。本当のことを言ってしまおうか。でも、嫌われて、もう会ってもらえなくなったら…?
僕の頭の中で、いろんな考えが巡り巡った。そして、口を付いて出た言葉が、
「あの…こういうの、引くかもしれないんですけど、実は僕、恋愛対象が、同性の人なんです。最近、すごく気になる人ができて、でも、嫌われることが怖くて、普通に話かけることすら出来ないんです…。ごめんなさい。急にこんな話されても、気持ち悪いですよね。今まで誰にも言えなくて、ずっと隠してたんですけど…」
僕が言うと、安永さんが、しばらく黙ったあとに、口を開いた。
「俺は、そういうのは正直に出して行ってもいいと思います。その方が恋の可能性も広がると思いますし」
優しい口調。僕を見る眼差しで、真剣に相談に乗ってくれていることが伝わる。
「そ、そうでしょうか?」
「そうですよ。そんな田鍋さんのことを受け入れてくれる人が現れるかもしれないじゃないですか。だから、なおさら隠すことじゃないと、俺は思います」
安永さんが、フワリと笑う。そして、手に持っていた缶ビールを口元に持って行き、傾けた。ドン引くこともなく、差別することもせず、躊躇なく僕が同性愛者であることを受け入れてくれるなんて…。
キュッと、僕の胸が締め付けられた。
ああ。僕、やっぱりこの人のことが、本当に好きだなぁ…。思わず、安永さんに見惚れてしまう。その視線を感じてなのか、安永さんと目が合ってしまった。
「あ、ありがとうございます。そんな風に言ってもらえて、嬉しいです」
僕は真っ赤になって、俯いたのだった。
そして、夜遅くに解散になり、外に出てからのことだった。
「あの、もし良かったら、また今度、一緒に飲みに行きませんか?」
もしかしたら、もう会えないかもしれない。このまま、自分の気持ちを抑え込んで、またいつ会えるか分からずに悶々とした日々を送るなんて、絶対にイヤだ。そんな後悔だけはしたくなかった。
僕は、帰り際の安永さんの背中に、勇気を振り絞って声を掛けた。
安永さんが振り返る。
「あの…。迷惑でなければ、でいいので。また相談に乗ってもらえたら、と思って」
緊張して声が震え、安永さんの顔が見られない。
「迷惑なんかじゃないですよ?」
そう言って、ダウンジャケットのポケットから、スマホを取り出した。
「俺、実はLINEしてなくて。電話番号でいいですか?いつも、電話番号のメールでやり取りしてて」
「え!?あ!はい!」
電話番号を教えてもらえるなんて、嬉しすぎるんですけど!!!安永さんと、連絡先を交換できるなんて、夢みたいだ…。
「あの、どうしてLINEしないんですか?」
「LINEは、1度登録すると、ずっと残るって聞いて。連絡を絶ちたい時はブロックするしかないんですよね?それって、相手も自分も悲しいじゃないですか。別れたあとに連絡先が残るのも、イヤなんで…」
確かに、削除にしても、連絡先は残ったままで、登録件数が、どんどん増えていく。
安永さんて、意外と古風なんだな…。
そんなところも、またカッコいいと思ってしまう自分がいた。
お互いに電話番号を交換し、名前を送る。
安永篤史…って言うんだ。これから、登録された安永さんの名前を見る度に、ニヤケてしまいそうだ。
「あの…嬉しいです。僕、安永さんにずっと憧れていたので...」
思わず言ってしまった。
「え?俺にですか?」
「はい。安永さん、覚えてないかもしれませんが、雨風のひどい日に、僕が旗を入れていた時、手伝ってくれて。それが、本当に嬉しくて。仕事のことでも悩んでて、山下さんもキツくて、ちょっと落ち込んでた時期だったので…」
「ああ…。あの時、ちょうど雨具着てたんで」
「本当にありがとうございました。助かりました」
「いえ」
安永さんが、笑いながら、少し頭を下げた。
その笑顔がものすごくかわいくて、目が離せなくなってしまう。
「あの、本当に、また飲みに誘います」
「はい。来月は書留郵便が多くてちょっと忙しいですけど、また時間が合う時に一緒に行きましょう」
「はい!絶対にメールします」
僕が力を込めて言うと、
「はい。待ってます」
と言って、安永さんは再び笑顔を見せてくれた。
そして、その日は、そのまま別れたのだった。
それから何日か経ってから、僕は安永さんにメールを送った。メール1つ送るのにもかなり緊張してしまい、何度も何度も読み返して、失礼にならないように、そしてなるべく控えめな文章を選んで送るようにした。
安永さんは、僕がメールを送ると、必ずその日のうちに返信をくれて、飲みに行く約束も、構えていた割には、意外とすんなりと受け入れてくれたのだった。
初めての時は、餌付いてしまうぐらい緊張していたけれど、1度2人きりで飲みに行くと、気心が知れたのか、月に1度が2週間に1度になり、そのうちに、毎週土曜日の夜は、お互いによっぽどの用事がない限り、一緒に飲みに行くようになっていた。
そんなある日、いつものように土曜日の夜に飲みに行った先で、安永さんの同期の、竹中さんと言う人に偶然会った。
「あれ?安永?」
「竹中…」
竹中と呼ばれた男は、安永さんこそではないが、顔もなかなか整っていて、背も高く、細身の、いわゆるイケメンと言われる部類の人だった。
「何だよ、カワイイ子連れちゃって。どうも。安永と同期の竹中です」
「初めまして。谷川郵便局の田鍋です」
僕は軽くお辞儀をした。
「隣、いい?」
「あ、はい。どうぞ」
竹中さんが、カウンターに座る、僕の隣へと腰かける。
「へぇ。男の人?何か、女の子みたいだね。めっちゃキレイ」
「お前、こんな時間に1人で来て、待ち合わせか?」
「いや、彼女に二股かけてるのバレてさ。逃げてきた」
「相変わらずだな…」
安永さんが呆れたように呟いて、梅酒の入ったグラスを口に当て、傾けた。
「ねぇ。田鍋さんて、付き合ってる人いるの?」
僕の肩に、竹中さんの手が回る。
「いえ…」
こういうことに免疫がないせいか、密着する距離に戸惑いと緊張を隠せない。
「良かったら、今度、俺とどう?俺、キレイな子なら、男でも全然大丈夫だから」
「いえ、あの…」
あまりにもの突拍子もないセリフに呆気にとられて、返す言葉を失う。
「こんなところで俺の知り合いを口説いてないで、彼女とどうするか考えろよ。行こう、田鍋さん」
安永さんが、伝票を持って席を立つ。
「あ、はい。失礼します」
僕は、急いだ様子で店を出る安永さんを追いかけて、慌ててその場を去った。
店を出ると、安永さんはめずらしく、足早に歩いていた。
「あの…」
その背中に、声を掛けると、安永さんが立ち止まり、僕に背を向けたまま、
「アイツ、手癖悪いんで、本当に気を付けて下さい。男も女も、見境ないんで」
と、今まで聞いたことのないような低い声で、僕に言うと、また足早に歩き出した。
心配してくれてるように感じて、何だか少しだけ胸がくすぐったくなった。
「大丈夫です。僕がこんなふうに、いろんな事を話せて、信用しているのは、安永さんだけですし...。もし、知り合いに会うのが嫌なら、今度から僕のアパートで飲みませんか?僕、1人暮らしだし、気兼ねなく飲めると思うので」
足早に歩く安永さんに追い付くために、息を弾ませながら、提案した。
安永さんはしばらく黙ったまま歩き続け、足を止めると、少し考えるようにしてから、
「迷惑になりませんか?」
と、聞いて来た。
「僕は全然。むしろ、週末の夜に1人で過ごすより、気心の知れた安永さんと過ごしている方が楽しいので」
緊張はするだろうけど、部屋で2人きりで過ごせるなんて、僕としてはこれ以上にないくらい幸せなことなのだ。
それからと言うもの、週末には、安永さんが僕のアパートに来て、2人でたわいもない話をしながら、家飲みをするようになった。僕にとっては、まるで信じられない出来事で、こんなふうに安永さんと仲良くなれて、僕のアパートで笑いながら2人きりで話せる日が来るなんて、夢にも思ってもいなかったのだ。
「あれ?めずらしい。土曜の夜は毎週、友達の家に行ってたのに。今日は行かないの?」
安永の姉が、夕飯の準備をしようとキッチンに来た時に、リビングのソファーに腰掛けてテレビを見ている安永に気付き、声を掛けた。
「連絡なかったし」
「自分からすればいいじゃん」
「毎週相手のアパートに邪魔してんのに、さすがにそれは図々しいだろ。いつも料理も作ってくれてるし」
「ふぅん。じゃあ、今日は家で食べるのね?」
「ああ。今日の夕飯は姉貴が作んの?母さんは?」
「今日からお父さんと1泊2日で温泉旅行に行くって言ってたでしょ」
「そうだっけ?」
「あんた、本当に家のことに関心ないんだね。たまには、甥っ子や姪っ子を風呂に入れるとか、スポ少のお迎えに行くとか、手伝いなさいよ。こっちは旦那が単身赴任で、毎日大変なんだからね」
「いいじゃん。その分、母さんや父さんが嬉しそうに孫の世話してるんだから。そのための同居だろ?」
そこに、安永の携帯の着信音が鳴った。
見ると、竹中からだった。
『あ、安永?昨日、谷川郵便局に取り集めに行った時に田鍋ちゃん誘ったらOKもらえてさ。今から2人きりで食事に行くんだ。一応、報告しておこうと思ってさ。じゃあな』
竹中は、一方的に喋ると、電話をすぐに切った。
「竹中のヤツ…」
安永が、低い声で呟いた。
「何?竹中って、いつもあんたの彼女に手を出して来る人でしょ?」
「毎週、俺と一緒に飲んでる人と、今からご飯食べに行くって…」
「え?何で?あんた、その子と付き合ってるワケじゃないんでしょ?」
「この前、2人きりで店で飲んでるところを見られた」
「え?じゃあ、勘違いしてるのかもよ?まあ、別に、まだ付き合ってないなら、別に竹中君とどうなっても関係ないのか…」
安永の胸がざわつく。
関係ない?田鍋さんが、竹中とどうなっても…?
安永は、慌てて田鍋へと電話をしたが、電源が入っていなかった。
「そう言えば、最近、スマホの調子が悪くて、充電がすぐになくなるって言ってたな…」
言いながら、竹中へと電話を掛け直す。しかし、竹中は電話には出なかった。
「ちょっと出てくる」
安永は、部屋からダウンジャケットを取って来ると、急いで玄関へと向かった。
「好きなんだね、その子のこと」
「え?」
安永が姉の言葉に驚いて立ち止まり、思わず振り返った。
「あんたがそんなに慌てるなんて、めずらしいからさ。まあ、気を付けて行っておいで」
「ああ…」
姉の言葉を背に、外へと出て、急いで田鍋のアパートへと向かう。
好き…?俺が田鍋さんのことを…?
確かに、竹中と鉢合わせた時に、何とも言えない気持ちになった。ヤバイと言うか、すごく焦ったような、複雑な感情に襲われたのは確かだ。
「頼む。間に合ってくれ…」
走り出しながら、安永は呟いた。
「こんばんは。来てくれて、ありがとう」
お店の前で待っていた竹中さんが、声を掛けてくる。
「こんばんは」
僕は、少しだけ頭を下げた。
「寒いし、中に入ろうか」
「いえ。今日は断ろうと思って、ここに来ました。僕、竹中さんとは一緒にお食事できません」
「何で?」
「僕、好きな人がいるんです。その人に誤解されるような行動は、とりたくないんです」
「誤解って?俺たち、男同士なんだから、気にする必要ないでしょ?」
言いながら、竹中さんが優しく笑った。
「気にするんです。僕の好きな人は、男の人なので。だから、竹中さんと2人きりで食事は出来ません。すみません」
「そんなに安永がいいの?」
「え…?」
「田鍋ちゃんの好きな人って、安永でしょ?この前、お店で2人を見かけた時に、すぐに分かったよ。あんな奴のどこがいいの?俺、あいつの彼女、何人か寝取ったけど、怒るでもなく、責めるでもなく『幸せに…』とか言って、すぐに身を引くんだぜ?めちゃくちゃ薄情で冷たい奴だと思わない?」
竹中さんが、鋭い視線を僕に向けた。
「それは、本心だからじゃないんですか?本当に2人に幸せになって欲しいって思うから、そういう言葉が出るんだと思います。安永さんには、そういう優しさがあると思います」
僕が言うと、竹中さんの表情が一気に強張り、そして、いきなり僕の手を勢い良く引いた。
「やめ…」
咄嗟に顔を背けると、僕の頬に竹中さんの唇がぶつかった。そのまま、すぐに両肩を持たれ、身動きが取れなくなる。
「安永はノーマルだよ?あんたがどんなに好きになったところで、絶対に叶うことなんてない。だから、俺と恋愛しようぜ。俺が、あんたのツラい片想いも、欲求不満も全部解消してやる。絶対に満足させる。今からホテルに行こう」
「離して下さい!僕は遊びでそういうことはしたくないんです!」
「遊びじゃない!今すぐにでも抱きたいくらい、本気になったんだよ!」
そう言った竹中さんの顔が僕の顔へと近付く。
僕は両腕で竹中さんの体を勢いよく押すと、その場から、駆け出していたのだった。
久しぶりに走ったせいか、息が切れる。僕は、呼吸を整えるように、ゆっくりと歩き出した。その帰り道、涙が止まらなかった。頬を伝う涙が、マフラーへと、どんどん染み込んで行く。
僕だって、充分、分かってるんだ。この恋が叶うワケないってことぐらい。それでも、好きで好きでどうしようもなくて、気持ちが抑えられない。
友達でもいいと思っていた気持ちも、そろそろ限界で、どんどんツラくなって来ていたのも分かっていた。
いつもメールするのは僕からで、それが切なくて苦しくて、連絡しなくなったところで、安永さんの方から連絡が来ることもなかった。今日だって、土曜の夜の約束のメールをしなかったのに...。もしかしたら、安永さんからメールをくれるかもしれないと思った淡い期待は、見事に裏切られた。
もう会わない方がいい。我慢しよう。
そう思うのに、どうしても、メールをしたくなって、僕から連絡してしまう。土曜のお昼に、毎回必ず、僕の方から夜の確認のメールをしてしまって、いつも連絡してしまったことを後悔するのも分かっているのに…。
「それでも、傍にいたい。安永さんの傍に、ずっといたいんだ…」
僕は涙声で呟きながら、アパートへと向かって歩き続けたのだった。
アパートへと帰ると、ドアの前に、背の高い、人のシルエットが暗めの電灯に照らし出されていた。
「安永さん…?」
僕は慌てて、手袋をしていた手のひらで、涙を拭った。
「あ...。良かった。携帯に何度か電話したんですけど、繋がらなかったので。竹中から、今日、田鍋さんと食事に行くって、さっき連絡が来て。ちょっと心配で、アパートまで来てしまって、すみません」
ああ…。やっぱり僕は、この人のことが、めちゃくちゃ好きで仕方がないよ。離れるなんてこと、絶対にしたくない。そう思って、また、目に涙が滲む。
「ごめんなさい。スマホの充電、すぐになくなってしまって。寒いので、中に入って下さい」
安永さんの鼻が赤い。こんな寒い中、どれだけの時間、僕なんかのことを待っててくれたのだろう。
「何かありましたか?」
安永さんに不意に聞かれ、
「いえ…」
と言うだけが精一杯で、それ以上は声を出せなかった。
僕は、部屋の明かりを点けると、すぐにファンヒーターのボタンを押した。
そこに、安永さんのスマホの着信音が鳴り出した。
「すみません」
言いながら、電話に出た。
「はい。ああ。いや、俺も話あったから。分かった。今から行く」
そして、電話を切った。
「すみません。ちょっと呼び出しで。すぐに戻ります」
そう言うと、安永さんは部屋に入ることなく、アパートの階段を降りて行った。
「よぉ」
安永が、呼び出された店に入ると、カウンターに座っていた竹中が、ニヤリと口の端を上げた。
「何で泣かせた?」
安永が、竹中の横の椅子に腰かける。
「何?田鍋ちゃん、泣いてたの?」
「何を言った?」
「何マジになってんの?そんな態度、初めてじゃね?」
「いいから答えろ」
「だから、お前のことをどれだけ好きになっても無駄だって教えてやったんだよ。だって、お前、恋愛対象、女だろ?だから、俺と恋愛しようって口説いて、ホテル行こうって無理矢理キスしたら、本気で怒っちゃって」
安永が、そこまで言った竹中の胸ぐらを掴んだ。
「田鍋ちゃんの唇、めちゃくちゃ柔らかかったぜ?」
それでも竹中は怯むことなく、安永を煽った。
「だいたい田鍋さんの好きな人が俺かどうかも分からないのに、あの人を巻き込むな」
そして、しばらくの沈黙が続く。
「お前、何も分かってないんだな。田鍋ちゃんの好きな奴は、間違いなくお前だよ。さっき、本人に聞いたけど、否定しなかったし」
竹中が言うと、安永は胸ぐらを掴んだ手をゆっくりと放し、そして静かに店を出て行った。
「めずらし…。あの安永が感情的になるなんて。ちょっとぐらいの意地悪、いいよな」
竹中は呟きながら、酒の入ったグラスに口を付けたのだった。
インターホンが鳴る。
「はい」
「あ、安永です。すみません。遅い時間なのに、戻って来てしまって」
「どうぞ」
僕は玄関の鍵を開けると、扉を開いた。安永さんは、その場に佇んだまま、部屋に上がろうとしなかった。
「どうしたんですか?何かありました?」
「いえ。田鍋さんこそ、竹中と何かあったんじゃないんですか?」
そう言った安永さんは、俯いたまま、僕と目を合わせようとしなかった。
冷たい風が吹き付け、部屋の中へと冷気が入り込む。安永さんが、ゆっくりと玄関の扉を閉じた。
「竹中さんに、ちょっといろいろ言われて。僕だって分かってるんです。自分のこの気持ちが叶うワケなんかないって。でも…、それでもその人のことが好きで仕方なくて、切なくても辛くても苦しくても、どうしても諦められないんです」
そこまで言って、再び目から涙が零れ出した。
「僕は、竹中さんとじゃなくて、初めては、やっぱり好きな人とがいい…」
そこまで言うと、ポットのお湯が沸いた合図の音が鳴った。
ハッと我に返る。慌てて手の甲で涙を拭い、
「あ、寒かったですよね。温かいコーヒー淹れるので、良かったら入って下さい」
と、キッチンへと向かった。
わーっ!こんなの、まだ経験がないって暴露してるようなもんじゃないか!!僕って本当にバカすぎるだろ!!
