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第11話 「欠席」
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朝の光は、昨日と同じはずなのに、違って見えた。カーテンの隙間から入る白さが、やけに硬く、息を吸うだけで、胸の奥がひやりとする。
枕元のスマホは、夜の熱をまだ持っていた。伏せても消えなかった画面の光が、まぶたの裏に残っている。
――あの一瞬。私の泣きそうな顔、美沙の手、私の肩。
切り取られたところだけが、何度も頭の中で再生される。
起き上がろうとしても、体が動かない。動かないというより、動いたら全部が始まる気がした。制服を着て、教室のドアを開けて、あの画面の中に自分から入っていくことを、想像できなかった。
教室のドアを開けたら――『見られる』が、現実になってしまう。
私は、初めて思った。
――学校に行けない。行かないじゃなくて、行けない。
その言葉が、喉の奥に沈み、沈んだまま、上がってこなかった。
私は布団の中で、息を吐いた。吐いた息が、布の中に吸い込まれて消える。消えるたびに、私も少しだけ薄くなる。母の足音が近づいてきて、ドアの前で止まった。いつもの朝の音。でも今日は、その音が怖い。
「夕紀、起きてる?」
返事をしようとして、喉が固まった。声を出したら、泣きそうだった。
「……うん」
声が小さすぎて、自分でも聞こえない。母は何か察したのか、ドアが少しだけ開く。
「大丈夫?」
――大丈夫、という言葉が、昨日からずっと追いかけてくる。大丈夫って言える人が、大丈夫じゃない。それを私は知ってしまったのに、言ってしまう。
「……大丈夫」
言った瞬間、嘘が自分の内側を擦るみたいに広がり、胸が痛くなった。
母は一歩だけ部屋に入って、制服が掛かっている壁を見た。
「熱は?」
「……多分、ない」
「……学校、行けそう?」
――行けそう? その言い方は、優しく、そして、答えを要求する形に思えた。
私は息を吸い損ねた。吸えない。吸おうとすると、喉の奥が詰まる。
「……無理」
言葉が落ちた。落ちた途端、部屋の空気が変わる。『行かない』じゃなく、『行けない』になった瞬間の空気。
母は、すぐには何も言わなかった。その言葉を探す時間が、私には長すぎた。
「……分かった」
短く言って、母は部屋を出た。出ていく背中の静けさが、逆に怖かった。怒られる方が楽なこともある。怒られたら、私はただ悪い子になれるから。
「……学校へは体調不良で欠席って、電話をしておくね」
母はドアを閉めた。
――体調不良。本当も嘘も入れられる便利な言葉。でも本当だ。私は今、本当に体調が悪い。正確には、心の状態が悪い。
私は布団の中で、もう一度息を吐いた。何度も息を吐いて、やっと少しだけ入ってくる。
そのとき、スマホが震えた。私は見ないようにしていたのに、指が勝手に動く。画面が、私を見つける。
コメントが増えている。別のSNSに貼られた動画のリンク先、私の顔と美沙の手のスクショ、文字起こしのようなハッシュタグが、『証拠』みたいに並んでいた。
私はスマホを伏せた。伏せても、震えは止まらない。自分の手が、他人の手みたいに冷たい。
午前の遅い時間、リビングにある家の電話が鳴るのが聞こえた。
電話に出た母の声が少し低くなって、丁寧になっていく。何を話しているかはわからない。でも、多分、学校からだ。私は布団の中で固まった。「学校」という単語が、この部屋に入ってくるだけで息が浅くなる。
電話が終わって、少しして、母が部屋の前に来る気配がした。ノックがない。ドアもすぐには開かない。躊躇っているのがわかった。
「……夕紀」
母の声は、柔らかかった。柔らかい声は現実を包み、逃げにくくする。母はドアを開け、少し黙りこむ。
「今ね、先生から連絡があったの。……今日、学校に来られるか?って」
私はうなずけなかった。
――来られる? その言葉が、私の逃げ道を塞いでいるようで、体に触ってくる。
「もし来れるなら、保健室でもいいそうよ」
――保健室でもいい。それは、そこが安全な場所だと分かっている人の言い方だ。今の私にとっては、安全じゃない。だって『学校の中』だ。
私は、ほんの少し、でも確かに、首を振った。
「そう。なら、電話でもいいって。先生が……少し話したいって」
「……何の話?」
私の絞りだした声は、小さく細かった。布団から顔を出し、母を見る。
母の視線が泳いだ。答え方を迷うときの目をしてる。
「……学校で、何かあったの?」
――何か。そんな小さなことじゃない。私の世界が終わったことがあった。
でも、母には「世界が終わった」とはとても言えなくて、私は息を吐いた。何度も息を吐いて、やっと言う。
「……動画が」
母の眉が小さく動き、知っているのに、知らないふりをする顔をした。
「そう……先生がね、事実確認をしたいって」
――事実確認……何の? 切り取られた一瞬が『事実』になった、という確認? 私の世界が終わった、という確認?
