ざまぁ代行いたします ―追放聖女の復讐録―

橘 あやめ

文字の大きさ
11 / 11
第一章:何度でも癒して差し上げましょう

エピローグ

しおりを挟む
 テーブルの上に並ぶのは、こんがりと焼き目のついた厚切り肉だった。表面にはパン粉と香草の衣がまとわりつき、ところどころ焦げた縁が濃い茶色に色づいている。岩塩の粒が蝋燭の光を受けてきらきらと瞬き、刻んだ香草の緑が鮮やかに散っていた。
 傍らには皮ごと焼かれた根菜と、ちぎったばかりのパンが添えられている。ナイフを入れれば、切り口から肉汁がじわりと滲み出すのが目に浮かぶようだった。
 湯気と一緒に立ち上る香草とバターの匂いが、もう部屋いっぱいに広がっている。

「イレーネ様、あーん♡」

 言われるがまま、ティオが切り分けて差し出した一切れを、イレーネはぱくりと口に運んだ。
 噛んだ瞬間、衣がぱりっと砕ける。その奥から、じわりと肉の旨味が舌の上に広がった。噛むほどに香草の苦みと肉汁の甘さが混ざり合い、鼻に抜けるバターの香りが追いかけてくる。

 もぐもぐと頬を動かしながら、イレーネは目を閉じ、「ん~~~~!」と全身で身もだえた。

「このパン粉のカリッとした感じが、たまらないのよねぇ♡」

「ひぃんっ! お褒めいただき、感謝感激ありがとうございます! はい、じゃもひとつ。あーん♡」

 まるで親鳥が雛に餌を与えるがごとく、ティオは次から次へとイレーネの口に肉を運んでいく。イレーネは両の頬をぱんぱんに膨らませ、一生懸命に口を動かしている。

 あの広間で冷たい微笑を浮かべ、貴族たちを凍りつかせていた女と同一人物とは、とても思えなかった。

 やがて皿の上が空になり、パンの最後のひとかけらで肉汁をぬぐい取って口に放り込むと、イレーネは満足げに椅子の背にもたれた。ティオが手際よく食後のコーヒーを淹れる。豆を挽く乾いた音に続いて、湯を注ぐ静かな音が小さな部屋に満ちた。

 カップを受け取り、ひと口含む。深煎りの苦味が、肉の余韻を優しく洗い流していく。イレーネはうっとりと長いため息をついた。

「やっぱり労働の後の、ティオのご飯は最高ねぇ……」

「一生、イレーネ様のために料理を作り続けます!」

「それだと困るわ。一生、ティオから離れられないじゃない」

「離れなくていいのでは? もう一生二人でいれば、いいのでは???」

「ふふっ」

 イレーネは小さく笑って、カップを置いた。


 ◇  ◇  ◇


 食後の片付けをティオに任せ、イレーネは一人、屋敷の裏手に出た。
 石造りの小さなテラスに腰を下ろすと、夜風がふわりと髪を撫でる。

 空には星が散りばめられていた。王都から少し離れているせいで灯りが少なく、見上げるたびに星の数が増えるような錯覚に陥る。虫の声が遠く、近く、波のように寄せては引いていた。

 あの血の晩餐から、数日が過ぎている。

 イレーネは夜空に目を向けたまま、静かに息を吐いた。

 脳裏に浮かぶのは、あの広間で見た元使用人たちの顔だった。
 指を失った女。腕に鞭の痕を刻まれた少年。顔の半分を焼かれた少女。

 彼らはあの屋敷からいなくなった後、各地の奴隷商人に転売され、散り散りになっていた。
 足取りを追うのには骨が折れた。伝手を使い、遠方の鉱山、港町の地下工房、辺境の農場――行く先々で金を積み、契約を買い戻し、一人ずつ連れ帰った。

 だが、全員ではなかった。

 たどり着いた時にはもう息をしていなかった者が、三人いた。
 一人は過労で。一人は病で。一人は、自ら命を絶っていた。

 その報告を受けた日のことを、イレーネは今もはっきりと覚えている。怒りでも悲しみでもなく、ただ胸の底が重たく沈んでいく、あの感覚。

 生きて戻れた者たちも、無事とは言い難い。

 体の傷は癒しの力で治せる。骨も肉も、元の形に戻すことができる。
 けれど、夜ごとにうなされて飛び起きる心を、他人の手が触れただけで全身がこわばる体を、治す魔法は存在しない。同じ食卓を囲んでいても、ふとした拍子に目の焦点が遠くなる者がいる。笑い声の中に、突然混じる沈黙がある。

