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番外編・うさぎのきもち
25.伊都さん
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「伊都さん」
「は、はいっ」
普通に名前を呼んだだけなのに、まるで死刑判決を受けた囚人のように真っ青になる伊都さんを目にして、再び吐きそうになった溜息を飲み込んだ。『伊都さんをお願いしますね』と言った卯月さんの言葉が頭に響いたからだ。
正直彼女が俺に対してこういう態度を取る心理状況には未だに疑問符しか湧かない。伊都さんと卯月さんは親切にも俺の苦境(いや、ヨツバの苦境か?)を察してくれ、わざわざ現場に出向いてまで対応したいと言ってくれたのだ。俺が恐縮するならまだしも、伊都さんが縮こまる、意味が分からない。
「お店で忙しいのに、わざわざ有難うございました」
意味は分からないが、有難いと思っているのは確かだ。このままビクビクされ続けていては進むものも進まない。俺はとりあえず言うべき事を口にする事にした。
「い、いえ……こちらこそ、そのっ本当にっ……あのっ、スイマセン!」
伊都さんがガバッと頭を下げたので、ますます俺は混乱した。何をもって彼女が謝るのか本当に分からなかったからだ。小刻みに震えているように見える彼女から少し視線を逸らし、頭を掻いた。どう対処して良いか判断が付かず弱り果ててしまうが、ただ何となく―――真っすぐ俺が見つめていては、彼女がますます委縮してしまうような気がしたのだ。
「……ええと、その。伊都さん、頭を上げて下さい」
すると恐る恐る、と言った感じで目の前の彼女は頭を上げた。上目遣いにチラチラ見上げる視線が卑屈っぽくて、黒板に爪を立てて出した音を聞かされたような気分になる。が、モヤモヤする感情を無理矢理押し込めて、辛抱強く尋ね返した。
「何を謝られているのか……さっぱり分からないんですが」
「え……」
「伊都さんは困っている俺……と言うよりヨツバに対処する為に、わざわざお仕事の後駆け付けてくれたわけですよね。迷惑を掛けた俺の方が恐縮するならまだしも、何故伊都さんがビクビクする……いえ、謝っているのか意味が分かりません」
ポカン、と口を開けて小柄な伊都さんは俺を見上げている。
「あ、あの」
「ひょっとして俺の事、怖いですか?」
「え!……えと」
「ここまで親切にされて、なのに親切にされた当人である俺が、腹を立てたり不快に思ったりするなんてあり得ません。だから何を謝る必要があるのか、俺には検討も付かない。だけどもし何か気に掛かる事があるなら……今、言っていただけませんか」
叢に身を潜めている小動物に語り掛けるように、声の調子に気を配った。
すると俺を見上げて固まったままの彼女の大きな目がたちまちウルウルと潤みだし、アッと言う間に透明な塊が盛り上がって―――大きな涙がポタリと頬を伝って落ちた。
「!」
吃驚し過ぎて、言葉が出ない。
いったい何事か。俺は慎重に言葉を選んだつもりだった。分からないなりに精一杯―――伊都さんを泣かせるつもりなんか、全く無かったのだ。
空気を読むのが得意だった。人間関係でこれまで差してトラブルを抱えた事はない。だから目の前の人間を、ましてや女性をこんな風に泣かせるなんて経験は今まで無かったのだ。
動揺した俺の頭は、一瞬真っ白になった。
しかし次の瞬間、我に返って慌ててティッシュケースを手に取り、数枚引き出して彼女の前に突き出した。
「あの、これで拭いて下さい」
「……す、すびばせ……」
伊都さんは顔を伏せてティッシュを受け取った。
「……」
「……」
気まずい沈黙に耐えていると、俯いたままの伊都さんが突如肩を揺らして「フフフ」と笑い出したので、物凄くギョッとした。
今度は俺がビクリと震える番だ。何か言わねばと口を開く。
「い、伊都さん……」
「ごめんなさい」
彼女は顔を上げて、大きな目で再び俺を見上げた。何故かスッキリとしたその顔は、さっきまでビクビクオドオドしていた小動物のような存在とは別人のように見えた。
「戸次さんを……怖いとは思っていないです。私の勝手な……」
そこまで言い掛けて、伊都さんは首を振って困ったような笑みを浮かべた。
その表情が、想像以上に大人びていてギクリとする。『大人びて』なんて成人女性に対しておかしな表現だけど、小柄で常にオドオドしていた彼女は常に幼い印象を俺に与えて来たから、そのギャップに驚いてしまったのだ。
「あの、戸次さん……」
伊都さんは一歩大きく踏み出した。彼女の零れそうな大きな瞳でまっすぐ見つめられると、何故かソワソワと落ち着かない気持ちになってしまう自分を不思議に思う。
「ヨツバは何処ですか?」
「―――」
やっぱり、と言う気持ち半分。
後の半分は―――自分でも定義し切れないので、見ない振りをした。
「あっちです」
