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一章
始まりは一目惚れ。
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辰呀(たつか)は蒼野(そうや)という国の女武将だ。
もともと、国に仕える武家の家柄だったが、本来この国では女が武を持ち戦にでる事はない。だが、彼女には周りが無視できない程の武術の持ち主で、上にも下にも何人かの男兄弟がいたのにも関わらず兄弟で一番武に長けていた。また、男顔負けの豪快、豪胆な性格で次第に周りも彼女の武を認めた。辰呀自身も武術が嫌いではないようで、着々と腕を上げていった。そして、その武を周りにしらしめるような真似はせず、正き道にのみ己の武を使った。
さて、そんな彼女の武に目をつけた蒼野の王が王太子の護衛につけたいと申し出た。王太子付きの護衛はこの国ではとても名誉ある仕事である。勿論、彼女の家も彼女も喜んでそれを受け入れた。女という事で王太子に良くない影響を与えるのではと周りの家臣たちから噂されたが、本人を前に家臣たちは口をつぐんだ。
辰呀は女らしさの欠片の一片もなく、はたから見ても、あれは女性なのだよ、と忠告されなければ分からないくらいに男らしかったのである。
王太子も年が同じ事もあり大層気に入った。まるで男友達のように接し、二人は良好な友情関係を築いていった。
最初は訝しげに様子を伺っていた者も次第に減り、今では信頼できる一将の一人として蒼野の国に親しまれていった。
時はそれから少し経ち、彼らが共に十八歳になった日のことだ。
「辰呀! 辰呀はいないか?」
黒い長い髪を腰のあたりでゆるく結び、寝巻きである白い肌着を乱れさせながら辰呀を探す男がいた。歳は二十くらいだろう。切れ長な目をしていてなかなかの美形だ。この国の王太子で次期国主の蒼(あお)様である。
「朝から騒がしいな、蒼。どうかされましたか? ……そんな格好で出歩かないで下さい。また、女官で遊んでいたのか?」
蒼の声に反応して屋敷の庭からひょっこりと姿を現す。日に焼けた茶色のザンバラ髪を赤い紐で頭上で結んでいる。鍛錬をしていたのか、額に汗をかいている。腰には刀を差していてとても上質な刀だと分かる。王太子付きの護衛、辰呀だ。
「朝から鍛錬か。お前は真面目だな。」
「これでも貴方様をお守りしなきゃならないんでね。腕が鈍っちゃまずいでしょう。これを羽織ってください。」
辰呀は蒼に近づくと側の石に掛けてあった自分の上掛けを彼に掛けた。
「相変わらずだな。」
「で、なにか用か?」
「そうだ。お前に良いものを見せてやろうと思ってな。ほら、こちらに来るといい。」
蒼はそういって辰呀の腕を引っ張る。
仕方ないですねえと言いながら辰呀もその後をついていく。一体なんだろうか。
「良いものとはなんですか。」
「昨日から新入りの女官が大勢入ってきたのは知っておろう?」
「ああ、知ってますよ。新入りの女官を蒼が早速、床に呼んでいたのも。」
「綺麗な花が咲いているのに愛でないのは失礼にあたる。」
「貴方は王太子なんですから、程々にして下さい。世継ぎ問題に発展しますよ。」
「ふん、そんなヘマはしない。」
「さいですか。」
どうやら、蒼は女好きらしく毎夜のように女官を床に呼び遊んでいるようだ。
「まあ、その話はいい。で、昨日から入った女官にとびきり美しい者がいてな。その者をお前にも見せてやろうと思ってな。」
「蒼が床に呼んだんじゃないんですか?」
