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家康、江戸を捨てる
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「この地はよいぞ。土地は広く、海が近い」
「確かに、左様でござるな」
見晴らしのよい高台の上で主君と肩を並べて己の新たなる所領を眺めていた徳川家康はうなずいた。主君の言をいたずらに否定することもないし、家康自身もそう思っていたからだ。
「だからな」
人好きのする笑顔で、家康の主君は言った。
「大納言殿の居城は、あの城を基にするがよい。たしか板東の名将、太田道灌が建てた城だったはずじゃ」
主君が指さした先には、古い小城が建っていた。先の北条討伐では、北条氏が主城である相州小田原城に籠もったので、大した戦にならず開城している。
「御意」
権大納言徳川家康は恭しく頭を下げた。そのため、彼の表情を主君である関白太政大臣豊臣秀吉は見ることができなかった。
~~~~
「気に食わぬ」
家康は仏頂面でつぶやいた。
「何がでござる?」
腹心である本多佐渡守正信が尋ねた。人前は知らず、二人だけのときは遠慮をしない。それだけの信頼関係が、この二人の間にはあった。
「関白殿下も地味な嫌がらせをなさる……」
家康は吐き捨てた。
「嫌がらせ……で、ございますかな?」
問い返した正信に、家康は渋い顔を隠さず答える。
「嫌がらせよ。関白殿下は儂のことをよくわかっておられる。儂は、認めた主君には誠心誠意尽くすということをな。今は亡き治部大輔様しかり、右府様しかり」
最初の主君、今川治部大輔義元、そして名目上は同盟者であったが事実上の主君であった右大臣織田信長。その両者に、家康は二心無く仕えてきた。この二人が健在だったときに、裏切ろうとしたことは一度も無い。
「そして、関白殿下も儂は主君として認めた。小牧の役では器量の違いを見せつけられたからな。だが、なればこそ長久手で叩きのめした小僧なぞ、たとえ関白殿下の跡取りになったとしても大人しく従うつもりはない」
家康が秀吉と戦った小牧の役は、家康の完敗だった。戦場では雌雄を決することができず、外交においては家康が挙兵する大義名分だったはずの織田信雄と単独講和するという離れ業を見せつけられ、登った梯子を外されてしまった。
唯一、長久手の戦いという局地戦では、秀吉の甥である三好秀次を神輿に担いだ遊撃隊を撃破して溜飲を下げたが、その程度の損害は秀吉にとっては大して痛くもなかった。
結局、長久手以外は秀吉の掌の上で踊る羽目になった家康は、秀吉を主君と認めることにしたのだ。
主君と認めた以上は、誠心誠意尽くすのが家康の流儀である。だが、尽くすのは主君と認めた者までという所も徹底している。「家」には忠誠を誓わないのだ。
それは、秀吉もわかっている。だからこそ、東海道五州から関八州への移封という「御恩」を与えたのだ。
石高は一気に百万石は増える。そのかわり、先祖代々の土地からは切り離され、前の領主である北条氏が善政を施していた土地に移ることになる。表面上は出世であり、力を得ることになるが、同時に見えない力を失うことになる。
ただ、家康は失う力以上の利点があると考えていた。先祖代々の土地から切り離されて弱体化するのは、家康の家臣団なのだ。徳川家全体の力が弱まることは確かだが、家中の統制ということから考えると、かえって主君の力は家臣団に対しては相対的に高まることになる。
そのことを含めても、秀吉に対して敬意は抱いている。自分を上回る大器だと認めてはいるのだ。
だが、だからといって豊臣家に忠を尽くすわけではない。もし、秀吉の後継者が己に劣る者だったときは、家康は容赦なく簒奪に乗り出すだろう。
そして、そのことは秀吉も分かっている。今川義元の嫡男である氏真は家康に追われて所領を失った。信長の次男である信雄は、今度の北条征伐後の移封を拒否して秀吉の逆鱗に触れ所領を没収されたが、家康は信雄のために秀吉に取りなそうとはしなかった。
