恋のまじないとモノクロームな世界

猫野 にくきゅう

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第4話 さよなら、私のわがままな魔法

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 翌日から、私は一ノ瀬楓くんから逃げ回った。  
 露骨に避けるわけではないけれど、なるべく一緒にならないように立ち回る。

 教室移動の時はわざと遠回りをし、休み時間はトイレの個室に引きこもった。
 彼が私の姿を見つけて、パッと顔を明るくするのが見えたけれど、私は気づかないふりをして背を向けた。

「あ、佐山さん……!」

 その声が聞こえるたび、胸の奥がキリキリと痛んだ。  
 以前なら天にも昇る気持ちだったはずの彼の声が、今は罪の意識を呼び覚ます警鐘にしか聞こえない。  

 彼が私を求めるのは、私が好きだからじゃない。
 私が、彼から色彩を奪った犯人だからだ。


 **

 放課後、私は逃げ込むようにオカ研の部室に飛び込んだ。  
 幸い、恵麻も芙志子もまだ来ていない。  

 私は狂ったように本棚を漁り、あの『悪魔プチクロームの召喚』と書かれた黒い本を引っ張り出した。  

 ページをめくる手が震える。
 解呪の方法。契約の破棄。

 どこかに書いてあるはずだ。

 あった。  
 ページの隅に、掠れた文字で記された一文。

『契約ハ、双方ノ合意、或イハ召喚ニ用イタ媒介ノ破壊ニヨリ破棄サレル』

 媒介の破壊。  
 つまり、あの魔法陣を描いた紙を破ればいい。  

(――結構、簡単ね)

 名前に「プチ」とかついてるし、弱い悪魔だったのだろう。


 **

 私は机の引き出しを開けた。
 そこには、あの日私がコピー用紙に描いた、下手くそな魔法陣がしまわれていた。

 たった、紙切れ一枚。  
 これさえ破れば、一ノ瀬くんの世界には色が戻る。

 空は青く、芝生は緑に、信号は赤と青に。
 彼はまた、サッカーボールを追いかけ、エースとして輝ける。

 けれど、私の手はピタリと止まった。

 これを破れば、魔法は解ける。  
 そうすれば、彼はもう、私を必要としなくなる。  

(一ノ瀬君にとって、私は「特別」ではなくなる……)

 あの優しさも、屋上でのやり取りも、私だけに向けられた特別な視線も、すべて消えてなくなる。私はまた彼にとってクラスメイトの一人でしかない、背景のような「佐山さん」に戻るのだ。

「……嫌だ」

 本音が漏れた。  
 やっと手に入れた奇跡だった。

 もう少しだけ、あと数日だけでも、彼の特別でいたかった。
 そんな醜い欲望が、紙を破ろうとする指を止める。

 ――悪魔の誘惑。

 その時、ふと窓の外を見た。  
 西日が差し込むグラウンドの片隅に、見覚えのある人影があった。  

 一ノ瀬くんだった。  
 彼はボールを足元に置き、ただ呆然と立ち尽くしていた。
 蹴ろうともしない。いや、蹴れないのだ。モノクロの世界では、もうこれ以上努力する気力がわかないのだろう。

 その背中は、あまりにも小さく、寂しそうだった。  
 まるで翼を毟り取られた鳥みたいに。

 私がやったんだ。  
 私が、自分の寂しさを埋めるために、彼の翼を奪った。  
 彼の夢を、未来を、笑顔を、私のわがままな恋心が食いつぶしている。

(……最低だ、私)

 涙が溢れて、視界が滲んだ。  
 彼の夢を奪ってまで、恋人になりたくなんてない。  

 そんなの、好きって言わない。
 ただのエゴだ。

「ごめんね、一ノ瀬くん」

 私は紙を両手で掴んだ。  
 指先に力を込める。  

 さよなら、私の初めての恋。
 さよなら、夢のような数日間。

 ビリッ、と乾いた音が、静まり返った部室に響いた。

 紙が二つに裂ける。  
 その瞬間、部室の空気が一変した。  

 いままで私の体に巻き付いていた見えない糸が、プツリと切れたような感覚。
 重苦しい気配が霧散し、ただの埃っぽい空気だけが残る。

 窓の外で、一瞬だけ風が強く吹いた気がした。  
 手の中にあるのは、ただの紙屑になった魔法陣。  

 魔法は解けた。  

 これで、明日の朝になれば、彼の目は元通りになっているはずだ。
 そして、私を見る目は、その他大勢を見る無関心なものに戻るだろう。

 私は机に突っ伏して、声を殺して泣いた。  
 部室の隅で、夕日が沈むまで、ずっと泣いていた。
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