美しいと女を見慣れていて面食いな蒼が言うのだ。てっきり、一番美しいと気に入った女を呼んだのではないのかと訝しげに辰呀は考えた。
「ああ、呼んだとも。だが、頑なに拒まれてしまってな。そんな頑固さもまた気に入ったのだ。」
「王太子からの誘いを断るなんてえらく度胸のある女官ですね。」
仮にも次期に一国の王となる人間の誘いだ。下手に断れば命を散らす事にもなりかねない。
まあ、蒼は無闇に血を流す事は嫌うからそんな事はしないが。
「うむ、断られた時はさすがに傷ついたがよくよく思えばそんな所もなお愛らしいと思ってな。」
王太子は余程その女官を気に入っているらしく、顔を赤く紅潮させ機嫌よさげに女官について語っている。
対して辰呀は興味がなさそうだ。自分も女であるという事もあるだろうが、そもそも彼女はそういった色事に興味がなかった。彼女が興味を引くのは武にのみ。強い奴と戦うことが彼女の生き甲斐なのだ。きっと、自分は戦の中で死ぬんだろう、そう思っている。いや思っていた。この時までは。
「ほれ、あの女官だ。」
新人の女官たちが大広間に集まっていた。恐らく新人の女官たちが先輩女官から研修を受けているのだろう。みんな一定方向に向いて先輩女官の話を聞いている。
その中で一際、雰囲気の違う女官がいた。蒼の指差す女官だ。色素の薄い茶色の髪は高い位置で結われ風にさらさらとなびいている。目はこの国では黒や茶色の瞳が多いのだが、珍しい翡翠の瞳だ。異国の血を引いているのかもしれない。背は他の女官よりやや高めだが、逆に凛とした彼女の美しさを表すようだ。
(美しい。)
辰呀は純粋にそう思った。
これまで、蒼に連れられて美しいと言われる女性を何人か紹介されたが。初めて美しいと思った。とても綺麗で、美しく、愛らしさもありながら何処か妖艶さもある。気高い意思を持っていそうなのに何処か儚げで危うそうな者がある。とても魅力的な女性だ。
「どうだ、辰呀。とても美しい女だろう。」
「ええ、はい。とても美しい人ですね。」
「ほう、辰呀が認めるなんて珍しいな。初めてのことではないか?」
「本当に美しい……。」
「おお、だろう。だろう。お前も気に入ったか?」
「美しい……。」
「……おい、辰呀?」
「綺麗だ……。」
「おーい、辰呀ー?」
「……。」
どうやら、辰呀はあの女官に目を奪われているようだ。女遊びはともかく男の噂もない真面目で武術馬鹿な辰呀だ。とても珍しい。
「女が認める女という奴か。辰呀が女に分類されるのかは分からんが。」
「蒼。彼女の名はなんというのだ?」
「私も知らん。名すら教えてくれなんだ。名乗るほどでもない下付かえの身だと言ってな。なんだ、お前。彼女に惚れたのか?」
「惚れる……?」
「ああ。お前はそこらの男より男らしいからな。綺麗な女の方に惚れるのではないかと常々考えていた。」
「そうかもしれない。彼女に惚れた。そうですね。自分でも納得がいった。」
「ではお前の初恋祝いだな。無二の友の惚れた女を床に呼ぼうとは思わん。精々、頑張れよ。」
蒼は辰呀を本当に気に入り信頼しているようだ。今夜は酒宴でも開くかと冗談か本気かわからないような事を言っている。
「酒宴はやめてください。」
蒼はやると言ったら本当に実行する男だ。早めに釘を刺しておこう。辰呀はそう言ったが、結局今夜は酒宴が開かれる羽目になってしまった。
そして夜、辰呀は蒼に呼ばれ酒宴の席にいた。
「やめてくださいと俺、言いましたよね?」
「ふふん。私はやると言ったらやる男なのだ。お前もわかっているだろう。辰呀。」