自分でも、恥ずかしすぎて、耳まで真っ赤になるのが分かった。
「あの!すみません、変なこと言って。忘れて下さい」
安永さんに背を向けたまま、食器棚からコーヒーカップを出して、コーヒーメーカーに豆をセットする。
その僕の手に、安永さんが背後から伸ばして来た手が、そっと触れた。
「え…?あの…」
そのまま、体が密着する。そして、空いている方の腕で、僕のことを包み込み、ギュッと力強く抱き締めた。
一瞬、驚き過ぎて身動きが出来なかったものの、僕を抱き締めてくれている腕に、僕はゆっくりと手を添えた。
重ね合っていた右手が、絡まる。安永さんが、背後から僕を覗き込みながら、僕の顔を後ろへと向けると、唇が、静かに重なった。1度唇が離れて、そして安永さんが「ごめん…」と言いながら、もう1度、唇を重ねた。
少し唇が離れたところで、僕が言った。
「謝らないで下さい。僕、安永さんのことが、ずっと好きだったんです」
「ずっと、想っててくれたんですか?」
「はい。初めて会った日から、ずっと…」
「俺のこと、受け入れてもらえますか?」
僕の頬には、いくつもの涙が伝っていた。
「はい。大好きです」
再び、唇が重なる。
これは、夢なんじゃないかと、本気で思っていた。まさか、自分の気持ちが通じるなんてこと、一生ないだろうと思っていたのだから...。
「き、緊張します」
僕が言うと、
「俺もです」
と、安永さんが答える。
電気を消して、2人でベッドに潜り込んだものの、緊張しすぎて体が強張る。満月の月の光が入り込み、部屋は明るくて、お互いの表情なども、結局見えてしまっていた。
「めちゃくちゃ恥ずかしいです」
僕が言う。
「俺もです」
そして、唇が重なり、安永さんの柔らかくて温かい舌が、僕の舌へと絡む。
本当に、しちゃうんだろうか。
あの、憧れの安永さんと、本当に…?
唇が首筋を這い、胸へと落ちる。
「っ…」
思わず声が漏れて、恥ずかしくなって両手で口を塞いだ。
「声、聞かせて下さい」
手を外され、キスをされる。
「でも…」
「全部、知りたいんです。田鍋さんの全部を…」
額にキスをされ、頬にも唇を寄せる。
こんなに優しくされたら、心も体も、全ての力が抜けて、とろけてしまいそうになる。
「ボディーソープの良い香りがする…。竹中に会うのに、シャワー浴びてから行ったんですか?」
言いながら、耳を唇で挟み込む。ゾクリと、背筋に快感が走った。
「ち、違います。今日は、午後からお客さんと約束があって。緊張して、汗をかいてしまったので。昨日の取り集めの時に、竹中さんから、お店の場所と時間だけ一方的に伝えられて、連絡先も知らなかったし、断りに行ってから、すぐに安永さんに連絡しようと思ってて。その…安永さんに汗臭いまま会うの、イヤだったので…」
「田鍋さんて、本当に素直すぎます」
言いながら、唇にキスをしてくれる。
そして、唇を塞がれたまま、安永さんの綺麗で大きな手が、僕の少し硬くなって熱を持っているモノに触れたかと思うと、ゆっくりと上下に動き始めた。
「…んっ…」
思わず、鼻にかかった声が漏れた。僕は恥ずかしさのあまり、ギュッと目を閉じ、顔を横に向けた。
「田鍋さん、めちゃくちゃかわいいです…」
そう言って、頬にキスをしてくれる。それだけで、僕は本当に幸せな気持ちになれた。
「ダメ…です。あんまり触られると…」
大きな手に包まれた僕のモノは、もう放出しそうなくらいまでにヒクついていた。
「イッて下さい」
その部位に、息がかかるくらい唇を寄せられたかと思うと、一気に安永さんの熱い口の中へと含まれた。
「やだ!恥ずかし…」
思いっきり腰を捩ったけれど、安永さんの唇と舌は、僕へと吸い付いて放してくれなかった。
「やっ…!あっ…ダメ…。イクっ…!」
ビクンと腰が跳ねて、僕はついに安永さんの口の中で迸ってしまった。やらしい音を鳴らしながら、僕の放った液を最後まで搾り取る。それがまた快感で、高揚が収まらなかった。
「ご、ごめんなさい。僕…」
あまりの恥ずかしさに、たまらなくなって、うつ伏せになり、枕へと顔を埋めた。そこに安永さんが覆い被さってきて、僕の顔を横へ向けると、唇を重ね、舌を絡めてくる。
まだ余韻が残る部分に、そっと安永さんの手が這う。僕もたまらなくなって、安永さんの下半身へと手を伸ばした。ズボン越しに、硬くて熱い感触が、手に伝わる。安永さんが、自分のズボンのボタンを外し、ファスナーを下ろした。
僕は、恐る恐る、憧れの安永さんの熱くて硬いものに直に触れ、上下にゆっくりと扱き始めたのだった。
「大丈夫ですか…?」
安永さんの裸の胸の中に抱かれながら、尋ねられる。
「はい…」
「すみません。田鍋さん、初めてなのに、手加減出来なくて…」
言いながら、優しく僕の髪を撫でてくれる。
「大丈夫です。あの…、嬉しかったです」
安永さんの胸へと寄り、顔を埋める。
「竹中が、田鍋さんにキスしたって聞いて、つい頭に血が上ってしまって」
「え…?あ、はい。ちゃんと避けて、頬に…」
僕は顔を上に向け、安永さんを見た。
「え?」
安永さんが驚いたように、僕の目を見た。
しばらくの沈黙のあと、
「す、すみません。竹中が、田鍋さんの唇が柔らかかったって言ってて、つい、本当にキスしたのかと…。俺の方こそ、思わず田鍋さんにキスしてしまって、しかも、その…それ以上のことまでしてしまって、本当にすみませんでした」
拳を口にやり、恥ずかしそうに視線を外す。
ウソ…。いつも冷静沈着な安永さんが照れてるなんて、何だかとても新鮮で、ものすごく貴重な経験をしたような気になった。
「いいんです!逆に、嘘を付いてくれた竹中さんに感謝したいくらいです。だって、そのおかげで安永さんと、その…」
今度は僕が恥ずかしくなって、俯いてしまった。
そんな僕の手を、安永さんが優しく握ってくれる。
「そうですね。本当に感謝しないと。実は初めてだったんです。竹中に誘われても、動じなかった人…」
「え?」
「今まで付き合って来た人たちは、みんな竹中に誘われたら、そのまま…」
そこまで言うと、安永さんは黙ってしまった。
そっか…。『幸せに…』と言って、今までの彼女たちとの別れを繰り返してきた安永さんは、本当はとても傷付いていたのだということに気付かされた。
「きっと、不安になるんだと思います」
「え?」
「安永さん、素敵すぎるから、いざ付き合えることになっても、心配なんだと思います。他にもたくさん言い寄る人がいて、ましてや、あまりマメに連絡するタイプじゃないから...。本当に好きでいてくれているのか分からなくなって、自信を失くすんだと思います。人は弱いから、そういう所に優しくつけ込まれると、やっぱりフラッと浮気してしまうんだと思うんです」
「俺なりに、大事にしてるつもりだったんですけど、うまく伝わってなかったのかもしれませんね…。でも、浮気されても『まあ、いいか…』って思ってた所もあって…。きっと俺の方も、本気じゃなかったのかもしれません」
「僕は大丈夫です」
「え?」
「そんな浅はかな行動で、安永さんを失うようなバカな真似はしません。絶対に大事にします。僕には安永さんだけです」
僕が言うと、安永さんが目を細め、微笑んだ。
「ありがとう。仕事に対してもですけど、田鍋さんのその一生懸命さや健気さに、いつも心が温かくなります」
「え…?」
嬉しい。まさか、そんな風に思っていてくれたなんて…。
そして僕の手を握ると、そっと指先にキスをしてくれた。僕はその手を安永さんに絡めた。
「安永さんって、肌だけじゃなくて、手や指とかもすごく綺麗ですね…。何か、ケアとかしてるんですか?」
「いえ、特には。ただ、姉が自宅でエステサロンをしてて、そこのメンズモニターをやらされてますけど…」
「メンズモニターですか?」
「はい。女性のお客さんは定着してきたので、男性向けのサービスを始めたいとかで…。まあ、いわゆる実験台です」
「そうなんですね。元々綺麗なのに、エステでメンテナンスしてるから、より綺麗なんですね。うらやましいです」
「俺なんかより、田鍋さんの方が、よっぽど綺麗ですよ?」
「…え?」
「今日、素肌を見て、すごく綺麗でビックリしました。何ていうか、その…あらゆる大事なところも、薄いピンク色で…」
そこまで言うと、安永さんが照れたように、軽く咳払いをした。僕もつい真っ赤になってしまう。
そしてその日、いつもはどんなに遅くなっても家に帰る安永さんと、初めて2人で日曜日の朝を迎えたのだった。
「で?どうなったんだよ」
月曜の朝に出勤すると、竹中が安永の肩に手を回し、顔を近付け耳元で聞いて来る。
「何が?」
「田鍋ちゃんとだよ!あのあと会いに行ったんだろ?」
「え?ああ…、まぁ…」
俯いて黙る安永に、
「何だよ?うまく行かなかったのか?やっぱり男相手じゃ無理だったとか?」
「いや、違う。むしろ、逆だったって言うか…」
安永が、右手の拳を口にやる。
「何だよ!言えよ!」
「何か、女の人を抱く時より興奮したって言うか…」
「マジで!?お前が!?」
竹中が思わず大声を出す。安永が、自分の唇の前に人指し指を立てた。
「悪い…。いや、俺ならまだしも、安永の口から、まさかの発言だったからビックリしすぎた」
「ま、そういうことだから、田鍋さんにだけは、もう2度と近付くんじゃないぞ」
安永が念を押して、竹中の腕をほどいて、業務へと向かった。
そうなのだ。安永にとっても、男を抱くのは初めての経験だったけれど、まさかあんなにも色っぽい顔をして、柔らかい喘ぎ声を出すなんて、想像したこともなかった。
安永が、髪に手をやり、ため息を吐いた。
そして、田鍋もまた、熱を持った頬を両手で挟みながら、胸が幸せでいっぱいのため息を吐いて、仕事をしていたのだった。
「え?県外で研修ですか?」
「はい。明後日から1ヶ月間、研修所で泊まり込みなんです」
「そうなんですか…。大変ですね」
安永さんと、1ヶ月も会えないなんて…。今の週1回のペースでも、すごく長く感じて、僕的にはめちゃくちゃ我慢してる方なのに。
そんな僕の気持ちにも気付かない様子で、安永さんは平然とした態度でコーヒーを飲んでいる。
何か、僕ばっかりが好きみたいで、切なくなる。好きだって、まだ1度も言われたこともないし…。
安永さんの負担にはなりたくないから、あえて平静を装ったりするけれど、本当は、もっとワガママを言いたい。
それに…。全然Hもしてくれないし…。付き合ってからもう4ヶ月も経ってるのに、初めての日を含めて、まだ2回しか…。その上、あの日以来、泊まることもせずに、必ず家に帰って行くのだ。
「あの…。手を握ってもいいですか?」
僕は、安永さんの隣に腰掛けた。
「はい」
綺麗な手をそっと差し出してくれる。
僕はその手を両手でギュッと握り、そして、安永さんの肩に頭を寄せて、もたれかかった。
「1ヶ月も会えないなんて、寂しいです。1週間でも長いって思うのに…」
「きっと、あっという間ですよ」
つれない答え。寂しいと思っているのは僕だけなのかと思って、胸が切なくなる。
「気を付けて行ってきて下さいね」
「はい。ありがとうございます」
僕は、安永さんの手を握っていた手に、ギュッと力を込めた。
安永さんが研修に行き、その週末の夜、同期の渉流君を誘って、久しぶりに2人で飲みに行った。
「贅沢な悩みだね」
「え?」
「だって、週に1回は必ず来てくれるんだろ?翔汰君のアパートに」
「うん、まぁ…」
「配達の仕事は、俺たちと違って土日関係ないんだから、それでも必ず土曜の夜に会いに来てくれるなんて、好きじゃなきゃできないよ。だいたい男の人って、好きなんてなかなか言わないし。会ってることで分かってくれてるって思ってるんじゃない?安永さん、口数少なそうだし」
「そうかなぁ。でも、Hも全くしてくれないし。僕、何かしたのかな、って思うくらい」
「会うたびにするのもどうかと思うけどね」
「え?どうして?」
「そうなったらなったで、Hして帰るだけだし、体だけなのかも…って悩むんだよ、翔汰君は」
「確かに、そうかも…」
「竹中さんに嫉妬したりもしてたんだし、ちゃんと愛されてると思うけど?」
「…そうだね。ありがとう。何か元気出た」
僕は、ジョッキに残っていたビールを一気に飲み干した。
けれど、研修の間、安永さんから連絡が来ることは、1度もなかった。研修の間は、僕からもメールを送るのを控えていたせいか、本当に丸々1ヶ月間、安永さんとの連絡が途絶えてしまったのだった。
「いつ帰って来るのかも聞かなかったな…。って言うか、僕のこと忘れてたりして」
僕は仕事が終わってアパートに帰って来ると、制服まま、ベッドに倒れ込んだ。
ここ最近、残業続きで、ましてや今日は金曜日ということもあって、疲れていたということもあったのかもしれない。気持ちが沈み、目に少し涙が滲んだ。
「もう完全に安永さん不足だよ…」
まだ片想いだった頃の方が、ここまで悩まずにいられたのかも。会えなくても、僕のものじゃないって諦められたから。
気持ちが通じて、恋人同士として会えるようになれただけでも贅沢な話なのに、どんどん欲張りになっていく自分がいて、それがかえってツラい。
独り占めしたい、って強く思うのに、それも叶わないのが、ひどくもどかしい。
そこに、インターホンが鳴った。
僕は慌てて涙を拭って体を起こすと、ドアを開けずに「はい」と、返事だけした。
「…あ、安永です。ごめん、急に」
僕は急いで玄関の鍵と扉を開けた。
「電話したんですけど、繋がらなかったから…」
「あ...。すみません。音が鳴らないようにしたまま、カバンの中に入れっぱなしで。研修、終わったんですか?」
「はい。さっき帰って来たばかりで。これ、お土産です」
言いながら、紙袋を手渡される。
「え?ありがとうございます」
「すみません。横になってました?」
「あ、いえ。大丈夫です」
慌てて、髪を直す。
「疲れてるなら、また明日にでも出直します。ゆっくり休んで下さい」
安永さんが、玄関の扉を閉めようとする。
「何で...?」
「え?」
「僕はずっと会いたかったのに、安永さんはそうじゃなかったってこと?」
言葉が、堰を切ったかのように溢れ出した。
「田鍋さん?」
