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第2章 夏

第13話 奥義 紅光斬

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「紅剣、神一刀流か! ふふふ。見せてもらったぞ。」

それは武藤三郎だった。彼は不敵な笑みを浮かべていた。紅之介は口を開いた。

「なぜ、配下の者を斬った?」
「臆病者に用はない。」

三郎はそう言い切った。紅之介は構えを崩さず、三郎をじっと見た。隙のない身のこなしで背筋を伸ばしてピンと立ち、忍びというより剣豪という雰囲気だった。紅之介を前にしてもまだ剣を構えない。よほど剣の腕に覚えがあるのだろう。

「何の用だ?」
「葵姫を奪いに来た。」
「万代の家来か?」

紅之介のその問いを三郎は鼻で笑った。

「我らはこの技を金で売るだけだ。万代様は高こう買ってくれるぞ。貴様もその腕を持っているなら万代様に仕えぬか?」
「何を!」

その時、屋敷から人が出て来た。百雲斎と地侍たちだ。離れの騒ぎに駆け付けたのだった。百雲斎は三郎を見てひどく驚いて言った。

「武藤三郎、貴様だったのか!」
「ああ、藤林百雲斎。久しぶりだな。」

百雲斎と三郎は古い顔見知りのようだった。いや、なにか深い因縁がありそうだった。紅之介は百雲斎に尋ねた。

「頭領様。この男は?」
「この男は武藤三郎。三伊の忍び集団の頭だ。ただ者ではないぞ。気をつけろ!」

その百雲斎の言葉に三郎はニヤッと笑った。

「ふふふ。そこまで高く見ていてくれていたとはな・・・。では参るぞ!」

三郎はいきなり刀を抜いて紅之介にかかってきた。他の者には目に入っていないようだった。紅之介のみが脅威の存在と見えたのだろう。

「カキーン!」「カキーン!」

右手の刀以外に、左手あるいは両足に括りつけた短刀を繰り出してきた。尋常ならざる技で紅之介に攻撃してくるのである。それは剣術と忍術が融合した技と見るべきだろう。さすがの紅之介もそれに戸惑って刀を出すことができない。

「どうだ? 紅剣と言えどもどうすることもできまい!」

確かに紅之介は押されていた。しかし神一刀流の奥義を知る者にとって三郎が使う技はまやかしに過ぎなかった。全身を使って攻撃してくるがそれは単なる連続した剣の動きに過ぎない。それを断ち切れば・・・。紅之介の目が光り、その刀がきらめいた。

「シュパッ!」

それは三郎の左肩を斬り裂いた。伝った血が左手からポタリポタリを垂れていた。だが鎖帷子くさりかたびらで守られており、その傷は浅かった。

「むむむ・・・」

三郎は冷や水を浴びせられた気持ちになった。この技を破るとは・・・改めて紅剣の強さを思い知ってしまった。このままでは退くしかない・・・だがその時、

「紅之介!」

葵姫が姿を現した。大きな物音に起き出してきたようだ。それを見て三郎はニヤリと笑った。

(葵姫を拉致することはできなかったが亡き者にすることができる。それだけでも・・・)

三郎はとっさに刀を地面に突き刺して懐から棒手裏剣を取り出した。そしてそれを葵姫に投げつけてきた。このままではそれは葵姫の胸に突き刺さる・・・。

「姫様!」

紅之介は叫んでとっさに葵姫への方に走った。

「グサ!」

棒手裏剣が突き刺さって血が流れた。だがそれは紅之介の左肩からだった。身を挺して葵姫を守り、代わりに棒手裏剣を受けたのだった。

「紅之介!」

葵姫の悲鳴のような声が上がった。だが紅之介は大丈夫だという風に葵姫に顔を向けた。

「しくじったか! だが貴様が手傷を負ってしまったのなら同じことだ。もう十分に戦えまい! 死んでもらおう!」
「何を! これしきの傷。この剣に一分の狂いも起こさせぬ。」

三郎はまた刀を地面から引き抜いて紅之介に向かって来た。紅之介は左肩から棒手裏剣を引き抜いた。そして腰を落とし刀を下げてぐっと構えた。そして三郎が間合いに入ってくると、素早く大きく刀を振り上げた。

「バーン!」

その大きな衝撃で三郎の刀が飛ばされ、体から顔を斬り裂いた。そして三郎自体が吹っ飛ばされていた。それは神一刀流の奥義の一つ「紅光斬」だった。そのすさまじさに周りにいた者は声も出せずにいた。

「ううう・・・」

斬られた三郎は何とか立ち上がった。体は鎖帷子くさりかたびらで守られていたが、その顔に傷ができ、右目はつぶされて血が流れていた。地侍たちが取り押さえようとして駆け寄ろうとした。だがその前に三郎は

「寄るな!」

と後ろに下がると、懐から爆薬を取り出して自ら火をつけた。忍びの最期としてすべてを消し去ろうと考えたのだろう。硝煙のにおいが辺りに広がった。とっさにそこにいる者は身を低くした。

「ドーン」

と大きな火花が上がり大きな音がして辺りは煙に包まれた。そしてその後にはぽっかりと大きな穴が開いていた。

「三郎め。自害したな。」

百雲斎は言った。その言葉にようやく紅之介は「はあっ」と息を吐いて刀を下ろした。その左肩からはまだ血が流れていた。

「血が出ている。紅之介。これを。」

葵姫はすぐに寝衣の袖を破って紅之介の肩の傷に巻いた。そして心配そうに紅之介を見た。

「大丈夫か? 痛まぬか?」
「姫様。ありがとうございます。こんなかすり傷、私は平気でございます。」

その言葉に葵姫はやっとほっとして笑顔を取り戻した。

「紅之介。よくやった。あの武藤三郎をれば万代もこの地に手が出せまい。」

百雲斎は大きくうなずいた。その場にはようやく安堵の空気が流れた。これで姫様に危害を与えるものはないと・・・。


 だがその様子を遠くからうかがう者がいた。それは深手を負った武藤三郎だった。彼はまだ生きていた。火薬を爆発させて死んだと思わせてそこに逃れていたのだ。

「今日は負けだ。だがこの借りはきっと返してやる。しかし恐るべきは紅剣。容易に奴に、いや葵姫に手を出すことはできぬ・・・。まあ、よい。まずは麻山城を攻略し東堂幸信を亡き者にすればよいのだから。そうなったら今度こそ貴様らの終わりだ。」

三郎はそう呟いてその場から消えていった。里はまだ暗闇に包まれていた。
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