「まあ、何となく予想はつきましたけどね。はぁ、まったく……。」
「そうため息ばかりつくな。お前のために呼んでやったぞ。」
「何をですか?」
今、辰呀達は宴会用の広間でちまちまと二人で酒を飲んでいた。
酒宴と言っても大勢でやるわけではなく、こじんまりと二人で酒を飲み交わすだけだ。蒼と辰呀はこうして酒を飲むことがあった。ほとんどの場合、辰呀は酒を断り飯を食べているだけであったが。
今回はお前の初恋祝いなのだからと無理矢理飲まされてしまった。自分以外にも護衛がいるようだったから今回は飲むことにした。
「彼女だ。彼女。」
「まさか!」
蒼が悪戯っぽく笑う。
すると扉の方から声が聞こえた。
「失礼いたします。王太子様からお呼び頂いたものです。」
「うむ、入れ。」
スーッと障子が開かれ、数人の女官がいた。その中には朝にいた女官も控えていた。
「な、な、何で呼んだんですか!」
「お前が喜ぶと思ってな。良い上司だろう。」
そう言って意地の悪い笑みを浮かべる蒼。
……その様子は家臣を応援してやろうというより面白がっているように見える。
「お前は辰呀に付け。酒を注いでやれ。後の者は全員私に付け。」
「かしこまりました。」
女官達が頭を下げ蒼の元へ付く。例の彼女は少し遅れて辰呀の左横へとついた。
「お注ぎいたします。辰呀様。」
「あ、ああ。」
彼女が空になっていた辰呀の盃に酒を注ごうと酒瓶を持つ。
憧れの彼女が自分のこんなに近くにいる。辰呀の心臓の鼓動が早まる。ああ、破裂しそうだ。
「お前も飲んではどうだ?」
彼女の声が聞きたい。だが、気の利いた言葉も思い浮かばず酒を勧めるくらいしか話す事ができない。
「お恥ずかしながら、お酒は少々苦手で……。」
彼女が申し訳なさそうに言う。
折角、目の前に彼女がいるのに話がしてみたいのに、何も思い浮かばない。そうだ、そういえば名前も知らないではないか。辰呀は不意にそう思い当たり彼女の名を尋ねた。
「お前の名は何というのだ。名前がわからなくては話し辛い。」
「……薙(なぎ)と申します。」
蒼に聞かれた時は名乗らなかったと言われていたので、もしかしたら答えてくれないと思っていたが。すんなり、名乗ってくれた。
「薙か。ふふ。名乗ってくれて嬉しい。」
「辰呀様に名を問われて拒絶する女官がどこにいましょう。」
「だが、お前は蒼に問われた時、名乗るほどまでも無いと断ったそうじゃないか。」
「ああ、あれは……。その、床に……呼ばれそうになったので……。」
薙が服の袖口を己の口元にやった。どうやら照れているらしい。なんとウブな娘だろうか。
最初の印象では凛として隙を感じさせない部分が強かったが、こうして年相応な部分もあるようだ。
「お前は愛い奴だな。」
「そんなことはありません。」
口で否定しながら目を伏せ、なおも照れている様子の薙。辰呀はますます薙に心を奪われる。
蒼に名を問われた時、拒絶したのは照れ隠しだったのだろうかと勝手に結論づける辰呀。
「辰呀様。お注ぎいたします。」
空になっていた辰呀の杯に気づき、酒を注ぐ薙。しばし沈黙が続く。居心地が悪くていつもより杯を空にする速度が上がる辰呀。元々、酒には強い方だがもう少し速度を落とさないとなと考える。だが、どうしても沈黙に耐えられずチビチビと酒を喉に通してしまう。
「おい、辰呀! 黙って飲んでないで、その女官と何か話せ。折角、場を設けてやったのにちっとも会話が進んでおらんではないか。」
