28 / 28
Ep03 赤黒の月2
Ep03_12 黄昏
しおりを挟む
―――――――――――――――――――
◆処分
―――――――――――――――――――
国連軍統括本部にある、ソン・ヨシュウ少将の執務室にクロウは呼び出されていた。
副官のリーゼロッテに渡された書類を、ヨシュウが読み上げる。
「辞令を言い渡します。『ミズナギクロウ、本日1200をもって貴君を枢機軍火星機動艦隊所属、少尉候補生に任ずる』これからも、よろしく頼みますよ」
ヨシュウが辞令の書類をクロウに手渡した。しかし、クロウの表情は釈然としない。
「あの……。オレの処分は?」
「何のことでしょう?」
「オレが、クロトーで味方の兵を……」
あの時の被害者は倫子だけではない。枢機軍の多くの将兵がクロウが操るクロトーの犠牲になったのだ。
「あれは、クロトーとか言うマガツカミのしわざです。あなたは関係ありません」
ヨシュウはそう言ったが、クロウは納得出来なかった。厳重な処罰を受けたほうが、まだ気が楽だ。
「でも」
「以上。話は終わりです」
「…………」
俯いてクロウが出口に向かう。その背中に、ヨシュウが声をかけた。
「起こってしまった事は仕方ありません。でも、君にはツクヨミの力がある。今回の犠牲者の、何十倍、何百倍もの人々を救うことの出来る力です。もし、それができれば、彼らもきっと許してくれるでしょう」
「……失礼します」
クロウは、部屋を出た。
ため息をつくヨシュウを、リーゼロッテが物言いたげに眺めていた。
「……なにか? 中尉?」
「別に」
―――――――――――――――――――
◆帰路
―――――――――――――――――――
荷物の整理も終わり、秕、アリス、菜乃の3人は宿舎を後にした。
アルバイトの管理人、テセラ達も、大して絡むことなく、すでに地球に帰っていた。
宇宙港のロビーで、クロウと倫子(霊体)が3人に合流した。
「よう。お前にもメーワクかけたな。アリス」
「ああ。まったくだな、クロウ」
「えーと……」
クロウはどちらかといえば口下手である。いろいろと言いたいことがあったのだが、うまく言葉に出来ない。
「ああ、もう、お前らしくない!!!!」
そう言ってアリスは、おもむろにクロウの頬を平手打ちした。景気の良い音がロビーにこだまする。面食らったクロウが間抜けな声を漏らした。
「テメェ、何しやがる!! スカートめくるぞ、コラ!!」
「それだよ。やっと元のお前らしくなったな。もう、すんだことは気にするな。これからのことを考えればいい」
「……え? めくってもいいってことか!!?」
自分で言っておいて、照れながらクロウが聞き返す。アリスの拳がクロウの顔面を直撃した。
「だいじょぶかい、クロウ」
秕が声をかける。
鼻血を拭きとって、クロウが不意に真面目な顔になった。
「……今回のことは、全部オレの責任だ。いつか必ず借りは返す」
「そんなこと、気にするなんてクロウらしくないよ。いいんだよ、今まで通りで」
「ああ? 何をエラそうに!! 借りを返すって言ってんだから、素直に返されてりゃいいんだよ!!」
「な、なんでキレてるんだようっ!!」
「――冗談だ」
クロウは高笑いしながら秕の背中を何度もはたいた。
恨みがましい視線をクロウに送って、しかし、すぐに秕の表情が明るくなる。クロウはなんとか立ち直ろうとしている。心配はいらないだろう。
クロウが菜乃に話しかける。
「菜乃。礼を言っとくぜ。お前のおかげで、りんこのことに希望が持てるようになったんだ」
「まあ、私のおかげっていうより、遺跡のおかげだけどね。それより、りんこちゃんの魂を入れる、りんこちゃんそっくりのアンドロイドを作ろうかと思うんだけど、どうかな」
「……そんなこと、出来るのか?」
「任せといて。りんこちゃんの本体を再生できるメドが立つまでの、仮の体だけどね」
