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新妻・卯月の仙台暮らし
見掛けました。 <亀田>
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いつも利用している眼鏡店が、仙台に支店を出したらしい。そう言えば転勤の所為で暫く調整に行けなかった。眼鏡を点検して貰おうと休日に足を向ける。
同行する卯月は興味津々だ。眼鏡を掛ける必要がないほど目が良い為、眼鏡店に足を踏み入れたことがないそうだ。何となく『健康優良児』と言う言葉が頭に浮かぶ。眼鏡が無い人生―――羨ましい限りだ。
何故か眼鏡屋の店員と卯月が意気投合してしまい、寄ってたかって色々な眼鏡を掛けさせられた。手持ちの眼鏡の調整だけでなく、結局新たな眼鏡を新調する事になる。
フレームを掛けた俺に、卯月も店員も似合うと言ってくれたものの、正直よく分からない。
鏡の中の、黒縁眼鏡を掛けた男はいつもの自分とは違った。『違う』と言うことは分かるが、それがイコール似合うかどうかは別問題だ。店員は似合わないとは言わないだろうし、卯月も気を使っているかもしれない。何割か差し引いて『似合わない、と言う訳ではない』程度と捉えて置いた方が良さそうだ。
仕上がりは一週間後だそうだ。支払いを終えて、受取証を手に店を出る。ちょうど昼時だったので、卯月が事前に調べてくれていたレストランに向かった。
しかしその一階の宝飾店で、思いも寄らない相手と遭遇することになる。
遠藤課長だった。若い女と、二人で販売員を前にショーケースを覗き込んでいた。距離の近さに親しさが滲み出ている。家族か妻、それくらいの関係を想起させた。しかし鬼東からは、彼の妻があれほど若いと言う話は聞いていない。
つまりおそらく、あの二人は―――いや、先入観を持つのは危険だ。戸次に聞いて驚いたが、俺も根も葉もない噂を立てられていた被害者なのだ。卯月の母親と歩いている所を見掛けた社員が、俺の結婚相手を年上だと誤解し噂を広めた。更にはありもしない『略奪婚』だとか言う尾ひれ付きだ。
火のない所にも煙は立つ。遠藤課長だって、そうなのかもしれない。例えば彼の妻がとても若く見える、または親戚の娘が遊びに来ていて、買い物に付き添っている……とかな。
しかし―――相手の女に見覚えがあるような気がするのだが。
一瞬、富樫か? と思い、ついジックリと見定めてしまったが、どうやら遠藤課長の向こうに見え隠れする女は富樫ではない。髪の色が、富樫よりずっと明るかった。
「……丈さん?」
卯月に声を掛けられ、我に返る。
「知合い?」
「ああ、会社の……」
言いかけて、口を噤む。
いや、確実にあれは―――彼の妻でも、親戚でもない。
『部下の遠藤課長だ。既婚者のくせに若い女とデートしてるようだ。碌な働きもしないくせにな』
なんて、心の声は口に出せる訳がない。
素直過ぎる卯月に、汚れた御家事情を明かすのは躊躇われた。
「あの、挨拶した方が……良いかな?」
卯月が俺を気遣うように、呟いた。
まさか不倫デート中の部下に、挨拶なんて出来るわけがない。俺は首を振った。
「いや」
見下ろすと、キョトンと首を傾げる俺の可愛い妻がいる。
ふっと胸が軽くなった。
そうだ今は、卯月との時間を大事にしよう。
今日は楽しい休日なんだ。あんな奴に関わっている時間はない。
「腹減っただろ? 行こう」
少し戸惑うような視線を向ける卯月を促して、俺は地下の入口からレストランを目指したのだった。
その日の夜、浴槽に身を沈めている時に漸く思い出した。何処か見覚えがあるように感じた、遠藤課長に寄り添うように立っていた若い女。あれはうちの社の、派遣社員だ。確か名前は―――花井、そう花井だ。戸次の話では、遠藤課長の愚痴を零してたんだよな? 奴に構わられるのが嫌で、何度も相談していた筈だ。
頭の中に疑問符が湧く。
花井は、遠藤に言い寄られるのを嫌がっていたんじゃないのか?
―――なのに実際は、休日にソイツと二人きりでデートしている。
と言う事は……遠藤課長が富樫と付き合っているというのは、やはりただの噂だったのか?
そして遠藤課長の不倫相手は、実は花井なのか?―――分からない。頭がこんがらがって来た。
ったく諜報員みたいな真似、そもそも俺には無理なんだ。適材適所ってモノがあるだろう……! 鬼東め! 無茶振りしやがって……!!
