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俺のねーちゃんは人見知りがはげしい【俺の回想】

9.ねーちゃんとの距離(2)

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モヤモヤと俺を苛む色々な事を、振り払うように部活にのめり込んだ。お陰でかつて無いほど、練習に集中する事ができた。
やればやるほど技術も向上し、身長もぐんぐん伸びた。急激に伸びすぎた為か夜、関節が軋んで眠れない日があるくらいだった。中3の春の健康診断では180cmを超えていた。

もう俺は集団に埋もれたりしない。今ではピョコリと飛び出した頭を修学旅行での目印として活用されるまでになってしまった。
でもバスケット選手としては、もうちょっと高さを積みたいところだ。



近頃は平日の夕食もねーちゃんには先に食べて貰って、レンチンして食べている。同じ屋根の下にいると言うのに、クラスの女子よりねーちゃんが遠い。
だけど結局、ねーちゃんと離れている間彼女は作らなかった。
直接告白された事もあるけれど、全てその場で断った。

何で良く知らない男と、付き合いたいって思うのだろう?
見た目がちょっと変わっているから?背が高いから?バスケ部で少し活躍しているから?
……なんだかなあ。

まだ女子に対する不信感は俺の中に根強く居座っていて、どうも相手の告白を本気とは受け取れずにいた。
だから鷹村に「モテてんじゃん」と言われても、冷めた気持ちで「モテてるわけじゃないよ」と返す。
ねーちゃんに執着と言って良いほどの気持ちを抱いてしまい、だからこそそれを打ち明けられない俺としては―――話した事も無い相手に『付き合おう』って言える気軽さが、理解できない。
本当に好きだったら、そんな簡単に言えないよね。
告白して来る女の子たちはきっと、振られたってそれほど傷つかないと思う。だから『モテてる』と言われても、素直に頷けなかった。
そう言う俺を、鷹村は「メンドクサイ奴」と一刀両断したけど。

そうだよね。俺って『メンドクサイ奴』だ。
きっと俺の中身を知っていたら、あの子たちも告白なんかして来ないだろう。

というか正直、部活に夢中で女の子との付き合いに目がいかないという気持ちの方が大きかった。3年生の抜けた穴が大きすぎ、中2の夏は北海道大会に駒を進める事も出来なかった。
今年こそ全国大会への出場権を得たい。俺達の代はミニバス出身者が多く新キャプテンとなった鷹村のリーダーシップもあり、その冬挑んだ新人戦では準優勝に食い込む事ができた。優勝は北海道では常勝を誇る私立高だから、準優勝に食い込んだのは善戦したと言っていい。

実はその私立校から、小学校卒業前にミニバスの監督を通して勧誘を受けていた。
だけど俺は家族にそれを打ち明けなかった。新しく形作られたばかりの居心地の良い生活を手放してしまうようで怖かったから。
何よりねーちゃんと一緒の学校に、通いたかったから。
……なのに結局中1の夏休み以降ずっと、ほとんど口もきいていないし最近では顔すら合わせていない。



けれど一度だけ。
自宅の廊下でばったりねーちゃんに出くわした事があった。






それは中2の夏休み後半。北海道大会が終わってちょっと息をいた頃。
ワンピースに麦わら帽を被ったお出かけスタイルの彼女は、記憶にあるよりずっと小さかった。
中1の夏に比べ俺の身長は10㎝くらい伸びていた。だから相対的にそう感じたのかもしれない。

彼女がその日着ていたワンピースはあの夏休み、俺が選んだ品だった。



―――やっぱり。よく似合っている―――



思わず見とれてしまって、数秒見つめ合ってしまう。
ねーちゃんからも、戸惑って言葉に詰まる雰囲気が伝わってきた。

もどかしい。

俺達の間には透明な薄い膜のようなものがあって、上手くお互いに触れる事が出来ない。

この薄い余所余所しい膜が無かった頃―――気軽に言葉を交わしていた幸せだった少年時代が思い出されて、胸が痛んだ。自分から置いた距離だと言うのに……その距離に深く傷つく俺がいる。

今日はこれから何処に行くの?
独りで?誰かに合うの?相手は女?……それとも男?