「久しぶりに会えたのに、出直すとか、どうしてそんなことが言えるんですか?これじゃあ、片想いの時と何も変わらないじゃないですか。僕だけが好きで、安永さんは僕のことなんて何とも思ってないんだって、どうしてもそう思ってしまいます。メールだって、そっちからは1度もくれたことないですし…」
「すみません」
安永さんからの謝罪の言葉に、思わずカチンと来てしまった。
「何で謝るんですか?事実だから?」
安永さんは、口をキュッと結んで、俯いたまま何も言ってくれなかった。
「もういいです。今日は帰って下さい。今週、仕事が忙しくて疲れてるんで」
そう言って、僕は玄関の扉を閉じると、鍵を掛けた。そして、その場に膝を抱え座り込むと、声を押し殺して泣き続けたのだった。
『はあ!?研修終わったその日に来てくれたのに?しかも、携帯繋がらなかった翔汰君を責めもせず、直接アパートまで来てくれたことに、何で感謝出来ないの?ましてや制服着たまま横になってたなら、安永さんも当然気遣うだろうし。優しさをひねくれて受け止めるなんて、全く理解出来ない!!』
シャワーを浴びて、少し気持ちが落ち着いてから、渉流君に相談の電話をして、思いっきり怒鳴られる。
『だいたいさ、安永さん、いつも浮気されるって言ってたんだろ?恋愛に対して不器用なんだよ、きっと。だから、その分翔汰君がマメにならないとダメなんだし。恋人になったら、大事にするって言ったんじゃないの?メールしてくれないとか、女々しいこと言ってんなっつーの!自分が好きなら、それだけでいいじゃん。好きな人と一緒にいられるだけで幸せって、何で思えないの?俺なんて、どんなに会いたくても、向こうから連絡来ないと会えないんだよ…?』
あ...。
「ごめん…。渉琉君、ありがとう!」
僕は電話を切ると、すぐに安永さんに連絡を取った。
「こんばんは」
「入って下さい。今、コーヒー淹れます」
電話をすると、安永さんはすぐに僕のアパートへと駆け付けてくれた。そして、部屋へと入ると、いつもの定位置に座った。
「さっきはごめんなさい。せっかく来てくれたのに、あんな言い方をしてしまって。あの、来てくれて嬉しかったです。すごく会いたかったので。今も、こんな遅い時間なのに、来てくれて本当にありがとうございます」
コーヒーをカップに注ぎ、安永さんへと差し出す。それを受け取りながら、
「俺もです」
と言って、僕の目を見た。
「え?」
「会いたかったです」
「嘘…」
安永さんが、コーヒーカップをテーブルに置いて、そして僕を抱き締めた。
「嘘じゃないです。本当に会いたかった」
両手で、優しく頬を包み込んでくれる。そして、そのまま深く唇を塞がれた。
何度も何度もキスを重ね、そして、ベッドへとなだれ込む。
「すみません。余裕ないかも…」
安永さんに耳元で囁かれ、カアッと顔が熱くなる。
「だ、大丈夫です…」
僕は、ギュッと瞳を閉じて、そして安永さんの背中に手を回したのだった。
「明日、一緒に出かけませんか?」
「え?」
まどろむベッドの中、安永さんが優しく声を掛けてくれた。
「今まで、飲みに行ったことしかないですし」
「それって、デート…ですか?」
「はい。どこか行きたい所、ありますか?」
「僕は、安永さんと一緒なら、どこでも…」
「分かりました。じゃあ、考えておきますね」
ヤバい。楽しみすぎて、眠れないかも。
僕は、安永さんの綺麗な素肌の胸に、そっと顔を埋めたのだった。
そして翌日、2人で使う用に、いろんな日用品を買うのに、街まで出ようということになった。買い物を楽しんでいると、突然、
「安永君!」
と、不意に呼び止められた。
振り向くと、背も高く、スタイルの良い、とても綺麗な女性が立っていた。
「加山さん」
「ちょうど良かった。これ、この前のホテル代。あの日、全額出してもらってごめんね」
と、バックから郵便局の封筒を取り出し、安永さんへと手渡す。
「そんなの、良かったのに」
「いいの。あの日、一緒にホテルに泊まってくれて、本当に心強かったから」
ホテル?一緒に泊まったって、どういうこと?
足が竦む。まるで体中の血の気が引いていくような感覚だった。
「本当にいりませんよ?」
「いいから、受け取って。じゃあ、また職場でね」
その女の人は、安永さんの肩をポンと叩くと、嬉しそうに手を振り、そして背を向け歩いて行った。
「すごく綺麗な人ですね。知り合いですか?」
気になって、思わず尋ねた。
「郵便課の加山さんです。この前、合同の会議があった帰りに、大きな地震があって電車が動かなくなって。それで、一晩、自分たちでホテルに泊まることに…」
「一緒の部屋に泊まったんですか?」
「いろいろ事情があって。あの日は…」
僕は、安永さんが話そうとする言葉を遮って、
「じゃあ、理由がどうあれ、僕が他の人と一晩ホテルで一緒に過ごしたって聞いたら、安永さんはどう思うんですか?」
つい責めるような言い方をしてしまった。
「すみません。でも俺は、もしそういう話を聞いたとしても、田鍋さんのことを信じてるので、気にしないと思います」
「そんなの、自分がそういう立場じゃないから言えるんですよ」
「そうかもしれません。でも、あの日は…」
「もういいです。僕も他の人とホテルで1泊します。そしたら、おあいこでしょ?」
安永さんの表情が、一瞬悲し気に歪んだ。
意地悪を言いたい訳でも、傷付けたい訳でもなかった。ただ自分の中の嫉妬と怒りの感情が、どうしても抑えられなかった。
僕は、安永さんに背を向けると、足早にその場を去ろうと歩き出した。
「田鍋さん!」
安永さんの声は、もう僕の耳には届かなかった。
「で?」
そのまま、同期の渉流君のアパートへと転がり込んだ僕は、ティッシュの箱を片手に、泣きながら一部始終を話した。
「呼び止められたけど、無視して帰って来た」
「ひどっ!安永さん、かわいそう」
「だって、女の人と一晩ホテルで過ごしたなんて…」
「ちゃんと最後まで安永さんの話を聞いた?」
「ううん。聞いてない」
「あの日の夜、地震のせいで電車が止まって。でも、どこのホテルも満室で、やっと1部屋だけ空いてて加山さんだけを泊めるつもりだったらしいんだけど、余震も続いてたし、加山さんが1人で泊まるのをかなり不安がったみたいで。それで、本当は電車に戻って一晩過ごそうと思ってた梶尾課長代理と安永さんが、仕方なく、一緒にホテルに泊まったんだって。2人は、ソファで座って寝たみたいだよ」
「嘘…」
「嘘じゃない。梶尾課長代理から、直接聞いた話だから」
「どうしよう。また僕の早とちりで…。安永さん、怒ってるかも…」
「とにかく、早く謝った方がいいよ。好き過ぎて冷静になれないのも分かるけど、もっと安永さんのこと信じてあげたら?」
「うん。ありがとう。アパートに戻ったら、すぐに電話して謝る」
そして僕は、慌てて自分のアパートへと戻り、すぐに安永さんに連絡をしようとしたその時、インターホンが鳴った。
もしかして、安永さん?
僕は慌てて玄関まで行くと、
「はい」
と言って、扉を開けた。
「あ!こんにちは」
「え…?あ、道端君?どうして?」
「今、一人暮らしするのに、アパート探してて。前にここに田鍋さんに配達に来たな、って思い出して」
「え…と?」
道端君の言っている意味が分からず、しばらく無言で立ち尽くしていると、
「良かったら、中、見せてもらえないかな~と思って」
「あ、いや。今、部屋の中、すごい散らかってて」
そんなこと、絶対に出来ない。もし道端君が安永さんに、僕の部屋に入ったって話したら、いくら何もなかったとしても、誤解される可能性がある。しかもそれが2人きりだったとなると、弁解の余地すらなくなってしまう。
「あ、俺、そんなの気にしないんで」
「僕は気にするから!それに、今から友達が来ることになってて…」
必死になって道端君を帰そうと、嘘を並び立てる。
「友達が来たら、すぐに帰ります」
「僕なんかの部屋を見るより、不動産屋さんに家具のない空き部屋を見せてもらった方が絶対にいいよ!イメージも湧くし」
「いや~、面倒くさいじゃないですか」
そして強引に玄関の扉をこじ開けると、中に入ろうと、靴を脱ぎ始めた。
どうしよう…。今まで、家族と安永さん以外の人を上げたことないのに…。
「お邪魔しま…」
言う道端君の腕を掴む、細く長い指の、大きな手。
「道端。田鍋さんが困ってるだろ。それに、配達で知り得た情報を使って人の家を訪ねるなんて、どういうつもりだ?顧客情報だぞ」
「安永さん?どうしてここに?」
道端君が驚いたように尋ねた。
「あのっ!安永さんとは、飲み友達なんです!」
僕は必死に弁解した。
「じゃあ、俺も交ぜて下さいよ」
「ダメだ。今から田鍋さんと大事な話があるんだ。それから、田鍋さんの許可なしに、もうここには来るな。コンプラに通告するぞ?」
「え?安永さんは来てるのに?」
「安永さんは、僕が自分からアパートの場所を教えて、部屋に呼んだから…」
僕は慌ててフォローした。
「何だよ、それ。安永さんだけ、ズルっ」
「ごめんね、道端君」
「そういうことだから、早く帰れ」
「じゃあ、今度、俺にも田鍋さんから教えて下さいよ。アパートの場所」
「下心のある奴には教えないように言っておくよ」
「下心って…。俺、ゲイじゃないですよ?」
「取り集めに行く度に、田鍋さんのこと、かわいいだの綺麗だの、全身の肌がどんな感じか気になるとか言ってる奴なんか信用できるか。いいから早く帰れ」
「そんなこと、田鍋さんの前で言わないで下さいよ!警戒されるじゃないですか」
「警戒するように、わざと言ってるんだよ。じゃあな」
そして、安永さんは容赦なく道端君を追い出し、玄関の扉を閉め、鍵を掛けた。
「あの…あんな言い方しなくても、安永さんがいるなら中に入ってもらっても良かったのに…」
「いいんです。実際、個人情報を利用して、アパートに来るのは、かなりの問題行動ですし。道端はどこか甘えてるって言うか、仕事中でも、たまにキツく注意する時があるんで大丈夫です」
「それなら、いいんですけど…。あの、さっきはちゃんと最後まで話を聞かずにひどいことを言ってしまって、すみませんでした。さっき、同期の片瀬君から事情を聞いて…」
言った僕を安永さんが、力強く抱き締めた。
「間に合って良かったです」
「え…?」
「本当に誰かとホテルに行ってたら、どうしようって思ってました」
「そんなの、行くワケないじゃないですか。安永さんのことが、こんなにも好きで仕方ないのに…。だいたい、そんな相手なんていません。僕は安永さんじゃないとダメなんです」
ギュッと息が出来ないくらい、腕に力がこもった。
「俺もです。田鍋さんのことが好き過ぎて、どうしたら傷付けずに済むのか分からなくなります」
安永さんから、初めて聞く、僕に対しての気持ち。
「ど、どうしたんですか?急に…」
安永さんらしくない言動に戸惑う。
「もう遠慮したくないんです」
「え…?あの…っ」
そのまま、ベッドの方へと抱き締められたまま、移動して行く。
「今まで田鍋さんのことを気遣ってきましたけど、本当は会うたびにしたいし、敬語で話すのもやめたいし、下の名前で呼びたいです」
ドサッ、と2人してベッドへと倒れ込む。
「ちょっ…安永さ…」
「翔汰…」
耳元で囁かれ、ゾクリとする。
「安永さ…」
言う唇を激しく塞がれる。
「ありがとう。道端を部屋に入れないように頑張ってくれて」
「気付いてたんですか…?」
「あいつ、もう別のアパート契約したくせに。ここに来るなんて、絶対に翔汰目当てだろうな、と思って」
「でも、道端君、ゲイじゃないって…」
「俺もそうですよ。ただ、田鍋さんのことを好きになっただけで。だから、なおさら心配になるし、道端を近付けたくない」
今、すごいことを言われたような…
「んん…っ」
舞い上がる僕の唇に、安永さんが容赦なく吸い付く。そのまま服を捲られ、その唇が胸の突起へと移動した。安永さんの温かい舌が、その部位で激しく蠢く。
「あ…」
どうしよう。気持ち良すぎて…。
安永さんの手が、僕のすでに熱を持って硬くなった部分に触れ、優しく包み込まれたかと思うと、上下に動き始めた。
「あっ…!ダメ…」
あまりにもの快感すぎる刺激に、呆気なく達してしまい、安永さんの手を思いっきり汚してしまった。
「ごめ…なさ」
息を切らしながら、慌ててティッシュの箱に手を伸ばす。
「このままで…」
その手を止められ、安永さんの手を汚したそれを安永さんは、僕の目の前で舐め取った。
ゾクリと、何とも言えない感覚に襲われ、興奮を覚える。
「今日、シーツ買って来て良かった…」
安永さんが、容赦なく、まだ余韻の残る僕の下半身の部位を口に含んだ。
「やだっ…!やめ…」
「いっぱいイッて、翔汰…」
「ああっ!!」
いつもとは比べ物にならないほどの安永さんの激しい愛撫に、僕は翻弄され続けたのだった。
「大丈夫?」
グッタリして、息を切らす僕の頬に、優しくキスをしてくれる。
「ん…」
「ごめん。中に何度もたくさん出してしまって…」
僕は首をゆっくり横に振った。
「道端のことがあったせいか、歯止めがきかなくて」
「え…?」
「翔汰は俺のモノだ、って、つい躍起になってしまって…」
僕は、嬉しさのあまり、つい微笑んでしまった。
「姉が、この前、谷川郵便局に行ったらしくて。そしたら、めちゃくちゃ綺麗な子がいて、思わず名札見て来たって話してきて。その『田鍋』って人と仲良くなって、モニターになってくれるようにお願いしろ、って」
「え?お姉さんが?めちゃくちゃ嬉しいです」
「でも、これ以上、綺麗になられたら困るから、どうしようって悩んでる」
「え?」
こっちこそ、どうしよう…だよ。嬉し過ぎて。
顔が熱い。耳まで赤くなるのが分かった。
「僕は安永さんのために綺麗でいたいので、安永さんさえ良かったら、行きたいです」
「でも、ライバルが増えると困るし…」
「僕のこと、そんな風に思っててくれたんですか?それは、僕のセリフですよ…。安永さんの方が絶対に綺麗だし、顔も良いし、ものすごくモテるから、釣り合うように、少しでもケアしてもらえると嬉しいです」
「リンパを流すのにデコルテもケアするから、1回上半身裸になるんだけど…。そのあとバスタオルで、覆う感じで」
「大丈夫です」
「いや、その…俺のモノだ!って気持ちが強すぎて」
「え?」
「跡付けすぎた」
そう言いながら、僕の素肌全体を優しく手のひらで撫でたのだった。
それから、モニターとして安永さんのお姉さんのエステに行けたのは、約2週間後のことだった。