数人の女官と楽しく酒を飲んでいた蒼がこちらに近寄りながら声をかける。その足取りはフラフラとしている。相当酔っているようだ。
「おい、飲みすぎだぞ。蒼。」
酒宴の席とはいえ、酒に飲まれてはいけない。彼は王太子なのだから、毅然とした態度でいてもらいたい。
「俺のことはいいんだ。さっさと仲を深めろ。この鈍臭。」
彼は生来、とても口が悪い。王太子なるもの口調を正せと父王に言われてから自分の事を『私』と言うようになっていたが、昔の口調がボロボロとこぼれている。
「蒼。口調が乱れているぞ。やはり、飲み過ぎだ。部屋に戻れ。」
「あー、あー、お前は口煩いな。口調の悪さはお前のがうつったんだ。責任取れ。」
蒼が大仰に手を振り、わざとらしく大声で言う。確かに辰呀も口がお世辞にも良いとはいえない。だが、本来の彼は辰呀と初めて会った時から既にこの口調だった。生来のものだ。人のせいにするなかれ。
文句を言おうと立ち上がるが辰呀の足取りも少しふらついた。それを見た蒼がほれ見たことかと言わんばかりの目で辰呀を睨む。
「ふふん、お前もふらついているな。人のことは言えまい。」
そんなに、飲みすぎただろうか。確かにいつもより速度が早かったが、自分ではまだいけるつもりだった。いや、言い訳はよそう。酒に飲まれた者は皆、口を揃えてまだ大丈夫だと思ったと言うのだ。
「……。くっ。今宵は俺も飲みすぎたようです。」
悔しげに歯噛みをする辰呀。蒼が勝ったとばかりに笑みを深くする。
「おい、女官。」
蒼が薙に顔を向け高圧的に声をかけた。
「何でございましょうか?」
薙が頭を下げながら彼の命令を待つ。
「俺の護衛は酒に飲まれて介抱が必要なようだ。お前が飲ませすぎたのだ。今宵はしっかり介抱してやれ。」
「かしこまりました。」
「おい、勝手なことをするな。蒼。俺が勝手に飲みすぎたんだ。彼女のせいじゃない。」
話を強引に進めていく蒼に流石に口を出す。実際、酔ったのは彼女のせいではなく自分が不甲斐ないからだ。
「王太子様の命令が気に入らないか、辰呀。」
わざとらしく王太子の部分を強調して言う蒼。こういう風になった蒼は何を言っても自分の意見をごり押しする。
「くっ、何処が良い上司だ。」
彼が酒宴の前に言った言葉を思い出し悪態をつく。だが、本当に今宵は飲みすぎたようだ。
仕方がない。部屋に戻ろう。
渋々、部屋から出て行こうとするが思いの外酔いが回っていた。ふらっと傾く辰呀の体。床に倒れこむかと思ったが、サッと誰かの手が自分の脇に差し込まれ支えられた。
「!」
「申し訳ございません、辰呀様。私が飲ませすぎたばかりに。部屋までお運び致します。」
薙だった。一見、華奢で力のなさそうな体の薙だが、意外にも力があり辰呀は驚いた。本当は彼女の手を煩わせたりしたくはないが、背に腹は変えられない。彼女に支えてもらおう。
「すまない、よろしく頼む。」
「ふふん。良い夜をな。辰呀。」
そんな辰呀を不遜な笑みで見送る蒼。やけに嬉しそうだ。まさか、薬でも仕込んだんじゃないだろうか。疑心暗鬼になるが、一応仮にも主君。疑うのはよそう。
……というよりも、だんだんと意識もふわっとして考える事ができなくなったからだ。
彼女に支えられ廊下に出る。酒宴の場だった部屋から出ると夜風が背中をさすり、少し寒い。まだ、春になったばかりだ。昼間は暖かいが、夜は冷える。
ああ、せっかく憧れの彼女と話す事ができたのに。格好悪いところを見せてしまった。
でも、俺はこんな形だが一応、女。
この恋心は許されるのだろうか。
