俺のねーちゃんは人見知りがはげしい

ねがえり太郎

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・番外編・ 天然タラシ(無自覚)はご遠慮ください

1.和美とハナ

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※清美と晶の両親の馴れ初め話です。
 別作として投稿していたものを本作に纏めました。なお、元掲載分と内容は変わりません。
※大人同士の付き合いなので、軽いですが事前事後描写があります。
 苦手な方は回避するようお願いします。この章を飛ばしても話は繋がります。


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和美とハナは、同じ年、日丹設計北海道支社に採用された所謂いわゆる『同期』だった。

和美は24歳。東京の最難関国立大と言われるT大工学系研究科大学院を卒業後、出身地である北海道にUターン就職した。
ハナは20歳。市立の高等専門学校を卒業後、幸運にも日本有数の設計事務所の支社に採用された。

和美は長身で精悍な容貌の美男子で、優しく押し出しの柔らかい真面目な人間だ。既に他界した大学で准教授だった父と専業主婦の母の間で穏やかに育てられた。
ハナはダメンズの父親に振り回される貧乏な家庭で育った苦労人だったが、それを許容する懐の深すぎる母親に育てられ、おおざっぱな本能で生きる人間に育った。

和美はハナのような女性に初めて会ったので、とても気になった。
暴走するブルトーザーのように、あちこちぶつかりながら無謀に仕事に立ち向かい、上司に怒られ現場の代人に踏み付けられ、しかし何度でもケロリと立ち上がる雑草のような彼女の姿に、カルチャーショックを受けた。
ハナはハナで、和美のように紳士の鏡そのものの誠実な男に初めて出会った。物心ついた頃から身近にいた大人の男のほとんどは、傲慢で不遜で努力を毛嫌いする男尊女卑思想にまみれた男ばかりだったので、根本的に『男』というものを信用していなかった。しかし和美は何だか本当に良い人のように見えたので、こんな男もいるんだな、と感心した。
2人は境遇も性格も―――通って来た道も正反対だった。けれども仕事人間という1点だけは共通していたので、競うように連日夜中まで働く内に食事がてら飲みに行く関係になるのに、さして時間は掛からなかった。

しかしあまりに性質が懸け離れていたため、2人の間に友情は育ったが恋愛のような甘やかな雰囲気はついぞ生まれる事はなかった。
そしてある時から、その飲みの場に和美の大学の同級生ヒロキが加わるようになった。
和美は地元のH大出身で、大学院の時東京のT大に進学した。ヒロキはH大卒業後すぐ、亡くなった父親が創設した地元の設計事務所に就職し、既に1人で1軒の住宅の設計を任されるまでになっていた。社会に出たばかりの2人の新人にとって、ヒロキの話は興味の尽きない面白い物だった。



いつしかハナは、ヒロキと付き合うようになった。
自然な流れだったし、それを和美は予想していた。

だというのに、和美は実際その事実を目の当たりにしてショックを受けた。和美はその時やっと自分がハナの事を好きになりかけていたことに気が付いたのだ。
2人が婚姻届を提出した直後、和美の手掛けた設計が少し名の通った建築賞を受賞した。
程なくして和美の東京本社への栄転が決まり、和美は自分の淡い恋心にケリを付ける良い機会だと、辞令を諾々と受け入れ地元を離れ東京へ飛び立った。






**  **  **






和美は東京本社の設計部に配属された。最初に担当したのは中国国内の設計コンペ。コンペには敗退したが、次点として高い評価を受けた。その評価にも後押しされ、翌年には中東のオフィス設計プロジェクトに加わる事になった。社内外から集めた50名を超えるプロジェクトメンバーの1人となり、そこでプロジェクトのメンバーであるエリカと出会った。
エリカは北欧のフィンランド出身で、ヘルシンキの美術大学を卒業した優秀な設計者だった。両親が早世し祖母と2人暮らしをしていたが、内向的な性格で日本のアニメや漫画ばかり見て育った真正のオタクだった。祖母が亡くなった後得意なパソコンを活かし手に職を付けようと建築設計を学び、憧れの日本の設計事務所に就職を果たした。