「おい!メール見てニヤけてんじゃねぇ!」
竹中が、安永に注意する。
「え?俺、ニヤけてたか?」
「口元が緩みっぱなしだぞ。幸せそうな顔しやがって」
「まあ、幸せだからな」
「デレてないで、早く仕事しろ!」
「早く仕事終わらないかな…」
「は!?今、始まったばっかだぞ?お前がそんなこと言うなんて、マジであり得ねぇわ」
「だよな…。自分でもそう思う」
「それ、かなりヤバいだろ。今日、土曜だから、なおさらか?」
「ああ。今日も、姉貴の実験台に行ってくれてるんだけど、最近、より…」
そこまで言って、安永は拳を手に当て、黙り込んだ。
「何だよ」
「何でもない。さっ、仕事、仕事」
田鍋のことを考えると、つい全身に熱が走る。最近じゃ、どんどん綺麗になっていって、正直、ここまで田鍋にハマるとは平静な安永にとって、かなり想定外のことだったのだ。
「って言うかさ、元々あんなに綺麗なのに、エステのモニターとかさせていいのか?男女問わず、めちゃくちゃ寄って来る奴が増えるんじゃねぇの」
「そうなんだよな…。道端も何か狙ってるみたいだし」
「まあ、田鍋ちゃん、しっかりしてるし、安永一筋だから心配ないか。なんせ、この俺になびかなかったんだからな」
冗談ぽく言いながら竹中が笑うと、安永も嬉しそうに笑顔を見せたのだった。
「あー、また!篤史の奴!!こっぴどく注意しとかなきゃ!!」
上半身裸の僕に、安永さんのお姉さんが、バスタオルをかけてくれる。
「何かあったんですか?」
「キスマーク!翔汰君、色がめちゃくちゃ白いしキメも細かいから、跡がなかなか消えないし、下手したらシミになって残っちゃうかも、と思って」
「え…?」
カアッと、顔が赤くなる。
「やだっ。首まで真っ赤になってるよ!大丈夫?」
「いやっ、その…。どうして…」
「篤史の様子見てたら分かるよ。翔汰君を見る目がねぇ…。もう『大好きです』オーラ全開」
「本当ですか?そんな風に見えてるなら、僕的には物凄く嬉しいんですけど…」
「翔汰君て素直だね。篤史がベタ惚れなのも何か分かるな。そういうの隠さず、つい口に出しちゃう所も、めっちゃカワイイんだろうな~」
「僕、安永さんのために、もっと綺麗になりたいって思ってて…」
「ありがとう。弟のこと大事に想ってくれて。アイツにはもったいないくらい、純粋で素直で美人で…。翔汰君のために、私も頑張ってケアするから、これからもモニターよろしくね」
「はい!こちらこそよろしくお願いします」
「姉貴が?」
「うん。キスマークに、ずっと気付いてたみたいで。しかもそれを安永さんが付けてることも、分かってて…」
ベッドの中で、安永さんが髪に手をやり、
「マジか…」
と、そのまま片腕で自分の頭を抱えて、うなだれる。
「それと、安永さんと僕がモニターしてくれてるおかげで、男性のお客さんも順調に増えてるって言ってた」
「いや、その…。ごめん。キスマーク、残ってるの気付かなくて…」
「いいよ。嬉しい言葉、いっぱい聞けたから」
「嬉しい言葉?姉貴に何か言われた?」
「うん。でも内緒」
僕は、安永さんの胸へと顔を寄せた。そんな僕の肩を優しく抱き締めてくれる。
「こんなに人を好きになるなんてこと、今までなかった。土曜の夜が待ち遠しすぎて、すごく困ってる」
安永さんが、髪に鼻を埋めて呟いた。
「僕も…。幸せ過ぎて、この気持ちをこれ以上、安永さんにどう伝えていいか分からないよ」
そして僕たちはゆっくり視線を合わせ見つめ合うと、どちらともなく唇を寄せ、再びベッドの上で肌を重ねたのだった。〈完〉
※こちらの作品の続編が『その恋、上書きします。』になります。ぜひ読んでみて下さい。よろしくお願い致します。
局内の電話が鳴り響く。
「お電話ありがとうございます。谷川郵便局、田鍋でございます」
電話に出ると、出張に行っている局長からだった。
『あ、田鍋くん?悪いんだけど、雨風ひどいから、外に出てる宣伝用の旗を全部中に入れておいてくれる?』
「はい。分かりました」
電話を切り、僕は急いで外に出た。
その瞬間に、勢い良く吹き付ける風と雨に、思わず顔をしかめた。目が開けていられない。旗が、ちぎれてしまいそうなくらい、はためいていた。
柵にガッチリと縛ってある紐をほどこうとするが、うまくいかない。
「何これ。全然取れな…」
そこに、
「旗を入れるんですか?」
と、声がかかり、細くて長い綺麗な指が、紐を簡単にほどきはじめた。
声を掛けてくれたのは、夕方の荷物を取り集めに来た配達員の人だった。
勢い良く打ち付ける、あまりにもの雨風に、うまく目が開けられなくて、声を張り上げる。
「旗を全部中に入れといてくれって、局長から電話があって!」
「やっておくんで、中に入ってて下さい」
「でも…」
「俺、雨具来てるんで、大丈夫です」
「すみません!ありがとうございます」
僕は、その人の言葉に甘えて、すかさず局の中に戻ったものの、制服も髪もベタベタに濡れてしまっていた。僕は制服の上着を脱ぎ、お客さまに渡す粗品用のタオルを倉庫から出して来て、髪を拭いた。
しばらくして、旗を何本か持って、先程の男の人が局内に入って来た。
「ありがとうございます。助かりました」
僕は慌てて旗を受け取る。そこに、
「田鍋さん、引渡証の印刷、まだでしょ!」
「あ、はい!すみません!」
年配の非常勤である山下さんに、言われ、旗を邪魔にならない所に立て掛けると、慌てて窓口に戻り、パソコンで書類を出力する。
「すみません。すぐに準備します」
僕は配達の人に声を掛けると、
「慌てなくていいですよ」
と、雨具の帽子を後ろへと下げた。
そのあまりにもの整った男前な顔立ちに、一瞬ハッとして、時間が止まったような感覚に襲われた。
本局の配達員の中に、こんな人、いたんだ。って言うか、イケメンすぎて、めちゃくちゃ緊張するんだけど…。頭の中で、いろんな思考が入り交じる。
そして、引き渡す郵便物と荷物を準備して、印鑑をもらう為に、授受用のファイルを用意する。そこに押された、安永と言う印。
安永さんて言うんだ…。
僕の心が、ホワッと温かくなった。
「じゃあ、郵便と荷物、預かって行きますので。ありがとうございます」
「よろしくお願いします」
局を出て行く、背の高い後ろ姿。俳優さんにでもなればいいのに、と思うくらい、僕の目には、何もかもが完璧に見えた。そして、安永さんの優しさと、その容姿に、その日、僕の心はすっかり安永さんに奪われてしまったのだった。
「え?昨日の取り集め、安永君が来たの?」
翌日、少しでも安永さんの情報を仕入れたくて、去年まで本局の郵便課にいたという局長に、話してみた。
「はい。雨具着てるからって、旗を全部入れてくれたんです」
「そっかぁ。安永君は仕事も出来るし、誰に対しても気遣えるし、あれだけのイケメンだから、局の飲み会があると、女子社員が側から離れないんだよね」
「へぇ。そうなんですね…」
確かに、あんなにカッコいい人、絶対に誰も放っておくはずがない。誰しもが、1度でいいから、あんな素敵な人の恋人になってみたいって思うんだろうな…。
そんなことを考えて、1人で勝手にショックを受けて落ち込む。
入社して1年半も経っているのに、昨日初めて会った上に、今度いつ取り集めに来るのかも分からない。
好きになるだけ無駄だと言うことなど、分かりきっていた。ましてや、男の人を相手に恋心を抱くなんて、無謀なことなんだと、今まで何度も思い知らされている。いつからだろう。男の人にしか恋が出来ない自分に気付いたのは…。
「お疲れ様です」
翌日、お昼の取り集めにやって来たのは、こともあろうか、安永さんだった。
その瞬間、僕の心臓が跳ねた。
「あ、安永君。昨日はありがとう。旗を入れるのを手伝ってくれたみたいで」
局長が前に出て来て、安永さんと話す。
緊張して、ハンコを押す手が少し震える。顔が熱くなり、耳まで赤くなっているのが自分でも分かるくらいだった。
「最近、こっち方面回ってるの?」
「いえ。そういうこともないんですけど。課長代理が決めることなんで」
「あいつは適当だからな」
局長が言うと、
「確かに」
と、安永さんが笑った。
そのあまりにもの愛らしい笑顔に、僕の心はますます彼に惹かれた。
安永さんが帰ってから、顔がついニヤけて止まらない。会えるだけでこんなにも嬉しくて、ときめいて、どうしようもなくなる。その日は、家に帰ってからも安永さんのことが頭から離れなかった。
そして、その翌日から、安永さんが取り集めに来たら…と考えるだけで、鼓動が激しくなった。けれど、僕の期待と緊張とは裏腹に、それからしばらく安永さんが来ることはなかった。そんな状態が半年も続いた頃には、諦める気持ちの方が強くなり、取り集めの時間になっても、期待に胸が高鳴ることすらなくなってしまったのだった。
それからしばらく経ったある日の週末、僕は新人研修で2週間一緒に研修を受けていた、同期の片瀬渉流と飲みに行った席で、思わず安永さんのことを相談してしまったのだ。
「ああ。安永さん?うちの局にもたまに来るけど、あれだけのイケメンだし、仕事も丁寧だし、うちの局の女子は安永さんが来たら、かなりはしゃいでるよ。飲みにも誘ってるみたいだし」
「やっぱり、そうだよね…」
そんなこと、分かりきっていたことなのに、胸がキュッと痛む。
「1度、飲みにでも誘ってみたら?翔汰君、男なんだから、普通に声掛けてみてもいいと思うけど」
「でも、もう、うちの局に取り集めに来ることもなくなったし。それに、もし来たとしても緊張して話せないよ…。僕の場合、友達として、ってワケじゃないから」
「そうだとしても、やっぱり女性が誘うのとは違って、向こうはそんなに警戒しないんじゃない?」
「そうかな…」
渉流君の言葉に、僕は少しだけ勇気付けられたような気がした。
そして週明けの月曜日のことだった。僕は仕事でかなりのミスをしてしまい、山下さんにとてもキツく注意をされた。郵便局の仕事は本当にややこしくて、取扱いの種類の多さにも、僕は毎日辟易としていた。非常勤とはいえ、もう15年以上も仕事を続けている山下さんには、業務的な知識に関してなど、敵うはずもなかった。
高校や大学の頃、いろんなアルバイトをしてきたけれど、こんなにも難しくてプレッシャーのかかる仕事を今までに経験したこともなく、何度落ち込んだか、数え切れないくらいだった。
山下さんが気付いてくれなければ、僕のミスが重大事故になりかねなかった。僕はため息を吐いて、ずっと黙ったまま俯いていた。
そこに、
「お疲れ様です」
と、夕方の取り集めの人の声がした。
ハッとして、慌てて席から立ち上がった。
「すみません。今すぐ引渡しの準備します」
夕方の取り集めの時間になっていることにすら、全く気が付かなかった。今日は本当に散々だ。
慌ててパソコンで出力し、授受簿にその日に受付けた郵便の種類と荷物の数を記入する。その時間をフォローしてくれるかのように、局長が前に出て、配達員の人に話しかけてくれていた。
「引渡し、もうちょっと待ってて。今、山下さんにやっつけられて、田鍋君、落ち込んじゃってたもんだから」
いつもの適当な調子で冗談交じりに話し出す。
「大丈夫です。慌てなくていいですよ。待ってます」
「本当にすみません。次の局の取り集めの時間に遅れてしまいますよね。ごめんなさい」
「少しくらい遅れても大丈夫なので、気にしないで下さい」
「ありがとうございます」
引渡証が印字される間に、局長が引き渡す書留類の郵便をまとめてくれていた。
そこに、洗い物を済ませて事務所内に山下さんが戻って来る。
「何モタモタしてるの!?取り集めの時間、過ぎてるでしょ!」
僕へとダメ出しをする。
「すみません」
「まあ、まあ。安永君、待っててくれるって言ってくれてるし」
局長の言葉に、
「え…?」
思わず顔を上げると、そこには安永さんが立っていた。その瞬間、カアッと体が熱くなるのが分かり、一気に緊張してしまい、言葉が発せなくなる。その後、局長が荷物を引き渡してくれ、安永さんは局をあとにした。
安永さんに会えたことで、僕の落ち込みはなぜか解消され、先ほどまでの重い気持ちもどこかへと消え去ってしまっていた。
恋の力って、本当にすごい...かも。
僕は改めて、そう実感したのだった。
その日から、1ヶ月に1度ほど取り集めに来るようにはなったものの、僕の方から話かける勇気もなく、安永さんと初めて出会ってから10ヶ月ほどが過ぎようとしていた。
会えると嬉しいのに、話すらできなくて、会えない日は切なすぎて、会いたいと思えば思うほど辛さが募った。
もう諦めよう…。安永さんのことを想ったところで、この恋が叶うワケがないんだから…。
考えて、自然とため息が零れた。
「新築の家はいいよ。今度おいでよ。薪ストーブの前で飲むお酒は、本当に最高だよ」
新築で家を建て直した局長が、夕方の集荷に来た昔からの知り合いの、非常勤の道端君に声を掛けていた。
「本当ですか?マジで行きます!今度の日曜、めずらしく休みなんで、土曜の夜はどうですか?」
「いいよ、いいよ。おいで。良かったら、田鍋君もどう?」
突然話を振られて驚いたものの、誘いは嬉しかった。
「いいんですか?」
「もちろん。鍋でも囲んで、みんなで楽しく飲もうよ」
局長がニコニコと笑顔を見せる。
「決まりっスね!俺、仲の良い先輩、1人に声かけてもいいですか?今、いろいろ相談に乗ってもらってて」
「いいよ。大歓迎」
そして、週末、僕は局長の新築の家に、急きょ遊びに行くことになったのだった。
「お邪魔します」
僕はお酒のツマミになりそうな手土産と、缶ビールを1箱持って、局長の家へと上がり込んだ。
家の中は、木のとても良い香りがした。
「少し早かったですか?」
局長が、グラスや氷を準備していた。
「いや、大丈夫だよ。みんな、もうすぐ来るだろ?」
そこに、インターホンが鳴った。ガチャリと、玄関の開く音がして、
「お邪魔しまーす!」
と、威勢の良い声が響き、非常勤の道端君が部屋へと入って来た。
「めっちゃいい匂い!新築って感じっスねー」
「お邪魔します」
そう言って部屋へと入って来た道端君の後ろにいる人影に、僕は一瞬、息を呑んだ。
「こんにちは」
少し頭を下げたのは、信じられないことに、あの安永さんだった。
嘘だ…。こんなことって、あるんだろうか?
