折れた魔剣:筆頭騎士の調教戦場(アリーナ)

猫野 にくきゅう

文字の大きさ
1 / 6

第1話 『泥に沈む青き制服』

しおりを挟む
 その場所は、死と生がもっとも安価に取引される、巨大なすり鉢状の檻だった。

 バルバド城、西区訓練場――
 通称『アリーナ』。  

 高く積み上げられた巨石の壁に囲まれた円形の空間は、数多の戦士が流した血を吸い込み、どす黒く変色した土の臭いに満ちていた。擂り鉢の縁を埋め尽くす兵士たちの怒号と口笛が、砂混じりの風に乗って降り注ぐ。

「――出せ。帝国の『最高傑作』だ」

 ガンツの野太い声が響くと、錆びついた鉄格子の扉が軋んだ音を立てて開いた。  
 引きずり出されたのは、一人の女だった。

 セシル・フォン・アルトワ。  
 グランドリア帝国近衛騎士団、筆頭百人隊長。

 かつて「帝国の魔剣」とまで謳われ、その一太刀は岩をも断つと言われた名門の騎士。だが今、彼女の首と両手首には、指ほども太い黒鉄の鎖が繋がれていた。その鎖の端は、四人の屈強なバルバド兵が力任せに引いている。

「……っ、ぁ……!」

 セシルは泥に塗れた地面を這うようにして、アリーナの中央へと引き出された。  

 かつて彼女の身を包んでいた、金糸の刺繍が施された鮮やかな青い制服は、すでに無残な切れ端となっていた。帝国の誇りそのものであった重厚な胸当ては奪われ、今の彼女は、薄汚れた麻布のボロを辛うじて身体に纏わせているに過ぎない。

 鎖が強く引かれ、彼女は無様に上体を仰け反らされた。

「ほう。泥を舐めても、まだその目は死んでねえな」

 ガンツがゆっくりと歩み寄る。
 彼のブーツが、セシルの目の前に落ちていた青い制服の「袖」を、執拗に踏みじった。  

 セシルの視界が、屈辱に赤く染まる。

「貴様……! その服を……汚すな……!」

「服? ああ、このゴミのことか」  

 ガンツは嘲笑うように、その切れ端を爪先で蹴り飛ばした。 

「そんなモン、ここじゃケツを拭く価値もねえ。セシル、貴様はもう騎士じゃねえんだ。今日から貴様は、我が軍の若造どもを磨くための『動く盾(サンドバッグ)』だ」

「盾……だと……?」

「そうだ。殺すには惜しいほどの肉体。帝国が数十年かけて育てた『暴力の結晶』。それを俺たちが美味しくいただく。……おい、始めろ!」

 ガンツの合図と共に、セシルの手首を繋いでいた鎖が、不自然なほど「長く」保たれた。自由は奪われているが、半径数メートルの戦闘行動だけは許される――逃げ場のない、残酷な距離。

 アリーナに、三人の兵士が降りてきた。  

 彼らは剥き出しの刃ではなく、重厚な木剣や、革を巻いた棍棒を手にしている。
 殺すことが目的ではない。「壊す」ことが目的の武装。

「ひゃはは! これが帝国の騎士様か! 思ったよりいい身体してやがる!」  

 一人の兵士が、獲物を見定めるように棍棒を肩に担いで近づく。

 セシルは、奥歯が砕けるほど噛み締めた。  

 手首の鎖が重く、冷たい。
 だが、彼女の骨の髄に刻まれた戦士の記憶は、死んではいなかった。

「……バルバドの、犬どもが……」

 低く、地を這うような声。  

 兵士の一人が、面白半分に棍棒を振り下ろした。
 狙いは彼女の肩。  

 だが、その瞬間。

 ――ッ!

