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第10話 再会
しおりを挟む「ここでいい。付いてくる必要もない」
アルドラド王国の第二王子であるアベル・アルドラドは、王家の紋章が入った馬車から降りると、従者に素気なく伝えた。
「し、しかし…!」
アベルの予想通り従者は渋って見せたので、アベルはしかたなく王族らしい冷たい仕草でジッとただ従者を見つめた。
「し、失礼致しました!」
すると、従者は予定調和そのものの仕草で平身低頭し、自分よりは格下の御者に荒っぽく道の脇へ馬車を移動させた。
アベルは小さくため息を吐き、馬車が停止するのを見届けた。月と星を象った紋章がはためいていた。
アベルは馬車に背を向け、目の前に建つ珍しい建築様式の、木で出来た家を見上げた。アベルはようやく解放された気分になった。
(ルリさんにようやく会える……!)
自然と笑みがこぼれる。ほんの一週間前の、たった一日にも満たない出会いが、まだ幼さの残る美少年の人生を変えた。
少なくとも、アベルは自分の人生は変わったと、そう思っている。
はっきり言って、微妙な城内での立ち位置や、それでものしかかってくる王族としての務めから、アベルは齢14にして、世捨て人になりたいと常々願っていた。
より具体的に言えば、唯一自分でも少しは才があると思う魔法をたよりに、象牙の塔に籠もり、魔法研究に勤しんで一生をただただ静かに終えたいと願っていた。
灰色の人生設計を早くも描いていたのである。
ところが、今やどうだ。
アベルはルリの名を胸でつぶやくだけで、人生が薔薇色に思えるのだった。
ルリに会える。この扉一枚隔てたところに彼女がいる。
それだけのことが奇跡に思えた。生きているということは、なんと素晴らしいことか。
「ルリさん!アベルです!入ります!」
一秒でもはやく会いたくて、アベルは返事も待たずに扉を開けた。手には花束を持っていた。慣れぬことではあったが、ルリには青い薔薇がよく似合うと思い、王宮の庭園から見繕ってきたのだった。
「!?」
しかし、扉を開けたアベルは驚愕に目を見開くことになったのだった。
流理はヒザのうえに竜の王アカーシャをちょこんと乗せて、イチャついていた。
日用品ならなんでも出せるという天使からもらった指輪を濫用し、流理は元いた世界のフルーツを大量に召喚しては、アカーシャのお口に運び与えるという遊びを繰り返していた。表情はなんともいえない慈愛顔だった。
「さ、お次はシャインマスカットだよ、あ~ん」
「む、待て」
アカーシャは気づいたようだ。
「皮がついたままじゃぞ。わしはさっきのミカンとやらの時も言ったが、皮はなるたけむいて欲しいのじゃー!」
「ふふ、安心して。なんと、このシャインマスカットは皮ごと食べたほうが美味しいのさ」
「むむ、そんな面妖なフルーツがあるのかの?ほんとぉ?」
「ほんとほんと。はい、あ~ん」
「あ、あ~ん……むぐむぐ……こ、これは……!」
アカーシャは訝しげな表情を一変させて、驚愕に目を見開いた。
「ふふっ」
アカーシャの反応に流理は目を細めた。
「う、美味い!皮の食感がシャクッ!って歯切れ良くて楽しいのじゃ!実も芳醇な甘みが一気に口のなかで弾けおる!もっと!もっとちょうだいっ!」
「いくらでも」
流理は房から一粒ずつちぎっては、高速で欲しがるアカーシャの口に運び与えていく。
最後の一個になった時、流理の手が止まった。
「どうしたのじゃ?最後の一粒おくれ!」
流理はニヤニヤと笑った。
「わたしも食べたいなあ。ダメ?」
「え~!」
食べたければ新たに召喚すればいいだけなのだが、そうことは単純な話ではないのだ。流理はただのシャインマスカットが食べたいのではない。アカーシャのシャインマスカットを食べたいのだ。それも、最後の一粒だ。
「ダメ?」
「う~ん!う~ん!……いいよぉ」
アカーシャは悩んだ末に、名残惜しそうに許可を与えた。
「ありがとう。食べさせて欲しいな」
「ええ?なんでじゃ?自分で食べたらよかろう」
「アカーシャちゃんに食べさせて欲しいのさ」
「え~!しょうがないなぁ…。はい、あ~ん」
「ん~、ぱく」
流理はアカーシャの小さい指につままれた一粒のシャインマスカットを指ごと食べた。
「わっ!指までしゃぶるやつがあるか!」
