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番外編・うさぎのきもち
72.ヨツバ
しおりを挟む駅まで送ると言う俺の提案に、みのりは首を振った。確かにここが潮時かもしれない。離れがたいと思う情は、未来の無い関係には不要なのだ……たぶん。玄関で靴を履き振り返ったみのりに、俺は以前から気になっていたことを思い切って尋ねてみた。
「だけどお前、何でうさぎなんか飼い始めたんだ?」
「え?」
「いや、転職で悩んでいたのなら……こうなる事は分かっていたんじゃないか?」
ヨツバが足手まといになる事は容易に想像が付いたはずだ。自分で面倒事を丸ごと抱え込んでこんな風に切羽詰まってしまう性質のみのりだから、おそらく最初から俺に押し付けるつもりは無かったのだと思う。いや、しかしこれが全部計算だったらスゴイけどな……! その場合はもう仕方が無い、俺が掌で転がされるくらいチョロかったのだと言うオチで終わるだけだ。チャンチャン! なんてな。
けれども違和感があることには変わりない。例えそうだとしても『うさぎひろば』で見たうさぎの値段は気軽に手を出せるようなモノじゃ無かった。先立つ物が必要になる状況できっちりした性格の筈のみのりが、このように安易に手を出すだろうかとずっと不思議に思っていたのだ。
「……職場の若い子にね、押し付けられたの」
みのりは気まずげに視線を落として、頬を染めた。
「は?」
「ヨツバを買ってすぐにね、彼女の言うところの『運命の恋』? に落ちたそうよ。―――それで結婚してオーストラリアに行く事になったって。何でも相手は就労ビザをとって日本の英会話教室で働いていたんだけど、もうオーストラリアに戻るから一緒に来てくれないかって言われたんだって。私、その子の教育係だったから……」
「なんだ、そりゃ。そんな奴、放って置けば良いのに」
お人好しにもほどがある。俺の呆れた表情に気が付いたみのりは、バツが悪そうな顔で再びソッポを向いた。
「うん、そう言われればそうなんだけど……その子、そういう感じの子なんで頼れる友達もいないらしくて。保健所に引き渡すしかないかもって言われたら……断れなくて」
「良いように利用されたんじゃないか?」
みのりは融通が利かない反面、真面目な処がある。それに何だかんだ言いつつも情に流されるタイプだ。俺のことを人が良いとか評しておいて、こいつも大概だと俺は思う。だから俺のような男の面倒をみながら三年も暮らして来たのだし、キッパリ風間を跳ねのけられずに絡まれ続けたのだともいえる。口ではあくまで冷静にキツイ台詞を吐く一方で、何だかんだ流されて受け入れてしまうから、変なのに懐かれるんだ。
「面倒見が良いからって付け込まれたんだろ?」
「……そうかもしれないけど……私も気の許せる頼れる友達っていないから、何となくその状態が分かると言うか。それに正直その時はまだ転職の話も来ていなかったし」
それを『利用された』と言うのではないだろうか。
「あ!でもそんなに嫌々ってわけでもなくて、ね」
俺の残念なモノを見るような視線に気づいたのか、みのりは慌てて顔を上げて補足した。
「その子ね、本当に仕事もゴチャゴチャでノリも軽くて適当で……私と正反対だったんだけど、なんか憎めなくてね。私だったら絶対無理だと思うような―――『何の覚悟も無しに外国に嫁ぐ』ってことを、本当に嬉しそうに話していて……その時初めて思ったんだ。あれ?ひょっとして長年私が拘っていたことや畏れていたことって、実はたいしたことじゃなかったのかも? って」
自嘲気味にみのりは苦笑を零した。
「ホントよね、広斗の言う通りだと思う。結局都合良く使われちゃったのかも。そもそもずっと買い続ける覚悟も無くペットを買うって言うのも、ねぇ?あり得ないもの。『目が合ったから!』なんて理由で動物を買うなんて、どうかと思うでしょ?それで、次には結婚するからってそれを人に押し付けるなんて。『私なら絶対あり得ないわー!』って最初は怒りを通り過ぎて呆れていたんだけど―――でもそう言う軽薄な適当さが、その時はなんか羨ましくなっちゃって」
みのりは遠くを見るような目で、微笑んだ。もしかして彼女が旅立ったという、オーストラリアでも思い浮かべているのだろうか。
「その子がね『ヨツバは幸運のうさぎなんです。先輩もヨツバを飼ったら、すぐ結婚できますよ!』なんて言うのよ。幸せそのものの彼女の『好意』? って言うのかな?―――彼女にとっては結婚が一番の幸運だったから、私がそう思っていないなんて想像もしていなかったのかもしれなかったけど……何か『本気で幸せを分ける!』って言うそのこの気概を断れなくてね。あ、そう言う生き方もアリなんだ……って一瞬思っちゃったくらい。結局『いやいや結婚なんて興味ないから』って思い直したし、そんなこと関係なくヨツバを飼おうって、自分で決めたんだけど―――」