 それでも、と思う。
 一歩でいい。昨日より、ほんの半歩でもいい。
 自分の足で歩いてくれるなら。
 自分の意志で、明日を選んでくれるなら――。
 それ以上のことを、他人が願うのは傲慢だろう。

 夜風が少し強くなり、金色の髪が頬にかかった。イレーネはそれを指先で耳の後ろに流しながら、星のひとつをぼんやりと見つめた。

 ――復讐はだれのためにもならない。

 そう言う人間がいることを、イレーネは知っている。聖職者も、貴族も、学者も、口を揃えてそう言う。
 赦しこそが美徳だと。怒りを手放すことが救いだと。
 それは確かに美しい言葉だろう。夜会の挨拶や、説教壇の上では。

 だが、とイレーネは思う。
 自分を地獄に突き落とした人間が、何の報いも受けず、笑い、食べ、眠り、今日も当たり前のように明日を迎えている。その事実を知りながら、それでも前を向けと言うのは、それは赦しではなく、諦めだ。

 復讐は、死者のためにするものではない。死んだ人間が何を望んでいるかなど、生きている人間には分からない。赦してほしいと思っているかもしれないし、もっと酷いことをしてほしいと思っているかもしれない。そんなことは、生者には永遠に確かめようがない。

 復讐は、今を生きる人間のためにある。踏みにじられた尊厳を、自分の手で拾い上げるための儀式だ。あの人たちの苦しみを、加害者が知り、思い知り、同じ痛みを刻まれること。それがなければ、被害者はいつまでも被害者のまま、過去の暗闇に閉じ込められ続ける。

 正しいかどうかは、分からない。
 元聖女の所業ではないことも、分かっている。
 けれどイレーネは、自分があの場で微笑んだことを、後悔していなかった。

 背後で足音がした。石畳を踏む、聞き慣れた軽い足取り。

「イレーネ様、お茶のおかわりをお持ちしました」

 ティオが盆を持って現れた。湯気の立つカップを差し出しながら、「あ、そうだ」と何かを思い出したように付け足す。

「そういえばあの男から、今回の件の請求書が届いておりましたが」

「請求書?」

「ええ。情報提供料、証拠収集の実費、人員手配費用、危険手当、その他諸々。びっくりするような金額でしたので、破り捨てておきました」

 ティオはさも当然のように言い切った。イレーネは思わず吹き出しそうになる。

「ティオ。それは借金を踏み倒したってこと?」

「イレーネ様の笑顔はお金では買えません。よって無効です」

 反論の余地のない暴論だった。
 イレーネはため息をひとつついて、受け取ったカップに口をつけた。温かい。ハーブの穏やかな香りが、夜の冷気に混じってふわりと広がる。

 今度あの男に会ったら、また小言を言われるだろう。「金払いの悪い元聖女ほど始末に負えないものはない」とでも。あの皮肉っぽい目で、嫌味のひとつやふたつ。

 ――まあ、その時はその時ね。

 イレーネは星空を見上げたまま、小さく微笑んだ。


 第一章・了
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

偽聖女として私を処刑したこの世界を救おうと思うはずがなくて

奏千歌
恋愛
【とある大陸の話①:月と星の大陸】 ※ヒロインがアンハッピーエンドです。  痛めつけられた足がもつれて、前には進まない。  爪を剥がされた足に、力など入るはずもなく、その足取りは重い。  執行官は、苛立たしげに私の首に繋がれた縄を引いた。  だから前のめりに倒れても、後ろ手に拘束されているから、手で庇うこともできずに、処刑台の床板に顔を打ち付けるだけだ。  ドッと、群衆が笑い声を上げ、それが地鳴りのように響いていた。  広場を埋め尽くす、人。  ギラギラとした視線をこちらに向けて、惨たらしく殺される私を待ち望んでいる。  この中には、誰も、私の死を嘆く者はいない。  そして、高みの見物を決め込むかのような、貴族達。  わずかに視線を上に向けると、城のテラスから私を見下ろす王太子。  国王夫妻もいるけど、王太子の隣には、王太子妃となったあの人はいない。  今日は、二人の婚姻の日だったはず。  婚姻の禍を祓う為に、私の処刑が今日になったと聞かされた。  王太子と彼女の最も幸せな日が、私が死ぬ日であり、この大陸に破滅が決定づけられる日だ。 『ごめんなさい』  歓声をあげたはずの群衆の声が掻き消え、誰かの声が聞こえた気がした。  無機質で無感情な斧が無慈悲に振り下ろされ、私の首が落とされた時、大きく地面が揺れた。