「儂にどれだけ恩を施しても、関白殿下止まりであることは、殿下ご自身も分かっておられるのよ。だからこそ、地味な、地味な嫌がらせもなされたのだ」
その程度の嫌がらせでは家康の忠義は揺るがないと見たのだろう。秀吉は最近になって、そういう底意地の悪さを見せ始めている。文字通り天下を統一して逆らう者がいなくなったからだろうと家康は見ていた。
そんな家康に、正信は首をひねりながら尋ねた。
「はてさて、その地味な嫌がらせというのが、どうにもわかりませんなあ」
家康の前では時折わざと惚けることもある正信だが、今は本気で尋ねていた。家康が何をそこまで嫌がっているのか、本当に分からなかったのだ。家康の懐刀として大抵のことは読み取れる正信にしては、非常に珍しいことである。
そんな様子を見た家康は、吐き捨てるように言った。
「城よ」
それを聞いた正信はひとつ手を打って答えた。
「ああ、確かに随分と傷んだ小城でしたな。しかし、あんなものは好きなように建て直せばよいではございませぬか。確かに駿府城も建て直したばかりのところで転封となるのは痛いところではござるが、所領も大幅に増えたことでござるし……」
「違うわ、馬鹿者」
不機嫌さを隠そうともせずに正信の言葉を遮る家康。このように不機嫌なことは珍しいと不思議に思った正信が尋ねる。
「はて? 地形的には理想的と思えますがな」
それに対して家康はうなずきながら答える。
「地形は問題ない。古さは建て直せばよい。広くすることもできる」
それを聞いて首をかしげながら正信が問う。
「ならば、何が気に食わぬのでござるか?」
その問いに、家康は吐き捨てるように答えた。
「名よ」
「名?」
鸚鵡返しに答えた正信に、家康としては珍しく皮肉げに尋ねた。
「そちも一度は儂に逆らったほどの一向宗の門徒であろうに」
今でこそ家康の懐刀に収まっている正信だが、一度反逆したことがある。三河一向一揆と呼ばれる大反乱のときだ。三河国の一向宗の寺院が持っていた守護不入の権を侵そうとした国主家康に、一向門徒の家臣が一斉に反乱を起こしたのである。若き家康にとって最大の危機となる反逆事件だった。正信は一揆が鎮圧されると家康の元には戻らず、出奔してしばらく諸国を流浪していたのである。
「はてさて、それがしの過去の過ちについては如何様にもお詫びいたしますが、それが城の名と何の関係が?」
まだ分からぬという顔をしている正信に、家康は苛立ちを隠しもせず再度問うた。
「そちにしては鈍いの。我が馬標を忘れたか?」
「ああ、成程!」
手を打って納得する正信と、それを見て苦笑しながら、ぼそりと本音を漏らす家康。
「よりにもよって『江戸』などという名の城に入れなどと、嫌がらせ以外の何だというのだ」
一向宗、すなわち浄土真宗とは敵対したことがあるが、実は浄土真宗とは同根で同じく阿弥陀仏を信じる浄土宗の信徒である家康の馬標は「厭離『穢土』 欣求浄土」……つまり「『穢土』即ち『汚れた現世』を忌み遠ざけ、浄土を求める」という意味だったのである。
~~~~
その十三年後、秀吉の死後に天下分け目の関ヶ原の戦いを制した家康は征夷大将軍に任官し、江戸に幕府を建てる。だが、わずか二年で将軍位と江戸城を嫡男秀忠に譲ると、自分は駿河国の駿府城に移り、そこで大御所として院政を敷くようになる。
その決定を聞いたとき、千代田城などと雅称も付けてはみたものの、結局は名前が気に入らなかったので早々に捨てることにしたのだろうな、と正信は思ったのだった。
「確かに、左様でござるな」
見晴らしのよい高台の上で主君と肩を並べて己の新たなる所領を眺めていた徳川家康はうなずいた。主君の言をいたずらに否定することもないし、家康自身もそう思っていたからだ。
「だからな」
人好きのする笑顔で、家康の主君は言った。
「大納言殿の居城は、あの城を基にするがよい。たしか板東の名将、太田道灌が建てた城だったはずじゃ」
