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第3章

⑮ クモの繭

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「助けて! 助けて!」

 みーはんの悲痛なまでの命乞いが、ぐるぐる巻きの糸の中から生々しく聞こえてくる。

 親グモは一通り糸を巻き終えると、それを天井に貼りつけた。

 そこに子グモたちがわさわさと群がり始める。

「うっ! 痛い、痛い! やめて、やめて!! うぎゃああああああ!!」

 ここからは見えないが、明らかに攻撃されている。

 何ということだ!



 私たちの目の前に親グモが下りてきた。

 どうする?

 私の肉体はまだ完全に治りきっていない。

 いづなは行けるだろうか?

 いや、ファラナークなら。

 だけど、それでみーはんを救うことができるのだろうか?

 せっかくここまで来たというのに!

 みーはんの目標は今まさに達成されようとしていたというのに!



 みーはん!!



 彼女のわがままな言動もぶよぶよな見た目も、正直好きになれなかった。

 だけど、少しずつ仲間意識を持った行動が見られるようになると、悪い子じゃないことに気づいた。

 自分にやれることは自分でやるようになったし、私たちに協力的にもなった。

 彼女はこの旅を経て成長したんだ。

 なのに、なのに……!!



「みーはん!」

 こんなところで倒れている場合じゃない。

 たかが身体が真っ二つにちぎれているだけじゃないか!

 くっつきかけた下半身を立たせると、剣で支えながらなんとかその上に上半身を乗っけて天井を見上げる。

「≪流星剣≫!」

 無数の剣圧が正確にすべての子グモを砕いていく。

 みーはんが包まれた繭を無傷で守ることができた。



 だが、親グモのほうが力を込めると、尾部からまたしても無数の子グモが現れた。

「≪爆裂魔法≫!」

 通用しそうな剣技がない私は、先ほど通じた魔法での殲滅を試みた。

 バシュン!!

 なんと、異音と共に魔法が打ち消された。

「≪魔法相殺≫!?」

 くそう、やはり察知されるとむこうのほうが早い!



「≪煉獄斬≫!!」

 私の前に躍り出て剣技を放ったのはファラナークだった。

 ペーレントスパイダーの表面に傷を与えた。

 しかし、それだけだった。

「一撃で大ダメージにならないなんて、まさか昔より強くなってる??」

 ペーレントスパイダーは身体をエビぞりにして尾部を向けると、糸を放ってファラナークを絡めとってしまった。

「きゃあああああ!!」



 あのファラナークですら??

「仙崎様!!」

 いづなも混乱している。

 子グモたちは天井のみーはんとすぐそこのファラナークが包まれた繭に飛びかかる。

「うぎゃああああああ!」

「いやあああああああ!」



 その時、私の肉体は!!

 引き裂かれた傷が癒えておらず、くっついてない上半身が下半身の上をすべって地面に倒れそうになっていた。

 何ということだ。

 この際に及んで、私は何と無力なことか。

 魔法も通じない、そして剣技も躱されてしまうだろう。

 だが、己の無力を呪ったところで、仲間を助けることなどできない。

 私は何があっても仲間を守らなければならない!!



 その時、ふっと脳裏をよぎったイメージ。

 それは、ほんの数秒前に見た残像。

 この状態を「考えている」というのだろうか?

 確かに脳の活動であるが、何か違う。

 一か八かでもない、無意識でもない、もっと別の自分が自動的にそうさせたような。

 勝手に身体が動いたとでもいうのだろうか。

 私はイメージ通りに剣を振っていた。



「うおおおおおおお! ≪煉獄斬≫!!!」

 教わったわけではない、ついさっきファラナークが放った剣技を私は真似ていた。

 だけど、一瞬でしかなかったのにその印象ははっきりとつかめていた。

 グバッシャアアアアアアアア!!!