僕の心は、緊張と興奮で、とても複雑な状況に苛まれていたのだった。
「そっかぁ。みんな大変なんだね」
4人でビールを飲みながら、鍋を囲む。
「どこの局も、人が全然足りないんですよ。俺、非常勤なのに、正社員よりもコキ使われてるし」
「それだけ頼りにされてるってことだろ?道端君、まだ若いし動けるから。周り、ほとんど40代以上でしょ?安永君も、かなりキツイ勤務、組まれてるんじゃない?」
「まあ、今、新入社員もほとんど入ってこないですし、入社しても、すぐに辞めて行きますからね…。冬は寒いし、夏は暑いしで、見た目以上にしんどい仕事なんで、なかなか続かないみたいです」
プライベートで、安永さんの声が、こんなに近くで聞けるなんて…。心だけじゃなく、耳の鼓膜までもが喜んで、弾けているような気がするくらいだった。
「なるほどね…。道端君は正社員の試験、受けないの?」
局長が道端君に尋ねた。
「正社員になると、ノルマとかあるし、精神的にもキツくなるじゃないですか。そういうプレッシャー、本当にイヤなんですよ」
「確かにね。僕たちも、保険や投資信託やカタログ販売とか…。目標額が高いから、営業でかなり苦労してるよ。ね?田鍋君」
「あ...はい」
「ですよねー!」
道端君と局長の会話が盛り上がる中、僕は緊張しながらも、おつまみをつまみながら、チビチビとビールを飲んでいた。
安永さんは、2人の会話を微笑みながら、聞いていた。
はぁ…。本当にいい男だなぁ。肌もきめ細かくて、すごく綺麗だし。外仕事なのに、手や指とかも、こんなに白くて細くて、爪まで艶やかだなんて、きっと手入れとか、毎日ちゃんとしてるんだろうな…。今日、ここに来て本当に良かった。
「安永君、飲んでる?」
不意に局長が安永さんに声を掛けた。
「はい。飲んでます」
「田鍋君は?」
「あ、ちゃんと飲んでます」
「今日は嫁さんも子供連れて実家に帰っていないから、ゆっくりしてって。田鍋君、今日は思いっきり愚痴っていいからね。山下さん、キツイでしょ?」
呂律の回っていない局長が、僕の肩を抱く。
「はい。ありがとうございます」
そして、そのまま僕へと覆い被さるように倒れ込んだ。
「え!?あの…!」
ふくよかな局長を小柄な僕が支えられるワケもなく、そのまま2人して床へと倒れてしまった。
「ちょっ…局長、重い…」
必死に局長の体をずらそうとするが、重すぎて全く身動きが取れない。
「大丈夫ですか?」
安永さんが、局長の体を抱き起こし、横へと転がしてくれた。仰向けになった局長は、そのまま大の字になって眠ってしまったようだった。
「あ、ありがとうございます。息が出来なくて、ビックリしました…」
起き上がろうとする僕の腕を持ってグッと引くと、軽々と起こしてくれる。その大きな手の感触と温かさに、思わずドキッとする。
安永さんて、体のラインとか細いのに、すごく力強いんだな…。そういえば、以前も固く結んである紐を軽々とほどいてたっけ…。
「このまま、寝かしておきましょうか」
安永さんが言う。
「そうですね。道端君は…?」
後ろを振り返ると、道端君も、横になって眠ってしまっていた。
「2人ともピッチ早かったですし、床暖房も入ってるから」
「すごく気持ち良さそうに眠ってますね」
そして、僕たちはテーブルに横に並んで、2人きりでビールを飲み始めた。しばらく沈黙が続いたけれど、こんなチャンスはないと思った僕は、勇気を振り絞った。
「あのっ!安永さんて、今、お付き合いされてる方とかいるんですか?」
「え?」
「あ...、いや、めちゃくちゃカッコいいし、気遣いもできて優しいし、仕事もできるし…。きっと、いるんだろうな、って。あ!答えたくなかったらいいんです!気にしないで下さい」
わーっ!僕のバカ!!いくらなんでも、こんな質問、唐突すぎるだろー!!
急に我に帰り、ビールを一気に飲み干す。そして、動揺を隠し切れず、テーブルの上にあった缶チューハイを手に持つと、僕はそれにも口を付けた。
「大丈夫ですか?そんなに一気に飲むと…」
「大丈夫です。すみませんでした。今日初めてお会いしたのに、立ち入ったことを聞いてしまって」
僕が言うと、安永さんが笑顔を見せ、
「全然。今は、いません。俺、何か恋愛下手なのか、いつも浮気されてしまって…」
と、答えてくれた。
「え?浮気ですか?」
「はい」
「どうしてですか?信じられません。安永さんみたいな人が彼氏になってくれたら、僕なら絶対に大事にします」
「え?」
安永さんが、驚いたように僕を見た。
「あ!そんなこと、男の僕に言われても嬉しくないですよね。すみません」
顔が赤くなる。いくら酔ってるとは言え、こんな所で本音を言うなんて、絶対にドン引かれちゃうよ。
「田鍋さんは、彼女いないんですか?」
不意に尋ねられ、体が少しばかり硬直した。
「僕は…」
どうしよう。本当のことを言ってしまおうか。でも、嫌われて、もう会ってもらえなくなったら…?
僕の頭の中で、いろんな考えが巡り巡った。そして、口を付いて出た言葉が、
「あの…こういうの、引くかもしれないんですけど、実は僕、恋愛対象が、同性の人なんです。最近、すごく気になる人ができて、でも、嫌われることが怖くて、普通に話かけることすら出来ないんです…。ごめんなさい。急にこんな話されても、気持ち悪いですよね。今まで誰にも言えなくて、ずっと隠してたんですけど…」
僕が言うと、安永さんが、しばらく黙ったあとに、口を開いた。
「俺は、そういうのは正直に出して行ってもいいと思います。その方が恋の可能性も広がると思いますし」
優しい口調。僕を見る眼差しで、真剣に相談に乗ってくれていることが伝わる。
「そ、そうでしょうか?」
「そうですよ。そんな田鍋さんのことを受け入れてくれる人が現れるかもしれないじゃないですか。だから、なおさら隠すことじゃないと、俺は思います」
安永さんが、フワリと笑う。そして、手に持っていた缶ビールを口元に持って行き、傾けた。ドン引くこともなく、差別することもせず、躊躇なく僕が同性愛者であることを受け入れてくれるなんて…。
キュッと、僕の胸が締め付けられた。
ああ。僕、やっぱりこの人のことが、本当に好きだなぁ…。思わず、安永さんに見惚れてしまう。その視線を感じてなのか、安永さんと目が合ってしまった。
「あ、ありがとうございます。そんな風に言ってもらえて、嬉しいです」
僕は真っ赤になって、俯いたのだった。
そして、夜遅くに解散になり、外に出てからのことだった。
「あの、もし良かったら、また今度、一緒に飲みに行きませんか?」
もしかしたら、もう会えないかもしれない。このまま、自分の気持ちを抑え込んで、またいつ会えるか分からずに悶々とした日々を送るなんて、絶対にイヤだ。そんな後悔だけはしたくなかった。
僕は、帰り際の安永さんの背中に、勇気を振り絞って声を掛けた。
安永さんが振り返る。
「あの…。迷惑でなければ、でいいので。また相談に乗ってもらえたら、と思って」
緊張して声が震え、安永さんの顔が見られない。
「迷惑なんかじゃないですよ?」
そう言って、ダウンジャケットのポケットから、スマホを取り出した。
「俺、実はLINEしてなくて。電話番号でいいですか?いつも、電話番号のメールでやり取りしてて」
「え!?あ!はい!」
電話番号を教えてもらえるなんて、嬉しすぎるんですけど!!!安永さんと、連絡先を交換できるなんて、夢みたいだ…。
「あの、どうしてLINEしないんですか?」
「LINEは、1度登録すると、ずっと残るって聞いて。連絡を絶ちたい時はブロックするしかないんですよね?それって、相手も自分も悲しいじゃないですか。別れたあとに連絡先が残るのも、イヤなんで…」
確かに、削除にしても、連絡先は残ったままで、登録件数が、どんどん増えていく。
安永さんて、意外と古風なんだな…。
そんなところも、またカッコいいと思ってしまう自分がいた。
お互いに電話番号を交換し、名前を送る。
安永篤史…って言うんだ。これから、登録された安永さんの名前を見る度に、ニヤケてしまいそうだ。
「あの…嬉しいです。僕、安永さんにずっと憧れていたので...」
思わず言ってしまった。
「え?俺にですか?」
「はい。安永さん、覚えてないかもしれませんが、雨風のひどい日に、僕が旗を入れていた時、手伝ってくれて。それが、本当に嬉しくて。仕事のことでも悩んでて、山下さんもキツくて、ちょっと落ち込んでた時期だったので…」
「ああ…。あの時、ちょうど雨具着てたんで」
「本当にありがとうございました。助かりました」
「いえ」
安永さんが、笑いながら、少し頭を下げた。
その笑顔がものすごくかわいくて、目が離せなくなってしまう。
「あの、本当に、また飲みに誘います」
「はい。来月は書留郵便が多くてちょっと忙しいですけど、また時間が合う時に一緒に行きましょう」
「はい!絶対にメールします」
僕が力を込めて言うと、
「はい。待ってます」
と言って、安永さんは再び笑顔を見せてくれた。
そして、その日は、そのまま別れたのだった。
それから何日か経ってから、僕は安永さんにメールを送った。メール1つ送るのにもかなり緊張してしまい、何度も何度も読み返して、失礼にならないように、そしてなるべく控えめな文章を選んで送るようにした。
安永さんは、僕がメールを送ると、必ずその日のうちに返信をくれて、飲みに行く約束も、構えていた割には、意外とすんなりと受け入れてくれたのだった。
初めての時は、餌付いてしまうぐらい緊張していたけれど、1度2人きりで飲みに行くと、気心が知れたのか、月に1度が2週間に1度になり、そのうちに、毎週土曜日の夜は、お互いによっぽどの用事がない限り、一緒に飲みに行くようになっていた。
そんなある日、いつものように土曜日の夜に飲みに行った先で、安永さんの同期の、竹中さんと言う人に偶然会った。
「あれ?安永?」
「竹中…」
竹中と呼ばれた男は、安永さんこそではないが、顔もなかなか整っていて、背も高く、細身の、いわゆるイケメンと言われる部類の人だった。
「何だよ、カワイイ子連れちゃって。どうも。安永と同期の竹中です」
「初めまして。谷川郵便局の田鍋です」
僕は軽くお辞儀をした。
「隣、いい?」
「あ、はい。どうぞ」
竹中さんが、カウンターに座る、僕の隣へと腰かける。
「へぇ。男の人?何か、女の子みたいだね。めっちゃキレイ」
「お前、こんな時間に1人で来て、待ち合わせか?」
「いや、彼女に二股かけてるのバレてさ。逃げてきた」
「相変わらずだな…」
安永さんが呆れたように呟いて、梅酒の入ったグラスを口に当て、傾けた。
「ねぇ。田鍋さんて、付き合ってる人いるの?」
僕の肩に、竹中さんの手が回る。
「いえ…」
こういうことに免疫がないせいか、密着する距離に戸惑いと緊張を隠せない。
「良かったら、今度、俺とどう?俺、キレイな子なら、男でも全然大丈夫だから」
「いえ、あの…」
あまりにもの突拍子もないセリフに呆気にとられて、返す言葉を失う。
「こんなところで俺の知り合いを口説いてないで、彼女とどうするか考えろよ。行こう、田鍋さん」
安永さんが、伝票を持って席を立つ。
「あ、はい。失礼します」
僕は、急いだ様子で店を出る安永さんを追いかけて、慌ててその場を去った。
店を出ると、安永さんはめずらしく、足早に歩いていた。
「あの…」
その背中に、声を掛けると、安永さんが立ち止まり、僕に背を向けたまま、
「アイツ、手癖悪いんで、本当に気を付けて下さい。男も女も、見境ないんで」
と、今まで聞いたことのないような低い声で、僕に言うと、また足早に歩き出した。
心配してくれてるように感じて、何だか少しだけ胸がくすぐったくなった。
「大丈夫です。僕がこんなふうに、いろんな事を話せて、信用しているのは、安永さんだけですし...。もし、知り合いに会うのが嫌なら、今度から僕のアパートで飲みませんか?僕、1人暮らしだし、気兼ねなく飲めると思うので」
足早に歩く安永さんに追い付くために、息を弾ませながら、提案した。
安永さんはしばらく黙ったまま歩き続け、足を止めると、少し考えるようにしてから、
「迷惑になりませんか?」
と、聞いて来た。
「僕は全然。むしろ、週末の夜に1人で過ごすより、気心の知れた安永さんと過ごしている方が楽しいので」
緊張はするだろうけど、部屋で2人きりで過ごせるなんて、僕としてはこれ以上にないくらい幸せなことなのだ。
それからと言うもの、週末には、安永さんが僕のアパートに来て、2人でたわいもない話をしながら、家飲みをするようになった。僕にとっては、まるで信じられない出来事で、こんなふうに安永さんと仲良くなれて、僕のアパートで笑いながら2人きりで話せる日が来るなんて、夢にも思ってもいなかったのだ。
「あれ?めずらしい。土曜の夜は毎週、友達の家に行ってたのに。今日は行かないの?」
安永の姉が、夕飯の準備をしようとキッチンに来た時に、リビングのソファーに腰掛けてテレビを見ている安永に気付き、声を掛けた。
「連絡なかったし」
「自分からすればいいじゃん」
「毎週相手のアパートに邪魔してんのに、さすがにそれは図々しいだろ。いつも料理も作ってくれてるし」
「ふぅん。じゃあ、今日は家で食べるのね?」
「ああ。今日の夕飯は姉貴が作んの?母さんは?」
「今日からお父さんと1泊2日で温泉旅行に行くって言ってたでしょ」
「そうだっけ?」
「あんた、本当に家のことに関心ないんだね。たまには、甥っ子や姪っ子を風呂に入れるとか、スポ少のお迎えに行くとか、手伝いなさいよ。こっちは旦那が単身赴任で、毎日大変なんだからね」
「いいじゃん。その分、母さんや父さんが嬉しそうに孫の世話してるんだから。そのための同居だろ?」
そこに、安永の携帯の着信音が鳴った。
見ると、竹中からだった。
『あ、安永?昨日、谷川郵便局に取り集めに行った時に田鍋ちゃん誘ったらOKもらえてさ。今から2人きりで食事に行くんだ。一応、報告しておこうと思ってさ。じゃあな』
竹中は、一方的に喋ると、電話をすぐに切った。
「竹中のヤツ…」
安永が、低い声で呟いた。
「何?竹中って、いつもあんたの彼女に手を出して来る人でしょ?」
「毎週、俺と一緒に飲んでる人と、今からご飯食べに行くって…」
「え?何で?あんた、その子と付き合ってるワケじゃないんでしょ?」
「この前、2人きりで店で飲んでるところを見られた」
「え?じゃあ、勘違いしてるのかもよ?まあ、別に、まだ付き合ってないなら、別に竹中君とどうなっても関係ないのか…」
安永の胸がざわつく。
関係ない?田鍋さんが、竹中とどうなっても…?
