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番外編・うさぎのきもち
42.改札の前で
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大人しく後を付いて来る花井さんと駅の入口前までやって来た。確か花井さんは逆方向だったような。改札は違う筈だからここでお別れだろう。
「じゃあ」
また明日ね、と言おうとして、視線を俯かせる彼女を前に言葉を飲む。しかしこれ以上かけるべき言葉も無いのだ。
「この先良い人に出会える、なんてそんなこと何故分かるんですか?」
硬い声に息を飲む。顔を上げた花井さんは、一歩踏み出して来た。
グイッと圧力を掛けられているようで、思わず怯んだ心に潤んだ瞳が突き刺さる。
うっ……これは、ひょっとして花井さんの必殺技か?!
本人が意識しているか分からないが、この庇護欲をそそる縋る様な眼差しの威力が半端無い。あり得ない相手、と理性では判断しているのに。それを本能から覆そうとする潤んだ上目遣いに狼狽えてしまう。
そう言えば近頃トンとご無沙汰だった。みのりが出て行く暫く前からだ。正面から話をする時間を作らないようみのりを避けて来た、だから当然そっちも無かったってワケで。情けない事に意に反してクラッと来てしまう。……これで酒が入っていて、更に『迷惑はかけないから一晩だけでも』なんて言い出されたら手を伸ばしてしまうかもしれない。
―――なんて男にとって都合の良い妄想がつい浮かんでしまうが、まさかそんなドラマみたいな展開、現実にはあり得ないから!と自らにツッコミを入れて冷静さを保つ。
「ただ好きになるのも、駄目ですか? 大事にしている彼女がいるのは分かってます、でも私のことも……見てくれませんか」
「は?」
幻聴か? と思った。
頭に浮かんだばかりの都合の良い妄想みたいな台詞が、彼女の口から飛び出して来たからだ。
「別れて欲しいなんて、思ってません。ただ偶にこうして……時間を作って欲しいんです」
そこまで聞いて、今度こそ理解した。
やはり俺のことだったのか。己惚れた勘違いなんかじゃなく彼女の相談に出て来た『気になっている人』とはまさに俺のことだったんだ。
そりゃそうだよな、と今度こそ納得してしまう。
改めて振り返ってみると、彼女が発する様々なサインに合点が行く。その一つ一つは迂遠な物が多かったから、無自覚に男に気を持たせる類の小悪魔系なんだろうと勘違いしたがる男心を振り払って来た。長い付き合いの同棲相手のいる俺は、彼女にとって気軽に話せる安パイなのだろうと。だから沢渡や風間の揶揄を本気にはしていなかった。そりゃあ、若くて可愛い女の子に懐かれて悪い気はしなかったが。
彼女のように男から常にチヤホヤされる女の子にはままある事だ、そう言う女子を高校や大学では稀に目にしてきた。モテないタイプの男や、彼女のいる男に気安く擦り寄り惑わせて、その男が本気になった途端掌を返す無自覚な魔性系……だからこそ完全に俺の中では、付き合う対象から外れていたのだ。
そういうタイプの彼女だから、例え花井さんが本当に俺に多少気があったとしても、彼女から明確に踏み出して来る事は無いとタカをくくっていた。だから安心して適当に相手をしていられたのだ。こちらがその気を見せなければ、何も起こらない関係なのだと。
「彼女との邪魔をしたい訳じゃありません。ただ―――好きでいさせて欲しいんです」
何と言う、男に都合の良い台詞を吐くのだろう。
フワフワの触れたら柔らかそうな髪、染み一つ無い透き通った肌と潤んだ瞳で見上げられて―――これでグラつかない男がいるだろうか?
