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番外編・うさぎのきもち
24.二人切り
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卯月さんがアパートの客用駐車場にワンボックスカーを停めたと言う伊都さんを迎えに降りてしまうと、威圧感のある大きな男と二人切りになってしまう。
「……」
「あの」
沈黙に耐えられず、俺は口を開いた。
「スイマセンでした。自分で何とか出来たらと思ってお店に向かったんですけど……偶然卯月さんにお会いしてこの場を直接見てくれると言っていただけて。色々と自分でも手を尽くしたんですが―――たかがうさぎ一匹に大の男が振り回されてしまって、情けないです。まさか卯月さんが亀田部長の奥さんで、部長にもお越しいただけるなんて思ってもみなくて。お仕事中だと聞きました。お手を煩わせて本当に申し訳ありません」
改めて頭を下げると、亀田部長が俺を無表情で見下ろしていた。その迫力に思わずゴクリと唾を飲み込む。あ……これって亀田部長の奥さんだと知らなかったら、卯月さんだけ家に上げてしまう所だったって言っているのと同じじゃないか?!
確かに卯月さんにはブログを通して親しみを覚えていたし、ノンビリした話し方や柔らかい笑顔はちょっと良いな、と思わないでは無い。しかし彼女がこの恐ろしい上司の新妻だと知った上で、一人だけ家に上げるなんて選択肢がある訳が無い。いや、もともと彼女にはそんな気は無かったのだけれど……。
そんな言い訳を口にする事も出来ず、俺は固唾を飲んで亀田部長の言葉を待った。
「大の男が―――小さなうさぎに振り回されるのは『情けない』か」
「え……?」
亀田部長が食い付いたのは、俺の台詞の意外な部分だった。だから咄嗟に何と答えて良いか分からず俯いていた顔を上げ、部長の銀縁眼鏡を真正面から見る。
「俺も散々振り回されたクチだ。でもそのお陰で……気付けた事もたくさんある」
僅かに口角が上がっているように見える。いつだって完璧に理論尽くしの弁舌で周りの者を黙らせていた、冷徹なコワモテ部長。会社で見掛ける彼は常に冷静な無表情か、厳しいしかめっ面で俺は銀縁眼鏡の奥の眼光にビビるばかりだった。だからそれが笑顔と呼べるものだと気が付くのに、時間が掛かってしまった。
目を見交わしたまま、沈黙が流れる。ピンポンとインターフォンが鳴って、やっと自分を取り戻した。何も具体的な返答をする事が出来ないままペコリと頭を下げて玄関へ向かう。
扉が開けると―――大きな布鞄を抱えた卯月さんが満面の笑顔で立っていた。
緊張が途切れて何だかホッとしてしまう。
「お待たせしました!伊都さん到着です!」
その後ろに隠れるように身を縮めている小柄な影が。
「おおお、お邪魔します……」
うさぎを交えて話している時は普通だったのに、と思わず目を丸くする。
打ち解けたと思ったら、再び挙動不審な様子に戻ってしまった。卯月さんは一歩身を引いて、布製の鞄を肩に掛けたまま伊都さんの背中に手を当て部屋へと押し込んだ。それから部屋の端っこでモジモジしている彼女から一旦離れ、ゆっくりと亀田課長に歩み寄った。
「うータンは元気か?」
「うん、ホラ」
と肩に担いだ布製バッグのチャックを卯月さんが少し開けてみせた。亀田部長が背をかがめて覗き込み、確認して満足気に頷く。
あの大きな鞄にはうさぎが入っていたのか。……意外だ。ちょっと大きいトートバックにしか見えないのに。いや、よく見ると一部がメッシュになっているな。空気穴か明り採りに使うのだろう。そう言えばさっき卯月さんはうータンを運動場に置いたまま、手ぶらで駅に向かったんだっけ。こう言う手筈になっていたのか、と今更ながらに了解する。
俺にとってラスボスのような存在だった亀田部長の登場に動揺し過ぎて、うータンの事はすっかり頭から抜け落ちていたのだ。
「タクシー拾って、うータンと先に帰るね」
そう言った卯月さんに、亀田部長が無言で頷く。
え! 卯月さん帰るのか?!
