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第2章 夏

第11話 悪夢

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 葵姫は逃げていた。どこまで行っても血の付いた刀が追いかけてきていた。そして周りからは血だらけになった忍びの亡骸が起き上がって、

「こっちに来い!」

と葵姫の方に近づいてきていた。

「助けて! 紅之介!」

葵姫は叫んだ。そこで悪夢から目が覚めた。

「夢だった・・・」

葵姫は額の汗を拭いてつぶやいた。ひどくうなされていたようだ。その前の記憶をたどると、確かあの丘で3人の忍びに襲われ、紅之介が斬り捨てたところまでは思い出せた・・・後は覚えていない。多分、気を失い、紅之介がここまで運んでくれたようだ。
 しかし夢から覚めてもその恐怖は続いていた。葵姫は不安でいっぱいだった。

「誰か・・・」
「姫様。お目覚めになりましたか。」

廊下で控えていた紅之介が入ってきた。葵姫が目覚めるまでじっと廊下で待ち続けていた。その表情はいつもの優しいものだった。

「紅之介!」

ふいに葵姫は紅之介に抱きついた。紅之介は葵姫のいきなりの行動に少し面食らった。だがそのままその体を受け止めた。

「いかがなされました?」

そう尋ねた紅之介はまた同時に胸の高鳴りを感じていた。一方、葵姫は少し気持ちを落ち着けた。紅之介の体が意外にも柔らかで、やさしく包み込まれているようだった。

「怖いのじゃ。悪夢を見た。」
「もう怖くはございませぬ。この紅之介がついておりまする。ご安心を。」

だがそれでも不安は完全にぬぐえず、葵姫は紅之介から離れようとしなかった。そんな葵姫に困惑しながら紅之介は言った。

「もうお放し下され。姫様。」
「もう少しこのままで。」

姫はそう言ってまた強く紅之介にしがみついた。誰かに見られればとんでもないことになると思ったが、葵姫の不安な心を思いやり、そっと抱きしめた。

「姫様の気のすむまで。」

 やがて葵姫は紅之介の胸ですやすやと眠り始めた。紅之介は葵姫を寝かせて着物をかけた。

(よく眠っておられる・・・)

紅之介は葵姫の寝顔を見た。その顔は清らかで美しかった。紅之介はその姫になぜか愛おしい気持ちを感じ始めていた。

(いかん。私としたことが・・・)

と思ったが、同時に

(私がなぜこんな気持ちになるのか・・・)

という疑念が沸き上がってきた。

(とにかくここにいてはならぬ。)

紅之介は立ち上がった。眠っている葵姫に一礼するとまた廊下に出て行った。

 朝になり葵姫は目覚めた。起き上がってみたが、そばには紅之介の姿はなかった。

(昨夜は私のそばにずっといてくれたのではなかったのか・・・)

葵姫はためいきをついて廊下に出た。するとそこには紅之介がいた。

(紅之介!)

声をかけようとしたが、思いとどまった。紅之介はさすがに疲れが出たのか、座ったまま寝ていた。一晩中、そこで過ごしたようだった。

(紅之介。ずっといてくれたのか。私のために・・・)

葵姫は心の中でそう言いながら紅之介の顔をのぞきこんだ。そこには人を斬ったとは思えない優しい顔があった。

(ずっとそばにいてくれ。そなたがいたら私は・・・)

 気配を感じて紅之介は急に目を覚ました。その前には自分を見つめる葵姫の顔があった。

「あっ。」

と慌てて紅之介は身を正した。

「これは姫様。不覚にも眠っておりました。申し訳ありませぬ。」
「よいのじゃ。私にために一晩中、ここにいてくれたのであろう。」
「それに昨日は怖い思いをさせまして。」

紅之介は頭を下げた。葵姫はその紅之介の前に座った。

「いや、紅之介が私を守ってくれたのじゃ。礼を言います。」
「しばらくは里の外にお出かけにならぬようにと頭領様が言っておられました。私もそう思います。」
「そうか。それはつまらぬな。少しだけならよかろう。」

葵姫はわざと不満げに言った。

「しばらくのことでございます。」

紅之介が少し厳しい顔で言った。

「それなら仕方がない。ただし紅之介もだぞ。私一人にしてはならぬぞ。」

葵姫は笑顔で言った。

「はい。わかっております。」

紅之介は笑顔で言った。
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