主君が指さした先には、古い小城が建っていた。先の北条討伐では、北条氏が主城である相州小田原城に籠もったので、大した戦にならず開城している。
「御意」
権大納言徳川家康は恭しく頭を下げた。そのため、彼の表情を主君である関白太政大臣豊臣秀吉は見ることができなかった。
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「気に食わぬ」
家康は仏頂面でつぶやいた。
「何がでござる?」
腹心である本多佐渡守正信が尋ねた。人前は知らず、二人だけのときは遠慮をしない。それだけの信頼関係が、この二人の間にはあった。
「関白殿下も地味な嫌がらせをなさる……」
家康は吐き捨てた。
「嫌がらせ……で、ございますかな?」
問い返した正信に、家康は渋い顔を隠さず答える。
「嫌がらせよ。関白殿下は儂のことをよくわかっておられる。儂は、認めた主君には誠心誠意尽くすということをな。今は亡き治部大輔様しかり、右府様しかり」
最初の主君、今川治部大輔義元、そして名目上は同盟者であったが事実上の主君であった右大臣織田信長。その両者に、家康は二心無く仕えてきた。この二人が健在だったときに、裏切ろうとしたことは一度も無い。
「そして、関白殿下も儂は主君として認めた。小牧の役では器量の違いを見せつけられたからな。だが、なればこそ長久手で叩きのめした小僧なぞ、たとえ関白殿下の跡取りになったとしても大人しく従うつもりはない」
家康が秀吉と戦った小牧の役は、家康の完敗だった。戦場では雌雄を決することができず、外交においては家康が挙兵する大義名分だったはずの織田信雄と単独講和するという離れ業を見せつけられ、登った梯子を外されてしまった。
唯一、長久手の戦いという局地戦では、秀吉の甥である三好秀次を神輿に担いだ遊撃隊を撃破して溜飲を下げたが、その程度の損害は秀吉にとっては大して痛くもなかった。
結局、長久手以外は秀吉の掌の上で踊る羽目になった家康は、秀吉を主君と認めることにしたのだ。
主君と認めた以上は、誠心誠意尽くすのが家康の流儀である。だが、尽くすのは主君と認めた者までという所も徹底している。「家」には忠誠を誓わないのだ。
それは、秀吉もわかっている。だからこそ、東海道五州から関八州への移封という「御恩」を与えたのだ。
石高は一気に百万石は増える。そのかわり、先祖代々の土地からは切り離され、前の領主である北条氏が善政を施していた土地に移ることになる。表面上は出世であり、力を得ることになるが、同時に見えない力を失うことになる。
ただ、家康は失う力以上の利点があると考えていた。先祖代々の土地から切り離されて弱体化するのは、家康の家臣団なのだ。徳川家全体の力が弱まることは確かだが、家中の統制ということから考えると、かえって主君の力は家臣団に対しては相対的に高まることになる。
そのことを含めても、秀吉に対して敬意は抱いている。自分を上回る大器だと認めてはいるのだ。
だが、だからといって豊臣家に忠を尽くすわけではない。もし、秀吉の後継者が己に劣る者だったときは、家康は容赦なく簒奪に乗り出すだろう。
そして、そのことは秀吉も分かっている。今川義元の嫡男である氏真は家康に追われて所領を失った。信長の次男である信雄は、今度の北条征伐後の移封を拒否して秀吉の逆鱗に触れ所領を没収されたが、家康は信雄のために秀吉に取りなそうとはしなかった。
「儂にどれだけ恩を施しても、関白殿下止まりであることは、殿下ご自身も分かっておられるのよ。だからこそ、地味な、地味な嫌がらせもなされたのだ」
その程度の嫌がらせでは家康の忠義は揺るがないと見たのだろう。秀吉は最近になって、そういう底意地の悪さを見せ始めている。文字通り天下を統一して逆らう者がいなくなったからだろうと家康は見ていた。
そんな家康に、正信は首をひねりながら尋ねた。
「はてさて、その地味な嫌がらせというのが、どうにもわかりませんなあ」