「ふふっ、ごめんよ。シャインマスカットより美味しそうな果実だったものでね」
「わしは果実じゃないのじゃ!」
「それじゃあ、花かな?」
「わっ!きゃっ!くすぐったいのじゃー!きゃはは!……って、アベルきゅん!?」
アベルは灰色になって砂になろうとしていた。手に持っていたブルーローズの花束からは風前の灯火のように花びらが頼りなくパラパラと落ちて、まるでアベルの心境を表すかの如くだった。
それも仕方のないことだろう。勢いよく入ってきたのに、ふたりの世界に無視されて、あまつさえ長々とイチャイチャフルーツトークを聞かされては、せっかくの薔薇色の世界も灰色にすぐ立ち戻ろうというもの。
アベルは第二王子とはとても思えない虚ろな目をして、ふたりをぼんやりと見つめていた。やがて、目の焦点をずらして、アカーシャだけを見て、一言。
「……アカーシャちゃん、見損なったよ」
初恋の人である流理からは視線を外し、不条理な咎をアカーシャだけに投げかけたのである。それからプイッと視線を斜め下に落として、まるで世をすねたようになってしまった。
「あ、アベルきゅん…!ち、ちがうんじゃ!これは…!」
狼狽する竜の王アカーシャ。
流理はヒザにのったままのアカーシャの髪をふわふわと指先で弄んだ。
「ふふっ、何がちがうんだい?キミがイケない子だということがかい?」
流理はアカーシャの髪に口づけした。
目の端で見ていたアベルの体がピキッと揺れた。
「あっ!ダメ!やめて、アベルきゅんの前でそんな…!」
「ひどいな…」
流理は途端に傷ついた顔を見せた。
「え?」
「本気だったのは、ボクだけだったということか…」
流理はさみしげな顔で天をあおいだ。なぜか一人称はボクになっていた。
アカーシャは胸に両手をキュウとにぎりしめた。
「そんな…!そんな心が痛むようなこと言わないで…!ねえ、お願いよ、ルリ」
アカーシャは流理の手を小さな両手で握り、その手にキスをした。
流理はアカーシャを見つめ、儚げな笑みを浮かべ、顔をヤレヤレと左右に振った。
「ああ、なんとイタズラな天使なんだ…!いや、まるで無邪気な小悪魔…!この胸の痛みがあなたに通じることは無いだろう。ましてや、弄ばれているのがわかっていようとも、側にいたいなどという愚かな心は…!」
流理は朗々と宣い、天上を見上げて手をかざし、もう片方の手でアカーシャの肩を抱き寄せて嘆いた。
アカーシャはさも無垢な天使のように両手を祈るように合わせて、流理を下から見上げていた。
「…もういいですか?」
置いてけぼりのアベルが冷たく、渇いた声音で言うと、流理とアカーシャはふぅとため息をついて、おでこの汗をぬぐった。
なぜかふたりはひと仕事を終えた感じだった。
そして、講評に移ったのだった。
「無邪気な小悪魔ロリが百戦錬磨なはずのプレイボーイ貴公子の人生を狂わせてしまう、美味しいのう…禁断で魔性の果実じゃのぅ、グヘヘ……」
流理はウンウンとうなずいた。どうやら瞬時に始まったふたりの寸劇はそういう設定だったらしい。
「よく似合ってたよ」
「え~、それって褒めてるんか~?」
「当たり前じゃないか。ひとくち齧らせてくれないか?キミに狂いたいんだ」
「キャー!もう!隙あらばやらしいのじゃー!やらしいのじゃー!!」
「ふふっ、チャンスは生かさないとね」
「抜け目ない有能さにグッと来るのじゃ。さすがプレイボーイ」
「ふふっ、ありがとう。アカーシャちゃんの小悪魔ロリっぷりもすばらしかったよ」
「えへへ」
「あくまでも自分の心の痛みのみを問題にしてて、相手に我慢を強いてしまうナチュラル支配者ぶりがたまらなかった」
「わかってくれるか!」
「小悪魔にのみ許された特権、ついつい弄ばれたくなっちゃうね」
「心の友よ!」
アカーシャが抱きつき、流理も受け止めた。
熱い抱擁。
アベルはというと、灰を通り越し、鉄のように真っ青に冷たくなっていた。
「…もういいです。今日は帰ります」
「あ~ん、ごめんごめん、アベルきゅん」
「ごめんよ、アベルくん。さ、お茶を出すからさ」
そこから五分くらい帰るの帰らないの押し問答をやったあと、なんとか流理がアベルをなだめすかして、アベルはむっつり顔ながら、惚れた弱みからかイスに座ったのだった。
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