廊下を歩いていく感覚がだんだんとなくなっていく。辰呀は酔いに体の自由を奪われる。ああ、眠い。辰呀は部屋にたどり着く前に眠ってしまった。
もともと、国に仕える武家の家柄だったが、本来この国では女が武を持ち戦にでる事はない。だが、彼女には周りが無視できない程の武術の持ち主で、上にも下にも何人かの男兄弟がいたのにも関わらず兄弟で一番武に長けていた。また、男顔負けの豪快、豪胆な性格で次第に周りも彼女の武を認めた。辰呀自身も武術が嫌いではないようで、着々と腕を上げていった。そして、その武を周りにしらしめるような真似はせず、正き道にのみ己の武を使った。
さて、そんな彼女の武に目をつけた蒼野の王が王太子の護衛につけたいと申し出た。王太子付きの護衛はこの国ではとても名誉ある仕事である。勿論、彼女の家も彼女も喜んでそれを受け入れた。女という事で王太子に良くない影響を与えるのではと周りの家臣たちから噂されたが、本人を前に家臣たちは口をつぐんだ。
辰呀は女らしさの欠片の一片もなく、はたから見ても、あれは女性なのだよ、と忠告されなければ分からないくらいに男らしかったのである。
王太子も年が同じ事もあり大層気に入った。まるで男友達のように接し、二人は良好な友情関係を築いていった。
最初は訝しげに様子を伺っていた者も次第に減り、今では信頼できる一将の一人として蒼野の国に親しまれていった。
時はそれから少し経ち、彼らが共に十八歳になった日のことだ。
「辰呀! 辰呀はいないか?」
黒い長い髪を腰のあたりでゆるく結び、寝巻きである白い肌着を乱れさせながら辰呀を探す男がいた。歳は二十くらいだろう。切れ長な目をしていてなかなかの美形だ。この国の王太子で次期国主の蒼(あお)様である。
「朝から騒がしいな、蒼。どうかされましたか? ……そんな格好で出歩かないで下さい。また、女官で遊んでいたのか?」
蒼の声に反応して屋敷の庭からひょっこりと姿を現す。日に焼けた茶色のザンバラ髪を赤い紐で頭上で結んでいる。鍛錬をしていたのか、額に汗をかいている。腰には刀を差していてとても上質な刀だと分かる。王太子付きの護衛、辰呀だ。
「朝から鍛錬か。お前は真面目だな。」
「これでも貴方様をお守りしなきゃならないんでね。腕が鈍っちゃまずいでしょう。これを羽織ってください。」
辰呀は蒼に近づくと側の石に掛けてあった自分の上掛けを彼に掛けた。
「相変わらずだな。」
「で、なにか用か?」
「そうだ。お前に良いものを見せてやろうと思ってな。ほら、こちらに来るといい。」
蒼はそういって辰呀の腕を引っ張る。
仕方ないですねえと言いながら辰呀もその後をついていく。一体なんだろうか。
「良いものとはなんですか。」
「昨日から新入りの女官が大勢入ってきたのは知っておろう?」
「ああ、知ってますよ。新入りの女官を蒼が早速、床に呼んでいたのも。」
「綺麗な花が咲いているのに愛でないのは失礼にあたる。」
「貴方は王太子なんですから、程々にして下さい。世継ぎ問題に発展しますよ。」
「ふん、そんなヘマはしない。」
「さいですか。」
どうやら、蒼は女好きらしく毎夜のように女官を床に呼び遊んでいるようだ。
「まあ、その話はいい。で、昨日から入った女官にとびきり美しい者がいてな。その者をお前にも見せてやろうと思ってな。」
「蒼が床に呼んだんじゃないんですか?」
美しいと女を見慣れていて面食いな蒼が言うのだ。てっきり、一番美しいと気に入った女を呼んだのではないのかと訝しげに辰呀は考えた。
「ああ、呼んだとも。だが、頑なに拒まれてしまってな。そんな頑固さもまた気に入ったのだ。」