エリカは天使のような美女だったが、思い込みが激しかった。

チームで一緒に働く事になった和美に惚れ込み、猛烈なアタックの末結婚に漕ぎ着けた。若干流された感がぬぐえなかったがエリカの惜しみない愛情を受け、1人息子の清美を授かった頃には和美はすっかり彼女を溺愛するようになっていた。



清美を出産後エリカはすっぱりと仕事を辞め、子育てに専念した。もともと引き籠りのオタク体質なので、異国であっても子供とアニメや戦隊モノを見ながら楽しく育児と家事に専念し多忙な仕事人間の和美に代わって家庭の雑事を全て引き受けて、彼を支えた。
3人は幸せに暮らしていたが、ある日清美と一緒にスーパーに買い物に出かけたエリカにブレーキとアクセルを踏み間違えた高齢者の軽自動車が突っ込んだ。エリカは清美を突き飛ばし―――そのまま帰らぬ人となった。

最愛の妻を亡くした和美は一気に奈落に突き落とされた。

しかし和美に悲しみに打ちひしがれて蹲る時間は無かった。家事と育児の一切をエリカに依存していた家庭は混乱を極めた。自分のシャツはどのクリーニング屋に出したのか、清美の体操着が何処にあるのか判らず戸惑う。小学校に通う清美のプリントを捨ててしまい、大事な物を毎回忘れる清美を心配した担任から確認の電話が打合せ中に掛かって来た。朝ご飯を作ろうとしたが焦がしてしまいフライパンと鍋を捨てた。清美はエリカがいない寂しさと、上手く行かない日常に苛立ちを募らせる和美の態度にぐずり―――居心地の良かったマンションが鬱屈しか存在しない汚部屋に変わるのは、あっという間の事だった。

仕事にもミスが目立つようになりフォローの為に残業せねばならない。1人きりでマンションに置き去りにされた清美が、学校で喧嘩をして呼び出された。

和美は終に限界を感じ―――夫亡き後札幌で余生を過ごしていた母親を呼び寄せ、家事と育児を担当して貰う事にした。母親は葬式の際既にサポートを申し出てくれたのだが、脚を痛めている上、持病で定期的な通院を必要としていた。だから和美は敢えてその申し出を断っていたのだった。
しかし結局……頼らずを得ない事態に陥ってしまった。ショックの余り冷静な判断が出来ず、対策が後手後手に回り家庭内は大混乱してしまったが―――そうしてやっと日常生活が流れるようになったのだ。



溜まりに溜まった仕事に着手できるようになり、会社の仕事もスムーズに動き出した。すると少し出来た心の隙間に―――エリカを失った絶望が忍び寄る。

振り払うように和美は仕事にのめり込んだ。

老いた母親に清美や家の事を押し付けている事に罪悪感を抱いていたが、自分自身が妻の不在によるショックを振り払えず完全にガタガタでどうしたら良いかまるで判らなかった。醒めない悪夢の中にいるような感覚がずっと続いて眠れない時間が続き、どうせなら―――とその時間を仕事に充てた。



そんな時、ハナと再会した。



ハナは主任研修のため東京の本社に出張に来ていたのだ。彼女はエリカが亡くなった事を社内のイントラネットに掲載された弔電で知った。しかし多忙なため香典と弔電を送る事しかできなかった。今回東京に来る機会を得て、ハナはお悔やみを述べる序でに和美の様子を伺おうと直接職場を訪ねたのだった。

ハナはヒロキと結婚後すぐ女児を出産し育休を経て会社に復帰した。しかしヒロキは2人の娘・晶が小学1年生の時に心臓の病で亡くなった。奇しくも和美の息子、清美も母エリカを失った今―――小学1年生だった。
だからハナは、どうしても同期の友人の境遇を他人事と思えなかった。

懐かしい顔と声に、ガチガチに引き締めていた和美の心は緩んだ。

2人で夕飯を兼ねて居酒屋に行った後の和美はグダグダだった。和美は飲んで愚痴って絡んで泣いて―――ハナに甘えた。

一緒に働いている職場の人間には、心配を掛けないよう虚勢を張って接していた。少しでも綻びが出ると自分という形が全て崩れてしまいそうで……必死に足を踏ん張っていた。エリカの想い出の端っこでも話題に出たならばその日1日、自分が使い物にならなくなるのだと分かっていたから―――尚更平気な振りをして話題を避けた。