 轟音と共に地面を破壊しながら、剣圧がペーレントスパイダーを襲う。

 一瞬にしてペーレントスパイダーは賽の目状に細切れになり、その破片はほとんどがクモの巣を通り抜けて奈落へと落ちていった。

「仙崎様!」

「いづな! はやく子グモを倒して、みーはんとファラナークを!」

「はっ!!」

 残された子グモの始末はいづなには簡単すぎる仕事だった。

 だが、ペーレントスパイダーはまぎれもない強敵だった。



「いづなちゃん、ありがとう」

 クモ糸の繭からファラナークが助け出された。

 見た感じ無傷のようでほっとした。

「『油断さえしなければ』ってアスランに言っておいて、一番油断していたのは妾だったわ。ごめんなさい」

 しゅんとした憂い顔も色っぽい。



 だけど、一番心配なのはみーはんだった。

 明らかに子グモから攻撃を受けていた。

 悲鳴が聞こえたということはそれだけの体力があったということに他ならないが、深刻なダメージを受けているかもしれない。

 いづなが天井まで軽やかに駆け上がって救い出したみーはんの繭を開く。

 ちゃんと生きているのだろうか?

 そんな不安を抱えながら、私はまだ完全にくっついてない下半身を引きずってみーはんの繭に近づく。



 剣で切り込みを入れたとたんに、がっと白い着ぐるみの両手が現れてめりめりと繭を引き裂く。

「ぶはーっ、はーっ、はーっ!」

 息苦しくて必死で水面から出てきたダイバーのように繭からみーはんが飛び出した。

 よかった、元気そうだ。

 だけど……

「なによ! もっと早く助けなさいよ! ブスブス刺されて本当に死ぬかと思ったんだから! カサカサ音ばっかりして気持ち悪かったのよ!」

 その口ぶりは確かに私たちの知るみーはんだった。

「あ? なによ、呆けた顔しちゃって。私が生きててそんなに不思議なわけ? どれだけ痛い目に遭ったか知らないくせに! …………って、何か言いなさいよ!」

 だが、私たちは声が出なかった。

「吸われたのよ? 繭の中に何か突き刺されて吸われたのよ? 蚊とかのレベルじゃないんだから。めちゃめちゃ痛かったのよ!」



 みーはんは繭から出るときに着ぐるみのフードが頭か外れていた。

「ちょっと、あんたたち……」

 ここまできて、みーはんも何かの異変が起こっていることに気づいたようだった。

「ま、まさか。まだ敵が!?」

 あわててみーはんは周囲を見渡したが、敵の気配はなかった。

 そして気づく。

 ブタ(犬)の着ぐるみがずいぶんとぶかぶかになっていることに。

「あれ? なにこれ」



 私たちは一様に驚いていた。

 目の前に、輝かんばかりの清純さと神聖さをたたえた美女がいたからだ。

 着ぐるみこそ着ているものの、立ち上がったときの姿はまるで、ボッティチェリの名画「ビーナスの誕生」を思わせた。

 ふわっとウェーブのかかった長い髪がこんなにもきれいに見えたのは初めてだ。

 さっきまでぶよぶよだったみーはんが、蛹から成虫へ羽化したかのように美しく変身してしまっていたのだ。

 年齢は多分三十五歳前後だと思うけど、童顔なのか明らかにそれより若く見える。



「あれ、もしかして痩せた?」

「すごく痩せたわ」

「おそらく、ペーレントスパイダーの子グモたちは好んでみーはん様の脂肪を吸ったのではないでしょうか」

「そうよ、吸われたのよ! あー! あちこちに刺し傷ができてるじゃない」

「治癒魔法を!」

 いづなはみーはんに治癒魔法をかけるために手を触れた。

「は! な、なんてすべすべなお肌!! それに白くて透き通るよう!」

 基本的に他人の評価を、驚きをもってすることなどない彼女がこうまで言うとは。

「終わりました」

「ちょっと、ほとんど治ってないじゃない!」

「みーはん様も治癒魔法が使えるのですから、ご自分でなさってはいかがでしょうか」

 ――つ、冷たい!

 振り返ったいづなの表情は、激しい嫉妬に満ち満ちていた。

 いづなだってきれいになったみーはんに引けを取らないほどの美人なんだから、そんなに僻まなくていいだろうに……

 って何か言葉をかけてあげたいけど、セクハラになりそうだからやめておこう。
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