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第5話 モノクロームを超えて、君を選ぶ
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翌朝の登校路は、鉛のように重かった。
足元のコンクリートばかりを見て歩く。いつもの風景、いつもの通学路。
昨日までの数日間、私の隣には一ノ瀬くんがいた。
下駄箱の前を通る時、無意識に彼の姿を探してしまった。
けれど、すぐに視線を逸らして上履きを掴む。
もう、探してはいけないのだ。
魔法陣を破いて、悪魔との契約は終了している。
今日の彼は、きっと普通の視界を取り戻している。
クラスメイトやサッカー部の仲間たちと、鮮やかな世界で笑い合っているはずだ。
そこに、地味なオカルト部員の入る隙間なんてない。
私は逃げるように教室に入り、自分の席で息を潜めた。
チャイムが鳴り、ホームルームが始まる。
背中越しに、男子たちの賑やかな声が聞こえる。
「一ノ瀬、今日めっちゃ機嫌よくない?」
「ああ、なんか視界良好って感じ」
その言葉に、安堵と同時に、胸が引き裂かれるような寂しさが込み上げた。
よかった。
本当によかった。
そう思いながらも、私の心は沈んでいく。
***
昼休み。
私はパンを買って、西校舎の階段の踊り場に向かった。
ここ数日、一ノ瀬くんと二人でお弁当を食べていた場所だ。
誰も来ない薄暗いコンクリートの空間。冷たい床に一人で座り込むと、世界の静寂が耳に痛い。
「……いただきます」
呟いた声が虚しく響く。
一口食べたパンは、砂を噛んでいるみたいに味がしなかった。
昨日までは、ここに彼がいた。
「これ美味しいね」って笑い合っていた。
魔法ってすごい。
私の灰色の日常を、あんなにも輝かせていたなんて。でも、魔法が解ければ、シンデレラの馬車はただのカボチャに戻る。
私は、ただの佐山紗代子に戻っただけだ。
涙がこぼれそうになって、膝に顔を埋めようとした、その時だった。
タッタッタッ、と階段を駆け上がってくる足音が響いた。
心臓が跳ねる。
まさか。
顔を上げると、息を切らせた一ノ瀬楓くんが立っていた。
「……やっと、見つけた」
彼は膝に手をついて呼吸を整え、それから顔を上げて私を見た。
その瞳を見て、すぐに分かった。焦点が合っている。迷いがない。
昨日のような、どこか虚ろで縋るような目じゃない。確かな意思を持って、私を捉えている。
「一ノ瀬くん……」
「佐山さん。朝、探したんだけど、すぐに行っちゃうから」
「ご、ごめん。……あの、目は?」
震える声で尋ねる。
彼はニカッと笑った。
かつての、爽やかな彼だ。
「治ったよ。朝起きたら、全部元通りだった。空が青くて、木が緑で、世界ってこんなに綺麗だったんだなって感動したよ」
「……そっか。よかった」
私は精一杯の笑顔を作ったつもりだったけれど、きっと酷く歪んでいただろう。
飲みかけのパンを袋にしまう。
「じゃあ、もう大丈夫だね。ガイド役は必要ないし、私は教室に――」
「待って!」
立ち去ろうとした私の腕を、彼が掴んだ。
あの交差点の時とは逆だ。
強い力で、引き止められる。
「なんで行くの?」
「だって……目が治ったなら、私と一緒にいる理由なんてないでしょ? 私、地味だし、暗いし、一ノ瀬くんとは釣り合わないし……」
言葉にするほど、惨めさが募る。
手を離してほしくて身をよじると、彼はさらに強く握りしめた。
「違うよ、佐山さん」
彼の声は真剣だった。
「確かに、最初は色が消えて怖くて、君だけが見えたから縋ったのかもしれない。でも、色が戻った今朝、学校に来て一番に何を探したと思う?」
彼は私を真っ直ぐに見つめた。
その瞳には、私の姿が映っている。モノクロの世界の唯一の光としてではなく、鮮やかな世界の中の一人の女の子として。
「僕がこの世界で一番見たかったのは、佐山さんだよ」
時が止まった気がした。
魔法はもうない。けれど――
彼は今、数多ある色彩の中から、自分の意思で、私を選んでくれている。
「色が戻って、世界中が綺麗に見えた。でもね、君が一番綺麗だ。……これからも、僕の隣にいてくれないかな」
涙が溢れた。
それは、もう悲しみの涙じゃなかった。
私は何度も頷き、掠れた声で答えた。
「……うん。私で、いいなら」
彼はホッとしたように笑い、私の目元の涙をハンカチでそっと拭ってくれた。
そして、私の手を引いた。
「行こう。今日はいい天気なんだ。――佐山さんと一緒に行きたくて、鍵は借りてきたから」
連れられて上がった屋上には、あの日と同じ、突き抜けるような青空が広がっていた。
風が吹き抜ける。
隣に立つ彼が見ている空と、私が見ている空は、もう同じ色をしている。
悪魔プチクロームとの契約は終わった。
けれど、ここから始まる恋は、どんな魔法よりも鮮やかに、私たちの世界を彩っていくのだと思う。
私は勇気を出して、彼の手を握り返した。
きっと私の顔は真っ赤に彩られていることだろう。ちらりと彼の顔を見ると、頬が赤くなっている。お揃いだ。
恥ずかしくて死にそうだったけれど、嬉しくて仕方なかった。