皆と普通に話をするクロウのことを、嬉しそうに倫子の霊体が眺めていた。足の形が、よくあるオバケのようになっている。自由に形を変えられるらしい。
クロウの目が倫子とあった。
「オラ、なにやってんだ。さっさとシャトルに乗るぞ」
ぶっきらぼうにクロウは言った。その言い方はいささか冷たいように他人には感じられたが、倫子はさして気にした様子もなかった。
「うん」
嬉しそうに倫子はうなずいた。
**********
秕達は順次シャトルに乗り込み、置いてきぼりを喰らうこと無く、地球に向けて出発した。
あれほどの事があった後だというのに、倫子はもう普段の調子を取り戻していた。のんきに先日見た夢の話を秕にしている。
「あのね、私が道を歩いてるとなぜかお花畑に出たの。それがね、どこまでもずっと続いていてすっごくキレイだったんだ」
「へえ」
「それで、その道をさらに進むと大きな川があってね、向こう岸にはなぜか、亡くなったおじいちゃんがいて、私のこと呼んでるの」
「え? それって、いつの話?」
「ええと、三日ぐらい前に見た夢なの」
「(……まさか。ひょっとしてそれは『あの時』の記憶?)」
秕の笑顔が引きつった。
正確には、倫子の「あの時」の体験が、後日意識下で再構成されたものだったが、倫子にはわからない。
「私、うれしくて、小船にのって向こうへ渡ろうとしたのよ。そしたら、もう少しってところで突然誰かに呼び戻されちゃって。せっかく、向こう岸に行けると思ったのに」
倫子は少しすねたように言った。
「……いや、それは行かなくてよかったんじゃないかな」
その、倫子の様子を抜け目なく観察し続ける者があった。長年、オカルトとしてまともに議論さえされなかった「霊」という存在が今、目の前にいるのだ。そもそも霊とは何か。どういった素材で構成され、如何様にしてこの世に存在しうるのか。科学の使徒として、菜乃はそれが気になってしようがなかった。
「ねえ、りんこちゃん。こんどゆっくり解ぼ……調査させてもらっていいかな?」
「うん、いいよー」
倫子は快諾したが、妹が不穏当なセリフを言い直したことを兄は聞き逃さなかった。
「それにしても、遺跡の装置のことだけど、同じ人間がそう何度も使えないでしょうね。よくわかんないけど魂が劣化すると思う」
「劣化?」
秕が首をかしげる。
「やっぱり、人の体から魂を取り出すのって、魂自体に相当な負担がかかると思うのよ。それを何度もやると、おそらく、魂が壊れちゃうんじゃないかな」
「ふーむ。まあ、アレを何度も使う人はいないと思うけど」
「それもそうね」
「でも、他のカプセルが壊れてなければ、もっとたくさんの重症の人を助けられるかも知れなかったのに」
「結局、壊れてなかったのは3基だけ。他を修理するのは無理そうだし」
「そうかあ」
時刻は3時を示していた。秕がおやつを用意し始める。もちろんアリスのためだが、今回は他にも人数分準備してあった。
バナナプリンをアリスに差し出す。
「……まあ、今回はよくやった、と言っておこう。秕のくせに――いや、秕にしては」
プリンを受け取りながら、不本意そうにアリスが言った。
彼女の意外な言葉に、秕は自分の耳を疑った。
「え……!!? アリスちゃんが僕を、ホ、ホメてる!!? うそだ、そんなことあるわけがない!! なにかの作戦!!?」
「失礼な。私だって人を褒めることぐらいある」
そうではあるが、確かに彼女が秕を褒めたことはほとんどなかった。秕に、褒めるべき点が無い事が原因ではあるのだが。
秕の肩が小さく震えはじめた。顔を赤くして、目には涙があふれてくる。やがて、地面に倒れこむようにしてはいつくばった秕は、大声で泣き始めた。
「な、なぜ泣く!!?」
「こんな嬉しいことは初めてだよ。あの、アリスちゃんにホメられるなんて、一生に一度あるかないかだよう」
「……私はどれだけ冷血なんだ」
「だって、いつものアリスちゃんからはまるで想像がつかない……」
そこまで言って、秕ははっと口をつぐんだ。
