氷の君主は、紅の騎士と腹黒宰相に捕らわれ支配される

星野 千織

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第十一話:最後の光を手放して

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 そして、退位の儀式を数日後に控えた、公務最終日の午後。

 執務室は重苦しい空気に包まれていた。
 山積みの公文書はほとんど片付けられ、机の上は妙にすっきりしている。
 最後の評議会も終わり、俺は残されたわずかな時間で、帝国に残す最後の指示をまとめていた。

「セレスティン様。ご気分はいかがでございますか?」

 アシュレイが、いつものように恭しく俺の傍らに控えていた。
 その言葉は気遣いだが、彼の紫の瞳には、勝利者の満足が宿っている。
 ライオネルは執務室の扉近くに立ち、青い瞳で俺を捉え続けている。
 彼もまた、満足げな表情を隠しきれていない。

(これで……全てが終わる。この地獄から解放される……のか?)

「解放」という言葉が、絶望と結びつき、脳裏に重くのしかかる。
 君主としての役割を演じることは、もうできない。
 残るのは、彼らの意のままにされる「俺」だけだ。

 その時だった。

 執務室の扉が、突然、激しく開かれた。
 そこに立っていたのは、息を切らせ、顔を紅潮させたアーネストだった。彼の瞳は、涙で潤み、真っ直ぐに俺を見つめている。

「セレスティン様! お待ちください!
 退位の件、どうか、どうか撤回してください!」

 彼は駆け込み、俺の机の前に膝をついた。その純粋な懇願の声は、この重苦しい空気を切り裂く。

「セレスティン様なくして、この帝国は立ち行かなくなります!
 民は悲しみ、貴族も混乱しています!私たちには、貴方様が必要なのです!」

 彼の言葉は、偽りのない本心から発せられているのが分かった。その真っ直ぐな瞳には、俺への尊敬と、心からの忠誠が宿っている。

(アーネスト……!)

 心が揺さぶられる。彼が、俺の唯一の安らぎだった。
 彼にだけは、本当の俺の苦しみを、悲しみを、見せてもいいのではないか。助けを求めてもいいのではないか。そんな衝動に駆られる。
 彼の清廉な瞳を見ていたら、今度こそ、心の底から涙が溢れてしまいそうだった。

 だが、すぐにその思いを打ち消した。

(ダメだ。アーネストを、この地獄に巻き込むわけにはいかない。彼は原作の主人公だ。彼には、彼の真っ直ぐな人生を歩ませるべきだ。俺のせいで、彼の未来を歪めてはならない……!)

 俺は、心を鬼にした。
 彼を巻き込めば、彼もまた、彼ら二人の歪んだ執着の対象となるだろう。俺が救われるために、彼を犠牲にするなど、許されない。

「……アーネスト」

 俺は、精一杯の冷徹さを込めて、声を絞り出した。
 その声は、震えを押し殺し、氷のように冷たい。

「私には、もう君主としての務めを果たす気力はない。これは、私の……そして帝国の、最終的な決断だ」
「そんな……!セレスティン様は、いつも私たちのことを……!」

 アーネストは、俺の言葉を信じられないといった様子で、さらに食い下がろうとする。

「黙れ!」

 俺は、机を叩き、普段見せないような怒気を込めて叫んだ。ライオネルもアシュレイも、俺の突然の激昂に、一瞬だけ目を見開いた。

「これ以上、私の決定に異を唱えるな。お前はただ命じられた通りに、これからの帝国を支えれば良い。私のことは……忘れろ」

 最後の言葉は、俺の喉の奥で震えた。アーネストに向けた、最初で最後の、心からの、そして偽りのない願いだった。俺の、唯一の希望の光を、自らの手で消し去る痛み。

 アーネストは、俺のその言葉に、息を呑んだ。彼の瞳から、大粒の涙が溢れ落ちる。

「セレスティン様……っ」

 彼は絶望に打ちひしがれたかのように、顔を伏せた。
 その様子を、ライオネルとアシュレイは、静かに見守っていた。

 ライオネルの青い瞳は、最初は微かに嫉妬の炎を揺らめかせていた。
 しかし、俺がアーネストを突き放したその瞬間、彼の瞳に浮かんでいたのは、満足と、そして安堵の光だった。
 彼にとって、俺が誰かに助けを求めること自体が、許されない行為なのだ。俺が、自分たち以外に依存する道を閉ざしたことに、彼は獣のように喉を鳴らした。