私たちはこれからも同じ色の世界を生きていく。
そして、その世界はきっと、永遠に続いていく。
-END-
足元のコンクリートばかりを見て歩く。いつもの風景、いつもの通学路。
昨日までの数日間、私の隣には一ノ瀬くんがいた。
下駄箱の前を通る時、無意識に彼の姿を探してしまった。
けれど、すぐに視線を逸らして上履きを掴む。
もう、探してはいけないのだ。
魔法陣を破いて、悪魔との契約は終了している。
今日の彼は、きっと普通の視界を取り戻している。
クラスメイトやサッカー部の仲間たちと、鮮やかな世界で笑い合っているはずだ。
そこに、地味なオカルト部員の入る隙間なんてない。
私は逃げるように教室に入り、自分の席で息を潜めた。
チャイムが鳴り、ホームルームが始まる。
背中越しに、男子たちの賑やかな声が聞こえる。
「一ノ瀬、今日めっちゃ機嫌よくない?」
「ああ、なんか視界良好って感じ」
その言葉に、安堵と同時に、胸が引き裂かれるような寂しさが込み上げた。
よかった。
本当によかった。
そう思いながらも、私の心は沈んでいく。
***
昼休み。
私はパンを買って、西校舎の階段の踊り場に向かった。
ここ数日、一ノ瀬くんと二人でお弁当を食べていた場所だ。
誰も来ない薄暗いコンクリートの空間。冷たい床に一人で座り込むと、世界の静寂が耳に痛い。
「……いただきます」
呟いた声が虚しく響く。
一口食べたパンは、砂を噛んでいるみたいに味がしなかった。
昨日までは、ここに彼がいた。
「これ美味しいね」って笑い合っていた。
魔法ってすごい。
私の灰色の日常を、あんなにも輝かせていたなんて。でも、魔法が解ければ、シンデレラの馬車はただのカボチャに戻る。
私は、ただの佐山紗代子に戻っただけだ。
涙がこぼれそうになって、膝に顔を埋めようとした、その時だった。
タッタッタッ、と階段を駆け上がってくる足音が響いた。
心臓が跳ねる。
まさか。
顔を上げると、息を切らせた一ノ瀬楓くんが立っていた。
「……やっと、見つけた」
彼は膝に手をついて呼吸を整え、それから顔を上げて私を見た。
その瞳を見て、すぐに分かった。焦点が合っている。迷いがない。
昨日のような、どこか虚ろで縋るような目じゃない。確かな意思を持って、私を捉えている。
「一ノ瀬くん……」
「佐山さん。朝、探したんだけど、すぐに行っちゃうから」
「ご、ごめん。……あの、目は?」
震える声で尋ねる。
彼はニカッと笑った。
かつての、爽やかな彼だ。
「治ったよ。朝起きたら、全部元通りだった。空が青くて、木が緑で、世界ってこんなに綺麗だったんだなって感動したよ」
「……そっか。よかった」
私は精一杯の笑顔を作ったつもりだったけれど、きっと酷く歪んでいただろう。
飲みかけのパンを袋にしまう。
「じゃあ、もう大丈夫だね。ガイド役は必要ないし、私は教室に――」
「待って!」
立ち去ろうとした私の腕を、彼が掴んだ。
あの交差点の時とは逆だ。
強い力で、引き止められる。
「なんで行くの?」
「だって……目が治ったなら、私と一緒にいる理由なんてないでしょ? 私、地味だし、暗いし、一ノ瀬くんとは釣り合わないし……」
言葉にするほど、惨めさが募る。
手を離してほしくて身をよじると、彼はさらに強く握りしめた。
「違うよ、佐山さん」
彼の声は真剣だった。
「確かに、最初は色が消えて怖くて、君だけが見えたから縋ったのかもしれない。でも、色が戻った今朝、学校に来て一番に何を探したと思う?」
彼は私を真っ直ぐに見つめた。
その瞳には、私の姿が映っている。モノクロの世界の唯一の光としてではなく、鮮やかな世界の中の一人の女の子として。
「僕がこの世界で一番見たかったのは、佐山さんだよ」
時が止まった気がした。
魔法はもうない。けれど――
彼は今、数多ある色彩の中から、自分の意思で、私を選んでくれている。
「色が戻って、世界中が綺麗に見えた。でもね、君が一番綺麗だ。……これからも、僕の隣にいてくれないかな」
涙が溢れた。
それは、もう悲しみの涙じゃなかった。
私は何度も頷き、掠れた声で答えた。
「……うん。私で、いいなら」
彼はホッとしたように笑い、私の目元の涙をハンカチでそっと拭ってくれた。
そして、私の手を引いた。
「行こう。今日はいい天気なんだ。――佐山さんと一緒に行きたくて、鍵は借りてきたから」
連れられて上がった屋上には、あの日と同じ、突き抜けるような青空が広がっていた。
風が吹き抜ける。
隣に立つ彼が見ている空と、私が見ている空は、もう同じ色をしている。
悪魔プチクロームとの契約は終わった。
けれど、ここから始まる恋は、どんな魔法よりも鮮やかに、私たちの世界を彩っていくのだと思う。
私は勇気を出して、彼の手を握り返した。
きっと私の顔は真っ赤に彩られていることだろう。ちらりと彼の顔を見ると、頬が赤くなっている。お揃いだ。
恥ずかしくて死にそうだったけれど、嬉しくて仕方なかった。
私たちはこれからも同じ色の世界を生きていく。
そして、その世界はきっと、永遠に続いていく。
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