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俺のねーちゃんは人見知りがはげしい【俺の回想】
7.夏休みにねーちゃんと(5)
しおりを挟む※一部、男性の生理現象に関する記述があります。
不安に思う方は退避してくださいm(_ _)m
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目が覚めると何だかスッキリしていた。
一方で、一部張り付くような居心地の悪さを太腿に感じて俺は布団を捲った。
あー、これはもしかして……
手早く着替えて早朝の脱衣所へ向かう。シャワーを浴びて俺はべっとりと濡れてしまったパジャマ代わりのスウェットと下着を洗った。洗濯機にそれ等を放り込んで脱水のボタンを押す。待っている間手持無沙汰なので、歯磨きをした。
―――夢の内容は、目が覚めた直後までは覚えていた気がする。しかし緊急事態を収集するためにバタバタしている内に―――すっかり記憶は薄れてしまった。
俺にとってこれが初めての夢精だった。しかし話に聞いていたよりずっと―――気持ちの良いものだった。
そして以外にも。
何んとなく『幸せな感じ』が、胸に残っていた。
** ** **
恋心を自覚してからの俺は―――客観的に見てかなり挙動不審に違いない。
朝食の席で向かいに座るモグモグとご飯を頬張る口元。
ソファで膝を抱えてDVDに見入る横顔。
ワンピースに麦わら帽を被って図書館へ出かける小柄な後姿。
周りの音が聞こえないくらい集中して、本を読みながらソファに寝そべるうつ伏せの背中。
エプロンをして大根を刻んでいる真剣な瞳。
いつの間にかねーちゃんを凝視している自分に気が付いて、一体どのくらいの間そうしていたんだろうと慌ててしまう。
特に顔を上げたねーちゃんと視線が不意にぶつかったとき、俺の心臓はこれ以上無いってくらいドキンと跳ね上がり、不自然に顔を逸らしてしまうのだから―――いただけない。
このままではいずれ、ねーちゃんに不審に思われてしまう。
どうして良いか分からず―――自由に動かせない自分の体を俺は持て余していた。
「……なんか、付いてる?」
ソファで並んでテレビを見ていた時、視線に気付いたねーちゃんが俺を見上げて言った。どうやら顔に何かついていて、その為に俺が彼女の顔を凝視しているのだと受け取ったようだ。
咄嗟に俺は、話を合わせた。
「え……と、まつ、げ……そう、睫毛が付いてる」
「どこ?」
「取り辛いトコだよ……ちょっと、目を瞑ってくれる?」
ねーちゃんは、素直に目を閉じた。
顔を上へ向けた無防備な様子に俺はゴクリと唾を呑み込む。まるで唇を差し出しているような仕草に、頭が煮えたぎる。
自分で仕向けたクセに、黒い思惑に気付かない彼女の鈍感さを思わず詰ってしまう。
『睫毛が付いてる』なんて、勿論嘘だ。
俺は見えない睫毛を取るフリをして、そっと彼女の頬に人差し指で触れた。
インドア暮らしのため染みひとつ無い陶磁器のような白い肌。その柔らかな皮膚に触れた瞬間、彼女の頬がピクリと僅かに動いたのを感じ、俺の心臓がポンプのようにバクバクと血液を送り始めた。
「取れたよ」
「ありがと」
ああ、限界だ。
―――どうしたら、いい?
俺はもっともっと、ねーちゃんに触れたい。
その為にはどんなに沢山嘘を重ねたって何とも思わないくらい―――自分がおかしくなってしまいそうな予感がする……。
** ** **
会社の人から貰ったという浴衣を手に帰って来たかーちゃんが、問答無用でねーちゃんを奥の部屋に引き込んだ。
暫くして奥の扉から、フイーッと額の汗を拭い満足そうに胸を張るかーちゃんが、少し恥ずかしそうにしているねーちゃんの背中を押して居間へ戻ってきた。
「どう?会心の出来!似合うでしょう?」
生成りの麻に朱色の椿が花を咲かせたレトロな柄の浴衣に、紺色の帯をキリリと締めたねーちゃんが立っていた。漆黒の艶めいた黒髪はふんわりと首元に纏められ、耳の上あたりには椿の花飾りが添えられている。
「うん、似合う」
俺は照れる間も無く、即答した。
小柄なねーちゃんの可愛らしさを引き立てる椿の花弁の朱色。しかしデザインが粋で決して幼稚には見えない。寧ろほのかな色気が……こちらまで匂ってくるようだった。
「ありがとう」
ねーちゃんは頬を染めて、俯いた。
か、可愛い……。
脳内で激しく悶絶し、俺は咄嗟に手で口元を覆った。鼻血が出そうな気がしたが何とか俺の血管は決壊を堪えたようだ。顔から離した掌に血が付いてない事を確認して少し、ホッとする。
「ねえ、せっかくだから盆踊り行ってきなよ。2人でさ」
かーちゃんはお盆だと言うのに残業中のとーちゃんを待ってお留守番するという。
こうして俺たちは、大通公園へ出かける事になった。
スニーカーでいつも通り歩き出すと、ねーちゃんの気配が遠ざかるのを背中に感じた。
振り向くとずっと後ろでねーちゃんが、ヨチヨチ歩いている。
ただでさえスライドの差があるのに、今日彼女の歩幅はいつもより小さかったのだ。
「ごめん、早かったね」
