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レトナーク平原の決戦
第79話 逃走 B
しおりを挟むそこには全身を黒い鎧で覆った、一人の戦士がいた。
そいつはフルアーマーに大きな盾、そして剣を持って、たった一人で我が軍の兵士を蹴散らしていた。
「おい、軍師! あれは、なんだ?」
「……恐らくは、あれが王子アレスではないかと、事前に集めた情報では、邪竜王の鱗で作った鎧に身を包んでいるという話ですから――」
「……そんな馬鹿な、たった一人で敵軍の中に入り暴れ回っているではないか。あれでは『王子が前線に出て戦う』どころではない。いくらなんでも、あれが『アレス』な訳がない。……そうか!! 奴の逸話のカラクリが解かったぞ。自軍の猛者に黒い鎧を着せて戦わせ、そう思わせているのだ。本人は山頂の本陣にいるに違いない」
「……そうかも、知れませんな」
そうか、影武者に全身鎧を着せれば、王子アレスの武勇はいくらでも作り出せる。
ローゼリアから聞いた奴の人となりを考えれば、いかにもな手口だ。
「私が聞きたいのは、あれが誰かという事ではない。早く奴を止めなければ不味いのではないかと言っているのだ。……それに別の影武者に騎馬隊を率いさせ、こちらの隙を窺っているかもしれんぞ。警戒を怠るな!!」
あの黒い鎧の猛者が、我が軍の中央を突き進んで来ている。
そのせいで、中央軍全体に動揺が走っている。
奴が切り開いた裂け目を利用して、敵軍が侵攻を開始した。
「早くこちらも対抗できる強者をぶつけて、奴を止めろ!!」
のろまめ!!
このままでは、マズいのが分らんのか?
「……いえ、我が軍の精鋭は、中央軍の前線に集めておりまして……おおっ、我が軍最強の五人衆が、いま迎撃に…………ああっ、そんな、あっけなく……」
五人衆?
そういえば、私が開いた武術大会で、好成績を収めた者達だった。
定期的に大会を開き実力者を発掘し、適性に応じて軍や暗部に斡旋していたのだが、無骨な男には興味がないので忘れていた。
五人衆とか言われている所を見ると、その中でも抜きんでた精鋭のはずだ。
それが――
あの黒い鎧の猛者に瞬殺された。
いや、多少は持ち堪えていたのだが、五人がかりであったにもかかわらず、三十秒ほどで死んだ。
「……あれが、我が軍の最強だと? 死んだではないか。では、奴をどう止める?」
「あの者が疲弊して、力尽きるのを待つしかありませんな……」
こいつは、『軍師』などという偉そうな肩書を持つくせに、そんな提案しかできないのか?
役立たずの、無能めっ!!
私が心の中で、軍師を罵っている間にも、黒い鎧の悪魔は歩みを止めない。
赤子の手を捻るように、いとも容易く我が軍を切り裂き、前進してくる。
――こちらへと、まっすぐに……。
部隊の中腹で槍衾を構築して、奴を待ち構える部隊があった。
奴は盾を構えて、そのまま突撃する。
奴の体当たりを受けた兵士たちは、面白いように空中に打ち上げられた。
何だあの化け物は?
どうやって止めればいいんだ、あんな奴??
黒い悪魔の歩みは止まらずに、とうとう軍団長との一騎打ちが始まった。
太陽は高く、真上で輝いている。
我が軍の軍団長、それも三万の兵を預かるトップは、用兵だけではなく個人の武勇においても、相応の強さを求められる。
当然、この西の大国において、最強クラスの強者だ。
その強者が――
遊ばれていた。
あの黒い悪魔は、やろうと思えば瞬殺できただろう。
しかし、敢えて殺さずに、軍団長を泳がせている。
軍団長は攻撃を繰り出し続けるが、その全てを防がれる。
奴は剣で攻撃せずに、拳、足、盾で打撃を与えて、軍団長を疲弊させていく。
やがて軍団長は、力尽きてその場に膝を付いた。
大勢の将兵の見ている前で、敵に膝を付いた。
中央軍の士気は、崩壊寸前だ。
黒い悪魔は、軍団長に止めを刺さずに、西に向かって前進を開始した。
もうあいつに戦いを挑む者はいない。
中央軍の兵士たちは、自然と道を開けて――
奴は中央軍を突破した。
その目前には、後詰の後方部隊三万が待ち構えているが、奴には敵うまい。
同じことの繰り返しになるだろう。
「おい軍師! この場は貴様に任せる……私の代理として、何とか持ち堪えさせろ」
「……チェルズスカル様は、どちらに?」
「私は本国に帰り、援軍を要請してくる。それまで、耐えろ――」
「…………御意に」
私は神殿関係の部下だけを引き連れて、この戦場を後にした。
――あんな化け物の相手など、出来るわけがないだろう。
本国へと一度戻り、別の手を打つ。
この戦争は後二、三年は続けることが可能だ。
あの化け物は殺せなくとも、奴の国を疲弊させて崩壊させることは出来る。
まずは敵軍をチャルズコート本国まで攻めさせよう。
敵の補給線が伸びきった状態で防衛戦に徹し、敵国に消耗を強要し、その状態で時間を稼ぐ。
そしてリーズラグドが消耗しきってから、北の大国が南進するように仕向ける。
北の大国は常に、南へと進出したがっている。
敵が消耗していれば、乗って来るだろう。
あの黒い鎧の男は、確かに手に負えないが、奴は一人だ。
広域で争いを起こせば、すべての戦局に関与することは出来ない。
この決戦には負けるだろうが――
まだまだ、戦いはこれからだ。
私は山を下り、馬を西へと走らせた。
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