フーッと俺は大きく息を付いて肩を落とした。
「花井さん……」
「戸次さん!」
と背中に声が掛かり振り向くと、そこにいたのは―――
「卯月さん?!」
「あの、丈さんから聞きました。週末の件……」
ニッコリと偶然見つけたであろう俺に手を振りながら、近づいて来る彼女。その瞳が死角になっていた花井さんを見つけて僅かに丸くなった。どうやら俺一人だと思って声を掛けて来たらしい。そこまで一瞬で了解して、俺は敢えて朗らかにこう言った。
「スイマセン、遅くなってしまって……!」
何故ここに卯月さんがいるのか分からなかったが、咄嗟に俺は彼女の台詞を遮った。今度はあからさまに『え?』と言うような表情で更に目を丸くした卯月さんに向き直り、後ろにいる花井さんに見えない所で手を合わせた。『オネガイシマス!』と声に出さずに口だけ動かし、必死で念を送る。
「あ、ああ……いらっしゃらないので、シンパイしましたよ?」
すると卯月さんは視線を彷徨わせながら、戸惑いつつこう返してくれた。
「申し訳ありません! 迎えに来させてしまって!」
「い、いえ。大丈夫ですヨ~?」
たどたどしい演技で俺に合わせてくれる卯月さんに心の中でお礼を言う。俺は振り返って、花井さんにニッコリと笑った。一先ずここから逃げ出せる!と言う安堵の気持ちが、心からの笑顔に変わる。花井さんは怯んだように黙り込んだ。
「ゴメンね、花井さん。待合わせの時間だから……じゃあ、これで! 気を付けて帰ってね!」
「……はい」
「じゃあ、行きましょうか!卯月さん!」
「ハ、ハイ~!」
俺は強引に卯月さんの背中を押して、その場を離れた。
後ろを振り返る余裕はない、一刻も早く花井さんの視界から消えなければならないので彼女の背に手を当てたまま、出来る限りの速さで歩き曲がり角を曲がった。
そこでピタリと立ち止まり、肩を落とす。
「……助かりました……」
心からそう言うと、卯月さんはパチパチと瞬きをして俺を見上げた。
「ええと……もしかして『シュラバ』でしたか?」
「いえ、そう言う訳じゃないのですが」
「何が『修羅場』だ」
そこで俺の背筋を震わせるような恐ろしい低音が響いて来た。
「あ」と視線を向けた卯月さんの見つめるその先をゆっくりと振り向くと―――銀縁眼鏡をギラリと光らせて、ビシッと高級そうなスーツで決めた大きな男が立っていた。
その視線が鋭く見つめる先に―――ああ!
俺はパッと手を離した。焦りのあまり、卯月さんの背にしっかり手を当てたまま移動していて―――その手を引っ込めるのを忘れていたのだ!
「あの、その……スイマセン」
「……」
ブリザードのような亀田部長の視線に晒されて、俺はひたすら小さくなるしかない。
その後卯月さんが取り成してくれたので、漸く言い訳を口にすることができ―――おそろしい一時から何とか脱出する事だ出来たのだった。
「じゃあ」
また明日ね、と言おうとして、視線を俯かせる彼女を前に言葉を飲む。しかしこれ以上かけるべき言葉も無いのだ。
「この先良い人に出会える、なんてそんなこと何故分かるんですか?」
硬い声に息を飲む。顔を上げた花井さんは、一歩踏み出して来た。
グイッと圧力を掛けられているようで、思わず怯んだ心に潤んだ瞳が突き刺さる。
うっ……これは、ひょっとして花井さんの必殺技か?!
本人が意識しているか分からないが、この庇護欲をそそる縋る様な眼差しの威力が半端無い。あり得ない相手、と理性では判断しているのに。それを本能から覆そうとする潤んだ上目遣いに狼狽えてしまう。
そう言えば近頃トンとご無沙汰だった。みのりが出て行く暫く前からだ。正面から話をする時間を作らないようみのりを避けて来た、だから当然そっちも無かったってワケで。情けない事に意に反してクラッと来てしまう。……これで酒が入っていて、更に『迷惑はかけないから一晩だけでも』なんて言い出されたら手を伸ばしてしまうかもしれない。
―――なんて男にとって都合の良い妄想がつい浮かんでしまうが、まさかそんなドラマみたいな展開、現実にはあり得ないから!と自らにツッコミを入れて冷静さを保つ。
「ただ好きになるのも、駄目ですか? 大事にしている彼女がいるのは分かってます、でも私のことも……見てくれませんか」
「は?」
幻聴か? と思った。
頭に浮かんだばかりの都合の良い妄想みたいな台詞が、彼女の口から飛び出して来たからだ。
「別れて欲しいなんて、思ってません。ただ偶にこうして……時間を作って欲しいんです」
そこまで聞いて、今度こそ理解した。