とベッドの下を指し示すと、案の定先ほどの遣り取りなど無かった事のように伊都さんは一目散にそちらへと飛びついたのだった。
「は、はいっ」
普通に名前を呼んだだけなのに、まるで死刑判決を受けた囚人のように真っ青になる伊都さんを目にして、再び吐きそうになった溜息を飲み込んだ。『伊都さんをお願いしますね』と言った卯月さんの言葉が頭に響いたからだ。
正直彼女が俺に対してこういう態度を取る心理状況には未だに疑問符しか湧かない。伊都さんと卯月さんは親切にも俺の苦境(いや、ヨツバの苦境か?)を察してくれ、わざわざ現場に出向いてまで対応したいと言ってくれたのだ。俺が恐縮するならまだしも、伊都さんが縮こまる、意味が分からない。
「お店で忙しいのに、わざわざ有難うございました」
意味は分からないが、有難いと思っているのは確かだ。このままビクビクされ続けていては進むものも進まない。俺はとりあえず言うべき事を口にする事にした。
「い、いえ……こちらこそ、そのっ本当にっ……あのっ、スイマセン!」
伊都さんがガバッと頭を下げたので、ますます俺は混乱した。何をもって彼女が謝るのか本当に分からなかったからだ。小刻みに震えているように見える彼女から少し視線を逸らし、頭を掻いた。どう対処して良いか判断が付かず弱り果ててしまうが、ただ何となく―――真っすぐ俺が見つめていては、彼女がますます委縮してしまうような気がしたのだ。
「……ええと、その。伊都さん、頭を上げて下さい」
すると恐る恐る、と言った感じで目の前の彼女は頭を上げた。上目遣いにチラチラ見上げる視線が卑屈っぽくて、黒板に爪を立てて出した音を聞かされたような気分になる。が、モヤモヤする感情を無理矢理押し込めて、辛抱強く尋ね返した。
「何を謝られているのか……さっぱり分からないんですが」
「え……」
「伊都さんは困っている俺……と言うよりヨツバに対処する為に、わざわざお仕事の後駆け付けてくれたわけですよね。迷惑を掛けた俺の方が恐縮するならまだしも、何故伊都さんがビクビクする……いえ、謝っているのか意味が分かりません」
ポカン、と口を開けて小柄な伊都さんは俺を見上げている。
「あ、あの」
「ひょっとして俺の事、怖いですか?」
「え!……えと」
「ここまで親切にされて、なのに親切にされた当人である俺が、腹を立てたり不快に思ったりするなんてあり得ません。だから何を謝る必要があるのか、俺には検討も付かない。だけどもし何か気に掛かる事があるなら……今、言っていただけませんか」
叢に身を潜めている小動物に語り掛けるように、声の調子に気を配った。
すると俺を見上げて固まったままの彼女の大きな目がたちまちウルウルと潤みだし、アッと言う間に透明な塊が盛り上がって―――大きな涙がポタリと頬を伝って落ちた。
「!」
吃驚し過ぎて、言葉が出ない。
いったい何事か。俺は慎重に言葉を選んだつもりだった。分からないなりに精一杯―――伊都さんを泣かせるつもりなんか、全く無かったのだ。
空気を読むのが得意だった。人間関係でこれまで差してトラブルを抱えた事はない。だから目の前の人間を、ましてや女性をこんな風に泣かせるなんて経験は今まで無かったのだ。
動揺した俺の頭は、一瞬真っ白になった。
しかし次の瞬間、我に返って慌ててティッシュケースを手に取り、数枚引き出して彼女の前に突き出した。
「あの、これで拭いて下さい」
「……す、すびばせ……」
伊都さんは顔を伏せてティッシュを受け取った。
「……」
「……」
気まずい沈黙に耐えていると、俯いたままの伊都さんが突如肩を揺らして「フフフ」と笑い出したので、物凄くギョッとした。
今度は俺がビクリと震える番だ。何か言わねばと口を開く。
「い、伊都さん……」
「ごめんなさい」
彼女は顔を上げて、大きな目で再び俺を見上げた。何故かスッキリとしたその顔は、さっきまでビクビクオドオドしていた小動物のような存在とは別人のように見えた。
「戸次さんを……怖いとは思っていないです。私の勝手な……」
そこまで言い掛けて、伊都さんは首を振って困ったような笑みを浮かべた。
その表情が、想像以上に大人びていてギクリとする。『大人びて』なんて成人女性に対しておかしな表現だけど、小柄で常にオドオドしていた彼女は常に幼い印象を俺に与えて来たから、そのギャップに驚いてしまったのだ。
「あの、戸次さん……」
伊都さんは一歩大きく踏み出した。彼女の零れそうな大きな瞳でまっすぐ見つめられると、何故かソワソワと落ち着かない気持ちになってしまう自分を不思議に思う。
「ヨツバは何処ですか?」
「―――」
やっぱり、と言う気持ち半分。
後の半分は―――自分でも定義し切れないので、見ない振りをした。
「あっちです」
とベッドの下を指し示すと、案の定先ほどの遣り取りなど無かった事のように伊都さんは一目散にそちらへと飛びついたのだった。
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