氷の君主は、紅の騎士と腹黒宰相に捕らわれ支配される

星野 千織

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最終話IF:氷の君主、鳥籠を統べる(1)

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 豪華絢爛な邸宅へと移されてから、数週間が過ぎた。
 夜ごと二人の獣じみた執着に呑まれる中で、俺は何度も絶望の淵へ追い詰められた。
 君主としての誇りは粉々に砕け、身体は情欲に染め上げられ、心は空洞に変わってしまう――そんな錯覚に囚われていく。

 だがある夜、全身を灼く熱と、奥を抉られる衝動に意識が沈みかけた瞬間、不意に理性が目を覚ました。

(このままでは、俺は本当に壊れてしまう……!)

 転生者としての矜持が、泥の底から俺を引き上げる。
 原作の悲劇の君主セレスティンは、物語の序盤で命を落とす予定だった。
 でも俺は違う。生き残って帝国を安定へ導き、破滅ルートをひっくり返したのは、この俺だ。

 俺は、ただの物語の“受け役”として彼らの衝動に流されるために転生したわけじゃない。

 この歪んだ鳥籠の中で、俺自身の価値と立場を作り直す必要がある。
 俺は、セレスティン・アルクヴェイド――その名を、支配されるだけの飾りにしてたまるか。

 彼らの思惑通りに、甘美で退廃的な鳥籠に囚われてしまったのはしょうがない。
 起きたことを嘆いても未来は変わらない。
 なら――俺が主導権を握ればいい。ただそれだけの話だ。
 異世界人を舐めるなよ……!

 思えば、どれほど身体を暴かれようと、俺は結局、心を完全に開いたことがなかった。
 それが彼らを焦らせ、暴走させたのだろう。
 そして俺の弱気な瞬間を見抜いて、そこを突くように攻めてくる……さすが原作の主要キャラ。……いや、褒めてどうする。

 思考を戻そう。要するに、彼らが執着したのは“君主としての俺”だ。
 俺が一兵士だったり、凡人だったら、こんな執念深く惚れられるわけがない。

 だから、渇望させて、飢えさせ、焦がれ続けさせる――
 そんな「セレスティン」を演じればいい。
 玉座に座る皇帝としてでなく、鳥籠の中で君臨する氷の支配者として。
 そうすれば、今より状況は確実に良くなる……はずだ。たぶん。

 異世界転生した初日の絶望を思い出す。
 だが俺はその夜を越えた。なら、もう一度立ち向かえるはずだ。
 愛すべきキャラクターである彼らのことなら、誰よりも俺が知っている。

 ――この鳥籠を、俺の舞台に変えてみせる。

 最近癖になってしまった溜息をなんとか呑み込み、視線を上げた。
 胸の奥には、確かな意志が灯っている。
 この鳥籠で生き延び、そして二人さえ掌で転がすための――
 俺だけの、静かな生存戦略を始めるのだ。


 ◇


 初夏の陽光が降り注ぐ庭園で、俺は分厚い書物を開いていた。
 色とりどりの花々が咲き乱れる中、背まで流れ落ちる黒髪と白い肌の対比が際立ち、風に揺れるだけで絵画の一幕のように映える。その姿を、専属の侍従たちは、まるで絵画から抜け出したようだと囁く。
 もちろん彼らが俺を飾るために選び抜かれた者であるがゆえの賛辞だ。

「セレスティン様、帝都より書簡が届きました」

 庭園の小道を音もなく進むアシュレイが、陽光の下で銀髪を艶やかに揺らしながら跪く。
 紫の瞳は穏やかに微笑んでいながら、その奥底には変わらず俺の一挙一動を逃すまいとする鋭さが潜んでいた。
 彼の手には、厳重に封が施された書簡。

 俺は書物からゆっくりと顔を上げた。
 以前のように疲労に濁ることのない瞳で、代わりに静かな自信を湛えたまま――
 彼がもっとも欲しみながら滅多に与えられぬ、誘惑めいた笑みを口もとに浮かべる。

「そうか。わざわざお前が届けてくれるとは……随分と、私を案じてくれるものだ」

 声は、かつての冷徹さとは異なり、どこか甘く彼の心を探るような響きを持っていた。
 書物を閉じ、差し出した右手の角度をわずかに震えて見えるよう整える――計算された演出。

 アシュレイは、書簡を恭しく俺の手に載せた。
 その瞬間、俺は意図的に、アシュレイの指先に自分の指を滑らせた。
 ひんやりとした肌がゆっくりと俺の熱を拾っていく。
 ほんの一瞬の接触だったが、その意図は明確に伝わったはずだ。

 一瞬。
 アシュレイの完璧な微笑みがぴくりと揺らいだ。

 紫の瞳の奥に、抑えきれない仄暗い光が滲む。
 口元が――ほんの刹那、僅かに歪んだ。
 彼は書簡から手を離したあとも、まるで触感の残り香を追うように、俺の指先へ視線を絡ませてくる。

