捕獲されました。

ねがえり太郎

文字の大きさ
341 / 375
新妻・卯月の仙台暮らし

寝不足です。 <亀田>

しおりを挟む
 寝不足で頭が軋むように、痛い。

 しかし今日は這ってでも帰らなければならない―――いまだに卯月から連絡が無いからだ。一体、どういう事なんだ?
 ボロボロの体を引き摺って、タクシーを捕まえる。歩ける距離ではあるが、途中で意識が途切れて倒れてしまいそうなぐらい、眠かったのだ。メッセージを入れようかと思ったが、座席のシートに背を付けた途端睡魔に襲われ、気付いた時にはマンションの下に辿り着いていた。

 マンションの玄関を開けると、廊下の奥、居間の方が騒がしい。一瞬ひやりとして足元を見ると、見慣れない靴が並んでいた。スニーカーだが、大きさから明らかに女物と判断できたので、ホッと胸をなでおろす。

 女性の客?―――考えられるのは、あの小柄な『うさぎひろば』の店員だ。うータンにでも、会いに来たのだろうか。

 居間に入ると、微かにアルコールの匂いが漂って来た。「やめっ……やめて下さいっ……!」と、伊都とか言う店員のせっぱつまった声が聞こえてきたが、パッと見た処では声だけで人影は見当たらない。鞄をダイニングテーブルの椅子に置き、歩み寄ると漸く全貌が現れた。

 ラグの上で身を丸める店員、それからその上に覆いかぶさるようにしているのが、俺の妻―――卯月だった。

 卯月が女を襲っている。
 衝撃の光景に、俺は思わず立ち竦む。

「何を……やっているんだ?」

 目の前の光景を理解できないまま、呆然と声を掛けると。四つん這いになって、店員に覆いかぶさっている卯月が、そのままの格好で顔を上げた。トロンとした目がこちらに向けられる。これは、完全に酔っぱらっている。
 テーブルの上に転がっているのは……日本酒の瓶だ。何故よりによって、日本酒なんだ? 通常卯月が、強い酒を自分で選ぶ事はない。酒が得意じゃないからだ。全く飲めない、と言う訳じゃないが、カクテルとかサワーなどアルコール度数の低いものを舐めるくらいで、十分満足するくらいの耐性しかない筈だ。

「たけし、さん……」

 卯月はボンヤリとそう呟いて、黙りこむ。やがて店員の上からのっそりと体をずらした。それから、ペタンとその場に座り込む。体幹が保てないのか、ふらふらと柳のように体が揺れていた。

「酒に弱いくせに……飲み過ぎだろう。何だってこんなに飲んだんだ?」

 すると、むくりとラグに転がっていた小柄な店員が体を起こした。ゾンビのような白い顔でスクッと立ち上がる。コイツは意外としっかりしているな。酔ってはいるようだが、酒に強い体質なのかもしれない。

「『何故』って―――それを、亀田さんが聞きますか?」

 ビシッと店員は俺を糾弾するように指差して、挑戦的に見上げる。

「卯月さんを! もっと大事にしてください!」
「は?」
「ちゃんと、分かるように説明してくださいっ! それが出来ないなら、そう! 私が卯月さんを、かっさらいます……!」
「……何の話だ……?」

 突然喧嘩を売られて、思わず声が低くなる。寝不足で頭痛に悩まされている所に声が響く。気分は最低だった。
 すると威勢の良かった店員が、顔をこわばらせビクリと体を揺らした。じりっと一歩、後退る。人の家に上がって酔っ払い、挨拶も無しに、突然喧嘩を売るなんて、失礼過ぎる。なのに、なんだその態度は。

「お前が、卯月に……こんなに酒を飲ませたのか?」
「え……はい。だって、憂さ晴らしには酒が一番……」
「適量ってものがあるだろう。見ろ、明らかにフラフラしているじゃないか。飲ませ過ぎだ」

 卯月の体は、円を描くように揺れている。意識も朦朧としているようで、反応がない。
 店員はチラリと卯月を振り返り、卯月が明らかに酔っぱらい過ぎであることを認識したのか、途端にトーンを落とした。多分、図星だったのだろう。

「ええと、そのぉ……」

 ゆらり、と揺れる体のまま卯月が立ち上がった。体を支えきれないのか、仁王立ちでフラフラしながら、顔を上げる。その表情は険しい。顔色も赤いし、かなり具合が悪そうだ。

「たけしさん……あのおんなのひと、はぁ……だれなんれすかぁ」
「え?」
「きのお、かえってこなかったれしょお」

 彼女が何を言いたいのか、全く分からなかった。まず呂律が回っていない。酔っ払いの言うことだし、支離滅裂なのはどうしようもないが……それより、フラフラしている卯月が今にも倒れそうで心配だった。

「卯月、とりあえず座れ」

 ソファに座らせようと、伸ばした手がバシッと跳ねのけられる。

 実際はふらりと柔らかく、手を押されただけだ。卯月の体自体に力が入っていないからだ。
 けれども俺の心には、その拒絶が『バシッ』と響いた。ショックで思わず、動きが止まってしまう。

「な……」
「きのーは、あのひととぉ、いっしょだったのぉ?」
「は?」

 ええと今のは……『あの人と一緒だったの?』か?……あの人……あの人……誰のことだ?