私は胸の奥が冷たくなった。
「……私、何もしてない」
言った瞬間、涙が出そうになった。何もしてない、という言葉が、証拠の形を持っていなくて、あまりにも弱い。
母は、私の布団の端に手を置いた。触れたら壊れるものに触れるような、遠慮がちに、布団の上から撫でてくる。
「夕紀。先生は責めるつもりじゃないと思う。でも、このままだと…… 解決したいそうよ」
――解決。その言葉で、喉が詰まった。どうやって? 私の世界が終わったのをどう修復するの? わからない。
私は、やっと声を出した。
「……行けない」
――行けない。その言葉は、私の最後の防波堤だった。行けないと言えば、行かなくていい。行かなくていいと言えば、今日だけは息ができる。
母が小さく言う。
「じゃあ、電話だけでも……」
私は勢いよく首を振った。それが、私の答えだった。
母はしばらく黙っていた。
「分かった。じゃあ今日は休もう、でも、明日は……」
言葉を続けようとして、母は言葉を飲み込んだ。続けたら、私がもっと壊れるのが伝わったようだった。
母が部屋を出ていき、ドアが閉まると、私は布団の中で、息を吐いた。吐いた息は、布団の中で消え、私は少しだけ生き返る。生き返るたびに、明日が近づいてくるのが怖かった。
スマホがもう一度震えた。私は、画面を見ないまま、電源を切った。
でも、私はすでに、あの画面の中に入ってしまっていて、電源を切っても、切った感じがしない。
閉じた瞼の裏に、教室の天井が浮かび、笑い声が浮かび、切り取られた一瞬が浮かぶ。そして、美沙の手が触れた一瞬だけが永遠のループになって迫ってくる。
私は、そのループから、脱出する術を知らないまま、布団の中で呼吸を繰り返した。
枕元のスマホは、夜の熱をまだ持っていた。伏せても消えなかった画面の光が、まぶたの裏に残っている。
――あの一瞬。私の泣きそうな顔、美沙の手、私の肩。
切り取られたところだけが、何度も頭の中で再生される。
起き上がろうとしても、体が動かない。動かないというより、動いたら全部が始まる気がした。制服を着て、教室のドアを開けて、あの画面の中に自分から入っていくことを、想像できなかった。
教室のドアを開けたら――『見られる』が、現実になってしまう。
私は、初めて思った。
――学校に行けない。行かないじゃなくて、行けない。
その言葉が、喉の奥に沈み、沈んだまま、上がってこなかった。
私は布団の中で、息を吐いた。吐いた息が、布の中に吸い込まれて消える。消えるたびに、私も少しだけ薄くなる。母の足音が近づいてきて、ドアの前で止まった。いつもの朝の音。でも今日は、その音が怖い。
「夕紀、起きてる?」
返事をしようとして、喉が固まった。声を出したら、泣きそうだった。
「……うん」
声が小さすぎて、自分でも聞こえない。母は何か察したのか、ドアが少しだけ開く。
「大丈夫?」
――大丈夫、という言葉が、昨日からずっと追いかけてくる。大丈夫って言える人が、大丈夫じゃない。それを私は知ってしまったのに、言ってしまう。
「……大丈夫」
言った瞬間、嘘が自分の内側を擦るみたいに広がり、胸が痛くなった。
母は一歩だけ部屋に入って、制服が掛かっている壁を見た。
「熱は?」
「……多分、ない」
「……学校、行けそう?」
――行けそう? その言い方は、優しく、そして、答えを要求する形に思えた。
私は息を吸い損ねた。吸えない。吸おうとすると、喉の奥が詰まる。
「……無理」
言葉が落ちた。落ちた途端、部屋の空気が変わる。『行かない』じゃなく、『行けない』になった瞬間の空気。
母は、すぐには何も言わなかった。その言葉を探す時間が、私には長すぎた。
「……分かった」
短く言って、母は部屋を出た。出ていく背中の静けさが、逆に怖かった。怒られる方が楽なこともある。怒られたら、私はただ悪い子になれるから。
「……学校へは体調不良で欠席って、電話をしておくね」
母はドアを閉めた。
――体調不良。本当も嘘も入れられる便利な言葉。でも本当だ。私は今、本当に体調が悪い。正確には、心の状態が悪い。