「いつもの私がどうだって?」
アリスが秕を踏みつけ、秕が悲痛な叫び声を上げた。
「ご、ごめんなさいい!!」
秕が言いたかったのは、アリスのこういうところについてだろう。そんなこと本人には口が裂けても言えなかったが。
「しかし、褒められたからといって、調子に乗るなよ。地球に帰ってからも、さらに厳しい特訓の日々が待ってるんだからな。気を抜くな」
「うん。わかってるよ」
アリスの足の下で、秕は気の抜けた笑顔で言った。
「(……ったく、あれだけのことをやったっていうのに、中身は相変わらずのヘナチョコだな。これほど成長しないヤツも珍しい)」
アリスは軽くため息をついた。
彼らの乗るシャトルの行く先に、青く輝く地球と、それを取り囲む「オービタルリング」が見て取れた。
**********
ネクロポリス、国連軍統括本部の廊下で、杉藤が1人、座り込んでいた。
そこに、ベルアルビのお供をして歩いていたヨシュウが通りかかった。
「おや、どうしました、杉藤先輩」
「ヨシュウか……。実は俺、枢機軍を辞めようかと……」
「ああ、なるほど。秕君やクロウ君が大活躍するのをみて、自信をなくしたんですね」
杉藤が鈍いうめき声を漏らす。彼が気にしていた傷口を、ヨシュウがバッサリと斬り広げたのだ。
「そんなに気にしないで。杉藤先輩にもそれなりに使い道はありますから」
「それなりってなんだ、それなりって!!」
「それなりは、それなりですよ」
宇宙にも和やかな時間が流れていった。
若者たちの様子を眺めながら、モーガン=ベルアルビ元帥は彼らほど楽天的ではいられなかった。
「……今回はどうにか生き残ったか。しかし、あまり時間はない。クシヒルの実戦部隊の結成を急がねばな」
ベルアルビは、窓の外に見える半円の青い星を見上げ、独り言を言った。
―――――――――――――――――――
◆帰還
―――――――――――――――――――
世界にとりあえずの平和がもどった。
秕たちは地球に帰り、夏休みの終わりと共に、もとの学園生活を送っていた。
以前にもましてクロウは修行に打ち込むようになっていた。普段は明るく振舞ってはいたが、自らの犯した罪を償うために、他にどうしていいかわからなかったのだ。今はわずかに残された希望に向かって、全力で努力する。それだけだった。
倫子は四六時中クロウにくっついていた。
その様子は文字通り「取り憑いた」といってよい。遺跡によって抽出された霊だからか、倫子の姿は誰でも見ることができた。最初のうち、クラスメイトたちは気味悪がっていたが、倫子本人に陰鬱な暗さが全くなかったためそのうちなれて、皆、受け入れてしまった。
アリスは、日々修行に明け暮れていた。
特に、オガミヤの能力を得るために、厳しい試練を自らに課していた。
菜乃はその技術力の高さをかわれて、ときどき枢機軍に呼び出しされていた。
「ふーん。これが次世代搭乗式歩行重機……『セグメンタータ』ね」
水を得た魚のように、菜乃は嬉々として枢機軍の施設に通った。対霊子兵装の改良と、更なる新兵器開発をめざして。
そして、秕は。
「ねえねえ、聞いた? 枢機軍の二人のエースって、この学園の生徒なんでしょ?」
「どんなコかなー?」
「スッゴイ、カッコイイんだってー」
廊下いっぱいに広がって歩きながら、女生徒たちが噂話に花を咲かせていた。
「ちょっとそこ、どきなさいよ!!」
「あ、すすすみませんっ!!」
向かいから歩いてきた少年が、軽く突き飛ばされた。
「たく、なにアレー?」
「すこしは枢機軍のエースを見習ったら?」
「無理よーそいつにはー!!」
黄色く弾けるような、毒のある笑い声が廊下に木霊した。秕が深くため息をつく。
「僕って一体……」
秕とクロウが枢機軍の「切り札」であることは軍の最高機密にカテゴライズされている。クラスメイトはもちろんそのことを知っていたが、他の生徒たちの中には知らない者も多かった。