家康の前では時折わざと惚けることもある正信だが、今は本気で尋ねていた。家康が何をそこまで嫌がっているのか、本当に分からなかったのだ。家康の懐刀として大抵のことは読み取れる正信にしては、非常に珍しいことである。
そんな様子を見た家康は、吐き捨てるように言った。
「城よ」
それを聞いた正信はひとつ手を打って答えた。
「ああ、確かに随分と傷んだ小城でしたな。しかし、あんなものは好きなように建て直せばよいではございませぬか。確かに駿府城も建て直したばかりのところで転封となるのは痛いところではござるが、所領も大幅に増えたことでござるし……」
「違うわ、馬鹿者」
不機嫌さを隠そうともせずに正信の言葉を遮る家康。このように不機嫌なことは珍しいと不思議に思った正信が尋ねる。
「はて? 地形的には理想的と思えますがな」
それに対して家康はうなずきながら答える。
「地形は問題ない。古さは建て直せばよい。広くすることもできる」
それを聞いて首をかしげながら正信が問う。
「ならば、何が気に食わぬのでござるか?」
その問いに、家康は吐き捨てるように答えた。
「名よ」
「名?」
鸚鵡返しに答えた正信に、家康としては珍しく皮肉げに尋ねた。
「そちも一度は儂に逆らったほどの一向宗の門徒であろうに」
今でこそ家康の懐刀に収まっている正信だが、一度反逆したことがある。三河一向一揆と呼ばれる大反乱のときだ。三河国の一向宗の寺院が持っていた守護不入の権を侵そうとした国主家康に、一向門徒の家臣が一斉に反乱を起こしたのである。若き家康にとって最大の危機となる反逆事件だった。正信は一揆が鎮圧されると家康の元には戻らず、出奔してしばらく諸国を流浪していたのである。
「はてさて、それがしの過去の過ちについては如何様にもお詫びいたしますが、それが城の名と何の関係が?」
まだ分からぬという顔をしている正信に、家康は苛立ちを隠しもせず再度問うた。
「そちにしては鈍いの。我が馬標を忘れたか?」
「ああ、成程!」
手を打って納得する正信と、それを見て苦笑しながら、ぼそりと本音を漏らす家康。
「よりにもよって『江戸』などという名の城に入れなどと、嫌がらせ以外の何だというのだ」
一向宗、すなわち浄土真宗とは敵対したことがあるが、実は浄土真宗とは同根で同じく阿弥陀仏を信じる浄土宗の信徒である家康の馬標は「厭離『穢土』 欣求浄土」……つまり「『穢土』即ち『汚れた現世』を忌み遠ざけ、浄土を求める」という意味だったのである。
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その十三年後、秀吉の死後に天下分け目の関ヶ原の戦いを制した家康は征夷大将軍に任官し、江戸に幕府を建てる。だが、わずか二年で将軍位と江戸城を嫡男秀忠に譲ると、自分は駿河国の駿府城に移り、そこで大御所として院政を敷くようになる。
その決定を聞いたとき、千代田城などと雅称も付けてはみたものの、結局は名前が気に入らなかったので早々に捨てることにしたのだろうな、と正信は思ったのだった。
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こんばんは。家康は、父の最も信奉する人物で、自分の子にも健康を願ってか、一字つけた程ですので、親しみがありました。御作に家康のどのような側面が隠れていたのか、楽しみに拝読いたしました。重みのある言葉の積み重ねで、実に質の高い文であると同時に、家康の裏に、そんな理由があったのかと、終盤まで惹き付ける、秀作であると感じ入りました。いい出会いをありがとうございます。
お読みいただきまして誠にありがとうございます。
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感想ありがとうございました。
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