安永は、慌てて田鍋へと電話をしたが、電源が入っていなかった。
「そう言えば、最近、スマホの調子が悪くて、充電がすぐになくなるって言ってたな…」
言いながら、竹中へと電話を掛け直す。しかし、竹中は電話には出なかった。
「ちょっと出てくる」
安永は、部屋からダウンジャケットを取って来ると、急いで玄関へと向かった。
「好きなんだね、その子のこと」
「え?」
安永が姉の言葉に驚いて立ち止まり、思わず振り返った。
「あんたがそんなに慌てるなんて、めずらしいからさ。まあ、気を付けて行っておいで」
「ああ…」
姉の言葉を背に、外へと出て、急いで田鍋のアパートへと向かう。
好き…?俺が田鍋さんのことを…?
確かに、竹中と鉢合わせた時に、何とも言えない気持ちになった。ヤバイと言うか、すごく焦ったような、複雑な感情に襲われたのは確かだ。
「頼む。間に合ってくれ…」
走り出しながら、安永は呟いた。
「こんばんは。来てくれて、ありがとう」
お店の前で待っていた竹中さんが、声を掛けてくる。
「こんばんは」
僕は、少しだけ頭を下げた。
「寒いし、中に入ろうか」
「いえ。今日は断ろうと思って、ここに来ました。僕、竹中さんとは一緒にお食事できません」
「何で?」
「僕、好きな人がいるんです。その人に誤解されるような行動は、とりたくないんです」
「誤解って?俺たち、男同士なんだから、気にする必要ないでしょ?」
言いながら、竹中さんが優しく笑った。
「気にするんです。僕の好きな人は、男の人なので。だから、竹中さんと2人きりで食事は出来ません。すみません」
「そんなに安永がいいの?」
「え…?」
「田鍋ちゃんの好きな人って、安永でしょ?この前、お店で2人を見かけた時に、すぐに分かったよ。あんな奴のどこがいいの?俺、あいつの彼女、何人か寝取ったけど、怒るでもなく、責めるでもなく『幸せに…』とか言って、すぐに身を引くんだぜ?めちゃくちゃ薄情で冷たい奴だと思わない?」
竹中さんが、鋭い視線を僕に向けた。
「それは、本心だからじゃないんですか?本当に2人に幸せになって欲しいって思うから、そういう言葉が出るんだと思います。安永さんには、そういう優しさがあると思います」
僕が言うと、竹中さんの表情が一気に強張り、そして、いきなり僕の手を勢い良く引いた。
「やめ…」
咄嗟に顔を背けると、僕の頬に竹中さんの唇がぶつかった。そのまま、すぐに両肩を持たれ、身動きが取れなくなる。
「安永はノーマルだよ?あんたがどんなに好きになったところで、絶対に叶うことなんてない。だから、俺と恋愛しようぜ。俺が、あんたのツラい片想いも、欲求不満も全部解消してやる。絶対に満足させる。今からホテルに行こう」
「離して下さい!僕は遊びでそういうことはしたくないんです!」
「遊びじゃない!今すぐにでも抱きたいくらい、本気になったんだよ!」
そう言った竹中さんの顔が僕の顔へと近付く。
僕は両腕で竹中さんの体を勢いよく押すと、その場から、駆け出していたのだった。
久しぶりに走ったせいか、息が切れる。僕は、呼吸を整えるように、ゆっくりと歩き出した。その帰り道、涙が止まらなかった。頬を伝う涙が、マフラーへと、どんどん染み込んで行く。
僕だって、充分、分かってるんだ。この恋が叶うワケないってことぐらい。それでも、好きで好きでどうしようもなくて、気持ちが抑えられない。
友達でもいいと思っていた気持ちも、そろそろ限界で、どんどんツラくなって来ていたのも分かっていた。
いつもメールするのは僕からで、それが切なくて苦しくて、連絡しなくなったところで、安永さんの方から連絡が来ることもなかった。今日だって、土曜の夜の約束のメールをしなかったのに...。もしかしたら、安永さんからメールをくれるかもしれないと思った淡い期待は、見事に裏切られた。
もう会わない方がいい。我慢しよう。
そう思うのに、どうしても、メールをしたくなって、僕から連絡してしまう。土曜のお昼に、毎回必ず、僕の方から夜の確認のメールをしてしまって、いつも連絡してしまったことを後悔するのも分かっているのに…。
「それでも、傍にいたい。安永さんの傍に、ずっといたいんだ…」
僕は涙声で呟きながら、アパートへと向かって歩き続けたのだった。
アパートへと帰ると、ドアの前に、背の高い、人のシルエットが暗めの電灯に照らし出されていた。
「安永さん…?」
僕は慌てて、手袋をしていた手のひらで、涙を拭った。
「あ...。良かった。携帯に何度か電話したんですけど、繋がらなかったので。竹中から、今日、田鍋さんと食事に行くって、さっき連絡が来て。ちょっと心配で、アパートまで来てしまって、すみません」
ああ…。やっぱり僕は、この人のことが、めちゃくちゃ好きで仕方がないよ。離れるなんてこと、絶対にしたくない。そう思って、また、目に涙が滲む。
「ごめんなさい。スマホの充電、すぐになくなってしまって。寒いので、中に入って下さい」
安永さんの鼻が赤い。こんな寒い中、どれだけの時間、僕なんかのことを待っててくれたのだろう。
「何かありましたか?」
安永さんに不意に聞かれ、
「いえ…」
と言うだけが精一杯で、それ以上は声を出せなかった。
僕は、部屋の明かりを点けると、すぐにファンヒーターのボタンを押した。
そこに、安永さんのスマホの着信音が鳴り出した。
「すみません」
言いながら、電話に出た。
「はい。ああ。いや、俺も話あったから。分かった。今から行く」
そして、電話を切った。
「すみません。ちょっと呼び出しで。すぐに戻ります」
そう言うと、安永さんは部屋に入ることなく、アパートの階段を降りて行った。
「よぉ」
安永が、呼び出された店に入ると、カウンターに座っていた竹中が、ニヤリと口の端を上げた。
「何で泣かせた?」
安永が、竹中の横の椅子に腰かける。
「何?田鍋ちゃん、泣いてたの?」
「何を言った?」
「何マジになってんの?そんな態度、初めてじゃね?」
「いいから答えろ」
「だから、お前のことをどれだけ好きになっても無駄だって教えてやったんだよ。だって、お前、恋愛対象、女だろ?だから、俺と恋愛しようって口説いて、ホテル行こうって無理矢理キスしたら、本気で怒っちゃって」
安永が、そこまで言った竹中の胸ぐらを掴んだ。
「田鍋ちゃんの唇、めちゃくちゃ柔らかかったぜ?」
それでも竹中は怯むことなく、安永を煽った。
「だいたい田鍋さんの好きな人が俺かどうかも分からないのに、あの人を巻き込むな」
そして、しばらくの沈黙が続く。
「お前、何も分かってないんだな。田鍋ちゃんの好きな奴は、間違いなくお前だよ。さっき、本人に聞いたけど、否定しなかったし」
竹中が言うと、安永は胸ぐらを掴んだ手をゆっくりと放し、そして静かに店を出て行った。
「めずらし…。あの安永が感情的になるなんて。ちょっとぐらいの意地悪、いいよな」
竹中は呟きながら、酒の入ったグラスに口を付けたのだった。
インターホンが鳴る。
「はい」
「あ、安永です。すみません。遅い時間なのに、戻って来てしまって」
「どうぞ」
僕は玄関の鍵を開けると、扉を開いた。安永さんは、その場に佇んだまま、部屋に上がろうとしなかった。
「どうしたんですか?何かありました?」
「いえ。田鍋さんこそ、竹中と何かあったんじゃないんですか?」
そう言った安永さんは、俯いたまま、僕と目を合わせようとしなかった。
冷たい風が吹き付け、部屋の中へと冷気が入り込む。安永さんが、ゆっくりと玄関の扉を閉じた。
「竹中さんに、ちょっといろいろ言われて。僕だって分かってるんです。自分のこの気持ちが叶うワケなんかないって。でも…、それでもその人のことが好きで仕方なくて、切なくても辛くても苦しくても、どうしても諦められないんです」
そこまで言って、再び目から涙が零れ出した。
「僕は、竹中さんとじゃなくて、初めては、やっぱり好きな人とがいい…」
そこまで言うと、ポットのお湯が沸いた合図の音が鳴った。
ハッと我に返る。慌てて手の甲で涙を拭い、
「あ、寒かったですよね。温かいコーヒー淹れるので、良かったら入って下さい」
と、キッチンへと向かった。
わーっ!こんなの、まだ経験がないって暴露してるようなもんじゃないか!!僕って本当にバカすぎるだろ!!
自分でも、恥ずかしすぎて、耳まで真っ赤になるのが分かった。
「あの!すみません、変なこと言って。忘れて下さい」
安永さんに背を向けたまま、食器棚からコーヒーカップを出して、コーヒーメーカーに豆をセットする。
その僕の手に、安永さんが背後から伸ばして来た手が、そっと触れた。
「え…?あの…」
そのまま、体が密着する。そして、空いている方の腕で、僕のことを包み込み、ギュッと力強く抱き締めた。
一瞬、驚き過ぎて身動きが出来なかったものの、僕を抱き締めてくれている腕に、僕はゆっくりと手を添えた。
重ね合っていた右手が、絡まる。安永さんが、背後から僕を覗き込みながら、僕の顔を後ろへと向けると、唇が、静かに重なった。1度唇が離れて、そして安永さんが「ごめん…」と言いながら、もう1度、唇を重ねた。
少し唇が離れたところで、僕が言った。
「謝らないで下さい。僕、安永さんのことが、ずっと好きだったんです」
「ずっと、想っててくれたんですか?」
「はい。初めて会った日から、ずっと…」
「俺のこと、受け入れてもらえますか?」
僕の頬には、いくつもの涙が伝っていた。
「はい。大好きです」
再び、唇が重なる。
これは、夢なんじゃないかと、本気で思っていた。まさか、自分の気持ちが通じるなんてこと、一生ないだろうと思っていたのだから...。
「き、緊張します」
僕が言うと、
「俺もです」
と、安永さんが答える。
電気を消して、2人でベッドに潜り込んだものの、緊張しすぎて体が強張る。満月の月の光が入り込み、部屋は明るくて、お互いの表情なども、結局見えてしまっていた。
「めちゃくちゃ恥ずかしいです」
僕が言う。
「俺もです」
そして、唇が重なり、安永さんの柔らかくて温かい舌が、僕の舌へと絡む。
本当に、しちゃうんだろうか。
あの、憧れの安永さんと、本当に…?
