恋と呼べなくても

Cahier

文字の大きさ
上 下
9 / 22

しおりを挟む

 翌日。それは、登校してきた直が階段をのぼる途中のことだった。階段おどり場にたむろしている男子三人組の前を通り過ぎると、「おはよう、無性愛者」と声をかけられた。直は、足を止めて彼らに視線をむける。

「音也もかわいそうだよな。恋愛異常者と知らずにキスしてたなんて」
「……べつに私は普通だよ。恋愛はするし」
「キスもしたくないらしいじゃん。恋人っていわねえよ。なぁ?」
 横のふたりも同意するように、あごを引いた。
「……どうして。いろんな人間がいるって理解しようとしないのはなんで?」と直は声を震わせていい返す。
「無性愛って認めたら人類が滅亡するじゃん。子孫残さないってことなんだからさ」
「それって、ある意味罪深いよな。おまえ、少子化の根源」 

 もはや、反論する言葉が即座に浮かんでこない。直の瞳は凍りついている。すると、右端の男子がズボンのポケットに手を入れたまま、ボソっとつぶやいた。
「ハズいだけだったりして。上手いヤツと、いっぺんしてみたら?」
「信じられない」と、直は声を落として彼らから離れた。

 教室へ入ると、美結がいた。
 目が合うと、美結は「お、おはよう」とぎこちなく挨拶をする。
「……おはよう」 席に着こうとすると、直は他のクラスメートから視線をキャッチした。昨日、自分がこの場で大声で発言したことを思い出してしまった。
 
 ・・・
 
 昼休みのチャイムがなる。ひとりで食べる弁当も悪くない。直は、毎朝自分で弁当を拵《こしら》えている。彼女の通う高校には料理部があり、興味を持ったこともあったが、結局三年間帰宅部のままだった。 


 放課後、直はとある一室のドアの前に立っていた。『在室』のプレートを確認。ノックをすると、ドアのむこうがわから「はい、どうぞ」と聞こえた。
「失礼します」
「こんにちは。えーっと、三年三組の日向直さんですよね」
「はい。突然すみません」
「気にしなくていいのよ」というと、その女性はドアの外にあったプレートを『在室』から『面談中』へと裏返す。

「座って。改めまして。スクールカウンセラーの田中です」
「日向です。よろしくお願いします」 
 テーブルを挟んでむかい合う。席に着いた直とカウンセラーの田中だったが、すぐに会話は始まらない。直は最初の一言が、のどのあたりでつっかえている。彼女が唇をなめる仕草を見た田中はいった。
「今日はお昼なに食べたの?」
「え、お昼ですか。普通に、持ってきたお弁当です」
「お弁当。お母さんが作ってくれるの?」
「いいえ。私は自分で作ってます」
「あら、すごいわね。毎日?」
「一応。好きなんで、料理」
「へぇ、じゃぁ、食べることは?」
「食べること、はい。好きですけど」
「じゃあ、気持ちがいらいらしたり、不安になると、つい、たくさん食べちゃったりすることはあるかな?」
「……それは、ないです」
「そっか。でも、日向さんすごく痩せてるよね」
「あの。私、摂食障害とかじゃないし、過食して、吐いたりとかしてないですよ」
 
 すると、田中はじとっと直の目を見返した。早くも居心地の悪さを感じた直は、視線を逸らした。
「なにか、学校生活で困ってることとかある? お家でのことでもいいよ。何か不安があったら、きかせてちょうだい」 
「あの……実は、」と、直はいいかけてもう一度だけ田中の顔色をうかがった。
 自分で決断してカウンセリング室を訪れたのだし……。そう、覚悟を決めた直は、単刀直入にいった。

「私、付き合っていた彼氏がいたんですけど、別れたんです。理由が、キスをしたり、性的な行為をしたくなかったからなんです。前に彼の家へ行った時があって。『セックスしたい』って押し倒されたけど、私は断ったんです。それで、先週なんですけど、私から別れたいといいました」
 突拍子もなく恋バナが始まった。田中は、なにを考えているのか表情が全く動かない。そのカウンセラーは傾聴を続けた。

「別れたことについて、その理由を友達に話したら、共感してもらえなかったんです。私が無性愛者だっていっても理解してもらえませんでした。それどころか、おかしいって思われたみたいです。田中先生は私のこと、どう思われますか」

 ——どう思われますか。

 そう問われて、田中は数秒考えた。

「日向さんが、その彼と行為したくないって思って、ちゃんと断れたことは、うん。えらかったね。頑張ったね」
「あぁ、それは、もういいんです。それより。先生は、性的なことに関心をもてない私が恋をすることをどう思いますか」