やはり俺のことだったのか。己惚れた勘違いなんかじゃなく彼女の相談に出て来た『気になっている人』とはまさに俺のことだったんだ。
そりゃそうだよな、と今度こそ納得してしまう。
改めて振り返ってみると、彼女が発する様々なサインに合点が行く。その一つ一つは迂遠な物が多かったから、無自覚に男に気を持たせる類の小悪魔系なんだろうと勘違いしたがる男心を振り払って来た。長い付き合いの同棲相手のいる俺は、彼女にとって気軽に話せる安パイなのだろうと。だから沢渡や風間の揶揄を本気にはしていなかった。そりゃあ、若くて可愛い女の子に懐かれて悪い気はしなかったが。
彼女のように男から常にチヤホヤされる女の子にはままある事だ、そう言う女子を高校や大学では稀に目にしてきた。モテないタイプの男や、彼女のいる男に気安く擦り寄り惑わせて、その男が本気になった途端掌を返す無自覚な魔性系……だからこそ完全に俺の中では、付き合う対象から外れていたのだ。
そういうタイプの彼女だから、例え花井さんが本当に俺に多少気があったとしても、彼女から明確に踏み出して来る事は無いとタカをくくっていた。だから安心して適当に相手をしていられたのだ。こちらがその気を見せなければ、何も起こらない関係なのだと。
「彼女との邪魔をしたい訳じゃありません。ただ―――好きでいさせて欲しいんです」
何と言う、男に都合の良い台詞を吐くのだろう。
フワフワの触れたら柔らかそうな髪、染み一つ無い透き通った肌と潤んだ瞳で見上げられて―――これでグラつかない男がいるだろうか?
フーッと俺は大きく息を付いて肩を落とした。
「花井さん……」
「戸次さん!」
と背中に声が掛かり振り向くと、そこにいたのは―――
「卯月さん?!」
「あの、丈さんから聞きました。週末の件……」
ニッコリと偶然見つけたであろう俺に手を振りながら、近づいて来る彼女。その瞳が死角になっていた花井さんを見つけて僅かに丸くなった。どうやら俺一人だと思って声を掛けて来たらしい。そこまで一瞬で了解して、俺は敢えて朗らかにこう言った。
「スイマセン、遅くなってしまって……!」
何故ここに卯月さんがいるのか分からなかったが、咄嗟に俺は彼女の台詞を遮った。今度はあからさまに『え?』と言うような表情で更に目を丸くした卯月さんに向き直り、後ろにいる花井さんに見えない所で手を合わせた。『オネガイシマス!』と声に出さずに口だけ動かし、必死で念を送る。
「あ、ああ……いらっしゃらないので、シンパイしましたよ?」
すると卯月さんは視線を彷徨わせながら、戸惑いつつこう返してくれた。
「申し訳ありません! 迎えに来させてしまって!」
「い、いえ。大丈夫ですヨ~?」
たどたどしい演技で俺に合わせてくれる卯月さんに心の中でお礼を言う。俺は振り返って、花井さんにニッコリと笑った。一先ずここから逃げ出せる!と言う安堵の気持ちが、心からの笑顔に変わる。花井さんは怯んだように黙り込んだ。
「ゴメンね、花井さん。待合わせの時間だから……じゃあ、これで! 気を付けて帰ってね!」
「……はい」
「じゃあ、行きましょうか!卯月さん!」
「ハ、ハイ~!」
俺は強引に卯月さんの背中を押して、その場を離れた。
後ろを振り返る余裕はない、一刻も早く花井さんの視界から消えなければならないので彼女の背に手を当てたまま、出来る限りの速さで歩き曲がり角を曲がった。
そこでピタリと立ち止まり、肩を落とす。
「……助かりました……」
心からそう言うと、卯月さんはパチパチと瞬きをして俺を見上げた。
「ええと……もしかして『シュラバ』でしたか?」
「いえ、そう言う訳じゃないのですが」
「何が『修羅場』だ」
そこで俺の背筋を震わせるような恐ろしい低音が響いて来た。
「あ」と視線を向けた卯月さんの見つめるその先をゆっくりと振り向くと―――銀縁眼鏡をギラリと光らせて、ビシッと高級そうなスーツで決めた大きな男が立っていた。
その視線が鋭く見つめる先に―――ああ!
俺はパッと手を離した。焦りのあまり、卯月さんの背にしっかり手を当てたまま移動していて―――その手を引っ込めるのを忘れていたのだ!
「あの、その……スイマセン」
「……」
ブリザードのような亀田部長の視線に晒されて、俺はひたすら小さくなるしかない。
その後卯月さんが取り成してくれたので、漸く言い訳を口にすることができ―――おそろしい一時から何とか脱出する事だ出来たのだった。
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