じゃあ……この部屋に残るのは、俺と伊都さんと亀田部長と……あと、ヨツバだけ?
威圧感満載の、苦手なコワモテ上司。
オドオドビクビク、如何にも人が苦手です!と全身で訴えている挙動不審な店員。
それから俺に欠片も懐こうともしないベージュのうさぎ。
……この組み合わせで?
一番落ち着いて話せる相手が、帰ってしまう。
俺は引き留めたい衝動を抑えつつ、卯月さんを見つめた。
その視線に気付き、振り向いた彼女は落ち着いた柔らかい笑顔でニコリと笑い返して来た。
「じゃあ、私はこれで。落ち着いたらヨツバと遊ばせてくださいね!」
「あ……はい。あの、有難うございました」
やっぱ帰っちゃうのかぁ……。
軽いショックで上手く返答できずにいる俺を無言で一瞥して、亀田部長は妻の肩に手を置いた。
「卯月、下まで送る」
そのまま玄関へ向かう夫婦を見送る為、後から付いて行く。靴を履き玄関を出る所で振り返った卯月さんは、俺に向かって丁寧に頭を下げた。
「お邪魔しました。戸次さん、伊都さんをよろしくお願いしますね?」
『お願い』の意味が分からないまま曖昧に頷くと、先ほど僅かに笑顔を見せた事が幻だったと感じるくらいの無表情で、亀田部長がこう付け足した。
「戸次、俺はタクシーを拾って卯月を乗せてから戻る。伊都さんにヨツバを見せてやってくれ」
「はい、分かりました」
仕事場にいる時のように上司の命令に思わず条件反射で応えてしまう。
パタン、と扉が閉まってから―――置かれた状況に気が付いた。
え? 今度は俺、伊都さんと二人切り?
ゆっくりと振り向くと、隅っこで縮こまっている伊都さんと目が合う。
彼女はビクリと震えて大きな目をまん丸に見開き、固まった。
俺……別に怪しい者でも無いし、特に乱暴者でも無い。
ごく普通の会社員だってもう分かってるよな? なのにこの反応……。
うさぎへの対応を話し合っている時は割と打ち解けた筈なのに、またしてもビクビクし始めた伊都さんを目にして、俺は思わず溜息を吐いたのだった。
「……」
「あの」
沈黙に耐えられず、俺は口を開いた。
「スイマセンでした。自分で何とか出来たらと思ってお店に向かったんですけど……偶然卯月さんにお会いしてこの場を直接見てくれると言っていただけて。色々と自分でも手を尽くしたんですが―――たかがうさぎ一匹に大の男が振り回されてしまって、情けないです。まさか卯月さんが亀田部長の奥さんで、部長にもお越しいただけるなんて思ってもみなくて。お仕事中だと聞きました。お手を煩わせて本当に申し訳ありません」
改めて頭を下げると、亀田部長が俺を無表情で見下ろしていた。その迫力に思わずゴクリと唾を飲み込む。あ……これって亀田部長の奥さんだと知らなかったら、卯月さんだけ家に上げてしまう所だったって言っているのと同じじゃないか?!