「王太子からの誘いを断るなんてえらく度胸のある女官ですね。」
仮にも次期に一国の王となる人間の誘いだ。下手に断れば命を散らす事にもなりかねない。
まあ、蒼は無闇に血を流す事は嫌うからそんな事はしないが。
「うむ、断られた時はさすがに傷ついたがよくよく思えばそんな所もなお愛らしいと思ってな。」
王太子は余程その女官を気に入っているらしく、顔を赤く紅潮させ機嫌よさげに女官について語っている。
対して辰呀は興味がなさそうだ。自分も女であるという事もあるだろうが、そもそも彼女はそういった色事に興味がなかった。彼女が興味を引くのは武にのみ。強い奴と戦うことが彼女の生き甲斐なのだ。きっと、自分は戦の中で死ぬんだろう、そう思っている。いや思っていた。この時までは。
「ほれ、あの女官だ。」
新人の女官たちが大広間に集まっていた。恐らく新人の女官たちが先輩女官から研修を受けているのだろう。みんな一定方向に向いて先輩女官の話を聞いている。
その中で一際、雰囲気の違う女官がいた。蒼の指差す女官だ。色素の薄い茶色の髪は高い位置で結われ風にさらさらとなびいている。目はこの国では黒や茶色の瞳が多いのだが、珍しい翡翠の瞳だ。異国の血を引いているのかもしれない。背は他の女官よりやや高めだが、逆に凛とした彼女の美しさを表すようだ。
(美しい。)
辰呀は純粋にそう思った。
これまで、蒼に連れられて美しいと言われる女性を何人か紹介されたが。初めて美しいと思った。とても綺麗で、美しく、愛らしさもありながら何処か妖艶さもある。気高い意思を持っていそうなのに何処か儚げで危うそうな者がある。とても魅力的な女性だ。
「どうだ、辰呀。とても美しい女だろう。」
「ええ、はい。とても美しい人ですね。」
「ほう、辰呀が認めるなんて珍しいな。初めてのことではないか?」
「本当に美しい……。」
「おお、だろう。だろう。お前も気に入ったか?」
「美しい……。」
「……おい、辰呀?」
「綺麗だ……。」
「おーい、辰呀ー?」
「……。」
どうやら、辰呀はあの女官に目を奪われているようだ。女遊びはともかく男の噂もない真面目で武術馬鹿な辰呀だ。とても珍しい。
「女が認める女という奴か。辰呀が女に分類されるのかは分からんが。」
「蒼。彼女の名はなんというのだ?」
「私も知らん。名すら教えてくれなんだ。名乗るほどでもない下付かえの身だと言ってな。なんだ、お前。彼女に惚れたのか?」
「惚れる……?」
「ああ。お前はそこらの男より男らしいからな。綺麗な女の方に惚れるのではないかと常々考えていた。」
「そうかもしれない。彼女に惚れた。そうですね。自分でも納得がいった。」
「ではお前の初恋祝いだな。無二の友の惚れた女を床に呼ぼうとは思わん。精々、頑張れよ。」
蒼は辰呀を本当に気に入り信頼しているようだ。今夜は酒宴でも開くかと冗談か本気かわからないような事を言っている。
「酒宴はやめてください。」
蒼はやると言ったら本当に実行する男だ。早めに釘を刺しておこう。辰呀はそう言ったが、結局今夜は酒宴が開かれる羽目になってしまった。
そして夜、辰呀は蒼に呼ばれ酒宴の席にいた。
「やめてくださいと俺、言いましたよね?」
「ふふん。私はやると言ったらやる男なのだ。お前もわかっているだろう。辰呀。」
「まあ、何となく予想はつきましたけどね。はぁ、まったく……。」
「そうため息ばかりつくな。お前のために呼んでやったぞ。」
「何をですか?」
今、辰呀達は宴会用の広間でちまちまと二人で酒を飲んでいた。