 田中は、質問を咀嚼しようとしているのか、まばたきを繰り返す。

「えっとね。日向さん落ち着いて」
「落ち着いてます」
「まず、性的なことに関心がないなんて、いいきれないと思うわ。惹かれあった男女が愛を深めれば、自然に密接になるものなのよ。だからきっと、別れた彼とは、相性が合わなかったんだと思う。日向さんも、いつか心から愛するひとにめぐりあったら、理解できるはずだわ」
「理解できるって、なにをですか?」
「本当の愛をよ」
「本当の、愛?」
 直は眉間にしわをきざんできき返す。
「例えばね、日向さんのご両親。あなたのお父さんとお母さんも、お互いに惹かれあって人生を支え合うことを誓ったのよ。そうして、愛を深め合って、行為したから、だから今あなたはここにいる。わかるかしら?」
 田中は深憂のこもった静かな口調で続けた。
「日向さんは、まだ若いんだから。これからよ。焦って性行為をしようと思う必要はないわ」
「なにいってるんですか。私の話を聞いてましたか。性行為したかったのは、私じゃなくて彼のほうです。あと、両親のことを引き合いにしないでください。さっきの話、とても気持ち悪かったです」
「……気持ち悪いって?」
「父と母が愛し合って、なんとかって。すごく気分が悪いです」

 ごくん、と唾を呑みこんだ直のことを田中は勘ぐるような目で見つめた。
「ねぇ、日向さん。性の授業はうけたよね?」
「はぁっ!?」
「確かに、気持ち悪いって思うのもわかる。でも、あなたにとって大事なことだって教わったでしょ?」 

 ——いやこれは、間違いなく脱線している。さもありなん、という様子で田中の目力はほとばしっていた。身の危険を感じた直は、退室の好機をねらう。しかし、田中は憂色を一層濃くしていった。
「無性愛って、聞き慣れないけど、なんとなくわかるわ。でも、それは一時的な感情を表現した言葉にすぎないと思うの。本気で好きな男性と心が通じ合ったら、性的な関係に自然に移行するし、それは幸せの証じゃないかしら」
「……もう、ムリ」

 直は、吐息のようにつぶやいた。ところが、田中の耳には全く届いていなかった。
「ちょうどそういう年頃だものね。誰でも気まずい初体験を経験するものよ」
 
「私は、無性愛者なんです!」 

「落ち着きましょう日向さん。無性愛者って、恋愛をしないってことかしら?」
「いいえ。恋愛感情みたいなのはあります」
「恋愛感情があるのに、性的なコミュニケーションはしたくないの?」
「そうです!」
「矛盾して聞こえるわ。それじゃぁ、どうやってお互いに愛情表現をするのかしら?」
 
 直は、田中をにらみつけると、質問を質問で返した。

「先生は、キスやセックスでしか愛情表現ができないんですか?」 

 すると喜怒哀楽がない表情で田中はだまりこんだ。そのわざとらしい沈黙が直を萎縮させた。

 直は、立ち上がって荷物を取った。頭を下げてから、「せっかく、お時間をとってくださったのに、すみません。もう大丈夫です。失礼します」と告げた。

 そそくさと出て行こうとする直に、田中は「待って」と呼びとめる。
 ドアノブに手をかけていた直は振りかえった。

「また、いつでも話をきかせてね。先生、相談にのるからね」 

 もう二度と来ません。と心の中で返す。直は、軽く会釈して退出した。廊下に出ると、空気がひんやりして呼吸が楽になった。

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

赤羽のダーツ

キャラ文芸 / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:5

尋問官の私は拷問した相手に執着されているようです

BL / 連載中 24h.ポイント:21pt お気に入り:145

特製の淫具は捜査員の男を嬲って追い詰める

BL / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:16

逆転勇者~勇者と体が入れ替わった魔王が辿る敗戦勇者の敗走譚~

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:2

『別れても好きな人』 

ライト文芸 / 完結 24h.ポイント:85pt お気に入り:10

刀を使えない無能として追放された僕は最強の刀を納める鞘を持っている

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:119

二の舞なんてごめんですわ!

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:28pt お気に入り:46

嫁いだら旦那に「お前とは白い結婚だ」と言われました

恋愛 / 完結 24h.ポイント:78pt お気に入り:1,707

☆【 さんきゅう 】

現代文学 / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:2

私はあなたの母ではありませんよ

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,549pt お気に入り:3,424

処理中です...