 アシュレイは、いつもの柔らかな微笑みを浮かべたままだった。
 だが、その紫の瞳の奥は、俺の意図を完全に読み取っていた。
 彼は、俺がアーネストを救うために、自らを犠牲にしたことを理解している。
 そして、その俺の献身が、彼らの支配をより確固たるものにしたことに、狂気じみた愉悦を感じているようだった。

「……下がれ、アーネスト。この件は、もう終わりだ」

 アシュレイが、冷たく、しかし優しい声でアーネストに告げた。
 その声に、アーネストは、ゆっくりと立ち上がり、深く頭を下げ、執務室を去っていった。その背中は、見るからに打ちひしがれていた。

 俺は、その場に座り込み、深く息を吐き出した。
 これで、本当に全てが終わった。
 俺は、自ら最後の逃げ道を、断ち切ってしまったのだ。


 ◇


 ――数日後。

 儀式を終えた俺は、人里離れた――しかし驚くほど豪奢な邸宅へと移された。

 帝国の中央から遠く離れたその地は、静謐で、美しいほどに整えられていた。
 庭園には四季の花が絶え間なく咲き誇り、館の内部は、俺が好むであろう書物と美術品で埋め尽くされていた。

 不自由など、表面上は何ひとつない。

 だが、そこは紛れもない“完璧な鳥籠”だった。

 侍従も護衛も、全て彼らの息がかかった人間。
 外界へ通じる道は徹底的に封じられ、手紙一つ、声一つ、帝都へ届く術はない。

 ここは、美しさで誤魔化された、永遠の牢獄だ。

 もはや俺は「セレスティン・アルクヴェイド」という帝国の君主ではなかった。
 ただ――

 彼らの所有物。

 その言葉が、胸の奥に冷たく沈んでいく。


 ◆


 夜。

 豪奢な寝室の寝台に身を投げ出し、俺はただ虚空を見つめていた。
 疲労と絶望は骨の髄まで染み込み、何一つ考える気力も残っていない。

「……セレスティン様」

 ノックの音すらなく、静かに扉が開く。
 薄闇の中に並び立つのは、ライオネルとアシュレイ。

 昼間、忠臣として振る舞っていた彼らとはまるで違う。
 剥き出しの独占欲と、獣のような熱が、その双眸に宿っていた。
 もはや建前も仮面も、二人の表情から完全に消えている。

「これからは……私たち二人だけのとして……」

 アシュレイの甘く湿った声が、耳の奥に絡みつく。
 同時に、ライオネルが寝台に覆いかぶさり、俺の薄い寝間着をためらいなく剥ぎ取った。

 抵抗しようという気力は、とうに消え失せている。
 君主としての誇りも、羞恥も、責務も――全て、儀式の日に剥ぎ落とされてしまった。

 俺はただ、二人の意のままにされる空っぽの器へと堕ちていく。

 ライオネルの熱い唇が首筋を吸い、沈むように跡を刻む。
 アシュレイの白い指が太腿をなぞり、逃げ場のない場所へと静かに滑り込んでいく。

(ああ……俺は、本当に……)

 心の奥で何かが完全に崩れ落ちる音がした。
 深い絶望と、抗いがたい諦観が静かに広がっていく。

 この邸宅は、愛と支配、そして終わりのない夜に満たされた“牢獄”だ。
 ここで俺は、二人の思うままに奪われ続けるのだろう。

 ……俺は、完全に彼らのものになったのだ。




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 以降、EDが二つあります。
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