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卯月視点『22.眼鏡屋さんを出ました』の裏側でした。
同行する卯月は興味津々だ。眼鏡を掛ける必要がないほど目が良い為、眼鏡店に足を踏み入れたことがないそうだ。何となく『健康優良児』と言う言葉が頭に浮かぶ。眼鏡が無い人生―――羨ましい限りだ。
何故か眼鏡屋の店員と卯月が意気投合してしまい、寄ってたかって色々な眼鏡を掛けさせられた。手持ちの眼鏡の調整だけでなく、結局新たな眼鏡を新調する事になる。
フレームを掛けた俺に、卯月も店員も似合うと言ってくれたものの、正直よく分からない。
鏡の中の、黒縁眼鏡を掛けた男はいつもの自分とは違った。『違う』と言うことは分かるが、それがイコール似合うかどうかは別問題だ。店員は似合わないとは言わないだろうし、卯月も気を使っているかもしれない。何割か差し引いて『似合わない、と言う訳ではない』程度と捉えて置いた方が良さそうだ。
仕上がりは一週間後だそうだ。支払いを終えて、受取証を手に店を出る。ちょうど昼時だったので、卯月が事前に調べてくれていたレストランに向かった。
しかしその一階の宝飾店で、思いも寄らない相手と遭遇することになる。
遠藤課長だった。若い女と、二人で販売員を前にショーケースを覗き込んでいた。距離の近さに親しさが滲み出ている。家族か妻、それくらいの関係を想起させた。しかし鬼東からは、彼の妻があれほど若いと言う話は聞いていない。
つまりおそらく、あの二人は―――いや、先入観を持つのは危険だ。戸次に聞いて驚いたが、俺も根も葉もない噂を立てられていた被害者なのだ。卯月の母親と歩いている所を見掛けた社員が、俺の結婚相手を年上だと誤解し噂を広めた。更にはありもしない『略奪婚』だとか言う尾ひれ付きだ。
火のない所にも煙は立つ。遠藤課長だって、そうなのかもしれない。例えば彼の妻がとても若く見える、または親戚の娘が遊びに来ていて、買い物に付き添っている……とかな。
しかし―――相手の女に見覚えがあるような気がするのだが。
一瞬、富樫か? と思い、ついジックリと見定めてしまったが、どうやら遠藤課長の向こうに見え隠れする女は富樫ではない。髪の色が、富樫よりずっと明るかった。
「……丈さん?」
卯月に声を掛けられ、我に返る。
「知合い?」
「ああ、会社の……」
言いかけて、口を噤む。
いや、確実にあれは―――彼の妻でも、親戚でもない。
『部下の遠藤課長だ。既婚者のくせに若い女とデートしてるようだ。碌な働きもしないくせにな』
なんて、心の声は口に出せる訳がない。
素直過ぎる卯月に、汚れた御家事情を明かすのは躊躇われた。
「あの、挨拶した方が……良いかな?」
卯月が俺を気遣うように、呟いた。
まさか不倫デート中の部下に、挨拶なんて出来るわけがない。俺は首を振った。
「いや」
見下ろすと、キョトンと首を傾げる俺の可愛い妻がいる。
ふっと胸が軽くなった。
そうだ今は、卯月との時間を大事にしよう。
今日は楽しい休日なんだ。あんな奴に関わっている時間はない。
「腹減っただろ? 行こう」
少し戸惑うような視線を向ける卯月を促して、俺は地下の入口からレストランを目指したのだった。
その日の夜、浴槽に身を沈めている時に漸く思い出した。何処か見覚えがあるように感じた、遠藤課長に寄り添うように立っていた若い女。あれはうちの社の、派遣社員だ。確か名前は―――花井、そう花井だ。戸次の話では、遠藤課長の愚痴を零してたんだよな? 奴に構わられるのが嫌で、何度も相談していた筈だ。
頭の中に疑問符が湧く。
花井は、遠藤に言い寄られるのを嫌がっていたんじゃないのか?
―――なのに実際は、休日にソイツと二人きりでデートしている。
と言う事は……遠藤課長が富樫と付き合っているというのは、やはりただの噂だったのか?
そして遠藤課長の不倫相手は、実は花井なのか?―――分からない。頭がこんがらがって来た。
ったく諜報員みたいな真似、そもそも俺には無理なんだ。適材適所ってモノがあるだろう……! 鬼東め! 無茶振りしやがって……!!
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卯月視点『22.眼鏡屋さんを出ました』の裏側でした。
応援ありがとうございます!
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