旧友でしかも同じ境遇の気の置けない存在であり、その上遠く離れた故郷に住む日常で顔を合わせないハナという相手を目前にして……和美の虚勢という防波堤は決壊してしまった。
そしてハナは和美に辛抱強く、付き合った。






翌朝和美はハナの宿泊するビジネスホテルのベッドで目を覚ました。



昨夜の行為の断片が―――記憶に残っている。
ハナは同情で応じた。和美は最後まで……ハナに甘えてしまったのだ。

和美はなし崩しに彼女に縋った自分にショックを受けた。
ハナは割り切った様子でサバサバしていたが―――。



「ご、ごめん……ハナ。本当に何て言ったらいいのか……」



蒼白になって頭を下げる和美の肩をハナはポン、と叩いた。彼女は狼狽える彼を励ます事にした。



「いーの、いーの。気にすんな。困ったときはお互い様でしょ!」



動揺する和美が気の毒で、ハナは殊更明るく言い放った。
中途半端にシーツに包まった和美の肩は―――痩せて骨ばっていた。けた頬も中々に痛々しい。

「私も久し振りだったから良かったよ。こっちこそ、ありがとね」

と言ってハナがカラカラ笑うと、和美も毒気を抜かれ―――つられて笑ってしまう。

「ハナの言い方……中年オヤジみたいだ……」
「『中年オヤジ』って失礼ね。せめて『オバサン』と言ってよ」
「ぶっ……アハハハっ」

和美が心から笑ったのは、本当に久しぶりの事だった。

そして拗ねたように言い返しながらも―――笑う和美を見るハナの目は優しかった。






和美の中で―――何かが音を立ててパリパリと剥がれ落ちていった。



ずっと……崖っぷちを全速力で走り抜けている気分だった。自分がそんな気分で過ごしていた事にその時初めて気が付いたのだ。
そして初めて―――立ち止まって自分が何処に立っているのか認識する事ができた。



ハナに受け止めて貰った愚痴も悲しみも涙も―――その朝にはすっかり潮のように引いて和美は頭がクリアに澄み渡って行くのを感じていた。






それから2日ほどハナは東京に滞在したが、和美が彼女のホテルに泊まる事は無かった。しかし昼食と夕食を毎回一緒に取り、ハナは和美の悩み事を聞き、行政の手続きや会社の制度、子供の学校の決まり事などについての質問に応え懇切丁寧に解説し―――育児や家事の知恵などを授けた。いつでもメールや電話で困った事があれば連絡するように言い含めそして―――彼女は札幌へと帰って行った。



その後和美はハナを素直に頼り、何かあればメールし何か無くても近況報告の連絡を入れるようになった。ハナも和美に、気軽に応じてくれた。

ハナの東京出張があればいつも予定を合わせてご飯を食べたし、和美が北海道支社に行く機会があれば、懐かしい居酒屋で酒を酌み交わした。

やがて母親と清美と和美の3人暮らしも軌道に乗り始め、朝、清美の学校生活について尋ねる余裕が出来るくらい―――和美の心も落ち着きを取り戻し始めた。



そして和美は―――エリカの事を考えるようになった。

エリカを失ってからこれまで。
彼女を思い出すだけで全身に痛みが走ったように体が動かなくなり―――感情の波に攫われるのを止められなかった。だから思い出さないよう……和美は必死で目を逸らして来た。
しかし2年が過ぎ―――漸くゆっくりとエリカとの優しい記憶を呼び覚ます事ができるようになった。
エリカが自分の為にしてくれた事、彼女が浴びるように注いでくれた愛情、そしてオタクな性質を発揮して奇矯な言動や行動を起こす所さえ……懐かしく思い出せるようになった。



そして漸く和美は、気が付いた。

自分が、ハナに惹かれているという事に。



出会った当時のほのかな恋心とは違う、喉が渇くような強い気持ちが自分の中に育っている―――それを自覚してしまったのだ。

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