酒宴と言っても大勢でやるわけではなく、こじんまりと二人で酒を飲み交わすだけだ。蒼と辰呀はこうして酒を飲むことがあった。ほとんどの場合、辰呀は酒を断り飯を食べているだけであったが。
今回はお前の初恋祝いなのだからと無理矢理飲まされてしまった。自分以外にも護衛がいるようだったから今回は飲むことにした。
「彼女だ。彼女。」
「まさか!」
蒼が悪戯っぽく笑う。
すると扉の方から声が聞こえた。
「失礼いたします。王太子様からお呼び頂いたものです。」
「うむ、入れ。」
スーッと障子が開かれ、数人の女官がいた。その中には朝にいた女官も控えていた。
「な、な、何で呼んだんですか!」
「お前が喜ぶと思ってな。良い上司だろう。」
そう言って意地の悪い笑みを浮かべる蒼。
……その様子は家臣を応援してやろうというより面白がっているように見える。
「お前は辰呀に付け。酒を注いでやれ。後の者は全員私に付け。」
「かしこまりました。」
女官達が頭を下げ蒼の元へ付く。例の彼女は少し遅れて辰呀の左横へとついた。
「お注ぎいたします。辰呀様。」
「あ、ああ。」
彼女が空になっていた辰呀の盃に酒を注ごうと酒瓶を持つ。
憧れの彼女が自分のこんなに近くにいる。辰呀の心臓の鼓動が早まる。ああ、破裂しそうだ。
「お前も飲んではどうだ?」
彼女の声が聞きたい。だが、気の利いた言葉も思い浮かばず酒を勧めるくらいしか話す事ができない。
「お恥ずかしながら、お酒は少々苦手で……。」
彼女が申し訳なさそうに言う。
折角、目の前に彼女がいるのに話がしてみたいのに、何も思い浮かばない。そうだ、そういえば名前も知らないではないか。辰呀は不意にそう思い当たり彼女の名を尋ねた。
「お前の名は何というのだ。名前がわからなくては話し辛い。」
「……薙(なぎ)と申します。」
蒼に聞かれた時は名乗らなかったと言われていたので、もしかしたら答えてくれないと思っていたが。すんなり、名乗ってくれた。
「薙か。ふふ。名乗ってくれて嬉しい。」
「辰呀様に名を問われて拒絶する女官がどこにいましょう。」
「だが、お前は蒼に問われた時、名乗るほどまでも無いと断ったそうじゃないか。」
「ああ、あれは……。その、床に……呼ばれそうになったので……。」
薙が服の袖口を己の口元にやった。どうやら照れているらしい。なんとウブな娘だろうか。
最初の印象では凛として隙を感じさせない部分が強かったが、こうして年相応な部分もあるようだ。
「お前は愛い奴だな。」
「そんなことはありません。」
口で否定しながら目を伏せ、なおも照れている様子の薙。辰呀はますます薙に心を奪われる。
蒼に名を問われた時、拒絶したのは照れ隠しだったのだろうかと勝手に結論づける辰呀。
「辰呀様。お注ぎいたします。」
空になっていた辰呀の杯に気づき、酒を注ぐ薙。しばし沈黙が続く。居心地が悪くていつもより杯を空にする速度が上がる辰呀。元々、酒には強い方だがもう少し速度を落とさないとなと考える。だが、どうしても沈黙に耐えられずチビチビと酒を喉に通してしまう。
「おい、辰呀! 黙って飲んでないで、その女官と何か話せ。折角、場を設けてやったのにちっとも会話が進んでおらんではないか。」
数人の女官と楽しく酒を飲んでいた蒼がこちらに近寄りながら声をかける。その足取りはフラフラとしている。相当酔っているようだ。
「おい、飲みすぎだぞ。蒼。」
酒宴の席とはいえ、酒に飲まれてはいけない。彼は王太子なのだから、毅然とした態度でいてもらいたい。