 鎖の音と共に、セシルの身体が揺らめいた。  

 紙一重で回避。
 それと同時に、彼女は鎖に縛られた両拳を、弾丸のごとき速度で兵士の顎へと突き出した。

 鈍い衝撃音。  
 兵士は悲鳴を上げる暇もなく、巨体を宙に舞わせて地面へと叩きつけられた。

「な……!?」

 観客席の嘲笑が、一瞬で凍りついた。  

 セシルは、荒い息を吐きながら立ち上がる。
 鎖がジャラリと鳴る。  

 泥と汚れにまみれ、衣服は破れ、尊厳をズタズタに引き裂かれてなお、彼女の全身から放たれる闘気は、見る者を圧した。

「たとえ鎖に繋がれようとも……。私は、騎士だ。貴様らのような蛮族に、屈することはない……!」

 その瞳に宿る、気高くも激しい青い炎。  
 ガンツはそれを見下ろし、口角を吊り上げた。

「……いい。最高だ。その目がいつまで保つか、たっぷり試してやるよ」

 第二陣、第三陣の兵士たちが、欲望と殺意の混じった視線を向けてアリーナへ降りてくる。

 セシルの、長く、果てしない試練が幕を開けた。  
 彼女はまだ知らなかった。己の「強さ」こそが、これから彼女に与えられる地獄の質を、より過酷なものへと変えていくことを。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

彼の巨大な体に覆われ、満たされ、貪られた——一晩中

桜井ベアトリクス
恋愛
妹を救出するため、一ヶ月かけて死の山脈を越え、影の沼地を泳ぎ、マンティコアとポーカー勝負までした私、ローズ。 やっと辿り着いた先で見たのは——フェイ王の膝の上で甘える妹の姿。 「助けなんていらないわよ?」 は? しかも運命の光が私と巨漢戦士マキシマスの間で光って、「お前は俺のものだ」宣言。 「片手だけなら……」そう妥協したのに、ワイン一杯で理性が飛んだ。 彼の心臓の音を聞いた瞬間、私から飛びついて、その夜、彼のベッドで戦士のものになった。

孤高の愛の傍らで…。

礼三
恋愛
 アルセア王国…。  この国には庶民にも有名な悲恋話が存在する。  アルセア建国当初からホリホック王家へ忠誠を誓ってきたガザニア、グラジオラスーの二代公爵家…。  ガザニア公爵の令嬢オレリア、グラジオラスの令息シリルは愛しあい将来を誓っていた。  しかし、公爵家の結びつきによって貴族派の勢力が大きくなることを恐れたホリホックの国王は王太子への婚約者にオレリアを所望する。  そして、二人の愛は引き裂かれた。  シリルはそれでもオレリアの騎士となって彼女を生涯護り抜くと誓うのだ。  だが、シリルはグラジオラス公爵家のたった一人の子供だった。嫡男であるシリルには跡取りが必要で、苦渋の決断でブプレウム伯爵家の娘メラニーを妻に迎えた。  その女、メラニーは二人の純粋な愛に嫉妬し狂い、幾度となく二人の崇高な愛の邪魔をした。  アルセア王国民の多くが知っている有名な話である。愛しあう二人を邪魔した世間で悪女と評判の女メラニー…。  これは王国の孤高の愛に翻弄されたメラニーの物語である。 12月より『小説家になろう』様でも同作品を掲載しております。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

ヒロインと結婚したメインヒーローの側妃にされてしまいましたが、そんなことより好きに生きます。

下菊みこと
恋愛
主人公も割といい性格してます。 アルファポリス様で10話以上に肉付けしたものを読みたいとのリクエストいただき大変嬉しかったので調子に乗ってやってみました。 小説家になろう様でも投稿しています。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

いつか優しく終わらせてあげるために。

イチイ アキラ
恋愛
 初夜の最中。王子は死んだ。  犯人は誰なのか。  妃となった妹を虐げていた姉か。それとも……。  12話くらいからが本編です。そこに至るまでもじっくりお楽しみください。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...