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第2章 夏

第12話 雨中の襲撃

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 毎日のように雨が降っていた。いよいよ梅雨に入ったのだ。周囲の山々はぼんやりかすんで見え、里に日が差すことがなくなりじめじめとした陰鬱な空気に包まれていた。
 葵姫は座敷から雨を恨めしそうに見ていた。

「こう毎日ではつまらぬな。」
「いえ、この雨があってこそ里は潤うのです。これから暑い夏。田畑に水がいる季節でございますから。」

そう答える紅之介もやはりこの時期は苦手だった。空の色と同じように気持ちまで暗くなるからだった。
だがそれを待っている者たちもいた。それは雨に紛れて百雲斎の屋敷が見える森に潜んでいた。

「そこに間違いはないか?」
「間違いない。その屋敷の離れだ。 葵姫がいる。」
「昼間は屋敷の者が多く詰めているが、夜は侍一人に女中が3人いるだけだ。」
「外の警備の侍はいない。門番がいるだけだ。」

それは数人の忍びだった。椎の里に潜り込んだと思われた3人の手練れの忍びが忽然と消えた。これはこの里に重大なことがあることを示していた。そこで頭の武藤三郎自らこの里に潜入したのだ。彼は配下の忍びたちの報告をじっと目を閉じて聞いていた。

「お頭。どうしますか?」

訪ねられてやっと三郎は口を開いた。

「この雨なら気づかれずに離れに忍び込めよう。そこで葵姫以外をる。そして姫を拉致して戻る。 よいか? ぬかるな!」
「はっ!」

忍びたちは申し合わせ通り、四方に分かれて走って行った。その動きに一部の隙も無駄もない。

(うまくいかぬわけはない。)

三郎はそう思ってみたものの、気がかりがあった。配下の忍びが3人とも里から戻って来なかったということだ。いくら敵に囲まれても1人は報告に戻そうと残りの2人が犠牲になっただろう。だが3人ともやられてしまったようなのだ。そんなことになるのは3人が一瞬に斬り倒されたときのみ・・・

(そんなことがあるわけがない。)

三郎はそんな疑念を一切振り払った。その様な使い手がここにいるとは思えなかった。とにかく降り続くこの雨はこちらに有利だ。こちらの気配や音を消してくれる。このような役目は腐るほどやった。失敗したことなどない・・・それが我らの誇りなのだと三郎は心の中で自分に言い聞かせていた。


 もう誰もが寝静まった真夜中だった。灯りが消え、暗闇の中で紅之介はふと目を覚ました。しとしとと降りしきる雨が離れの中にまで聞こえていた。だがその中にかすかな異音が混じっているのを聞いた。何者かがこの離れに近づいてきているかのように・・・。

(何者!)

紅之介は起き上がって傍らの刀をつかんだ。耳をそばだてると確かに数名の足音がする。それも忍びの者らしい。葵姫を狙って来たのかもしれないと紅之介は直感した。扉の近くで構えると忍びの者たちの気配がますます迫ってきた。

「ギッ・・・」
 
雨戸がこじ開けられた。すると暗闇に交じって忍びが侵入してきた。

「バサッ!」

紅之介は刀を抜きざま一人斬り、返す刀でもう一人を斬った。

「ぐおおっ!」

斬られた忍びが断末魔の叫びとともに外に転がっていった。

「何者だ!」

紅之介がその後に続いて外に出た。すると姿勢を低くした忍びが数名、紅之介を包囲するように刀を抜いて構えていた。気配からすると見えている者以外にもまだ多く隠れている。忍びたちは規律だった動きで紅之介に向かって来た。

「ズバッ!」「ズバッ!」

紅之介は刀を振るって斬り倒していった。すると暗闇の奥から手裏剣も飛んできた。

「カキーン!」「カキーン!」

刀で叩き落とすと、その隙にまた忍びが刀を振りかざしてきた。だが神一刀流の継承者の紅之介にとっては何のことはない。ただ相手の体を斬り裂き、あかく染めるだけであった。
 忍びたちは焦っていた。あれほどの人数がいたはずだが、もう大方が斬り倒されている。我らはこの男に敵わぬのではないか・・・そんな思いが大きくなっていた。鍛錬された強い心にほころびが生じてきたのだ。命じられるがままに敵に立ち向かうはずだが、それに躊躇が生まれた。そうなるともう逃げ腰になる。残りの忍びは後ずさりし、そして後ろを向いてその場から逃げようとした。だが・・・。

「バサリ! バサリ!」

逃げた忍びは陰から現れた男に斬られていった。その殺気は尋常ではない。紅之介はその気配に緊張して刀を構えなおした。雨はぴたりと止んでいて、辺りは静まり返った。やがて男が進んできて、その顔が暗闇の中で月のかすかな光に浮かんだ。
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