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第26話 「高いハードル」
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四月二十日。
「昨日決めたのに……」
校門の前で、私の足は止まってしまった。
素直になるのが怖い。でも、逃げたくない。言うことは決まっている。なのに、躊躇い始めている。
――いつ言えばいい?
――どんな反応をされるんだろう。
考えれば考えるほど、息が浅くなってきて苦しい。私にもう少し……ううん、たくさん、勇気があれば。そう思ってため息を吐く。
教室の扉を開けた瞬間、空気が一拍だけ止まった。私の顔を見た何人かの顔が固くなる。教室を見回すと、佐原の席は空いていた。誰も何も合図をしてないのに、『停学中』の空席に近づかないようにしているのが見て取れた。名前が挙がった子たちは来ている。でも、笑い声を出さず、スマホも机の上に出していない。わざと薄くしている存在感で、逆に妙に目立ってしまっている。それ以外の子たちも「普通」を被っていて、明るい雑談にそぐわない乾いた笑い方をしていた。私に向く視線は、合う前に逸れて、逸れたあとにもう一度だけ戻ってきた。
亜由美は、もう席に座っている。座る直前に小さく「おはよう」と言うと、「おはよう」と返ってきた。でも、それ以上を続けられない。
――どうしよう、目を合わせられない。
「大丈夫」も「平気」も、もう盾にしたくない。そして、盾のない私は、言葉の出し方を知らない――中学のあの時から、忘れてしまっていた。
私は、授業中、ノートを取るふりをして、また、同じことを、ずっと考えていた。
――言う言葉は、『ありがとう』、『亜由美と、これからも友達でいたい』、『亜由美と対等な友達でいられるように、大丈夫じゃない時に平気、大丈夫は使わないようにする』
――ああ、でも言う前に、なんて声をかけよう。
言葉が見つからない。胃が痛い。
昼休みのチャイムが鳴って、教室の空気が少しだけほどける。私は、弁当袋を出して、手が止まった。
(今だ。今しかない)
――逃げたくない。逃げたくないのに、口が重い。
私は、頑張って声を出した。
「……亜由美、一緒に食べよ」
亜由美が目を開く。一瞬、驚いた顔をしてすぐにパッと笑顔が広がった。
「うん!」
――この笑顔ずるい。すごく……私を安心させる。これだけで目が潤んでしまう。
亜由美が小さく、「ね? あの場所、行く?」
私は頷いた。
私たちは、屋上へ続く踊り場まで上がって、階段に並んで座った。お弁当を食べ始めたのだけど、お互い黙ったままで、気まずい。何から話せばいいのか分からない。
――「昨日のこと」と言えば、痛い。
――「何でもない」と言えば、嘘になる。
箸だけが動いて、お弁当箱が少しずつ空になっていく。ミートボールがあと一つ。お弁当箱の中で突いてコロコロ転がしながら、私は、やっと、気持ちを立て直した。
「あの……さ……これからも友達だよね?」
声が震えないように、最後だけ少し笑った。いつもの亜由美なら、笑って「うん」と言ってくれる。そして「友達」が続いていく。だからこそ、私は自然にこの言葉を選んでしまったのかもしれない。
そんな私を、亜由美は目を丸くして見つめ返してきた。
「……え?」
(え?)
鼓動が跳ねる。
―― 『え?』って何?
私は少し焦った。いつもの亜由美なら、いいよって笑ってくれるはず…… それなのに、いつもと違う反応。イヤな想像が一気に膨らんで鼓動が早くなる。
(どうしよう…… 私、また亜由美に甘えてた。亜由美ならって考えてた)
「……うーん、そうだねぇ」
亜由美は、頭をゆっくり左右に倒しながら、宙を眺めている。
私は慌てて言う。
「私は、亜由美と友達でいたい!」
真顔で私を見つめたままの亜由美。
「……私ね、自分の弱さを見せるのが怖くて、いつも平気とか大丈夫とか言って、平気なふりをしてた。でも、それが亜由美を追い詰めていたとは思ってなかったの。昨日、亜由美に言われて、初めて気づいたの。だから……今まで、ごめんね……私、亜由美が気を遣わなくていいように、これからは、もう、大丈夫じゃない時に平気、大丈夫は使わないようにするよ。私は……」
亜由美は、黙ったまま、私の言葉を聞いてくれている。どれだけ伝わってるか、わからない。でも、伝わっててほしい。私は、真っすぐ亜由美を見つめた。
「私は、これからも、亜由美と友達でいたい。一緒にいたい」
言って、目を閉じた――伝えたいことは全部言えた。
「美沙」
呼ばれて、目を開けると、亜由美が私を少し見つめて、すぐにこぼれる笑顔になる。
「うん! 私もっ!」
――嬉しそうな声。その『うん』が、胸の奥に落ちて、じんわり広がる。
「……良かったぁ」
思わず、息みたいに漏れた。私はこの言葉を言うために、昨日からずっと息を止めていたのかもしれない。
「……さっきの『そうだねぇ』って、なに?」
「ん? ちょっと反省してもらおうかな、って思っただけ。高校に入ってから、ずっと、『平気』、『大丈夫』って言って、私を蔑ろにしてきたから」
と微笑む亜由美の隣で、私は項垂れた。
「そうだね、ごめんね……本当に、ごめんね」
「もういいよ。これからもよろしくね」
私の肩に、亜由美の肩がトンッと触れた。触れた箇所からじんわり温かさが広がっていって、自然と笑顔がこぼれる。
「あと……たくさん、ありがとう!」
「うん!」
そう言って、亜由美は、ふわっと微笑んでくれた。
――自分の気持ちを伝えるのがこんなに難しいなんて。でも、やっと、やっと伝えらえた。伝えらえて、本当に良かった。素直に、そう思った。
「そういえばさ」
亜由美が、ふっと思い出したみたいに言う。
「購買のとこの自販機で、いちごミルクの紙パック見つけた」
「なにそれ! 飲んだ?」
「うん。美味しかったよ。行く?」
「行く!」
言葉が弾む。前みたいだ。前みたいな会話だ。
――前みたいな友達の続きになってる。
そのことに、胸が軽くなった。また、一緒に並んで歩けるのが、なんだかこそばゆくて、嬉しい。
「あっ」
階段を降りようとした瞬間、亜由美が急に足を止めた。どうしよう、という目で、私を見てくる。
「どうしたの?」
亜由美は、言いづらそうに唇だけが動く。
「……百円くらい貸すよ」
「うーん……ちょっと違う」
亜由美は、ポケットに手を入れたまま唸る。
「なに? もしかしてダイエット中とか? でも今までダイエットしたことあったっけ?」
「それもちょっと違う」
冗談みたいに言ったのに、亜由美は首を振る。
「じゃあなに?」
亜由美は何かを決めたように、ポケットからスマホを出し、躊躇いながらスマホを差し出してきた。
「え?なに?」
私は、笑いながら、スマホを受け取った。
(DMのチャット画面?)
「えっ……」
――夕紀。
踊り場の風が、一瞬冷たくなった気がした。私は目を閉じて、ゆっくり息を吐いて、鼓動を落ち着かせてから、目を開けた。
改めて、チャットを読み始める――夕紀からのメッセージを、亜由美が受け止めて、返していた。
私が無視する形になっていたから、亜由美の方へ行ったんだ。当然だ。私は遮って、遮って、遮り続けてきたから。つくづく私は、亜由美に甘えっぱなしだな、と胸が痛くなる。
亜由美が小さく言った。
「……どうする?」
私は答えられない。でも、答えないままいると、また亜由美が逃げ道を作ってくれる。
「……断っておこうか?」
その言葉に、胸の奥がきゅっとなる。私はまた亜由美に任せそうになってしまう。
――違う、これじゃいけない。夕紀とも、ちゃんと向き合わなきゃいけない。前へ進まなきゃいけない。
「……会うよ」
私は、短く言った。
亜由美が、少しだけ目を細める。
「わかった。メッセージ送っておくね」
私は息を吐いて、続けた。
「……三人で会おうよ」
亜由美が驚く。
「いいの?」
「その方がいい。明日、土曜だし……明日なんか、どう?」
「わかった、聞いてみる」
「それより、亜由美。私、お祓い行った方がいいかな?」
「お祓い? なんで?」
亜由美は眉をひそめる。
「だって、私、拡散被害、二回目だよ」
思わず笑いそうになって、笑えなかった。亜由美は再び歩きながら、少し引きつりながら、言う。
「うーん……それって、お祓いでなんとかなるものなの?」
「わからないけど。神頼みでも」
――もうこんなのに巻き込まれるのはイヤだ。それが本当の気持ち。
「……わかった、美沙の気持ちがそれで晴れるなら」
「亜由美も一緒に行こうよ」
「私も?」
亜由美の顔がぱっと明るくなる。
「あ! じゃあ、明治神宮は? 自然たっぷりで癒されそうだし。明日三人で行くとかは?」
「いいね。じゃあ、夕紀もOKだったら三人で行こう」
「うん」
窓から流れ込んできた風が、リボンを少し揺らす。揺れた布が、胸に触れて、すぐ離れる。
私は、まだ夕紀に会うのが怖い。でも、今までみたいに息をひそませてるだけじゃ、前に進めない。
私は、亜由美の隣で、素直になる練習と勇気を持つ練習を始めた。
「昨日決めたのに……」
校門の前で、私の足は止まってしまった。
素直になるのが怖い。でも、逃げたくない。言うことは決まっている。なのに、躊躇い始めている。
――いつ言えばいい?
――どんな反応をされるんだろう。
考えれば考えるほど、息が浅くなってきて苦しい。私にもう少し……ううん、たくさん、勇気があれば。そう思ってため息を吐く。
教室の扉を開けた瞬間、空気が一拍だけ止まった。私の顔を見た何人かの顔が固くなる。教室を見回すと、佐原の席は空いていた。誰も何も合図をしてないのに、『停学中』の空席に近づかないようにしているのが見て取れた。名前が挙がった子たちは来ている。でも、笑い声を出さず、スマホも机の上に出していない。わざと薄くしている存在感で、逆に妙に目立ってしまっている。それ以外の子たちも「普通」を被っていて、明るい雑談にそぐわない乾いた笑い方をしていた。私に向く視線は、合う前に逸れて、逸れたあとにもう一度だけ戻ってきた。
亜由美は、もう席に座っている。座る直前に小さく「おはよう」と言うと、「おはよう」と返ってきた。でも、それ以上を続けられない。
――どうしよう、目を合わせられない。
「大丈夫」も「平気」も、もう盾にしたくない。そして、盾のない私は、言葉の出し方を知らない――中学のあの時から、忘れてしまっていた。
私は、授業中、ノートを取るふりをして、また、同じことを、ずっと考えていた。
――言う言葉は、『ありがとう』、『亜由美と、これからも友達でいたい』、『亜由美と対等な友達でいられるように、大丈夫じゃない時に平気、大丈夫は使わないようにする』
――ああ、でも言う前に、なんて声をかけよう。
言葉が見つからない。胃が痛い。
昼休みのチャイムが鳴って、教室の空気が少しだけほどける。私は、弁当袋を出して、手が止まった。
(今だ。今しかない)
――逃げたくない。逃げたくないのに、口が重い。
私は、頑張って声を出した。
「……亜由美、一緒に食べよ」
亜由美が目を開く。一瞬、驚いた顔をしてすぐにパッと笑顔が広がった。
「うん!」
――この笑顔ずるい。すごく……私を安心させる。これだけで目が潤んでしまう。
亜由美が小さく、「ね? あの場所、行く?」
私は頷いた。
私たちは、屋上へ続く踊り場まで上がって、階段に並んで座った。お弁当を食べ始めたのだけど、お互い黙ったままで、気まずい。何から話せばいいのか分からない。
――「昨日のこと」と言えば、痛い。
――「何でもない」と言えば、嘘になる。
箸だけが動いて、お弁当箱が少しずつ空になっていく。ミートボールがあと一つ。お弁当箱の中で突いてコロコロ転がしながら、私は、やっと、気持ちを立て直した。
「あの……さ……これからも友達だよね?」
声が震えないように、最後だけ少し笑った。いつもの亜由美なら、笑って「うん」と言ってくれる。そして「友達」が続いていく。だからこそ、私は自然にこの言葉を選んでしまったのかもしれない。
そんな私を、亜由美は目を丸くして見つめ返してきた。
「……え?」
(え?)
鼓動が跳ねる。
―― 『え?』って何?
私は少し焦った。いつもの亜由美なら、いいよって笑ってくれるはず…… それなのに、いつもと違う反応。イヤな想像が一気に膨らんで鼓動が早くなる。
(どうしよう…… 私、また亜由美に甘えてた。亜由美ならって考えてた)
「……うーん、そうだねぇ」
亜由美は、頭をゆっくり左右に倒しながら、宙を眺めている。
私は慌てて言う。
「私は、亜由美と友達でいたい!」
真顔で私を見つめたままの亜由美。
「……私ね、自分の弱さを見せるのが怖くて、いつも平気とか大丈夫とか言って、平気なふりをしてた。でも、それが亜由美を追い詰めていたとは思ってなかったの。昨日、亜由美に言われて、初めて気づいたの。だから……今まで、ごめんね……私、亜由美が気を遣わなくていいように、これからは、もう、大丈夫じゃない時に平気、大丈夫は使わないようにするよ。私は……」
亜由美は、黙ったまま、私の言葉を聞いてくれている。どれだけ伝わってるか、わからない。でも、伝わっててほしい。私は、真っすぐ亜由美を見つめた。
「私は、これからも、亜由美と友達でいたい。一緒にいたい」
言って、目を閉じた――伝えたいことは全部言えた。
「美沙」
呼ばれて、目を開けると、亜由美が私を少し見つめて、すぐにこぼれる笑顔になる。
「うん! 私もっ!」
――嬉しそうな声。その『うん』が、胸の奥に落ちて、じんわり広がる。
「……良かったぁ」
思わず、息みたいに漏れた。私はこの言葉を言うために、昨日からずっと息を止めていたのかもしれない。
「……さっきの『そうだねぇ』って、なに?」
「ん? ちょっと反省してもらおうかな、って思っただけ。高校に入ってから、ずっと、『平気』、『大丈夫』って言って、私を蔑ろにしてきたから」
と微笑む亜由美の隣で、私は項垂れた。
「そうだね、ごめんね……本当に、ごめんね」
「もういいよ。これからもよろしくね」
私の肩に、亜由美の肩がトンッと触れた。触れた箇所からじんわり温かさが広がっていって、自然と笑顔がこぼれる。
「あと……たくさん、ありがとう!」
「うん!」
そう言って、亜由美は、ふわっと微笑んでくれた。
――自分の気持ちを伝えるのがこんなに難しいなんて。でも、やっと、やっと伝えらえた。伝えらえて、本当に良かった。素直に、そう思った。
「そういえばさ」
亜由美が、ふっと思い出したみたいに言う。
「購買のとこの自販機で、いちごミルクの紙パック見つけた」
「なにそれ! 飲んだ?」
「うん。美味しかったよ。行く?」
「行く!」
言葉が弾む。前みたいだ。前みたいな会話だ。
――前みたいな友達の続きになってる。
そのことに、胸が軽くなった。また、一緒に並んで歩けるのが、なんだかこそばゆくて、嬉しい。
「あっ」
階段を降りようとした瞬間、亜由美が急に足を止めた。どうしよう、という目で、私を見てくる。
「どうしたの?」
亜由美は、言いづらそうに唇だけが動く。
「……百円くらい貸すよ」
「うーん……ちょっと違う」
亜由美は、ポケットに手を入れたまま唸る。
「なに? もしかしてダイエット中とか? でも今までダイエットしたことあったっけ?」
「それもちょっと違う」
冗談みたいに言ったのに、亜由美は首を振る。
「じゃあなに?」
亜由美は何かを決めたように、ポケットからスマホを出し、躊躇いながらスマホを差し出してきた。
「え?なに?」
私は、笑いながら、スマホを受け取った。
(DMのチャット画面?)
「えっ……」
――夕紀。
踊り場の風が、一瞬冷たくなった気がした。私は目を閉じて、ゆっくり息を吐いて、鼓動を落ち着かせてから、目を開けた。
改めて、チャットを読み始める――夕紀からのメッセージを、亜由美が受け止めて、返していた。
私が無視する形になっていたから、亜由美の方へ行ったんだ。当然だ。私は遮って、遮って、遮り続けてきたから。つくづく私は、亜由美に甘えっぱなしだな、と胸が痛くなる。
亜由美が小さく言った。
「……どうする?」
私は答えられない。でも、答えないままいると、また亜由美が逃げ道を作ってくれる。
「……断っておこうか?」
その言葉に、胸の奥がきゅっとなる。私はまた亜由美に任せそうになってしまう。
――違う、これじゃいけない。夕紀とも、ちゃんと向き合わなきゃいけない。前へ進まなきゃいけない。
「……会うよ」
私は、短く言った。
亜由美が、少しだけ目を細める。
「わかった。メッセージ送っておくね」
私は息を吐いて、続けた。
「……三人で会おうよ」
亜由美が驚く。
「いいの?」
「その方がいい。明日、土曜だし……明日なんか、どう?」
「わかった、聞いてみる」
「それより、亜由美。私、お祓い行った方がいいかな?」
「お祓い? なんで?」
亜由美は眉をひそめる。
「だって、私、拡散被害、二回目だよ」
思わず笑いそうになって、笑えなかった。亜由美は再び歩きながら、少し引きつりながら、言う。
「うーん……それって、お祓いでなんとかなるものなの?」
「わからないけど。神頼みでも」
――もうこんなのに巻き込まれるのはイヤだ。それが本当の気持ち。
「……わかった、美沙の気持ちがそれで晴れるなら」
「亜由美も一緒に行こうよ」
「私も?」
亜由美の顔がぱっと明るくなる。
「あ! じゃあ、明治神宮は? 自然たっぷりで癒されそうだし。明日三人で行くとかは?」
「いいね。じゃあ、夕紀もOKだったら三人で行こう」
「うん」
窓から流れ込んできた風が、リボンを少し揺らす。揺れた布が、胸に触れて、すぐ離れる。
私は、まだ夕紀に会うのが怖い。でも、今までみたいに息をひそませてるだけじゃ、前に進めない。
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