聞きたかったけど、声が出なかった。
声変わりの最中の変な風に擦れる奇妙な音を聞かせるのも恥ずかしくって、些細な挨拶さえ発する事ができない。

「―――っ」

唇を噛んで、どうしようもなくねーちゃんの瞳に絡み付いてしまう自分の視線を引き千切るように逸らした。そしてそのまま―――俺は今出てきた自分の部屋へとクルリと踵を返し戻ってしまったのだった。






**  **  **






「森の事が好きなんだ。中体連が終わったら、付き合って欲しい」
「え……」

女子バスのキャプテン、結城に告白されたのは中3の夏休みが後1ヵ月に迫った時の事だった。ある程度親しいと言える相手から告白されたのは―――それが初めての事だった。

さっぱりとした姉御肌のどちらかと言えばボーイッシュな子だ。背も高く手足が長くしなやかな体付きをしているショートカットの女の子。ミニバス時代に練習試合をしたことがあって、その時は男子だと誤解していた。結城のチームはその時インフルエンザの所為で欠けた穴を急きょ女子で埋めていたらしい。中学の部活で再会して女子バスの群れに混じっているのを見て驚いた。本人の目の前でうっかりそれを口にすると、カラカラ笑っていたっけ。『女』を感じさせないイイ奴だと言う認識だった。

だから油断していた。
まさか、俺を男として見ているなんて思いもしていなかった。

「いや、俺……」

断わろうと口を開きかけた時、腕を掴まれた。
距離が近くって、思わず目を瞠ってしまう。

「大会の事で頭いっぱいでそれどころじゃ無いの……分かってる。だから全て終わってからでいい。考えてみて欲しい」

俺の肌に触れる熱い掌から、微かに震えが伝わってきた。見ると彼女の瞳には涙の膜が張っていて、今にも零れそうになっている。

「私も、試合に集中するから」

俺は戸惑った。
どうせなら試合が全て終わるまで黙っていて欲しかった。万が一俺の所為でキャプテンの結城が調子を落とし、女子チームが負けるような事があったら後味が悪い。何も言えない俺に、彼女は俯いて言った。

「ごめんね。黙ってられなくて。本当は試合後に言いたかったんだけど……森、モテるから。この間も告られてたでしょ。誰かと付き合っちゃう前に知って置いて欲しくて……」
「……」

自分の事ばかり考えていた俺は、返事をする事ができない。
結城は他の子と違って、俺をある程度知った上で告白してくれている。ノリとか勢いじゃなくて真剣に伝えてくれているのがその熱い掌から、真剣な瞳から―――伝わって来た。
彼女の焦る気持ちは痛いほど、わかる。おそらくさとい結城には、俺が彼女を女性として見ていないって事が十分、伝わっているのだろう。

それはそのまま、俺に当て嵌る事だ。

ねーちゃんが俺の事、男として見てないって十分承知している。
だから焦ってしまう。せめて俺の気持ちを知って貰い、弟というだけでは無い違う見方があるって知って欲しい。でも例え戸籍上だとしても姉弟である俺達の間でそういう賭けに出るのは―――すごく勇気の要る事だ。せっかく手に入れた新しい家族を、この手で壊す事になっしまうかもしれない。

黙っている俺をどう解釈したのか、俺の手首を咄嗟に掴んでしまった事に初めて気が付いたらしく、結城はパッと俺の腕から手を離して真っ赤になった。
恥じらう仕草が珍しくて―――少しドキリとする。

「あの、ごめんね。勝手にいろいろ言って。気にしないでねって―――言っても気にするよね……えっとその……だから試合が終わるまで忘れて!―――でも私、本気だから。考えといて……!」

そう言いながらジリジリとゆっくり後退りをして―――扉の前でくるりと踵を返し、結城は体育館倉庫を飛び出して行った。
どうやら結城も混乱しているようだった。言っている事が支離滅裂だ。でも自分の気持ちと同じくらい―――俺の気持ちも気にかけてくれていると言う事だけは感じ取れた。






**  **  **






そして夏休み直前。いよいよ中体連バスケットボール選手権大会の全市トーナメントが始まった。上位2校が全道に駒を進め、全国大会の切符を掴む戦いに挑戦する事ができる。



試合に臨む前の俺は、結城の申し出を断ろう。そう、思っていた。ねーちゃん以上に結城を好きになれる気がしなかったから。
『試合が終わるまで忘れて』と言われた手前、今回は鷹村に話すのも何だか気が引けた。何より試合に集中したかったのでその事は一時頭から追い出していた。

だけど市大会を終え北海道大会に駒を進め―――ギリギリの試合展開で凌ぎを削るようになると、楽しんでもいたけれど思った以上にチームのエースとしてプレッシャーを感じていたのか、徐々に俺の心に弱気の虫が入り込むようになっていたようだ。

