透明な約束 ―― 常盤高校シリーズ

朝霧 瑠璃

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第22話 「崩れていく平気」

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 四月十七日。
 カーテンの隙間から差し込む朝陽が眩しい。天気がいいのは、ベッドの中からでもわかった。
 昨夜は、浅い息のせいで、眠りが浅くて、寝付いても何度も目が醒めた。心と体に、昨日の疲れが上乗せされた感じで、起き上がれない――起き上がりたくなかった。
 何度も心にもたげる名前――夕紀。
 ――なんで連絡をしてくるの? なんで、忘れさせてくれないの?
 私は、スマホの電源を切った。電源を切れば、夕紀からメッセージが来たことを知らないで済む。

 その日、私は学校を休んだ――体調不良。嘘も本当も入れられる便利な言葉だと思う。

 ベッドの中で、天井の同じ場所を見続ける。眠ろうとすると、昨日の「常盤第一中」、「SNS拡散」の声が戻ってきて、胸がざわつく。


 昼になって、私は、亜由美にメッセージを送っていないことを思い出した。
 ――昨夜のこともあったし、きっと心配してる。
 急いで、チャット画面を開くと、『起きてる?』、『体調どう?無理しないでね』と届いていた。どちらも、きっと悩んで何度も打ち直して送ってくれた言葉なのが、見て取れる。これ以上、亜由美に心配をかけたくない。だから、私は、『平気。学校は行ける』と返信した。起き上がって、急いで制服を着て、リボンを整えて、鞄を持つ。でも、歩こうとすると、足がすくんで、一歩、を踏み出せず固まってしまった。
 ――あの踊り場で、亜由美と並んで食べるお昼休みだけは、まだ失いたくない。それなのに……
「……足が……動かない」
 私は、気付くと夕方まで、部屋のドアの前に座って茫然としていた。
「もうイヤだ……」


 夜。部屋の電気を消しても、眠れなかった。
(ああ、そうだ。亜由美に『行く』って言ったままだった)
 私は、重い身体をなんとか動かして、スマホを取る。
『今日はごめん。行けなかった。でも平気だから』
 ――心配しないで。私は大丈夫だから。
 書けない言葉を飲み込んだ。
 すぐに返信がくる。
『ほんとに平気?』
『大丈夫だから』 ――優しくしないで。崩れそうになっちゃう。
『声、聞いてもいい?』
 ――それは困る。今の状態の声を聞かれたら、本当は平気じゃないのがバレてしまう。
 でも、もう逃げ道がない気がした。元気な声で『大丈夫』と言って、亜由美に納得してもらえば済む。そうしたらすぐ終わる、すぐ終わらせる。今は、今を乗り切らなきゃいけない。そう意気込んで、私は電話のボタンを押した。
「もしもし」
 亜由美はすぐに電話に出た。亜由美の声はいつもより低かった。この声を聴いてしまうと、つい甘えてしまいたくなってしまう。『大丈夫』と言って電話を切るはずだった、さっきの決意は瞬間的に消えてしまって、堰を切ったように涙が溢れてきた。涙が止まってくれない。
「美沙? 聞こえてる?」
「……うん」
 その後を続けられない。元気な声で『大丈夫』と言わなきゃと思うのに、安心してもらわなきゃと思うのに……うまく息を吸えない。
「美沙……息が変だよ」
「……っ」
(気づかれた!)
 何も言えないでいると、亜由美は声色を変えて、「先に吐いて! 長く吐いて」と言ってきた。
「もう一回。しっかり吐いて」
 亜由美の声に合わせて、息を吐ききって、吸って、を何度も繰り返していると、少しずつ呼吸のリズムが戻ってきた。
「吸おうとしなくていい。しっかり吐けば、吸えるようになるから」
「……亜由美、変なとこで冷静」
 私は思わずクスッと笑ってしまった。気づいたら、さっきまで流れ落ちていた涙は止まっていた。亜由美は、何も聞かないで、でも私に寄り添ってくれている。いつも、こうやって助けてくれている。
「ごめんね」
 私の方が謝らなきゃいけないのに、なんで亜由美が謝るの? 私はいたたまれない気持ちに包まれた。亜由美に、どう伝えたらいいのか、わからない。考えて考えて、出てきた言葉は、「……名前が、出てくる」、だった。
「名前?」
「……うん」
「なんて名前?」
「……夕紀」
「夕紀から……連絡来た、とか?」
「……違う……違うの」
「……」
 ――こうやって、亜由美はいつも私の呼吸を保ってくれる。どうして、いつもいつも、私を守ろうと頑張ってくれるの? つい、甘えてしまいそうになってしまう……
「……昨日、休み時間に……中学の出身校の話になって……二年前……常盤第一中が合唱コンクールに……急に出場停止になった理由を聞かれて……」
 自分で思っていたよりも声が震えてしまっていた。
「うん」
「……SNS拡散のこととかも聞かれて……」
「うん」
「……」
 息が続かない。息が浅くなると、思考が飛ぶ。その飛んだ先に、夕紀の顔がある。私は右手を心臓に当てて、鼓動が落ち着くのを待った。
「……それで……」
「うん」
「……目が」
「目?」
「……なんか……みんなの目が……知ってるような目で……怖くなったの……それで夕紀が……頭の中に、夕紀が『もう行けない』って言った日のことが戻ってきて……」
 声が息にうまく乗ってくれない。瞼の裏に夕紀がチラついて、目が回りそう。
 ――こんなこと話したら、亜由美は、こんなどうしようもない、こんな逃げ出した私を、嫌いになってしまうかもしれない。私は、ひとりになってしまうかもしれない。亜由美まで失うのはイヤだ。
「……美沙、その日、何があったの?」
 ――私は、夕紀を助けたくて手を伸ばしたけど、裏目に出ちゃって、逃げた――そんなこと言えない。
「ごめんね。言わなくていいよ」
 ――亜由美はどこまでも優しいんだね。
「……亜由美」
「なに?」
「……私、最低」
「最低って言わないで」
「……私、なにもできなかったの」
「そっか」
「……違うの」
 ――違う。なにもできなかったんじゃなくて、本当は、なにもしなかったんだ。
「私は助けたかったんだけど、みんなが笑ってて……そういう空気で、それで、夕紀が……夕紀が、消えた」
 私は、一気に言って、息を吸い込もうとしたら、喉が詰まって、息を吸い損ねてしまった。
「美沙。今、ひとり?」
「……うん」
「お母さんは?」
「寝てる」
「……行く」
「来ないで」
 私は、咄嗟に言っていた。こんなボロボロの姿、見られたくない。
「……わかった」
「……大丈夫だから」
 ――『大丈夫』は私の盾。『平気』も私の盾。
「じゃあ、電話は切らない」
 私は、目を閉じて、笑みがこぼれた。どんなに断っても、私を助けようとしてくれる。亜由美は、どこまでも優しい。涙が零れ落ちた。
「……うん」
「眠くなるまで、繋いでる」
 私は、スピーカーに切り替えて、スマホを枕元に置いた。沈黙の電話の向こうに、亜由美が居てくれる。それだけで、不思議と心が落ち着いていく。昨日はあまり寝れなかったのに、今夜は不思議と瞼がどんどん重くなってくる。
 夜の静けさに、私たちの呼吸だけが残る。私はその呼吸にしがみつくように、夕紀と亜由美の夢を見た。私は、思いきって二人の後ろ姿に向かって声をかける。

「……ゆ」
(……き……亜由美)
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