その時頭に浮かんだのは。
その後輩はもしかしたら営業の天才になれるかもしれないってこと。商品を売る時に大事なのは―――売る側がその商品の価値を心から信じて、それを相手に売る事で買う側の利益に繋がるって本気で訴えられるかどうかだって、何かの本で読んだことがある。
『転職』で得たみのりの新しい仕事が、この先いつか彼女の『天職』と言えるまでになったなら―――もしかするとヨツバは本当に『幸運のうさぎ』になるのかもしれない。そうであれば本当にその後輩は『邪魔になったうさぎを押し付けた』のではなく『幸運をおすそ分けした』ってことになるのかもしれない。
そんな上手い話なんてあるだろうか?飼い主がドンドン変わっていくことは、当のヨツバにとっては不幸かもしれなのに、そんな呑気なオチを付けてしまうのは人間の勝手じゃないか。
いや、案外―――誰が飼い主になろうが、ヨツバには全くどうでも良いことかもしれない。
美味しいメシがあって、居心地の良い寝床があれば構わないのではないだろうか。たった二週間、世話した俺がそんな風に感じてしまうくらい、今ではヨツバは満足そうに毛繕いをしては丸くなり、そして牧草を食んで満足そうに過ごしている。その様子からは以前の飼い主への執着など一欠片も感じられないほどだ。
「……ならヨツバは俺にも幸運を運んでくれるかな?」
凍り付いたみのりの顔。その表面にチラリと掠めた罪悪感を嗤ってやった。
「悩んでいたのが嘘みてーに仕事も滅茶苦茶上手く行くかもな?花井さんだけじゃなくて、新しい新人の女の子にもモテちゃったりして? ハハハ、楽しみだなぁ」
「広斗……」
「だからお前は……振り返るな。しっかり罪悪感を感じたまま、前に進めば良い。お前の見えない処で―――俺が本当にヨツバが運んで来た幸運でスゲーいい思いして、例えば億万長者になったとしても、お前がずっと『広斗に悪い事したー!』って後悔していれば俺はいい気味だし満足なんだからな。そう、あれだ! 逃がした魚は大きいってヤツ?」
再び俺達の間に沈黙が訪れる。
「……本当にありがとう、元気でね」
小さく、本当に小さくポツリとみのりが呟いた。
そうして今度こそ、漸く……みのりはこの部屋を出て行ってしまったのだ。扉がパタンと閉まった直後、思わずハンドルを掴んでその背を追ってしまいそうになっている自分に驚いた。慌てて、未練を断ち切るようにロックを掛ける。
玄関ドアを閉めた俺は、寝室の窓にそっと近づきカーテンの脇から駅への道を見下ろす。―――するとみのりの小さな背中が見えた。
ああ、本当に終わったんだ。
俺に言われた通り、振り返らず前を見て歩く後ろ姿を見て、そう実感した。
もう二度と会わないかもしれない女の背を押すために憎まれ役を買って出るなんて、無駄なことやってるなーって我ながら思う。そんな偽装は察しの良いみのりにはお見通しかもしれないのに。別れた女にカッコつけてみせて何になる?そう思わないでもないけれど―――これが男の意地ってヤツなのかもしれない。
すっかり彼女の姿が見えなくなった後、俺はカーテンを閉めて部屋に戻った。運動場の柵の傍に腰を下ろし、ケージの中で丸くなるヨツバに語り掛ける。
「ヨツバお前……『幸運のうさぎ』なんだって?」
ピクリと垂れ下がった耳の根元が持ち上がる。俺は両手を拡声器のように口元にあてて囁いた。
「そうだな、じゃあまず俺をイメージ通りの『仕事の出来る男』にしてくれ! あ『昇進と給料アップ』も頼むな。それから―――そう男の幸運っていやぁ、やっぱ『金と女』だろ。あ、美女つってもみのりや花井さんみたいな面倒な女じゃなくて、可愛くて優しくて俺に尽くして文句も言わない従順な女にしてくれよ。その代わり、この俺が結婚したいって心底思えるくらいの女じゃないと駄目だぞ……!」
最初は俺の言葉にまるで本当に耳を傾けるように閉じていた瞼を半分開けていたヨツバだが、まるで長ったらしい要望に飽き飽きした、とでも言うかのように、再び瞼を閉じ耳を垂らしてしまった。
しつこい男はダメなのか。
それとも俺が駄目なのか。
そう言えばコイツ雄だったよな。可愛い女の願いはかなえられても、男の愚痴なんか聞いてられねー! なんて、内心思っているのかもしれない。
その後何だかどっと疲れが押し寄せて来て―――かろうじてヨツバの水と牧草、餌箱のチェックだけを済ませて、俺はベッドにドサッと倒れ込んだ。そのまま夢も見ず、夕食も取らず―――その日はコンコンと朝まで眠り続けたのだった。
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