**********
アリスに呼び出された秕が屋上に現れた。見るとすでにクロウとアリスが待っていた。
「――というわけで、特訓だ!! 貴様らのたるんだ根性を、私がみっちり鍛えなおしてやる!!!!」
陸上競技のトレーニングウェアを身にまとい、鞭を持ったアリスが仁王立ちして宣言した。自らの修行も大変だろうに、それでも、クロウと秕の事も心配しているのだ。
とりわけ秕の能力・性格にはまだまだ未熟な点が多い。敵がいないわずかの間に、出来るだけの事はさせておきたかった。
「なんだよ、アリス、特訓ならオレと二人でやろうぜ。秕なんかほっといてよ」
クロウがさりげなくアリスの肩に手をかける。
「ええー? な、なに言ってるんだよう。クロウはもう十分強いんだから、特訓なんかしなくていいだろ」
アリスとクロウの間に、秕は体ごと割って入った。
「アリスちゃん、ぼくを厳しく特訓してください。二人っきりで!!」
秕も対抗意識を燃やして、アリスに懇願する。
「ジャマすんな、コラ!!」
「そっちこそ!!」
「アリスにはオレみたいな強い男が似合うんだよ!!」
「そんなことないよ、アリスちゃんに必要なのは優しさだよ!!」
「アァ!? やんのかテメェ!!?」
「アリスちゃん、タスケテ。クロウがいじめるよー!!」
二人は取っ組み合いを始めた。
もちろん本気ではなく、半分冗談のようなものなのだが。
「なによ、お兄ちゃんてば、デレデレしちゃってさ」
菜乃が物陰でこっそり兄の様子をうかがっていた。その横には偶然出くわした、霊体が浮かんでいる。
「いいの? りんこちゃんはクロウさんのこと……」
「いいの。くろう君がアリスちゃんのこと好きなのは昔からだし。私は『あいじん』でもいいから」
「は?」
幸せそうに倫子は言った。菜乃は面食らって次の言葉を失ってしまった。
「(……ひょっとして、りんこちゃんてもうオトナ!!?)」
菜乃は顔を真っ赤にして、まじまじと倫子の顔を覗き込んだ。しかし。
「だけど、あいじんってなにをすればいいのかなあ? 菜乃ちゃん、知ってる?」
「……さあ」
しかし、倫子の世間知らずぶりは、菜乃の想像をはるかに上回っていた。
背後からの凄まじい殺気を感じて、ケンカをしていた二人は手をとめた。振り返ると鬼神のごとく怒り狂ったアリスが、手にした鞭をしごきながら彼らをにらみつけていた。
「お前ら。私が特訓するっていったのが、聞こえなかったのか?」
ゆっくりとアリスは二人に近づいた。
「あ……」
「いや、その……。ちょ、ちょっと待て……アリス!!」
「おおおちついて、アリスちゃん……!!」
秕とクロウは動けなかった。まるでヘビに睨まれたカエルのように。
「私の命令が聞けないとは、二人とも偉くなったもんだな……。さすが、『切り札』のお二人は私なんかとは違うなあ」
珍しくアリスがイヤミを言った。その瞳には太陽も凍らせるほどの冷気が宿っていた。
「ひっ!! コ、コロサレル……!!」
「に、にげろっっ!!!!」
「にがすかああ!!」
鞭が足に絡み付いて、クロウを引き倒した。恐怖に引きつった絶叫が響き渡る。
「や、やめろおおお!!」
アリスに捕まったクロウが、無残に散った。
「ク、クロウ、君の犠牲は無駄にはしないよっ!!」
クロウをおとりにして、秕はまんまと逃げおおせた。給水タンクの物陰に身を隠す。
「……ふう。アリスちゃん、何をイライラしてるんだろ。やっぱり、やきもちかな? 僕達が式神の力を手に入れたから……」
「だれがやきもちだって!!?」
「ひっ!!」
背後からの声と同時に、アリスの手が秕の首根っこを捕まえていた。秕の顔から血の気が引いて、歯の根も合わないほど震え、慌てふためく。
「おお、おゆるしをぉぉ!!」
もはや、どんなにもがいても逃げ出すことはかなわなかった。
「――成敗!!」
秕の体が中に舞い、地面にたたきつけられた。
「……あ、ありすちゃん、……キャラ……かわってる……よ」