私は布団の中で、もう一度息を吐いた。何度も息を吐いて、やっと少しだけ入ってくる。
そのとき、スマホが震えた。私は見ないようにしていたのに、指が勝手に動く。画面が、私を見つける。
コメントが増えている。別のSNSに貼られた動画のリンク先、私の顔と美沙の手のスクショ、文字起こしのようなハッシュタグが、『証拠』みたいに並んでいた。
私はスマホを伏せた。伏せても、震えは止まらない。自分の手が、他人の手みたいに冷たい。
午前の遅い時間、リビングにある家の電話が鳴るのが聞こえた。
電話に出た母の声が少し低くなって、丁寧になっていく。何を話しているかはわからない。でも、多分、学校からだ。私は布団の中で固まった。「学校」という単語が、この部屋に入ってくるだけで息が浅くなる。
電話が終わって、少しして、母が部屋の前に来る気配がした。ノックがない。ドアもすぐには開かない。躊躇っているのがわかった。
「……夕紀」
母の声は、柔らかかった。柔らかい声は現実を包み、逃げにくくする。母はドアを開け、少し黙りこむ。
「今ね、先生から連絡があったの。……今日、学校に来られるか?って」
私はうなずけなかった。
――来られる? その言葉が、私の逃げ道を塞いでいるようで、体に触ってくる。
「もし来れるなら、保健室でもいいそうよ」
――保健室でもいい。それは、そこが安全な場所だと分かっている人の言い方だ。今の私にとっては、安全じゃない。だって『学校の中』だ。
私は、ほんの少し、でも確かに、首を振った。
「そう。なら、電話でもいいって。先生が……少し話したいって」
「……何の話?」
私の絞りだした声は、小さく細かった。布団から顔を出し、母を見る。
母の視線が泳いだ。答え方を迷うときの目をしてる。
「……学校で、何かあったの?」
――何か。そんな小さなことじゃない。私の世界が終わったことがあった。
でも、母には「世界が終わった」とはとても言えなくて、私は息を吐いた。何度も息を吐いて、やっと言う。
「……動画が」
母の眉が小さく動き、知っているのに、知らないふりをする顔をした。
「そう……先生がね、事実確認をしたいって」
――事実確認……何の? 切り取られた一瞬が『事実』になった、という確認? 私の世界が終わった、という確認?
私は胸の奥が冷たくなった。
「……私、何もしてない」
言った瞬間、涙が出そうになった。何もしてない、という言葉が、証拠の形を持っていなくて、あまりにも弱い。
母は、私の布団の端に手を置いた。触れたら壊れるものに触れるような、遠慮がちに、布団の上から撫でてくる。
「夕紀。先生は責めるつもりじゃないと思う。でも、このままだと…… 解決したいそうよ」
――解決。その言葉で、喉が詰まった。どうやって? 私の世界が終わったのをどう修復するの? わからない。
私は、やっと声を出した。
「……行けない」
――行けない。その言葉は、私の最後の防波堤だった。行けないと言えば、行かなくていい。行かなくていいと言えば、今日だけは息ができる。
母が小さく言う。
「じゃあ、電話だけでも……」
私は勢いよく首を振った。それが、私の答えだった。
母はしばらく黙っていた。
「分かった。じゃあ今日は休もう、でも、明日は……」
言葉を続けようとして、母は言葉を飲み込んだ。続けたら、私がもっと壊れるのが伝わったようだった。
母が部屋を出ていき、ドアが閉まると、私は布団の中で、息を吐いた。吐いた息は、布団の中で消え、私は少しだけ生き返る。生き返るたびに、明日が近づいてくるのが怖かった。
スマホがもう一度震えた。私は、画面を見ないまま、電源を切った。
でも、私はすでに、あの画面の中に入ってしまっていて、電源を切っても、切った感じがしない。
閉じた瞼の裏に、教室の天井が浮かび、笑い声が浮かび、切り取られた一瞬が浮かぶ。そして、美沙の手が触れた一瞬だけが永遠のループになって迫ってくる。
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