「セレスティン様の御身を案じることは、私にとって何よりも重要な責務でございますから」

 穏やかな声に、微かに震えが混じる。
 彼の視線は指先から唇へ、唇から喉元へ、そして黒髪の陰影へとゆっくりと滑り――
 まるで肌を舐め取るように俺の全身をなぞる。
 その観察の熱に、風がひとつ渡っただけで焼け焦げそうな緊張が走った。

「そうか。お前の忠誠心、確かに受け取った。……だが――あまり私を飽きさせるなよ、アシュレイ」

 俺は、視線に僅かに圧を掛けた。
 書簡には目もくれず、紫の双眸を真っ直ぐに見つめ返す。
 言葉に秘めた“命令”は、ただひとつ。

 ――私を満たすのは、お前の役目だ。

 アシュレイは静かに頭を垂れた。
 その横顔は従順そのもの。
 だが、俯いた睫毛の奥で宿る光は、明らかに別の色をしていた。

 あれは――
 “主が餌を投げてくれた”と理解した時の獣の目だ。

 俺の一挙手一投足が、彼の理性を軋ませ、内側を狂おしいまでに掻き乱している。
 今のアシュレイの胸の内で湧き上がる陶酔と高揚は、隠しても隠し切れるものではなかった。

 彼らから与えられる夜に、俺は正直、腰が引けていた。
 逃げれば追われ、怯えれば追い詰められる。
 そんな当たり前の理さえ見失っていたほど混乱していた。

 だからこそ、俺の意志でアシュレイに触れ、彼からの奉仕を“求める”と決めたのだ。
 彼が知る氷の支配者とはまったく異なる――
 柔らかく、しかし底知れず支配的な笑みを浮かべて。

 この“演じられた支配者”は、アシュレイの知的好奇心を鋭く刺激したに違いない。

 俺は、彼にとって永遠に解けない謎であり、
 彼らの上に立つ存在であり、
 どこまでも渇望すべき対象であり続けるのだ。

 ◇

 日差しが傾き始めた頃、俺は広大な邸宅の図書室にいた。
 壁一面に並ぶ書物の重みは、この場所が知的な自由を与えるふりをしながら、実際は俺を閉じ込めるための精緻な「檻」であることを告げている。
 読みかけの歴史書を片手に、窓から差し込む夕陽の朱を浴びていたその時――

 図書室の扉が静かに開いた。

「セレスティン様、ただ今戻りました」

 深紅の騎士服に身を包んだライオネルが姿を現す。
 長い遠征の疲労が肩に滲んでいるものの、俺を見つけた瞬間、青い瞳は熱に震えた。
 彼は高揚を隠しきれぬまま、まっすぐ俺の前へ進み出て、跪いた。

 俺はゆっくりと書物を閉じる。
 そして、かつて君主であった頃の威厳そのままに、左手を差し出した。

「ご苦労だった、ライオネル。遠征の任、無事果たしたと聞く。……お前の働きは、私にとって何よりの喜びだ」

 俺の声は甘い労いを含ませながらも、その響きは、彼が唯一の忠誠を誓う「君主」のそれだった。
 俺は、彼が最も望むであろう「絶対的な主」としての姿を、完璧に演じてみせた。

 途端、ライオネルの瞳が恍惚と揺らいだ。
 差し出された俺の白い手を、まるで聖遺物であるかのように両手で優しく包み込み――その手の甲に、深く、深く、口づけを落とした。熱い唇が、俺の肌に触れる。
 唇の温度には、純粋な忠誠心と、底に沈んだ獣の支配欲が混ざっていた。

「セレスティン様のお言葉……このライオネルには、何よりの栄誉でございます。貴方様のためなら、この身など惜しくはありません」

 震えるほど甘く、しかし力強い声。
 彼の支配欲は俺を「君主」として護り、支えるという形で満たされていく。
 俺が彼に威厳を持って手を差し伸べれば、彼は自らが俺の「唯一の騎士」であるという誇りと、俺を「手中に収めている」という支配欲の両方を満たすのだ。

 俺は彼の口づけを許したまま、その燃えるような青い瞳をまっすぐ見返した。

「そうか。では――これからも、私に尽くせ。お前の忠誠は、確かに受け止めよう」

 そのまま、そっと俺の手を引き、代わりに指先を彼の頬へ添える。
 ひんやりとした自分の指が、遠征帰りの熱い頬をなぞる。

 ライオネルの身体が硬直した。
 瞬きすら忘れた瞳が、獣のような昂りを隠そうともしない。
 俺のこの一手が、ただの労いではないと、彼の本能はすぐに理解する。

 指先を離しながら、俺は静かに言う。

「さあ、疲れを癒してこい。夜には……お前の報告を聞かせてもらう」

 声は甘く、しかし逃げ道のない「主」の命令。
 それは同時に、今夜、俺が彼の腕に堕ちることを許す合図でもある。

 ライオネルは、胸の奥で噛みしめるように息を吸い込み、ゆっくり立ち上がる。
 青い瞳には、既に夜を待ちきれぬ獣の飢えが宿っていた。

「……は。セレスティン様。この身、貴方様の意のままに」

 深々と頭を下げ、図書室を去る背中には――
 主に選ばれた騎士だけが抱く、濃厚な誇りと、独占欲と、渇望が渦巻いていた。
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