秕は気を失った。
屋上には、無残にKOされた二人の間に、アリスが一人取り残されたように立っていた。
「……あ、しまった。つい……」
アリスが我に返ったときは、すでに二人は行動不能に陥っていた。
「……まあ、たまにはいいか」
彼女の脳裏に三年前の日々がよみがえる。以前全く同じようなことがあった気がした。アリスの美しくも厳しい顔が、少しだけ柔和になったが、それに気付くものはいなかった。
―――――――――――――――――――
◆黄昏の始まり
―――――――――――――――――――
ウキフネ「イワクス」の中にカグツチはいた。
熱のない氷のような視線を向け、傍らの従者に問いただす。
「先遣隊は?」
「は、本陣に帰投した模様です」
「フン、無様だな。地球人どもをあなどるから、こうなる」
「先遣隊もそうですが、あのクロウとかいう地球人も結局役にはたちませんでしたな」
カグツチが、発言した従者を見た。カグツチにそのような意図はなかったが、見られた方は恐怖で縮み上がった。
「あれはあれでよい。おかげで時間稼ぎが出来た。我々の任務はあくまで『術式』の準備だ」
ほんの僅か、目を細めてカグツチは言った。
「……なるほど、準備をする間スサノオにウロウロされては目障りゆえ、あの人間に相手をさせた、ということですね」
「その意味では、先遣隊も役に立ってくれた。それで、準備のほうは出来ているのだろうな」
「は。抜かりなく」
作戦の進行状況を示した図が、幻術のように揺らめくスクリーンに映しだされた。地球を取り囲む位置に不気味な光点がいくつか点灯している。その脇には、5つの通信用ウィンドウが開いており、それぞれマガツカミの顔が映しだされていた。
「もう、いつまで待たせますの? カグツチ」
ウィンドウの中の、花のように美しい少女の形をしたマガツカミ、ハルナがしびれを切らせて言う。
「そう焦るな、ハルナ。我々はもう十分に待った。後数時間がなんだと言うのだ」
落ち着いてハルナを諌めたのは、重厚な体躯の偉丈夫といった風体の、イスラだ。
「そうだよハルナ。イスラの言うとおり!! あと少し。もうすぐいっぱい人がしぬんだよ!!」
無邪気に言ったのは、少年なのか少女なのか分からないマガツミ、キッカだった。その発言にもかかわらず、無邪気と表現したとおり、キッカには邪気が無かった。
「…………」
彼らの話に参加しているのかどうなのか、イズナと呼ばれるマガツカミが、ブツブツと呟いていた。会話は成り立たないが、意思の疎通はできるし、カグツチの命令にも従順だ。見た目は他の六族同様、非常に整っていて美しい女性の形をしている。その表情には狂人めいた薄笑いが常に張り付いていたが、目は笑っていなかった。
「……始まる」
最後にもう1体、ナルカミと呼ばれるマガツカミが、他の者達の会話を聞きながら、静かに呟いた。
ハルナ、イスラ、キッカ、イズナ、ナルカミ。彼らにカグツチを加えた、マガツカミ・魔民六族の6体が、ついに動き始めた。
そして。
カグツチの見上げる、一際豪奢な一角に1体の人影が現れた。銀色の髪を持つ、線の細い、少年のようなマガツカミ、レタルヒュレウだ。物憂げな、幽かな微笑をたたえカグツチを見下ろす。しかし、その瞳には光はなく、宇宙のような深淵が、奈落のような冥闇があるだけだった。
カグツチが膝をつき、頭を垂れた。
「すべての準備が整いましてございます」
「面をあげよ」
カグツチが立ち上がり、レタルヒュレウを見て、レタルヒュレウがカグツチを見る。遠目にはわからなかったが、2体は互いに頷いたようだった。
レタルヒュレウが手を振りかざす。
「さあ、始めよう。『永遠の終わり』を」
「はっ」
六族、それぞれの顔が、歓喜に歪んだ。
地球を取り囲むように、カグツチ他、6体のマガツカミの乗るウキフネが展開していた。その6体のウキフネからそれぞれ、天体サイズの巨大な「杭」が2本ずつ、計12本吐き出された。表面には複雑な模様が刻まれ、半透明で薄く発光している。
