捕獲されました。

ねがえり太郎

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新妻・卯月の仙台暮らし

いろいろありました。 <亀田>

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「ぶっ……! 土下座って! お前鬼だなー」

 篠岡は飲みかけのビールを噴き出しそうになって、慌ててジョッキを下ろした。現場の作業に大体の目途が付き、他の仕事も兼ねて本社に例の件について直接報告に来たのだ。予想通り、打合せはかなり長引いた。今夜は一泊して、翌朝の新幹線で仙台に戻る予定だ。

「別に……俺が強制して土下座させたんじゃない。ソファで熟睡できなくて寝惚けている所に、ソイツが勝手に土下座を始めたんだ」
「に、しても相当怖がってるなぁ。あんま女の子、怖がらせるなよ」

 クスクス笑いながら、篠岡は再びジョッキに口を付ける。俺は眉を寄せて反論した。

「『女の子』ってなぁ。……その店員、卯月より年上だと思うんだが」
「え? そうなの?」
「いや、ちゃんと確認してはいないから分からない。だが、卯月は年下だと思い込んでいるようで、ソイツに何くれとなく気を配っていて……」
「……」
「何だ?」
「それ、ただ単にヤキモチでしょ? その店員に、卯月ちゃんが構うのが面白くないとか」

 ニヤリと、篠岡が面白そうに口元を歪めた。

「……は?」

 心外だ。卯月に友人らしき存在が出来た事を喜びこそすれ、嫉妬するなんて―――

 そこであの場面が頭に浮かんだ。
 俺を糾弾するように突っかかって来た店員が、寝不足の俺の機嫌の悪さに怯む。その時卯月はフラフラになりながらも、俺から店員を庇うように一歩前に出たのだ。
 あの時は確かに……その、少し面白く無かったかもしれない。そう、それに比べ俺は手を払われたのだ! 卯月にとっては店員の方が大事なのか? などと無意識に苛立ちを覚えた事は、否定できない。
 だから必要以上に、あの小柄な店員に対して、厳しい態度を取ってしまった……と言うことも、無いとは言い切れない。

「まぁ、そう言うことも……あるかもな」

 すると篠岡が、目を丸くした。

「おっ! 珍しく素直じゃん」
「……」
「いいねぇ。良い変化だ。卯月ちゃんのお陰だね」

 楽しそうに俺を眺める篠岡の視線を避けて、ジョッキを手に取る。
 果たして『良い変化』と言えるのだろうか。自分で自分を制御できない感覚は、卯月と出会ってから……いや、正確にはミミと出会ってからか? それから卯月やうータンと出会って、ドンドン大きくなって来ている。

「……怖いよな。これまでは自分のことさえ、何とかすれば良かったのに。努力で何とかなる問題ばかりじゃない。何とかしてあげたくても―――何もできないことが、多くてもどかしくなる」

 ポツリと思わず本音を吐露すると、篠岡が明るく笑った。

「まあ、そんなもんだよ。……幼児なんか、更にもどかしいからな。これくらいで音をあげていたら、子供が生まれたら大変だぞ」
「子供……か」

 素のままで子供に好かれるような人間では無いのは、百も承知だ。今後幸運にも子供に恵まれるとしたら―――だめだ、仕事ばかりの独身生活が長引き過ぎて、全く想像出来ない。社のイベントでも、ほぼ子供には避けられるからな。俺が担当したら、泣き出す子供もいるくらいだ。

「まあ、でも。お前んところはペットがいるからな。疑似体験はしているだろ」

 確かにミミと暮らし始めた時は、どうして良いか分からないことも多かった。言葉の話せない相手の世話をするのは大変だ。うさぎは具合が悪くても、それを訴えることが出来ないのだから。そう言う点だけ見れば、確かに子供相手より難しい部分が多いかもしれない。
 とは言えうータンの場合、可愛さが全てを覆い隠すから、苦労を苦労と思ったりすることは実際ほとんどないがな。何か面倒な事があっても、病気以外であれば、俺はご褒美としか思えなくなっている。

「言葉が通じるだけ、子供はまだ、やりようがあるのかもな」
「そうそ、人間同士はコミュニケーションが大事! 子供だけじゃないぞ、男女間だって意外と思っていることって通じていないもんだしな。男と女の間には、太古より広くて深ぁい川があると言われているだろ? 分かって貰っている筈……なんて、タカをくくっていると足元をすくわれるぞ。何事も、お互い話してみないと分からないもんだ」

 同い年である篠岡に上から目線で語られるのは、正直あまり面白くない。
 しかし今回、改めて実感した。
 俺は浮気なんてしない、それを卯月も分かっている筈だ。そう思っていた。だけどそうは思っていても、不安になることだってある。実際俺も、打ち消そうとしても湧いて来る不穏な想像に振り回されたのだ。
 恋人になったから、結婚したから、子供が出来たから―――その関係が盤石である、なんて考えるのは、都合の良い幻想なのかもしれない。いや……単に、そう考えたいだけなのかもな。その方が、楽だからな。

 今回の仕事では、思いもよらない人間の弱さや狡さを、目の当たりにした。ちゃんとした仕事があって健康で、飯も食える環境なのに。遠藤や富樫みたいに、それだけではもの足らず、うっかり足を踏み外すなんてケースが―――意外と其処此処に、散らばっているのだろう。
 とは言え、寂しいからと言って妻のいる男に寄り掛かる女や、仕事もせずに女の尻ばかり追いかけるいい加減な男には、いまだに全く共感も同情心も持ち得ないがな。

 だけど安定した関係に胡坐をかいて、自分の気持ちや状況を大事な相手に説明しないまま、気持ちを拗らせてしまうこともあるだろう。その可能性については、少しだけ想像できるようになった。人間は思った以上に、些細なことで疑心暗鬼になってしまう。それは、自分にも相手にも言えることなんだ。



「ありがとな。今回はかなり、助かった」
「え?」



 篠岡がポカンと口を開ける。
 何だ、その間抜けな顔は。せっかく俺が、素直に礼を言っていると言うのに。

「お前の助言が無かったら、富樫の証言を引き出せなかったと思う」
「何だよ。本当に珍しく素直だな」

 はぐらかすように笑う篠岡。そう、俺は正直に感謝の気持ちを述べるなんてことは、これまでコイツにはして来なかった。それが俺達の、当り前になっていたから。

「悪かったな、担当でもないのに色々骨を折ってくれて」
「亀田……」

 こんなことを真っ正直に口にするのは、少し気恥ずかしい。そんな俺を、篠岡が目を丸くして凝視している。
 するとコイツも恥ずかしいのか何なのか……フッと視線を逸らされる。そしてソッポを向いたまま、篠岡がモゴモゴと口を動かした。

「あのな、その……」

 最初は本当に、照れているのかと思った。
 こんな風にハッキリ物を言わない篠岡なんて、これまで目にした事が無かったから。



「すまん!」



 すると篠岡が、テーブルに両手を吐いてガバッと頭を下げた。

 目の前の光景に、既視感を覚える。これは、まるで土下座だ。
 最近随分、土下座に遭遇するな。して貰いたい、なんて一度も言った覚えがないのに。

 もしかして俺が知らないだけで―――最近は土下座がブームになりつつあるのか?


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話が長くなったので、一旦切ります<(_ _)>
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