「うわき、れしょ!」
「は?」
「きのう、よる! だきあってたもん!」

『抱き合ってた』と言ったか? 何を言ってるんだ? 昨日の夜―――と言えば、居酒屋で会った時のことか? いや、むしろ卯月のほうが。肩を抱かれてあの男と密着していただろう?
 俺は、後ろで呆気に取られている小柄な店員に目を向けた。すると店員は「ひっ……!」と呻いて、挙動不審に視線を彷徨わせる。

「どういうことだ?」
「あの……居酒屋で、その。亀田さんに、スーツの女性が抱き着いて……いたのを、卯月さんが目にして、ですね。かなりショックを受けられまして……」

 もぞもぞと、小さい声でたどたどしく店員が言った。

「スーツ?……ああ、富樫のことか。あれは……」

 やっと、合点が行った。俺は卯月が男といることにショックを受けて、それしか頭に無かったのだが―――卯月から見れば、あの場面がそう見えたとしても、おかしくないかもしれない。すると卯月がバッと耳を塞いだ。

「ききたく、なぁーい!!」

 弁明しようとしたが、彼女はそう叫ぶと拒絶するようにクルリと店員のほうを振り返る。

「いぃとさん! どうおもうぅ? へんだよねぇ?」
「え、ええと……」
「いとさんもぉ、みたでしょお! おんなのひとぉ、ないてたって言ったもんねぇ!」
「あ、ええと、そう見えた……かもしれないですが……」
「やっぱり、そうなんだぁ!!」

 両二の腕をガッチリと捕まえられて、小柄な店員はガクガクと体を揺らされている。そこで俺は、ある事に気が付いた。

「おい、『伊都』」
「あ、はい」
「お前も居酒屋にいたのか? じゃあ、卯月と一緒にいた男は―――」
じんさんです。三人で居酒屋に行って、その。あ、でも卯月さんは待合わせの時まで、私と二人切りだと思っていたみたいで。私が勘違いして、仁さんも誘ってしまって……」

 なるほど。解けた!

 そう言われれば、あの垂れ目がちな目とガッチリした肩が、たちまち見覚えのあるものに思えて来る。髪型に髭、それを変えるだけで随分印象が変わるものだ!

「う……なんで、かえってこないのぉ。あのひととぉ、いっしょだったのぉ……?」

 卯月が伊都の腕を握ったまま、俯いて涙声になる。

「卯月さん……」
「卯月、それは誤解で……いや、一緒ではあったんだが、その社外秘に関することで」
「う、うう~……!」

 卯月はそのままクニャリと、床に倒れ込むように腰を下ろした。そして顔を覆ってさめざめと泣き始める。

 卯月が泣くなんて……!

 俺は動転のあまり、動けなくなった。それは隣にいる伊都も、同じだったようだ。暫く「卯月……」「卯月さん……」と二人で声を掛けるが、彼女は嗚咽を漏らしながら泣き続ける。その光景には、胸を締め付けられた。居酒屋で男に肩を抱かれているのを目にした時より、衝撃だった。情けないことに、こんな時にどう対処すれば良いのか、全く分からない。

 誤解だと言っても聞いて貰えず、手を伸ばせばまた払われるかもしれない。
 俺は全くの役立たずになってしまった。女心なんて分からなくても問題ない、と思っていた。自分に後ろ暗い所がないなら正々堂々としていれば良いと。
 なのに今、苦しんでいる卯月を見ていると、それが例え理不尽なものだとしても―――なんとかしてやらなくては、と思ってしまう。しかし、何もできないのだ。

 オロオロするばかりの、俺達を余所に泣き続ける卯月。
 しかし突然、その嗚咽がピタリと止まった。

 そしてスクッと別人のように、しっかりと卯月は再び立ち上がる。

 俺と伊都は、初めて見る野生の生き物の生態を観察するような緊張感をもって、固唾を飲んで見守っていた。沈黙は数秒だったが、一時間にも二時間にも思えた。しかし行動の理由は、その後すぐに判明した。