「俺のことはいいんだ。さっさと仲を深めろ。この鈍臭。」
彼は生来、とても口が悪い。王太子なるもの口調を正せと父王に言われてから自分の事を『私』と言うようになっていたが、昔の口調がボロボロとこぼれている。
「蒼。口調が乱れているぞ。やはり、飲み過ぎだ。部屋に戻れ。」
「あー、あー、お前は口煩いな。口調の悪さはお前のがうつったんだ。責任取れ。」
蒼が大仰に手を振り、わざとらしく大声で言う。確かに辰呀も口がお世辞にも良いとはいえない。だが、本来の彼は辰呀と初めて会った時から既にこの口調だった。生来のものだ。人のせいにするなかれ。
文句を言おうと立ち上がるが辰呀の足取りも少しふらついた。それを見た蒼がほれ見たことかと言わんばかりの目で辰呀を睨む。
「ふふん、お前もふらついているな。人のことは言えまい。」
そんなに、飲みすぎただろうか。確かにいつもより速度が早かったが、自分ではまだいけるつもりだった。いや、言い訳はよそう。酒に飲まれた者は皆、口を揃えてまだ大丈夫だと思ったと言うのだ。
「……。くっ。今宵は俺も飲みすぎたようです。」
悔しげに歯噛みをする辰呀。蒼が勝ったとばかりに笑みを深くする。
「おい、女官。」
蒼が薙に顔を向け高圧的に声をかけた。
「何でございましょうか?」
薙が頭を下げながら彼の命令を待つ。
「俺の護衛は酒に飲まれて介抱が必要なようだ。お前が飲ませすぎたのだ。今宵はしっかり介抱してやれ。」
「かしこまりました。」
「おい、勝手なことをするな。蒼。俺が勝手に飲みすぎたんだ。彼女のせいじゃない。」
話を強引に進めていく蒼に流石に口を出す。実際、酔ったのは彼女のせいではなく自分が不甲斐ないからだ。
「王太子様の命令が気に入らないか、辰呀。」
わざとらしく王太子の部分を強調して言う蒼。こういう風になった蒼は何を言っても自分の意見をごり押しする。
「くっ、何処が良い上司だ。」
彼が酒宴の前に言った言葉を思い出し悪態をつく。だが、本当に今宵は飲みすぎたようだ。
仕方がない。部屋に戻ろう。
渋々、部屋から出て行こうとするが思いの外酔いが回っていた。ふらっと傾く辰呀の体。床に倒れこむかと思ったが、サッと誰かの手が自分の脇に差し込まれ支えられた。
「!」
「申し訳ございません、辰呀様。私が飲ませすぎたばかりに。部屋までお運び致します。」
薙だった。一見、華奢で力のなさそうな体の薙だが、意外にも力があり辰呀は驚いた。本当は彼女の手を煩わせたりしたくはないが、背に腹は変えられない。彼女に支えてもらおう。
「すまない、よろしく頼む。」
「ふふん。良い夜をな。辰呀。」
そんな辰呀を不遜な笑みで見送る蒼。やけに嬉しそうだ。まさか、薬でも仕込んだんじゃないだろうか。疑心暗鬼になるが、一応仮にも主君。疑うのはよそう。
……というよりも、だんだんと意識もふわっとして考える事ができなくなったからだ。
彼女に支えられ廊下に出る。酒宴の場だった部屋から出ると夜風が背中をさすり、少し寒い。まだ、春になったばかりだ。昼間は暖かいが、夜は冷える。
ああ、せっかく憧れの彼女と話す事ができたのに。格好悪いところを見せてしまった。
でも、俺はこんな形だが一応、女。
この恋心は許されるのだろうか。
廊下を歩いていく感覚がだんだんとなくなっていく。辰呀は酔いに体の自由を奪われる。ああ、眠い。辰呀は部屋にたどり着く前に眠ってしまった。
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