唇が首筋を這い、胸へと落ちる。
「っ…」
思わず声が漏れて、恥ずかしくなって両手で口を塞いだ。
「声、聞かせて下さい」
手を外され、キスをされる。
「でも…」
「全部、知りたいんです。田鍋さんの全部を…」
額にキスをされ、頬にも唇を寄せる。
こんなに優しくされたら、心も体も、全ての力が抜けて、とろけてしまいそうになる。
「ボディーソープの良い香りがする…。竹中に会うのに、シャワー浴びてから行ったんですか?」
言いながら、耳を唇で挟み込む。ゾクリと、背筋に快感が走った。
「ち、違います。今日は、午後からお客さんと約束があって。緊張して、汗をかいてしまったので。昨日の取り集めの時に、竹中さんから、お店の場所と時間だけ一方的に伝えられて、連絡先も知らなかったし、断りに行ってから、すぐに安永さんに連絡しようと思ってて。その…安永さんに汗臭いまま会うの、イヤだったので…」
「田鍋さんて、本当に素直すぎます」
言いながら、唇にキスをしてくれる。
そして、唇を塞がれたまま、安永さんの綺麗で大きな手が、僕の少し硬くなって熱を持っているモノに触れたかと思うと、ゆっくりと上下に動き始めた。
「…んっ…」
思わず、鼻にかかった声が漏れた。僕は恥ずかしさのあまり、ギュッと目を閉じ、顔を横に向けた。
「田鍋さん、めちゃくちゃかわいいです…」
そう言って、頬にキスをしてくれる。それだけで、僕は本当に幸せな気持ちになれた。
「ダメ…です。あんまり触られると…」
大きな手に包まれた僕のモノは、もう放出しそうなくらいまでにヒクついていた。
「イッて下さい」
その部位に、息がかかるくらい唇を寄せられたかと思うと、一気に安永さんの熱い口の中へと含まれた。
「やだ!恥ずかし…」
思いっきり腰を捩ったけれど、安永さんの唇と舌は、僕へと吸い付いて放してくれなかった。
「やっ…!あっ…ダメ…。イクっ…!」
ビクンと腰が跳ねて、僕はついに安永さんの口の中で迸ってしまった。やらしい音を鳴らしながら、僕の放った液を最後まで搾り取る。それがまた快感で、高揚が収まらなかった。
「ご、ごめんなさい。僕…」
あまりの恥ずかしさに、たまらなくなって、うつ伏せになり、枕へと顔を埋めた。そこに安永さんが覆い被さってきて、僕の顔を横へ向けると、唇を重ね、舌を絡めてくる。
まだ余韻が残る部分に、そっと安永さんの手が這う。僕もたまらなくなって、安永さんの下半身へと手を伸ばした。ズボン越しに、硬くて熱い感触が、手に伝わる。安永さんが、自分のズボンのボタンを外し、ファスナーを下ろした。
僕は、恐る恐る、憧れの安永さんの熱くて硬いものに直に触れ、上下にゆっくりと扱き始めたのだった。
「大丈夫ですか…?」
安永さんの裸の胸の中に抱かれながら、尋ねられる。
「はい…」
「すみません。田鍋さん、初めてなのに、手加減出来なくて…」
言いながら、優しく僕の髪を撫でてくれる。
「大丈夫です。あの…、嬉しかったです」
安永さんの胸へと寄り、顔を埋める。
「竹中が、田鍋さんにキスしたって聞いて、つい頭に血が上ってしまって」
「え…?あ、はい。ちゃんと避けて、頬に…」
僕は顔を上に向け、安永さんを見た。
「え?」
安永さんが驚いたように、僕の目を見た。
しばらくの沈黙のあと、
「す、すみません。竹中が、田鍋さんの唇が柔らかかったって言ってて、つい、本当にキスしたのかと…。俺の方こそ、思わず田鍋さんにキスしてしまって、しかも、その…それ以上のことまでしてしまって、本当にすみませんでした」
拳を口にやり、恥ずかしそうに視線を外す。
ウソ…。いつも冷静沈着な安永さんが照れてるなんて、何だかとても新鮮で、ものすごく貴重な経験をしたような気になった。
「いいんです!逆に、嘘を付いてくれた竹中さんに感謝したいくらいです。だって、そのおかげで安永さんと、その…」
今度は僕が恥ずかしくなって、俯いてしまった。
そんな僕の手を、安永さんが優しく握ってくれる。
「そうですね。本当に感謝しないと。実は初めてだったんです。竹中に誘われても、動じなかった人…」
「え?」
「今まで付き合って来た人たちは、みんな竹中に誘われたら、そのまま…」
そこまで言うと、安永さんは黙ってしまった。
そっか…。『幸せに…』と言って、今までの彼女たちとの別れを繰り返してきた安永さんは、本当はとても傷付いていたのだということに気付かされた。
「きっと、不安になるんだと思います」
「え?」
「安永さん、素敵すぎるから、いざ付き合えることになっても、心配なんだと思います。他にもたくさん言い寄る人がいて、ましてや、あまりマメに連絡するタイプじゃないから...。本当に好きでいてくれているのか分からなくなって、自信を失くすんだと思います。人は弱いから、そういう所に優しくつけ込まれると、やっぱりフラッと浮気してしまうんだと思うんです」
「俺なりに、大事にしてるつもりだったんですけど、うまく伝わってなかったのかもしれませんね…。でも、浮気されても『まあ、いいか…』って思ってた所もあって…。きっと俺の方も、本気じゃなかったのかもしれません」
「僕は大丈夫です」
「え?」
「そんな浅はかな行動で、安永さんを失うようなバカな真似はしません。絶対に大事にします。僕には安永さんだけです」
僕が言うと、安永さんが目を細め、微笑んだ。
「ありがとう。仕事に対してもですけど、田鍋さんのその一生懸命さや健気さに、いつも心が温かくなります」
「え…?」
嬉しい。まさか、そんな風に思っていてくれたなんて…。
そして僕の手を握ると、そっと指先にキスをしてくれた。僕はその手を安永さんに絡めた。
「安永さんって、肌だけじゃなくて、手や指とかもすごく綺麗ですね…。何か、ケアとかしてるんですか?」
「いえ、特には。ただ、姉が自宅でエステサロンをしてて、そこのメンズモニターをやらされてますけど…」
「メンズモニターですか?」
「はい。女性のお客さんは定着してきたので、男性向けのサービスを始めたいとかで…。まあ、いわゆる実験台です」
「そうなんですね。元々綺麗なのに、エステでメンテナンスしてるから、より綺麗なんですね。うらやましいです」
「俺なんかより、田鍋さんの方が、よっぽど綺麗ですよ?」
「…え?」
「今日、素肌を見て、すごく綺麗でビックリしました。何ていうか、その…あらゆる大事なところも、薄いピンク色で…」
そこまで言うと、安永さんが照れたように、軽く咳払いをした。僕もつい真っ赤になってしまう。
そしてその日、いつもはどんなに遅くなっても家に帰る安永さんと、初めて2人で日曜日の朝を迎えたのだった。
「で?どうなったんだよ」
月曜の朝に出勤すると、竹中が安永の肩に手を回し、顔を近付け耳元で聞いて来る。
「何が?」
「田鍋ちゃんとだよ!あのあと会いに行ったんだろ?」
「え?ああ…、まぁ…」
俯いて黙る安永に、
「何だよ?うまく行かなかったのか?やっぱり男相手じゃ無理だったとか?」
「いや、違う。むしろ、逆だったって言うか…」
安永が、右手の拳を口にやる。
「何だよ!言えよ!」
「何か、女の人を抱く時より興奮したって言うか…」
「マジで!?お前が!?」
竹中が思わず大声を出す。安永が、自分の唇の前に人指し指を立てた。
「悪い…。いや、俺ならまだしも、安永の口から、まさかの発言だったからビックリしすぎた」
「ま、そういうことだから、田鍋さんにだけは、もう2度と近付くんじゃないぞ」
安永が念を押して、竹中の腕をほどいて、業務へと向かった。
そうなのだ。安永にとっても、男を抱くのは初めての経験だったけれど、まさかあんなにも色っぽい顔をして、柔らかい喘ぎ声を出すなんて、想像したこともなかった。
安永が、髪に手をやり、ため息を吐いた。
そして、田鍋もまた、熱を持った頬を両手で挟みながら、胸が幸せでいっぱいのため息を吐いて、仕事をしていたのだった。
「え?県外で研修ですか?」
「はい。明後日から1ヶ月間、研修所で泊まり込みなんです」
「そうなんですか…。大変ですね」
安永さんと、1ヶ月も会えないなんて…。今の週1回のペースでも、すごく長く感じて、僕的にはめちゃくちゃ我慢してる方なのに。
そんな僕の気持ちにも気付かない様子で、安永さんは平然とした態度でコーヒーを飲んでいる。
何か、僕ばっかりが好きみたいで、切なくなる。好きだって、まだ1度も言われたこともないし…。
安永さんの負担にはなりたくないから、あえて平静を装ったりするけれど、本当は、もっとワガママを言いたい。
それに…。全然Hもしてくれないし…。付き合ってからもう4ヶ月も経ってるのに、初めての日を含めて、まだ2回しか…。その上、あの日以来、泊まることもせずに、必ず家に帰って行くのだ。
「あの…。手を握ってもいいですか?」
僕は、安永さんの隣に腰掛けた。
「はい」
綺麗な手をそっと差し出してくれる。
僕はその手を両手でギュッと握り、そして、安永さんの肩に頭を寄せて、もたれかかった。
「1ヶ月も会えないなんて、寂しいです。1週間でも長いって思うのに…」
「きっと、あっという間ですよ」
つれない答え。寂しいと思っているのは僕だけなのかと思って、胸が切なくなる。
「気を付けて行ってきて下さいね」
「はい。ありがとうございます」
僕は、安永さんの手を握っていた手に、ギュッと力を込めた。
安永さんが研修に行き、その週末の夜、同期の渉流君を誘って、久しぶりに2人で飲みに行った。
「贅沢な悩みだね」
「え?」
「だって、週に1回は必ず来てくれるんだろ?翔汰君のアパートに」
「うん、まぁ…」
「配達の仕事は、俺たちと違って土日関係ないんだから、それでも必ず土曜の夜に会いに来てくれるなんて、好きじゃなきゃできないよ。だいたい男の人って、好きなんてなかなか言わないし。会ってることで分かってくれてるって思ってるんじゃない?安永さん、口数少なそうだし」
「そうかなぁ。でも、Hも全くしてくれないし。僕、何かしたのかな、って思うくらい」
「会うたびにするのもどうかと思うけどね」
「え?どうして?」
「そうなったらなったで、Hして帰るだけだし、体だけなのかも…って悩むんだよ、翔汰君は」
「確かに、そうかも…」
「竹中さんに嫉妬したりもしてたんだし、ちゃんと愛されてると思うけど?」
「…そうだね。ありがとう。何か元気出た」
僕は、ジョッキに残っていたビールを一気に飲み干した。
けれど、研修の間、安永さんから連絡が来ることは、1度もなかった。研修の間は、僕からもメールを送るのを控えていたせいか、本当に丸々1ヶ月間、安永さんとの連絡が途絶えてしまったのだった。
「いつ帰って来るのかも聞かなかったな…。って言うか、僕のこと忘れてたりして」
僕は仕事が終わってアパートに帰って来ると、制服まま、ベッドに倒れ込んだ。
ここ最近、残業続きで、ましてや今日は金曜日ということもあって、疲れていたということもあったのかもしれない。気持ちが沈み、目に少し涙が滲んだ。
「もう完全に安永さん不足だよ…」
まだ片想いだった頃の方が、ここまで悩まずにいられたのかも。会えなくても、僕のものじゃないって諦められたから。
気持ちが通じて、恋人同士として会えるようになれただけでも贅沢な話なのに、どんどん欲張りになっていく自分がいて、それがかえってツラい。
独り占めしたい、って強く思うのに、それも叶わないのが、ひどくもどかしい。
そこに、インターホンが鳴った。
僕は慌てて涙を拭って体を起こすと、ドアを開けずに「はい」と、返事だけした。
「…あ、安永です。ごめん、急に」
僕は急いで玄関の鍵と扉を開けた。
「電話したんですけど、繋がらなかったから…」
「あ...。すみません。音が鳴らないようにしたまま、カバンの中に入れっぱなしで。研修、終わったんですか?」
「はい。さっき帰って来たばかりで。これ、お土産です」
言いながら、紙袋を手渡される。
「え?ありがとうございます」
「すみません。横になってました?」
「あ、いえ。大丈夫です」
慌てて、髪を直す。
「疲れてるなら、また明日にでも出直します。ゆっくり休んで下さい」
安永さんが、玄関の扉を閉めようとする。
「何で...?」
「え?」
「僕はずっと会いたかったのに、安永さんはそうじゃなかったってこと?」
言葉が、堰を切ったかのように溢れ出した。
「田鍋さん?」
「久しぶりに会えたのに、出直すとか、どうしてそんなことが言えるんですか?これじゃあ、片想いの時と何も変わらないじゃないですか。僕だけが好きで、安永さんは僕のことなんて何とも思ってないんだって、どうしてもそう思ってしまいます。メールだって、そっちからは1度もくれたことないですし…」
「すみません」
安永さんからの謝罪の言葉に、思わずカチンと来てしまった。
「何で謝るんですか?事実だから?」
安永さんは、口をキュッと結んで、俯いたまま何も言ってくれなかった。
「もういいです。今日は帰って下さい。今週、仕事が忙しくて疲れてるんで」
そう言って、僕は玄関の扉を閉じると、鍵を掛けた。そして、その場に膝を抱え座り込むと、声を押し殺して泣き続けたのだった。
『はあ!?研修終わったその日に来てくれたのに?しかも、携帯繋がらなかった翔汰君を責めもせず、直接アパートまで来てくれたことに、何で感謝出来ないの?ましてや制服着たまま横になってたなら、安永さんも当然気遣うだろうし。優しさをひねくれて受け止めるなんて、全く理解出来ない!!』
シャワーを浴びて、少し気持ちが落ち着いてから、渉流君に相談の電話をして、思いっきり怒鳴られる。
『だいたいさ、安永さん、いつも浮気されるって言ってたんだろ?恋愛に対して不器用なんだよ、きっと。だから、その分翔汰君がマメにならないとダメなんだし。恋人になったら、大事にするって言ったんじゃないの?メールしてくれないとか、女々しいこと言ってんなっつーの!自分が好きなら、それだけでいいじゃん。好きな人と一緒にいられるだけで幸せって、何で思えないの?俺なんて、どんなに会いたくても、向こうから連絡来ないと会えないんだよ…?』
あ...。
「ごめん…。渉琉君、ありがとう!」
僕は電話を切ると、すぐに安永さんに連絡を取った。
「こんばんは」
「入って下さい。今、コーヒー淹れます」
電話をすると、安永さんはすぐに僕のアパートへと駆け付けてくれた。そして、部屋へと入ると、いつもの定位置に座った。
「さっきはごめんなさい。せっかく来てくれたのに、あんな言い方をしてしまって。あの、来てくれて嬉しかったです。すごく会いたかったので。今も、こんな遅い時間なのに、来てくれて本当にありがとうございます」
コーヒーをカップに注ぎ、安永さんへと差し出す。それを受け取りながら、
「俺もです」
と言って、僕の目を見た。
「え?」
「会いたかったです」
「嘘…」
安永さんが、コーヒーカップをテーブルに置いて、そして僕を抱き締めた。
「嘘じゃないです。本当に会いたかった」
両手で、優しく頬を包み込んでくれる。そして、そのまま深く唇を塞がれた。
何度も何度もキスを重ね、そして、ベッドへとなだれ込む。
「すみません。余裕ないかも…」
安永さんに耳元で囁かれ、カアッと顔が熱くなる。
「だ、大丈夫です…」
僕は、ギュッと瞳を閉じて、そして安永さんの背中に手を回したのだった。
「明日、一緒に出かけませんか?」
「え?」
まどろむベッドの中、安永さんが優しく声を掛けてくれた。
「今まで、飲みに行ったことしかないですし」
「それって、デート…ですか?」
「はい。どこか行きたい所、ありますか?」
「僕は、安永さんと一緒なら、どこでも…」
「分かりました。じゃあ、考えておきますね」
ヤバい。楽しみすぎて、眠れないかも。
僕は、安永さんの綺麗な素肌の胸に、そっと顔を埋めたのだった。
そして翌日、2人で使う用に、いろんな日用品を買うのに、街まで出ようということになった。買い物を楽しんでいると、突然、
「安永君!」
と、不意に呼び止められた。
振り向くと、背も高く、スタイルの良い、とても綺麗な女性が立っていた。
「加山さん」
「ちょうど良かった。これ、この前のホテル代。あの日、全額出してもらってごめんね」
と、バックから郵便局の封筒を取り出し、安永さんへと手渡す。
「そんなの、良かったのに」
「いいの。あの日、一緒にホテルに泊まってくれて、本当に心強かったから」
ホテル?一緒に泊まったって、どういうこと?
足が竦む。まるで体中の血の気が引いていくような感覚だった。
「本当にいりませんよ?」
「いいから、受け取って。じゃあ、また職場でね」
その女の人は、安永さんの肩をポンと叩くと、嬉しそうに手を振り、そして背を向け歩いて行った。
「すごく綺麗な人ですね。知り合いですか?」
気になって、思わず尋ねた。
「郵便課の加山さんです。この前、合同の会議があった帰りに、大きな地震があって電車が動かなくなって。それで、一晩、自分たちでホテルに泊まることに…」
「一緒の部屋に泊まったんですか?」
「いろいろ事情があって。あの日は…」
僕は、安永さんが話そうとする言葉を遮って、
「じゃあ、理由がどうあれ、僕が他の人と一晩ホテルで一緒に過ごしたって聞いたら、安永さんはどう思うんですか?」
つい責めるような言い方をしてしまった。
「すみません。でも俺は、もしそういう話を聞いたとしても、田鍋さんのことを信じてるので、気にしないと思います」
「そんなの、自分がそういう立場じゃないから言えるんですよ」
「そうかもしれません。でも、あの日は…」
「もういいです。僕も他の人とホテルで1泊します。そしたら、おあいこでしょ?」
安永さんの表情が、一瞬悲し気に歪んだ。
意地悪を言いたい訳でも、傷付けたい訳でもなかった。ただ自分の中の嫉妬と怒りの感情が、どうしても抑えられなかった。
僕は、安永さんに背を向けると、足早にその場を去ろうと歩き出した。
「田鍋さん!」
安永さんの声は、もう僕の耳には届かなかった。
「で?」
そのまま、同期の渉流君のアパートへと転がり込んだ僕は、ティッシュの箱を片手に、泣きながら一部始終を話した。
「呼び止められたけど、無視して帰って来た」
「ひどっ!安永さん、かわいそう」
「だって、女の人と一晩ホテルで過ごしたなんて…」
「ちゃんと最後まで安永さんの話を聞いた?」
「ううん。聞いてない」
「あの日の夜、地震のせいで電車が止まって。でも、どこのホテルも満室で、やっと1部屋だけ空いてて加山さんだけを泊めるつもりだったらしいんだけど、余震も続いてたし、加山さんが1人で泊まるのをかなり不安がったみたいで。それで、本当は電車に戻って一晩過ごそうと思ってた梶尾課長代理と安永さんが、仕方なく、一緒にホテルに泊まったんだって。2人は、ソファで座って寝たみたいだよ」
「嘘…」
「嘘じゃない。梶尾課長代理から、直接聞いた話だから」
「どうしよう。また僕の早とちりで…。安永さん、怒ってるかも…」
「とにかく、早く謝った方がいいよ。好き過ぎて冷静になれないのも分かるけど、もっと安永さんのこと信じてあげたら?」
「うん。ありがとう。アパートに戻ったら、すぐに電話して謝る」
そして僕は、慌てて自分のアパートへと戻り、すぐに安永さんに連絡をしようとしたその時、インターホンが鳴った。
もしかして、安永さん?