「……きもちわるい……」



 そう言い残すと、卯月はグッと口を押えて、よろめきながらトイレへ駆け込んだのだった。俺は慌てて、その後を追った。
しおりを挟む
感想 92

あなたにおすすめの小説

彼の巨大な体に覆われ、満たされ、貪られた——一晩中

桜井ベアトリクス
恋愛
妹を救出するため、一ヶ月かけて死の山脈を越え、影の沼地を泳ぎ、マンティコアとポーカー勝負までした私、ローズ。 やっと辿り着いた先で見たのは——フェイ王の膝の上で甘える妹の姿。 「助けなんていらないわよ?」 は? しかも運命の光が私と巨漢戦士マキシマスの間で光って、「お前は俺のものだ」宣言。 「片手だけなら……」そう妥協したのに、ワイン一杯で理性が飛んだ。 彼の心臓の音を聞いた瞬間、私から飛びついて、その夜、彼のベッドで戦士のものになった。

私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。

小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。 「マリアが熱を出したらしい」 駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。 「また裏切られた……」 いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。 「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」 離婚する気持ちが固まっていく。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

先輩に退部を命じられた僕を励ましてくれたアイドル級美少女の後輩マネージャーを成り行きで家に上げたら、なぜかその後も入り浸るようになった件

桜 偉村
恋愛
 みんなと同じようにプレーできなくてもいいんじゃないですか? 先輩には、先輩だけの武器があるんですから——。  後輩マネージャーのその言葉が、彼の人生を変えた。  全国常連の高校サッカー部の三軍に所属していた如月 巧(きさらぎ たくみ)は、自分の能力に限界を感じていた。  練習試合でも敗因となってしまった巧は、三軍キャプテンの武岡(たけおか)に退部を命じられて絶望する。  武岡にとって、巧はチームのお荷物であると同時に、アイドル級美少女マネージャーの白雪 香奈(しらゆき かな)と親しくしている目障りな存在だった。  そのため、自信をなくしている巧を追い込んで退部させ、香奈と距離を置かせようとしたのだ。  そうすれば、香奈は自分のモノになると錯覚していたから。  武岡の思惑通り、巧はサッカー部を辞めようとしていた。そこに現れたのが、香奈だった。  香奈に励まされてサッカーを続ける決意をした巧は、彼女のアドバイスのおかげもあり、だんだんとその才能を開花させていく。  一方、巧が成り行きで香奈を家に招いたのをきっかけに、二人の距離も縮み始める。  しかし、退部するどころか活躍し出した巧にフラストレーションを溜めていた武岡が、それを静観するはずもなく——。 「これは警告だよ」 「勘違いしないんでしょ?」 「僕がサッカーを続けられたのは、君のおかげだから」 「仲が良いだけの先輩に、あんなことまですると思ってたんですか?」  先輩×後輩のじれったくも甘い関係が好きな方、スカッとする展開が好きな方は、ぜひこの物語をお楽しみください! ※基本は一途ですが、メインヒロイン以外との絡みも多少あります。 ※本作品は小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しています。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

王弟が愛した娘 —音に響く運命—

Aster22
恋愛
弟を探す旅の途中、身分を隠して村で薬師として生きていたセラは、 ハープの音に宿る才を、名も知らぬ貴族の青年――王弟レオに見初められる。 互いの立場を知らぬまま距離を縮めていく二人。 だが、ある事件をきっかけに、セラは彼の屋敷で侍女として働くことになり、 知らず知らずのうちに国を巻き込む陰謀へと引き寄せられていく。 人の生まれは変えられない。 それでも、何を望み、何を選ぶのかは、自分で決められる。 セラが守ろうとするものは、弟か、才か、それとも―― キャラ設定・世界観などはこちら       ↓ https://kakuyomu.jp/my/news/822139840619212578

悪役令嬢と誤解され冷遇されていたのに、目覚めたら夫が豹変して求愛してくるのですが?

いりん
恋愛
初恋の人と結婚できたーー これから幸せに2人で暮らしていける…そう思ったのに。 「私は夫としての務めを果たすつもりはない。」 「君を好きになることはない。必要以上に話し掛けないでくれ」 冷たく拒絶され、離婚届けを取り寄せた。 あと2週間で届くーーそうしたら、解放してあげよう。 ショックで熱をだし寝込むこと1週間。 目覚めると夫がなぜか豹変していて…!? 「君から話し掛けてくれないのか?」 「もう君が隣にいないのは考えられない」 無口不器用夫×優しい鈍感妻 すれ違いから始まる両片思いストーリー

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました【完結】

iru
恋愛
第19回 恋愛小説大賞エントリーしています。ぜひ1票お願いします。 小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

処理中です...