確かに卯月さんにはブログを通して親しみを覚えていたし、ノンビリした話し方や柔らかい笑顔はちょっと良いな、と思わないでは無い。しかし彼女がこの恐ろしい上司の新妻だと知った上で、一人だけ家に上げるなんて選択肢がある訳が無い。いや、もともと彼女にはそんな気は無かったのだけれど……。
そんな言い訳を口にする事も出来ず、俺は固唾を飲んで亀田部長の言葉を待った。
「大の男が―――小さなうさぎに振り回されるのは『情けない』か」
「え……?」
亀田部長が食い付いたのは、俺の台詞の意外な部分だった。だから咄嗟に何と答えて良いか分からず俯いていた顔を上げ、部長の銀縁眼鏡を真正面から見る。
「俺も散々振り回されたクチだ。でもそのお陰で……気付けた事もたくさんある」
僅かに口角が上がっているように見える。いつだって完璧に理論尽くしの弁舌で周りの者を黙らせていた、冷徹なコワモテ部長。会社で見掛ける彼は常に冷静な無表情か、厳しいしかめっ面で俺は銀縁眼鏡の奥の眼光にビビるばかりだった。だからそれが笑顔と呼べるものだと気が付くのに、時間が掛かってしまった。
目を見交わしたまま、沈黙が流れる。ピンポンとインターフォンが鳴って、やっと自分を取り戻した。何も具体的な返答をする事が出来ないままペコリと頭を下げて玄関へ向かう。
扉が開けると―――大きな布鞄を抱えた卯月さんが満面の笑顔で立っていた。
緊張が途切れて何だかホッとしてしまう。
「お待たせしました!伊都さん到着です!」
その後ろに隠れるように身を縮めている小柄な影が。
「おおお、お邪魔します……」
うさぎを交えて話している時は普通だったのに、と思わず目を丸くする。
打ち解けたと思ったら、再び挙動不審な様子に戻ってしまった。卯月さんは一歩身を引いて、布製の鞄を肩に掛けたまま伊都さんの背中に手を当て部屋へと押し込んだ。それから部屋の端っこでモジモジしている彼女から一旦離れ、ゆっくりと亀田課長に歩み寄った。
「うータンは元気か?」
「うん、ホラ」
と肩に担いだ布製バッグのチャックを卯月さんが少し開けてみせた。亀田部長が背をかがめて覗き込み、確認して満足気に頷く。
あの大きな鞄にはうさぎが入っていたのか。……意外だ。ちょっと大きいトートバックにしか見えないのに。いや、よく見ると一部がメッシュになっているな。空気穴か明り採りに使うのだろう。そう言えばさっき卯月さんはうータンを運動場に置いたまま、手ぶらで駅に向かったんだっけ。こう言う手筈になっていたのか、と今更ながらに了解する。
俺にとってラスボスのような存在だった亀田部長の登場に動揺し過ぎて、うータンの事はすっかり頭から抜け落ちていたのだ。
「タクシー拾って、うータンと先に帰るね」
そう言った卯月さんに、亀田部長が無言で頷く。
え! 卯月さん帰るのか?!
じゃあ……この部屋に残るのは、俺と伊都さんと亀田部長と……あと、ヨツバだけ?
威圧感満載の、苦手なコワモテ上司。
オドオドビクビク、如何にも人が苦手です!と全身で訴えている挙動不審な店員。
それから俺に欠片も懐こうともしないベージュのうさぎ。
……この組み合わせで?
一番落ち着いて話せる相手が、帰ってしまう。
俺は引き留めたい衝動を抑えつつ、卯月さんを見つめた。
その視線に気付き、振り向いた彼女は落ち着いた柔らかい笑顔でニコリと笑い返して来た。
「じゃあ、私はこれで。落ち着いたらヨツバと遊ばせてくださいね!」
「あ……はい。あの、有難うございました」
やっぱ帰っちゃうのかぁ……。
軽いショックで上手く返答できずにいる俺を無言で一瞥して、亀田部長は妻の肩に手を置いた。
「卯月、下まで送る」
そのまま玄関へ向かう夫婦を見送る為、後から付いて行く。靴を履き玄関を出る所で振り返った卯月さんは、俺に向かって丁寧に頭を下げた。
「お邪魔しました。戸次さん、伊都さんをよろしくお願いしますね?」
『お願い』の意味が分からないまま曖昧に頷くと、先ほど僅かに笑顔を見せた事が幻だったと感じるくらいの無表情で、亀田部長がこう付け足した。
「戸次、俺はタクシーを拾って卯月を乗せてから戻る。伊都さんにヨツバを見せてやってくれ」
「はい、分かりました」
仕事場にいる時のように上司の命令に思わず条件反射で応えてしまう。
パタン、と扉が閉まってから―――置かれた状況に気が付いた。
え? 今度は俺、伊都さんと二人切り?
ゆっくりと振り向くと、隅っこで縮こまっている伊都さんと目が合う。
彼女はビクリと震えて大きな目をまん丸に見開き、固まった。
俺……別に怪しい者でも無いし、特に乱暴者でも無い。
ごく普通の会社員だってもう分かってるよな? なのにこの反応……。
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