ふと何かの拍子に、以前鷹村に言われた台詞を思い出す。

『1回他の子に目を向けてみたら良いと思うけどな。お前さ、姉貴ばっかり見て周りの女子とか全然目に入れてないだろ?ちょっと目線を変えてみたら?』

俺は今まで、俺の事を良く知らないのにイベントのように告白してくる女子の言葉を本気に受け止めて無かった。でも結城は俺の事、ある程度知っている。俺の苦手なタイプの女子とも違って、陰口を言わない徒党を組まないさっぱりした奴だ。趣味も合って話していても男子の友達と同じくらい楽しい。



ねーちゃんとばったり会ったあの日を思い出して―――ずっと胸が苦しい。

他の女子と付き合えば―――この凶暴な欲望も抑えられて、ねーちゃんとまた昔のように仲良く出来るだろうか。誰か別の女子を好きになる事が出来れば……俺はねーちゃんの信頼を損ねたり彼女を失ったりする事を恐れたりする必要は無くなるのだ。少なくとも家族として、傍に居られる。

どうせ、実らない恋なんだ。

それを抱えたままねーちゃんが恋をするのを指を咥えて眺めているより、彼女を作って視点を変える努力をした方が―――よっぽど健全で建設的じゃないだろうか。






北海道大会で準優勝し、全中への切符を獲得した俺は疲れて一瞬そんな事を考えてしまった。だけどすぐにそんな事も記憶の彼方に消え去った。日々の練習で頭が真っ白になる位自分を追い込んでいたからだ。
その年の全国中学校バスケットボール大会は、香川県で行われた。俺達は慣れない暑さに宿泊先のホテルに着いただけで消耗してしまった。
しかし予選リーグをギリギリ2位通過し、何とか決勝トーナメントに名を連ねる事が出来た。がそこで力尽き善戦するも初戦敗退……結果はベスト16。一緒にトーナメントに出場した道ブロック1位の私立校は、今年ベスト8まで残った。

北海道は冬休みが長い代わりに夏休みが短い。
だから決勝トーナメント1回戦は、夏休み最終日の前日だった。翌日、閉会式には出席せず俺等は北海道へと帰った―――中3の夏休みは、こうして部活一色で幕を閉じたのである。






帰って来た俺は抜け殻だった。
学校にはどうにか通って部活の後始末はしたけれども―――どこか頭はボンヤリしたままで。鷹村もキャプテンとして引継の為に最低限意識を保っているようだったが、明らかに気持ちが入らないのは見て取れた。

ふと気づくと、結城と目が合う。

それで俺は―――すっかり忘れていた事を思い出した。

そうだ、結城に返事をしなくては。






鷹村を誘って、いつものファーストフードに連れて行く。

「相談があるんだ」
「何?受験のこと?」
「いや」
「じゃまた、女か」
「う、うん……」

申し訳なくなって、目線をテーブルに落とした。
ヘタレですか?……ヘタレですよね。また、鷹村に頼ってしまう。

「誰?クラスの子?こんな受験一色の時期に、余裕あるな」
「あー……実は女子バスの結城から、市大会前に告白されて……」
「結城が?ふーん……あいつも女だったんだな」

意外そうに鷹村が言った。

「試合全部終わったら返事くれって言われていて……全中の最中はすっかり頭から抜け落ちていたんだけど、戻って来て結城とよく目が合うなー……と気付いたら思い出した」
「どうすんの?」
「なんか、試合終わったら終わったで……力が入らなくて、考えられないんだよ。―――どうしたら良いと思う?」

チョコスムージーをズズズッと啜って、鷹村はテーブルに肘を付いて顎を載せた。
呆れているんだろうか。

「俺は試合終わったから、お前が誰と付き合おうと良いと思うけどね。結城、いいじゃん。性格いーしスタイルいーし。姉御肌でお前みたいなの、引っ張ってくれそうだから相性いいんじゃね?」
「……うん」

俺がぐるぐるストローを弄んでいると、鷹村が怪訝そうに俺を見た。

「もしかして、おまえまだ……」
「うん?」
「……引きずってるのか?森先輩のこと。1年前からずっと?!」

目を丸くした鷹村を見て、俺は溜息を吐いた。

「……そりゃ、好きだけど」
「ホント、シツコイな……なんか進展あったのか?」
「いや。進展どころか1年前から一言もしゃべってない」
「え、一言も?」
「うん。用事はメールで済ましてる。そんでずっと―――避けてる」