冤罪で殺された聖女、生まれ変わって自由に生きる

みおな
恋愛
聖女。 女神から選ばれし、世界にたった一人の存在。 本来なら、誰からも尊ばれ大切に扱われる存在である聖女ルディアは、婚約者である王太子から冤罪をかけられ処刑されてしまう。 愛し子の死に、女神はルディアの時間を巻き戻す。 記憶を持ったまま聖女認定の前に戻ったルディアは、聖女にならず自由に生きる道を選択する。

婚約破棄された私は、処刑台へ送られるそうです

秋月乃衣
恋愛
ある日システィーナは婚約者であるイデオンの王子クロードから、王宮敷地内に存在する聖堂へと呼び出される。 そこで聖女への非道な行いを咎められ、婚約破棄を言い渡された挙句投獄されることとなる。 いわれの無い罪を否定する機会すら与えられず、寒く冷たい牢の中で断頭台に登るその時を待つシスティーナだったが── 他サイト様でも掲載しております。

「君は有能すぎて可愛げがない」と婚約破棄されたので、一晩で全ての魔法結界を撤去して隣国へ行きます。あ、維持マニュアルは燃やしました。

しょくぱん
恋愛
「君の完璧主義には反吐が出る」――婚約者の第一王子にそう告げられ、国外追放を命じられた聖女エルゼ。彼女は微笑み、一晩で国中の魔法結界を撤去。さらに「素人でも直せる」と嘘を吐かれた維持マニュアルを全て焼却処分した。守護を失いパニックに陥る母国を背に、彼女は隣国の軍事帝国へ。そこでは、彼女の「可愛くない」技術を渇望する皇帝が待っていた。

(完)聖女様は頑張らない

青空一夏
ファンタジー
私は大聖女様だった。歴史上最強の聖女だった私はそのあまりに強すぎる力から、悪魔? 魔女?と疑われ追放された。 それも命を救ってやったカール王太子の命令により追放されたのだ。あの恩知らずめ! 侯爵令嬢の色香に負けやがって。本物の聖女より偽物美女の侯爵令嬢を選びやがった。 私は逃亡中に足をすべらせ死んだ? と思ったら聖女認定の最初の日に巻き戻っていた!! もう全力でこの国の為になんか働くもんか! 異世界ゆるふわ設定ご都合主義ファンタジー。よくあるパターンの聖女もの。ラブコメ要素ありです。楽しく笑えるお話です。(多分😅)

欠席魔の公爵令嬢、冤罪断罪も欠席す 〜メイリーン戦記〜

水戸直樹
ファンタジー
王太子との婚約――それは、彼に恋したからでも、権力のためでもなかった。 魔王乱立の時代。 王も公爵も外征に出ている王都で、公爵令嬢メイリーンは“地味な婚約者”として王城に現れる。 だが、王太子は初顔合わせに現れなかった。 にもかかわらず、記録に残ったのは「公爵令嬢の欠席」。 抗議はしない。 訂正もしない。 ただ一つ、欠席という事実だけを積み上げていく。 ――それが、誰にとっての不合格なのか。 まだ、誰も気づいていない。 欠席から始まる、静かなるファンタジー戦記。

聖女を追い出しても平気だと思っていた国の末路

藤原遊
ファンタジー
聖女が国を去った日、神官長は分かっていた。 この国は、彼女を軽く扱いすぎたのだと。 「聖女がいなくても平気だ」 そう言い切った王子と人々は、 彼女が“何もしていない”まま国が崩れていく現実を、 やがて思い知ることになる。 ――これは、聖女を追い出した国の末路を、 静かに見届けた者の記録。

私はもう必要ないらしいので、国を護る秘術を解くことにした〜気づいた頃には、もう遅いですよ?〜

AK
ファンタジー
ランドロール公爵家は、数百年前に王国を大地震の脅威から護った『要の巫女』の子孫として王国に名を残している。 そして15歳になったリシア・ランドロールも一族の慣しに従って『要の巫女』の座を受け継ぐこととなる。 さらに王太子がリシアを婚約者に選んだことで二人は婚約を結ぶことが決定した。 しかし本物の巫女としての力を持っていたのは初代のみで、それ以降はただ形式上の祈りを捧げる名ばかりの巫女ばかりであった。 それ故に時代とともにランドロール公爵家を敬う者は減っていき、遂に王太子アストラはリシアとの婚約破棄を宣言すると共にランドロール家の爵位を剥奪する事を決定してしまう。 だが彼らは知らなかった。リシアこそが初代『要の巫女』の生まれ変わりであり、これから王国で発生する大地震を予兆し鎮めていたと言う事実を。 そして「もう私は必要ないんですよね?」と、そっと術を解き、リシアは国を後にする決意をするのだった。 ※小説家になろう・カクヨムにも同タイトルで投稿しています。

処理中です...