君が天使じゃありませんように

おつきさま。

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「みぃ、むりだ、そばにいてよ、ひとりじゃ生きていけない……死にたいっ、」
「…っ、」


縋るように俺の肩を掴んで唯が泣く。
そのぐちゃぐちゃな声はどんな言葉よりも深く俺の心臓を刺し貫いた。

ずっと、わかってた。
お前の身に纏うその浮世離れした雰囲気が、希死念慮からくるものだって。
いくらふざけてみせたって、本当はあの日あの柵の向こうでお前が死のうとしてたことくらい最初からちゃんとわかってたよ。
だからずっと俺は怖かった。
でも唯は、今までそれを直接言葉にしたことはないはずだった。

涙に濡れた瞳はぼんやりとどこかを見つめていた。
ゆったりとした動作で自分の耳に触れた後、唯は付けた日から一度も外したことのなかったお揃いのピアスをその耳から容易く外してみせた。
先にそれを外したのは俺の方なのに、なぜかショックを受ける自分がいた。勝手だなと思う。

「唯…?」

するりと耳を撫でられる。
穴の塞がりを確かめるように、唯はいつも俺の耳に触れた。でも今は少し違った。
鋭い何かが皮膚に触れる感覚。
なに、と口を開きかけた瞬間、それは容赦なく俺の肌を突き刺して二度目の穴を開けた。

「ッ!いっ、たぃ…っ、」

じわりと反射的に滲んだ涙と一緒に、痛みに襲われる左耳もじわじわと濡れていく。
そっと痛まないように触れたらぬるりと嫌な感触がした。見なくてもわかる、血に決まってた。

「っお前、しんじらんねー」

塞がってる穴に普通ピアスぶっ刺すか?
元々イカれてんなとは思ってたけどここまでだとは思わなかった。

「お前が一緒にあけようって言ったんだよ瑞季、こんなの一人で付けてたって意味ない」
「だからって、」
「うん、ごめん」

非を認めないつもりかと思えば随分と素直に謝罪の言葉が降ってきた。
あれ、とその顔を覗き込むとゆらゆら揺れる蜂蜜の瞳と目が合う。


「…ほら、やっぱり。上手に愛せない」


落ちた呟きは、ひとりぼっちの子どものようだった。

「だから嫌だったんだよ、お前のことだけは傷付けたくなかった。ずっと瑞季のそばにいたかった」

ようやく自分の手でこぼれ落ちる涙を拭った唯が起き上がって離れていく。
俺も手をついて今度こそ身体を起こした。

「唯…?」
「お前のせいだよ、人の気も知らないで好き好きうるせーんだよ。ほんと最悪」
「はあ?なんだよそれ、そんなに嫌だったのかよ」

言いながら泣きそうになる。
それはそうだ。だってずっと好きだった。
それがお前には迷惑でしかなかったの?


「やだよ。だって恋がダメになったら、もう一緒にいられないじゃん」


だけど続いた言葉は思っていたものと違った。

「いつか好きは終わるし、愛してるは嘘に変わる。でも友達ならずっと一緒にいられるから。だから俺は、一番長くお前のそばにいられる道を選んだのに、」

なのに。
言葉の端が潰れたように震える。

「おまえが、他の誰かのものになるなんて無理だよ、瑞季。俺のものじゃない瑞季の隣にいるくらいなら、死んだ方がマシだってさっきわかった」

向かい合って座る唯が縋るように俺の肩口に顔を埋める。

「…っ、ぅあ、」

ぬるりと熱い舌が俺の首筋を這って、それから辿り着いた左耳を丁寧に舐め上げていく。
血があふれでるピアスの周りをしつこいくらいに舐めたかと思えば、食べるようにその口の中に含まれる。

「や、だ……あっ、ゆぃ、」

頭の中にダイレクトに響く水音とやわらかい舌が気持ちよくて、ピアスに当たる度に走る痛みに涙が落ちた。
きもちいい、いたい。
相容れない感覚に脳の奥が侵されて何も考えられなくなる。

「ふっ、ぅ、あ…」

どれくらいそうしてたんだろう。
ちゅ、と最後に音を立てて唯が離れる。
いつのまにか握りしめていた唯のシャツは、俺の手の中でグシャグシャになっていた。

「みぃ」

呼ばれて素直に視線をあげる。
だって俺、その声には逆らえない。


「お前の泣き顔がこんなに気持ちいいのって、やばいかな」


なにそれ、やべえよ。
言葉は唯の口に塞がれて音にはならなかった。
この間遮られたはずの感触と一生知るはずのない温度。
与えられたそれがなんであるのかを理解する前にやわく下唇を吸われて、かと思えば次の瞬間には遠慮もなくガリ、と歯を立てられる。
じわりと滲む血の味。
その痛みに思わず肩を揺らすと、重ねた唇の奥で唯がくつりと楽しげに笑うのがわかった。
とんでもない男だ。


「一番なんかじゃねーよ、」


血が混ざった唾液が糸を引いて俺と唯を繋いでいた。
さっきから痛いことばっかりするくせに、濡れた唇を拭う指先は嘘みたいにやさしかった。
ぷつりと糸が切れて、どちらのものかもわからない唾液が唯の顎を汚した。


「本当は、お前のことしか好きじゃないよ。瑞季」


泣きながらわらう唯がきれいで、目が逸らせなかった。


「…だから、しあわせになりたくない…っ、」


痛みと恐怖を孕んだぐちゃぐちゃの声が胸に突き刺さって痛い。
子どものように泣きじゃくる唯があまりに小さく思えて、俺は目の前の男を強く抱きしめた。
なにかを誤魔化して笑うのも、割り切って生きていくのも、下手くそでどうしようもない。

「唯」
「なに」
「じゃあ俺以外、全部捨てろよ。俺だけのものになって。そうしたらお前のものになってやるから、もう一生離れないから」
「…捨てるものなんてねーよ。瑞季以外なんてない、最初からずっと、俺には瑞季しかいない」

はらはらと花びらのように水滴が散る。
赤らんだ目尻が痛々しくて愛しかった。

「…もう、いーや。お前がいうなら、もういい」

言いながら唯が俺の手を掴んで自分の方へと持っていく。ぺたりとその滑らかな頬を俺の手のひらに押し当てて、従順さと無抵抗さを示す犬のようにじっと上目遣いに俺を見つめた。


「好きにしていいよ、お前の言うことならなんでも聞く。瑞季だけのもになるから、俺を愛して」


涙がキラキラと光っていた。
陶酔のようなものがとろりと溶けた瞳で唯がうつくしくほほ笑む。
あの日の、柵の向こうに立つ篠原の姿を思い出す。
掴みどころがなくて、いつでもいなくなってしまえるようなふわふわとした軽さを身に纏った男。
いつかお前が飛んで行ってしまうのが怖かった。


「キスして、唯。俺が好きなら」


なんて、まるで脅すような俺の台詞に唯が頷く。

〝瑞季のしてほしいことなら、なんでも〟

差し出された愛がどろどろと甘ったるくて、息ができなくなりそうなほどに重い。
でも心地いい。




俺はようやく、あの柵の向こうからお前を引き戻せたのかもしれない。

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