鷹村はガリガリと、頭を掻いた。

「お前何も言わないから、てっきり目が覚めてふっきれたのかと思ってたけど……」
「いや、いまだに夢にレギュラー出演してる」

もう厭らしい夢を見過ぎて、その事自体には動揺しなくなった。
相変わらずねーちゃん本人と話はできないけど、既に彼女を夜のオカズにする事に抵抗は無い。

「病気だな」

グサッと刺さる、的確な鷹村の指摘。

でも、納得。
うん、俺は病気かもしれない。

「やっぱ結城と付き合ったほうが、健全だよね」
「そーだな」

自嘲気味に言うと、鷹村に即答された。

「……結城と付き合った方が―――いいかな?」

独り言のように、俺は聞いた。
鷹村はそんな風に軽く言う俺の目をジーッと見ていたが、不意に視線を逸らして外の景色に目を移した。

「わからん。付き合いたいと思ったら、付き合えば?―――ただどんなにサッパリしているように見えても女って奴は鋭いから……お前の気持ちが森先輩に残っていれば、すぐにばれると思うけど」
「―――ばれたって、どうしようも無いよね」

俺がいくら好きだと思ったって、ねーちゃんに相手にされてないんだからどうしようも無い。

「それをどう思うかは、相手の問題だからな」






**  **  **






『今週の日曜日、会って欲しい』

結城からメールが来たのは、その次の日だった。
どちらにせよ、返事をしなければならない。俺は指定された待ち合わせ場所に行く事を了解した。






その前日の土曜日。

自宅の廊下でばったりと、ねーちゃんに再会した。
抜け殻の俺はまるで蜃気楼を見つけたかのような現実感の無い頭で、ねーちゃんを眺めたまま動けなかった。

中2の夏休みの事が瞬時に胸に蘇る。
それはねーちゃんが、あのワンピースを着ていたからだ。

肌寒くなってきていたからか、薄手のカーディガンを羽織っている。
何処へ出掛けるのだろう。白いキャンバス地のトートバックを肩に掛けていた。

一方俺は。
剃っていない髭がチクチクと伸びかけていて、散髪に行かずほったらかしの柔らかい髪が絡まってところどころ跳ねている状態。
いつもならキチンとしていないのが嫌で朝イチには身嗜みを整えるけど、ここ数日魂が抜けたように朝の日課のストレッチもランニングもせず―――いろいろな事を疎かにしていた。



まるでタイムスリップしたみたいな気分だ。
そしてまた。見つめ合ったまま時が止まってしまう。



「全中出場、おめでとう。1回戦、勝てて良かったね」



ねーちゃんが、にっこりと笑って俺に言った。

久し振りに聞く声。



ねーちゃんだ。
ねーちゃんの声だ……。



その声が―――日照りでひび割れた水田みたいにカピカピになってしまった俺の心に、ぐんぐんと染み込んできた。

変わらないねーちゃんの笑顔。
いや、高校生になって少し大人びたような……。



「……ありが…と……」



声が震える。

どうしよう。嬉しい。

ねーちゃんが話し掛けてくれた。
俺に笑ってくれた―――2年間のブランクなんか、全然無いみたいに。

気に掛けてくれていた。
きっと全然興味なんか無いだろうバスケの試合結果の事、知っていてくれた。



「じゃあ、ちょっと出かけて来るね」

ねーちゃんはそう言って、あっさりと通り過ぎようとする。
嬉しさで陶然としている所で、現実に引き戻された。

嫌だ。もうちょっと、話していたい。
ねーちゃんを見ていたいよ。

「……どこ、行くの……?」
「ん?図書館」
「俺も行く」

無意識に体が言葉を発していた。
放った言葉を耳で聞いて、唖然としてしまう。
散々無視していて避け続けていたくせに―――虫の良い発言をする自分に……呆れてしまう。

ねーちゃんは一瞬目を丸くしたが―――しかし無表情で頷いた。

「いいよ。でも……髭くらい剃ったら?」
「あ!そうだね。ちょっと待ってて」

俺は慌てて部屋に戻ろうとした。
そして扉に手を掛けてから―――くるりと振り向く。



「一緒に行くからっ。絶対待っててね―――すぐ、用意するから!」



必死な俺に、ねーちゃんは無表情のままコクンと頷いた。
それを目でしっかりと確認した後、俺は一目散に部屋に飛び込んだ。



そうして服を着替えると、髭を剃る為―――ドタバタと脱衣室に走ったのだった。

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