俺は焦って、駆け寄った。ねーちゃんは下駄で歩き辛そうだっだ。
一瞬、小柄な体を抱えて行きたいという衝動が頭を掠める。だけど絶対ねーちゃんは嫌がるだろうな、と言う事も知っている。
俺はねーちゃんの歩幅に合わせて、ゆっくりと横を歩いた。何とか地下鉄の駅へ辿り着き、改札を通る。案の定車輌はすし詰め状態だった。
車輌入口の段差に引っ掛からないように、ねーちゃんの肘を支えて乗り込む。比較的街の中心に近い駅のため、座席は既に満杯だ。俺達は端の車輌に居たので何とか壁際を確保する事が出来た。
並んで立っているとねーちゃんの旋毛が見える。
厚い睫毛がぷりっと弾けそうな瑞々しい頬に、影を落としていた。
ねーちゃんの視線が前を見据えている事を良い事に、俺は思う存分その様子を堪能した。
ふとねーちゃんのすぐ横に立っている浴衣の男の体と、彼女の肩が触れ合っているのが目に入る。面白くないのでねーちゃんの肘を引っ張って引き寄せる。俺はねーちゃんの正面に位置を替え、壁に付いた両手で彼女を囲い込むように周りから隔離した。
「清美?」
俺の行動に疑問を投げかけるように、ねーちゃんが顔を上げた。見下ろすと、まるで俺が彼女を壁に押し付けているような体制になってしまった事に気が付いた。
頭がカッと熱くなり、背中を汗が伝う。
「……下駄で不安定だから。よろけたら、他の人にぶつかって迷惑かけるでしょ?」
そう早口で言った俺を、今日から『言い訳魔王』と呼んでくれて構わない。
明らかに無理のある口上に、ねーちゃんはただ「そうだね」とだけ答えた。そのまま会話は途切れる。
視線を降ろしたねーちゃんの瞳から解放された俺は、またしても無遠慮に―――上から彼女を存分に見下ろしてしまう。こんな風に近い距離で彼女を眺める時間は、ここ最近貴重なものになりつつあった。
改札を抜け盆踊り会場に向かうと、太鼓のリズムと囃子が近づいて来た。
自然と心が沸き立つのは―――日本人の本能としてどうしようもない事だと思う。
ねーちゃんも、常になくワクワクしているようだった。
祭りの高揚感とぼんやりとした曖昧な照明のお蔭か、近頃相棒のように自身を苛み続ける緊張感を特に意識せず過ごすことができて、俺の心もゆっくりと綻んだ。
焼きそばやフランクフルトに、ほんのり甘い揚げ芋も食べて。
次いでに白老牛の牛串も、奮発して買い求めた。
お腹一杯になったところで、ぶらぶらと出店や盆踊りの輪を冷かして歩いた。
闇にまぎれて俺は、ねーちゃんの浴衣姿にじっくりと見惚れる。
髪を上げた為に普段隠されている真っ白なうなじが晒されて―――そこに齧り付いたら、一体どんな味がするのだろう―――浴衣に包まれた細くて薄い肩を……抱き寄せたらどんな風に俺の体にぴったりと収まるのだろう……?
短い袖口から覗く、細く折れそうな手首を掴んだら―――簡単にぽきりと折れてしまうのではないだろうか?
麻の布地に拘束されて僅かに盛り上がった腰の辺りにはほのかに色気が漂い、俺は軽い眩暈のようなものを憶えた。
頼りない帯で固定されただけの浴衣の胸の合わせを見ていると、不埒な妄想が止まらなくなりそうで―――さすがにやっと目を逸らす決心が付いた。
逸らした先にはフラフープのように、幾重かの輪と化した人々が楽しそうに盆踊りを踊っている。
その光景が俺の暗い劣情を巻き取り、夏の夜空に昇華してくれるような気がして、ホウッと少し、体の強張りが解けるのを感じた。
劣情に傾きそうな頭を軽く振り、俺はそっとその小さな頭を見下ろす。
その時俺の胸に拡がったのは―――心をじんわりと温めるような……何か。
隣に佇む……小柄な柔らかい存在を。
俺はその時、誰よりも大事なものだと確信していた。
隣に居るだけで―――こんなにも俺に安心感を与える存在は、彼女の他に存在しないと―――染み入るように全身で理解した。
ふと見下ろすと、彼女も俺を見上げてニコリと微笑んでいる。
その無防備な笑顔に。
彼女もまた俺をそのように大事に思っているのだと―――心のずっと深い所で理解できた―――気がしたのだ。
** ** **
その日確かに、俺達は肩を並べた仲の良い姉弟だった。
例え身内に秘めた煩悩が、それを仮初の物だと否定したとしても。
けれどもその日から俺達は―――少なくとも俺は―――完全に彼女の『弟』では無くなったのだ。
何故ならその日の夜、俺は思い出したから。
今朝見た夢の内容を。
俺の中で『姉』だった彼女が『女』に変わってしまった瞬間を。
その記憶が、俺を彼女から遠ざける決定的な決め手となった。
背丈も見た目も―――大人のように見えるとしても。
中学生になったばかりの俺の理性は―――存在を認識してしまった獰猛な自分の欲望を御すには、あまりにも未成熟だった。
貴重な時間を無駄にしたと―――今更後悔しても、遅いけれど。
俺はその翌日から、意図的にねーちゃんを避けるようになった。
罪悪感や暴走しそうな本能と上手く折り合う事ができず、俺は結局―――彼女の傍から逃げ出したのだった。
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