僕は慌てて玄関まで行くと、
「はい」
と言って、扉を開けた。
「あ!こんにちは」
「え…?あ、道端君?どうして?」
「今、一人暮らしするのに、アパート探してて。前にここに田鍋さんに配達に来たな、って思い出して」
「え…と?」
道端君の言っている意味が分からず、しばらく無言で立ち尽くしていると、
「良かったら、中、見せてもらえないかな~と思って」
「あ、いや。今、部屋の中、すごい散らかってて」
そんなこと、絶対に出来ない。もし道端君が安永さんに、僕の部屋に入ったって話したら、いくら何もなかったとしても、誤解される可能性がある。しかもそれが2人きりだったとなると、弁解の余地すらなくなってしまう。
「あ、俺、そんなの気にしないんで」
「僕は気にするから!それに、今から友達が来ることになってて…」
必死になって道端君を帰そうと、嘘を並び立てる。
「友達が来たら、すぐに帰ります」
「僕なんかの部屋を見るより、不動産屋さんに家具のない空き部屋を見せてもらった方が絶対にいいよ!イメージも湧くし」
「いや~、面倒くさいじゃないですか」
そして強引に玄関の扉をこじ開けると、中に入ろうと、靴を脱ぎ始めた。
どうしよう…。今まで、家族と安永さん以外の人を上げたことないのに…。
「お邪魔しま…」
言う道端君の腕を掴む、細く長い指の、大きな手。
「道端。田鍋さんが困ってるだろ。それに、配達で知り得た情報を使って人の家を訪ねるなんて、どういうつもりだ?顧客情報だぞ」
「安永さん?どうしてここに?」
道端君が驚いたように尋ねた。
「あのっ!安永さんとは、飲み友達なんです!」
僕は必死に弁解した。
「じゃあ、俺も交ぜて下さいよ」
「ダメだ。今から田鍋さんと大事な話があるんだ。それから、田鍋さんの許可なしに、もうここには来るな。コンプラに通告するぞ?」
「え?安永さんは来てるのに?」
「安永さんは、僕が自分からアパートの場所を教えて、部屋に呼んだから…」
僕は慌ててフォローした。
「何だよ、それ。安永さんだけ、ズルっ」
「ごめんね、道端君」
「そういうことだから、早く帰れ」
「じゃあ、今度、俺にも田鍋さんから教えて下さいよ。アパートの場所」
「下心のある奴には教えないように言っておくよ」
「下心って…。俺、ゲイじゃないですよ?」
「取り集めに行く度に、田鍋さんのこと、かわいいだの綺麗だの、全身の肌がどんな感じか気になるとか言ってる奴なんか信用できるか。いいから早く帰れ」
「そんなこと、田鍋さんの前で言わないで下さいよ!警戒されるじゃないですか」
「警戒するように、わざと言ってるんだよ。じゃあな」
そして、安永さんは容赦なく道端君を追い出し、玄関の扉を閉め、鍵を掛けた。
「あの…あんな言い方しなくても、安永さんがいるなら中に入ってもらっても良かったのに…」
「いいんです。実際、個人情報を利用して、アパートに来るのは、かなりの問題行動ですし。道端はどこか甘えてるって言うか、仕事中でも、たまにキツく注意する時があるんで大丈夫です」
「それなら、いいんですけど…。あの、さっきはちゃんと最後まで話を聞かずにひどいことを言ってしまって、すみませんでした。さっき、同期の片瀬君から事情を聞いて…」
言った僕を安永さんが、力強く抱き締めた。
「間に合って良かったです」
「え…?」
「本当に誰かとホテルに行ってたら、どうしようって思ってました」
「そんなの、行くワケないじゃないですか。安永さんのことが、こんなにも好きで仕方ないのに…。だいたい、そんな相手なんていません。僕は安永さんじゃないとダメなんです」
ギュッと息が出来ないくらい、腕に力がこもった。
「俺もです。田鍋さんのことが好き過ぎて、どうしたら傷付けずに済むのか分からなくなります」
安永さんから、初めて聞く、僕に対しての気持ち。
「ど、どうしたんですか?急に…」
安永さんらしくない言動に戸惑う。
「もう遠慮したくないんです」
「え…?あの…っ」
そのまま、ベッドの方へと抱き締められたまま、移動して行く。
「今まで田鍋さんのことを気遣ってきましたけど、本当は会うたびにしたいし、敬語で話すのもやめたいし、下の名前で呼びたいです」
ドサッ、と2人してベッドへと倒れ込む。
「ちょっ…安永さ…」
「翔汰…」
耳元で囁かれ、ゾクリとする。
「安永さ…」
言う唇を激しく塞がれる。
「ありがとう。道端を部屋に入れないように頑張ってくれて」
「気付いてたんですか…?」
「あいつ、もう別のアパート契約したくせに。ここに来るなんて、絶対に翔汰目当てだろうな、と思って」
「でも、道端君、ゲイじゃないって…」
「俺もそうですよ。ただ、田鍋さんのことを好きになっただけで。だから、なおさら心配になるし、道端を近付けたくない」
今、すごいことを言われたような…
「んん…っ」
舞い上がる僕の唇に、安永さんが容赦なく吸い付く。そのまま服を捲られ、その唇が胸の突起へと移動した。安永さんの温かい舌が、その部位で激しく蠢く。
「あ…」
どうしよう。気持ち良すぎて…。
安永さんの手が、僕のすでに熱を持って硬くなった部分に触れ、優しく包み込まれたかと思うと、上下に動き始めた。
「あっ…!ダメ…」
あまりにもの快感すぎる刺激に、呆気なく達してしまい、安永さんの手を思いっきり汚してしまった。
「ごめ…なさ」
息を切らしながら、慌ててティッシュの箱に手を伸ばす。
「このままで…」
その手を止められ、安永さんの手を汚したそれを安永さんは、僕の目の前で舐め取った。
ゾクリと、何とも言えない感覚に襲われ、興奮を覚える。
「今日、シーツ買って来て良かった…」
安永さんが、容赦なく、まだ余韻の残る僕の下半身の部位を口に含んだ。
「やだっ…!やめ…」
「いっぱいイッて、翔汰…」
「ああっ!!」
いつもとは比べ物にならないほどの安永さんの激しい愛撫に、僕は翻弄され続けたのだった。
「大丈夫?」
グッタリして、息を切らす僕の頬に、優しくキスをしてくれる。
「ん…」
「ごめん。中に何度もたくさん出してしまって…」
僕は首をゆっくり横に振った。
「道端のことがあったせいか、歯止めがきかなくて」
「え…?」
「翔汰は俺のモノだ、って、つい躍起になってしまって…」
僕は、嬉しさのあまり、つい微笑んでしまった。
「姉が、この前、谷川郵便局に行ったらしくて。そしたら、めちゃくちゃ綺麗な子がいて、思わず名札見て来たって話してきて。その『田鍋』って人と仲良くなって、モニターになってくれるようにお願いしろ、って」
「え?お姉さんが?めちゃくちゃ嬉しいです」
「でも、これ以上、綺麗になられたら困るから、どうしようって悩んでる」
「え?」
こっちこそ、どうしよう…だよ。嬉し過ぎて。
顔が熱い。耳まで赤くなるのが分かった。
「僕は安永さんのために綺麗でいたいので、安永さんさえ良かったら、行きたいです」
「でも、ライバルが増えると困るし…」
「僕のこと、そんな風に思っててくれたんですか?それは、僕のセリフですよ…。安永さんの方が絶対に綺麗だし、顔も良いし、ものすごくモテるから、釣り合うように、少しでもケアしてもらえると嬉しいです」
「リンパを流すのにデコルテもケアするから、1回上半身裸になるんだけど…。そのあとバスタオルで、覆う感じで」
「大丈夫です」
「いや、その…俺のモノだ!って気持ちが強すぎて」
「え?」
「跡付けすぎた」
そう言いながら、僕の素肌全体を優しく手のひらで撫でたのだった。
それから、モニターとして安永さんのお姉さんのエステに行けたのは、約2週間後のことだった。
「おい!メール見てニヤけてんじゃねぇ!」
竹中が、安永に注意する。
「え?俺、ニヤけてたか?」
「口元が緩みっぱなしだぞ。幸せそうな顔しやがって」
「まあ、幸せだからな」
「デレてないで、早く仕事しろ!」
「早く仕事終わらないかな…」
「は!?今、始まったばっかだぞ?お前がそんなこと言うなんて、マジであり得ねぇわ」
「だよな…。自分でもそう思う」
「それ、かなりヤバいだろ。今日、土曜だから、なおさらか?」
「ああ。今日も、姉貴の実験台に行ってくれてるんだけど、最近、より…」
そこまで言って、安永は拳を手に当て、黙り込んだ。
「何だよ」
「何でもない。さっ、仕事、仕事」
田鍋のことを考えると、つい全身に熱が走る。最近じゃ、どんどん綺麗になっていって、正直、ここまで田鍋にハマるとは平静な安永にとって、かなり想定外のことだったのだ。
「って言うかさ、元々あんなに綺麗なのに、エステのモニターとかさせていいのか?男女問わず、めちゃくちゃ寄って来る奴が増えるんじゃねぇの」
「そうなんだよな…。道端も何か狙ってるみたいだし」
「まあ、田鍋ちゃん、しっかりしてるし、安永一筋だから心配ないか。なんせ、この俺になびかなかったんだからな」
冗談ぽく言いながら竹中が笑うと、安永も嬉しそうに笑顔を見せたのだった。
「あー、また!篤史の奴!!こっぴどく注意しとかなきゃ!!」
上半身裸の僕に、安永さんのお姉さんが、バスタオルをかけてくれる。
「何かあったんですか?」
「キスマーク!翔汰君、色がめちゃくちゃ白いしキメも細かいから、跡がなかなか消えないし、下手したらシミになって残っちゃうかも、と思って」
「え…?」
カアッと、顔が赤くなる。
「やだっ。首まで真っ赤になってるよ!大丈夫?」
「いやっ、その…。どうして…」
「篤史の様子見てたら分かるよ。翔汰君を見る目がねぇ…。もう『大好きです』オーラ全開」
「本当ですか?そんな風に見えてるなら、僕的には物凄く嬉しいんですけど…」
「翔汰君て素直だね。篤史がベタ惚れなのも何か分かるな。そういうの隠さず、つい口に出しちゃう所も、めっちゃカワイイんだろうな~」
「僕、安永さんのために、もっと綺麗になりたいって思ってて…」
「ありがとう。弟のこと大事に想ってくれて。アイツにはもったいないくらい、純粋で素直で美人で…。翔汰君のために、私も頑張ってケアするから、これからもモニターよろしくね」
「はい!こちらこそよろしくお願いします」
「姉貴が?」
「うん。キスマークに、ずっと気付いてたみたいで。しかもそれを安永さんが付けてることも、分かってて…」
ベッドの中で、安永さんが髪に手をやり、
「マジか…」
と、そのまま片腕で自分の頭を抱えて、うなだれる。
「それと、安永さんと僕がモニターしてくれてるおかげで、男性のお客さんも順調に増えてるって言ってた」
「いや、その…。ごめん。キスマーク、残ってるの気付かなくて…」
「いいよ。嬉しい言葉、いっぱい聞けたから」
「嬉しい言葉?姉貴に何か言われた?」
「うん。でも内緒」
僕は、安永さんの胸へと顔を寄せた。そんな僕の肩を優しく抱き締めてくれる。
「こんなに人を好きになるなんてこと、今までなかった。土曜の夜が待ち遠しすぎて、すごく困ってる」
安永さんが、髪に鼻を埋めて呟いた。
「僕も…。幸せ過ぎて、この気持ちをこれ以上、安永さんにどう伝えていいか分からないよ」
そして僕たちはゆっくり視線を合わせ見つめ合うと、どちらともなく唇を寄せ、再びベッドの上で肌を重ねたのだった。〈完〉
※こちらの作品の続編が『その恋、上書きします。』になります。ぜひ読んでみて下さい。よろしくお願い致します。
11
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
思い込み激しめな友人の恋愛相談を、仕方なく聞いていただけのはずだった
たけむら
BL
「思い込み激しめな友人の恋愛相談を、仕方なく聞いていただけのはずだった」
大学の同期・仁島くんのことが好きになってしまった、と友人・佐倉から世紀の大暴露を押し付けられた名和 正人(なわ まさと)は、その後も幾度となく呼び出されては、恋愛相談をされている。あまりのしつこさに、八つ当たりだと分かっていながらも、友人が好きになってしまったというお相手への怒りが次第に募っていく正人だったが…?
ポメった幼馴染をモフる話
鑽孔さんこう
BL
ポメガバースBLです! 大学生の幼馴染2人は恋人同士で同じ家に住んでいる。ある金曜日の夜、バイト帰りで疲れ切ったまま寒空の下家路につき、愛しの我が家へ着いた頃には体は冷え切っていた。家の中では恋人の居川仁が帰りを待ってくれているはずだが、家の外から人の気配は感じられない。聞きそびれていた用事でもあったか、と思考を巡らせながら家の扉を開けるとそこには…!※12時投稿。2025.3.11完結しました。追加で投稿中。
嘘をついたのは……
hamapito
BL
――これから俺は、人生最大の嘘をつく。
幼馴染の浩輔に彼女ができたと知り、ショックを受ける悠太。
それでも想いを隠したまま、幼馴染として接する。
そんな悠太に浩輔はある「お願い」を言ってきて……。
誰がどんな嘘をついているのか。
嘘の先にあるものとはーー?
俺の好きな男は、幸せを運ぶ天使でした
たっこ
BL
【加筆修正済】
7話完結の短編です。
中学からの親友で、半年だけ恋人だった琢磨。
二度と合わないつもりで別れたのに、突然六年ぶりに会いに来た。
「優、迎えに来たぞ」
でも俺は、お前の手を取ることは出来ないんだ。絶対に。
happy dead end
瑞原唯子
BL
「それでも俺に一生を捧げる覚悟はあるか?」
シルヴィオは幼いころに第一王子の遊び相手として抜擢され、初めて会ったときから彼の美しさに心を奪われた。そして彼もシルヴィオだけに心を開いていた。しかし中等部に上がると、彼はとある女子生徒に興味を示すようになり——。
楽な片恋
藍川 東
BL
蓮見早良(はすみ さわら)は恋をしていた。
ひとつ下の幼馴染、片桐優一朗(かたぎり ゆういちろう)に。
それは一方的で、実ることを望んでいないがゆえに、『楽な片恋』のはずだった……
早良と優一朗は、母親同士が親友ということもあり、幼馴染として育った。
ひとつ年上ということは、高校生までならばアドバンテージになる。
平々凡々な自分でも、年上の幼馴染、ということですべてに優秀な優一朗に対して兄貴ぶった優しさで接することができる。
高校三年生になった早良は、今年が最後になる『年上の幼馴染』としての立ち位置をかみしめて、その後は手の届かない存在になるであろう優一朗を、遠くから片恋していくつもりだった。
優一朗のひとことさえなければ…………
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる