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・番外編・ 恋は思案の外
5.恋は思案の外【最終話】
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「高坂先輩、あの男の子……知っていますか?」
返し忘れたと言っていた本を渡すや否や雛子ちゃんが俺に詰め寄って来た。思わず詰め寄られた分、体を引いてしまう。
体を引きながらも雛子ちゃんの視線を追うと、晶ちゃんが男子と一緒に歩く背中にぶつかった。あれは確か、晶ちゃんの友人の地学部員じゃないだろうか。嬉しそうな顔で彼女に笑い掛けている。確か名前は―――
「確か変わった名前だったな……そうだ、『王子』って名前だった」
「『王子』?渾名ですか?」
俺がまさに今考えていた事を、口にする雛子ちゃん。
「……森のお姉さんと、すごく仲良さそう」
その声音の冷たさに、思わず彼女の顔を凝視する。
俺は眉を顰めた。
「お前さ……いい加減、そういうの止めたら?」
こいつ……ドMだな。
しかも自覚なし。だから性質が悪い。
深入りして結局、痛い目見るだけなのが火を見るより明らかなのに。
本気で自分の立ち位置が判っていないらしい―――今の雛子ちゃんは部外者だ。いくら熱心に関わろうとしても、疎外感でますます空しくなるだけだ。
更に言葉を継ごうとすると、彼女は怯えたように身を竦めて逃げ出した。
転がるように逃げて行くその背中を見送って―――俺は頭を掻いた。
そしてその日―――雛子ちゃんは部活を休んだ。
** ** **
「考え事?」
蓉子さんが俺の顔を覗き込んだ。
心配気な茶色いビー玉のような瞳に見つめられて、心臓が跳ねる。柑橘系の良い匂いがする。蓉子さん愛用の石鹸だ。
しかし好きな相手と同じ浴槽を使えるって果てしなく淫靡だよね。それか拷問。
俺、よく耐えているな。
「うん、ちょっと」
蓉子さんが入れてくれた緑茶を飲む。食後はこれが一番だな。
彼女の静岡の実家から毎年送られてくる新茶は、甘くて爽やかで本当に美味しい。
「部活のマネージャーが後輩部員に夢中でさ。けっこう揉めているんだよね。諦めるように遠回しに言っているんだけど―――全く聞く耳持たず。暴走気味だからそそっかしくて見てられなくてさ」
「蓮くん、先輩っぽい発言」
「先輩だもん」
俺が口を尖らせると、蓉子さんはフフッと笑った。
最近蓉子さんは少しふくよかになって来た。―――というか以前は痩せ過ぎだったから、やや標準に近づいて来ていると言えるだろう。これは俺が家に寄りつくようになって、一緒にご飯を食べたり外食したりした成果かもしれない。
逆に俺と上手く行かない事がストレスで今まで痩せていたのかもしれないって考えて、ちょっと凹む事もある。―――優しい蓉子さんは俺がそう聞いたとしたらきっと否定するだろうけど。
「後輩君はそのマネージャーさんの事、好きじゃないの?」
「そいつ、多分ずっと片思いしている相手がいるんだ。それにマネージャーの子はあんまりタイプじゃないんじゃないかな?嫌いって程では無いと思うけど。前まで結構仲良かったみたいだけど―――今はギクシャクしちゃっているなぁ」
「『恋は思案の外』……か。何もかも条件の揃った相手を好きになれるとは、限らないものね……」
蓉子さんが物思いに耽るように、遠い目をした。
それは蓉子さんと親父の事を言っているのだろうか。
大学を卒業後新規採用されて親父の会社に入った時には、既に親父は結婚していた。政略結婚で夫婦となった両親は、義務である嫡男が産まれた後互いに別の仕事に邁進して家庭内離婚状態だったらしい。家庭内―――というか2人ともあまり家に寄り付かなかったな。
うちはずっと家政婦を雇って家事は全て他人任せだったし、俺が小さい頃はベビーシッターが代わる代わる俺の面倒を見てくれた。幸い俺はどのシッターさんにも猫可愛いがりされ、楽しく遊んで貰った記憶しかない。皆美人揃いで、子供心に楽しかったな。
俺の女の子好きって、多分それに起因していると思う。
子供嫌いの俺の母親に面倒を見られていたら、きっと究極の女嫌いに育っていた事だろう。
『恋は思案の外』
その言葉はまさに、俺にこそ相応しい。
恋する相手は、親父の妻。
最初から好きになるべき相手じゃない。
諦めるしか、やるべきことはない。
なのに蓉子さんを好きな気持ちは―――俺の中心にしっかりと居座って出て行く気配すらない。
俺は雛子ちゃんが羨ましい。
俺だってなりふり構わず、付き纏いたい。
本当は親父と別れて俺を好きになって欲しいって、叫びたい。
雛子ちゃんは……自分に正義があると信じている。義理でも姉弟関係の2人が恋をするなんて、異常だとその態度で示し自信満々に攻めている。
本当に残酷なお子様だ。
子供だからこそ―――単純明快な差別主義を疑問も無く振り回せるに違いない。
だから、腹が立つし気になるのだろう。
俺が我慢している行動を―――そのまま体現しているかのような雛子ちゃんに。
そして無邪気に常識を振り回して、他人の恋愛に土足で踏み込む無神経さに。
心の底では。本能だけの声を聴くなら。
俺はみっともなく蓉子さんに縋りつきたい。彼女の心が欲しいと何度も言い募りたい。
でも、大事だから。
彼女が大切だから―――蓉子さんの心を乱す事はやっぱり、できない。
やっぱり俺は、雛子ちゃんが羨ましいのかもしれない。
俺には出来そうも無い。例え相手が苦しむと知っていても―――自分の欲望を押し付けようとする手段を取る事は。
「ご馳走様」
俺は飲み終わった湯呑を下げるべく、立ち上がった。
これから、部屋で勉強だ。
最近真面目君の俺は、恋愛で悩んでいる暇はないのだ。
とにかく一に勉強、二に勉強。三四が無くて、五に勉強だ。
煩悩から目を逸らす丁度良い用事ができて、ホッとすらしている。
「あ、私が下げる」
「いいよ、蓉子さん」
往生際が悪いかもしれないが、俺は未だに蓉子さんを『お母さん』と呼べない。
彼女は呼んで欲しそうだけど……これだけはやっぱり割り切れないので、名前呼びを変えられないでいる。
「あれ?」
立ち上がった蓉子さんが呟いて、体がふらりと傾く。
俺は咄嗟に手を伸ばし、彼女の体を抱き留めた。
カシャン。
湯呑が床に落ちて音を立てて、2つに割れた。
抱き留めた蓉子さんの体は、ふんわりと柔らかい。
思わずゴクリと唾を呑み込んだ。
しかし興奮している場合じゃない。蓉子さんの顔色の白さに、俺はすぐに頭を切り替えた。
膝裏に手を入れて蓉子さんを抱え上げ、ソファまで運んだ。
「ご、ごめん……大丈夫だから……ちょっと眩暈がしただけ」
しかし、顔色は一向に良くならない。
俺は親父の幼馴染のおじさんに電話した。彼は医者で、家族の掛かり付け医だ。まだ病院に勤務中のようだ。タクシーを呼んでおじさんの病院へ蓉子さんを連れて行った。
仕事で東京にいる親父にも念のため、メールで連絡を入れる。すぐに戻るのは無理だろうが経過だけでも伝えておきたい。
「蓉子さん寄り掛かって」
「ごめん……」
体を支える力の無い蓉子さんを、タクシーの後部座席で自分にもたせ掛ける。こんな時で無かったら、至福の一時だろう。だけどそっと握りしめた彼女の指先の冷たさに―――俺の頭は真っ白になった。
悪い病気じゃなければ良いが。
か細い息を吐く蓉子さんに、俺はどうしようもなく不安になる。
到着後受付に保険証を提出して、蓉子さんをおじさんの元へ連れて行った。俺は診察室を追い出されて待合室でジリジリと診察結果を待った。
診察には少し時間がかかったようだ。
一般の診察時間外なので、待合室にひと気は無い。壁に掛かった素っ気ない時計の、秒針の音がやけに響く―――ガラにも無く、神様に祈った。
彼女が俺の物にならなくて構わない。
だから、神様。
彼女を害さないで。
例え近くに居られなくても良い。元気で明るい彼女を、俺の大事な家族をそのまま返してくれ。
見覚えの無い、若い女性看護師がパタパタと掛けて来た。
何だか慌てているようだ。
俺は弾かれるように、立ち上がった。
「高坂さん!お待たせしてすいません」
「はい、あの……蓉子さんは無事ですか?」
看護師の慌て振りに不安を抱きながらも、何とか口を開いた。
「勿論です、おめでとうございます!」
「は?」
「もう、お父さんですね!」
「……は?」
結論。
俺は老けて見えるらしい。
神様は願いを叶えてくれた。
蓉子さんは病気じゃ無かった。ただの貧血だ。貧血の原因も妊娠の初期症状。ふっくらしてきたのも―――頷ける。
肩の力が抜けた。
と、同時にスマホが震える。画面を見ると、親父だった。
「くそっ!」
ホッとするやら、腹が立つやら。
俺が腹立ち紛れに電話に出ないまま電源を落とした事は、大目に見て欲しい。
てっきり喜び勇んで小躍りするかと思っていた父親(と勘違いされた俺)が、苛々と舌打ちしたため若い看護師がびくりと体を固めた。
我に還ってから、新米看護師に謝って「俺、息子です」というと―――彼女はひたすら頭を下げて謝り倒してくれた。きっと年齢を誤解された事に腹を立てたと思ってくれるだろう。
……俺、そんなことで女の子に腹立てる程、狭量じゃないんだけど……。
貧血が解消するまで様子を見るという事で、蓉子さんが入院する事になった。俺は着替えを用意したり入院の用意をしたり、スマホの電源を切った言い訳を親父にしたり―――と忙しかったので1日学校を休む事になった。
再び学校に登校し、バスケ部の昼練に顔を出す。
そこにはむっつりと機嫌の悪い雛子ちゃんと、対照的に鬱陶しいぐらい明るい清美が居た。俺はチョイチョイ……と手招きで地崎を呼び寄せる。
「清美、なんかあったの?いつも以上にふ抜けているけど」
「……あったみたいですね……」
「何があったのさ」
「……」
「雛子ちゃんは暗いよね」
「……俺の口からは何とも……」
地崎は口を噤んだ。
しかし、何となく感じるモノはある。
俺は今、ひじょーっに虫の居所が悪い。
そんな俺の目の前で幸せダダ漏れ状態を晒す清美は―――ひじょーっにうっとうしい事この上ない。
幸せそうな清美を腹いせに多少苛めたって―――罰は当たらないはずだ。
……そうだろう?神様とやら。
【恋は思案の外・最終話】
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
高坂先輩視点の番外編『恋は思案の外』はこれにて終了です。
お読みいただき、有難うございました。
続いて晶と清美の両親の番外編を投稿します。
お時間ありましたらお付き合いいただけると嬉しいです!
返し忘れたと言っていた本を渡すや否や雛子ちゃんが俺に詰め寄って来た。思わず詰め寄られた分、体を引いてしまう。
体を引きながらも雛子ちゃんの視線を追うと、晶ちゃんが男子と一緒に歩く背中にぶつかった。あれは確か、晶ちゃんの友人の地学部員じゃないだろうか。嬉しそうな顔で彼女に笑い掛けている。確か名前は―――
「確か変わった名前だったな……そうだ、『王子』って名前だった」
「『王子』?渾名ですか?」
俺がまさに今考えていた事を、口にする雛子ちゃん。
「……森のお姉さんと、すごく仲良さそう」
その声音の冷たさに、思わず彼女の顔を凝視する。
俺は眉を顰めた。
「お前さ……いい加減、そういうの止めたら?」
こいつ……ドMだな。
しかも自覚なし。だから性質が悪い。
深入りして結局、痛い目見るだけなのが火を見るより明らかなのに。
本気で自分の立ち位置が判っていないらしい―――今の雛子ちゃんは部外者だ。いくら熱心に関わろうとしても、疎外感でますます空しくなるだけだ。
更に言葉を継ごうとすると、彼女は怯えたように身を竦めて逃げ出した。
転がるように逃げて行くその背中を見送って―――俺は頭を掻いた。
そしてその日―――雛子ちゃんは部活を休んだ。
** ** **
「考え事?」
蓉子さんが俺の顔を覗き込んだ。
心配気な茶色いビー玉のような瞳に見つめられて、心臓が跳ねる。柑橘系の良い匂いがする。蓉子さん愛用の石鹸だ。
しかし好きな相手と同じ浴槽を使えるって果てしなく淫靡だよね。それか拷問。
俺、よく耐えているな。
「うん、ちょっと」
蓉子さんが入れてくれた緑茶を飲む。食後はこれが一番だな。
彼女の静岡の実家から毎年送られてくる新茶は、甘くて爽やかで本当に美味しい。
「部活のマネージャーが後輩部員に夢中でさ。けっこう揉めているんだよね。諦めるように遠回しに言っているんだけど―――全く聞く耳持たず。暴走気味だからそそっかしくて見てられなくてさ」
「蓮くん、先輩っぽい発言」
「先輩だもん」
俺が口を尖らせると、蓉子さんはフフッと笑った。
最近蓉子さんは少しふくよかになって来た。―――というか以前は痩せ過ぎだったから、やや標準に近づいて来ていると言えるだろう。これは俺が家に寄りつくようになって、一緒にご飯を食べたり外食したりした成果かもしれない。
逆に俺と上手く行かない事がストレスで今まで痩せていたのかもしれないって考えて、ちょっと凹む事もある。―――優しい蓉子さんは俺がそう聞いたとしたらきっと否定するだろうけど。
「後輩君はそのマネージャーさんの事、好きじゃないの?」
「そいつ、多分ずっと片思いしている相手がいるんだ。それにマネージャーの子はあんまりタイプじゃないんじゃないかな?嫌いって程では無いと思うけど。前まで結構仲良かったみたいだけど―――今はギクシャクしちゃっているなぁ」
「『恋は思案の外』……か。何もかも条件の揃った相手を好きになれるとは、限らないものね……」
蓉子さんが物思いに耽るように、遠い目をした。
それは蓉子さんと親父の事を言っているのだろうか。
大学を卒業後新規採用されて親父の会社に入った時には、既に親父は結婚していた。政略結婚で夫婦となった両親は、義務である嫡男が産まれた後互いに別の仕事に邁進して家庭内離婚状態だったらしい。家庭内―――というか2人ともあまり家に寄り付かなかったな。
うちはずっと家政婦を雇って家事は全て他人任せだったし、俺が小さい頃はベビーシッターが代わる代わる俺の面倒を見てくれた。幸い俺はどのシッターさんにも猫可愛いがりされ、楽しく遊んで貰った記憶しかない。皆美人揃いで、子供心に楽しかったな。
俺の女の子好きって、多分それに起因していると思う。
子供嫌いの俺の母親に面倒を見られていたら、きっと究極の女嫌いに育っていた事だろう。
『恋は思案の外』
その言葉はまさに、俺にこそ相応しい。
恋する相手は、親父の妻。
最初から好きになるべき相手じゃない。
諦めるしか、やるべきことはない。
なのに蓉子さんを好きな気持ちは―――俺の中心にしっかりと居座って出て行く気配すらない。
俺は雛子ちゃんが羨ましい。
俺だってなりふり構わず、付き纏いたい。
本当は親父と別れて俺を好きになって欲しいって、叫びたい。
雛子ちゃんは……自分に正義があると信じている。義理でも姉弟関係の2人が恋をするなんて、異常だとその態度で示し自信満々に攻めている。
本当に残酷なお子様だ。
子供だからこそ―――単純明快な差別主義を疑問も無く振り回せるに違いない。
だから、腹が立つし気になるのだろう。
俺が我慢している行動を―――そのまま体現しているかのような雛子ちゃんに。
そして無邪気に常識を振り回して、他人の恋愛に土足で踏み込む無神経さに。
心の底では。本能だけの声を聴くなら。
俺はみっともなく蓉子さんに縋りつきたい。彼女の心が欲しいと何度も言い募りたい。
でも、大事だから。
彼女が大切だから―――蓉子さんの心を乱す事はやっぱり、できない。
やっぱり俺は、雛子ちゃんが羨ましいのかもしれない。
俺には出来そうも無い。例え相手が苦しむと知っていても―――自分の欲望を押し付けようとする手段を取る事は。
「ご馳走様」
俺は飲み終わった湯呑を下げるべく、立ち上がった。
これから、部屋で勉強だ。
最近真面目君の俺は、恋愛で悩んでいる暇はないのだ。
とにかく一に勉強、二に勉強。三四が無くて、五に勉強だ。
煩悩から目を逸らす丁度良い用事ができて、ホッとすらしている。
「あ、私が下げる」
「いいよ、蓉子さん」
往生際が悪いかもしれないが、俺は未だに蓉子さんを『お母さん』と呼べない。
彼女は呼んで欲しそうだけど……これだけはやっぱり割り切れないので、名前呼びを変えられないでいる。
「あれ?」
立ち上がった蓉子さんが呟いて、体がふらりと傾く。
俺は咄嗟に手を伸ばし、彼女の体を抱き留めた。
カシャン。
湯呑が床に落ちて音を立てて、2つに割れた。
抱き留めた蓉子さんの体は、ふんわりと柔らかい。
思わずゴクリと唾を呑み込んだ。
しかし興奮している場合じゃない。蓉子さんの顔色の白さに、俺はすぐに頭を切り替えた。
膝裏に手を入れて蓉子さんを抱え上げ、ソファまで運んだ。
「ご、ごめん……大丈夫だから……ちょっと眩暈がしただけ」
しかし、顔色は一向に良くならない。
俺は親父の幼馴染のおじさんに電話した。彼は医者で、家族の掛かり付け医だ。まだ病院に勤務中のようだ。タクシーを呼んでおじさんの病院へ蓉子さんを連れて行った。
仕事で東京にいる親父にも念のため、メールで連絡を入れる。すぐに戻るのは無理だろうが経過だけでも伝えておきたい。
「蓉子さん寄り掛かって」
「ごめん……」
体を支える力の無い蓉子さんを、タクシーの後部座席で自分にもたせ掛ける。こんな時で無かったら、至福の一時だろう。だけどそっと握りしめた彼女の指先の冷たさに―――俺の頭は真っ白になった。
悪い病気じゃなければ良いが。
か細い息を吐く蓉子さんに、俺はどうしようもなく不安になる。
到着後受付に保険証を提出して、蓉子さんをおじさんの元へ連れて行った。俺は診察室を追い出されて待合室でジリジリと診察結果を待った。
診察には少し時間がかかったようだ。
一般の診察時間外なので、待合室にひと気は無い。壁に掛かった素っ気ない時計の、秒針の音がやけに響く―――ガラにも無く、神様に祈った。
彼女が俺の物にならなくて構わない。
だから、神様。
彼女を害さないで。
例え近くに居られなくても良い。元気で明るい彼女を、俺の大事な家族をそのまま返してくれ。
見覚えの無い、若い女性看護師がパタパタと掛けて来た。
何だか慌てているようだ。
俺は弾かれるように、立ち上がった。
「高坂さん!お待たせしてすいません」
「はい、あの……蓉子さんは無事ですか?」
看護師の慌て振りに不安を抱きながらも、何とか口を開いた。
「勿論です、おめでとうございます!」
「は?」
「もう、お父さんですね!」
「……は?」
結論。
俺は老けて見えるらしい。
神様は願いを叶えてくれた。
蓉子さんは病気じゃ無かった。ただの貧血だ。貧血の原因も妊娠の初期症状。ふっくらしてきたのも―――頷ける。
肩の力が抜けた。
と、同時にスマホが震える。画面を見ると、親父だった。
「くそっ!」
ホッとするやら、腹が立つやら。
俺が腹立ち紛れに電話に出ないまま電源を落とした事は、大目に見て欲しい。
てっきり喜び勇んで小躍りするかと思っていた父親(と勘違いされた俺)が、苛々と舌打ちしたため若い看護師がびくりと体を固めた。
我に還ってから、新米看護師に謝って「俺、息子です」というと―――彼女はひたすら頭を下げて謝り倒してくれた。きっと年齢を誤解された事に腹を立てたと思ってくれるだろう。
……俺、そんなことで女の子に腹立てる程、狭量じゃないんだけど……。
貧血が解消するまで様子を見るという事で、蓉子さんが入院する事になった。俺は着替えを用意したり入院の用意をしたり、スマホの電源を切った言い訳を親父にしたり―――と忙しかったので1日学校を休む事になった。
再び学校に登校し、バスケ部の昼練に顔を出す。
そこにはむっつりと機嫌の悪い雛子ちゃんと、対照的に鬱陶しいぐらい明るい清美が居た。俺はチョイチョイ……と手招きで地崎を呼び寄せる。
「清美、なんかあったの?いつも以上にふ抜けているけど」
「……あったみたいですね……」
「何があったのさ」
「……」
「雛子ちゃんは暗いよね」
「……俺の口からは何とも……」
地崎は口を噤んだ。
しかし、何となく感じるモノはある。
俺は今、ひじょーっに虫の居所が悪い。
そんな俺の目の前で幸せダダ漏れ状態を晒す清美は―――ひじょーっにうっとうしい事この上ない。
幸せそうな清美を腹いせに多少苛めたって―――罰は当たらないはずだ。
……そうだろう?神様とやら。
【恋は思案の外・最終話】
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高坂先輩視点の番外編『恋は思案の外』はこれにて終了です。
お読みいただき、有難うございました。
続いて晶と清美の両親の番外編を投稿します。
お時間ありましたらお付き合いいただけると嬉しいです!
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