それは、かつてこの地にあったとされる「天御柱」に似ていたが、その事を知る者は地球人の中にはいなかった。ただし、それの性質は、アメノミハシラとは大きく異なっていた。
超音速で打ち出された12本の「杭」は遠目にはゆっくりと、地球にむかって降下して行った。
人々がそれに気づき、見上げ、呆然となった。
「お、おい、なんだよあれ!!?」
「で、でかい……」
地球を正20面体に見立てた12の頂点の位置に、12本の天体サイズの「杭」が轟音とともに突き刺さる。実体ではないため、地球が破壊されることはなかったが、それでも震度5クラスの地震が地球上を襲い、地上はパニックに陥った。人々は逃げ惑い、各国の軍隊も出動したが、パニックが拡大するだけでしか無かった。
杭の長さは地球の半径の約1.5倍ほどで、それぞれ地球の中心を目指して進み続け、やがて中心で出会うと、先端部のみが融合して一塊となった。
地表から飛び出したままの杭の残りの部分は、つるを伸ばすように、隣接する杭と杭とを地表と平行に結んでいった。さらに、そのつるとつるの間に薄い幕が張られていき、地球は完全に覆い尽くされてしまった。陽の光は、その8割近くがカットされ、地上は薄暗い「黄昏」に覆い尽くされた。
程なく、地上は地獄と化した。
黄昏の下で、突如人々の理性が消失し、互いに、無差別に殺し合いをはじめたのだ。
それはまさに筆舌に尽くしがたい、恐怖と憎悪、殺戮と惨殺の舞台であった。ありとあらゆる負の感情に地上は支配された。
最初の1週間で人口は半分に減り、続く1ヶ月で約1/100にまで激減した。
それは呪い……。「蟲毒」という名の、非道極まる惑星規模の呪いだった……。
【続く】
◆処分
―――――――――――――――――――
国連軍統括本部にある、ソン・ヨシュウ少将の執務室にクロウは呼び出されていた。
副官のリーゼロッテに渡された書類を、ヨシュウが読み上げる。
「辞令を言い渡します。『ミズナギクロウ、本日1200をもって貴君を枢機軍火星機動艦隊所属、少尉候補生に任ずる』これからも、よろしく頼みますよ」
ヨシュウが辞令の書類をクロウに手渡した。しかし、クロウの表情は釈然としない。
「あの……。オレの処分は?」
「何のことでしょう?」
「オレが、クロトーで味方の兵を……」
あの時の被害者は倫子だけではない。枢機軍の多くの将兵がクロウが操るクロトーの犠牲になったのだ。
「あれは、クロトーとか言うマガツカミのしわざです。あなたは関係ありません」
ヨシュウはそう言ったが、クロウは納得出来なかった。厳重な処罰を受けたほうが、まだ気が楽だ。
「でも」
「以上。話は終わりです」
「…………」
俯いてクロウが出口に向かう。その背中に、ヨシュウが声をかけた。
「起こってしまった事は仕方ありません。でも、君にはツクヨミの力がある。今回の犠牲者の、何十倍、何百倍もの人々を救うことの出来る力です。もし、それができれば、彼らもきっと許してくれるでしょう」
「……失礼します」
クロウは、部屋を出た。
ため息をつくヨシュウを、リーゼロッテが物言いたげに眺めていた。
「……なにか? 中尉?」
「別に」
―――――――――――――――――――
◆帰路
―――――――――――――――――――
荷物の整理も終わり、秕、アリス、菜乃の3人は宿舎を後にした。
アルバイトの管理人、テセラ達も、大して絡むことなく、すでに地球に帰っていた。
宇宙港のロビーで、クロウと倫子(霊体)が3人に合流した。
「よう。お前にもメーワクかけたな。アリス」
「ああ。まったくだな、クロウ」
「えーと……」
クロウはどちらかといえば口下手である。いろいろと言いたいことがあったのだが、うまく言葉に出来ない。
「ああ、もう、お前らしくない!!!!」
そう言ってアリスは、おもむろにクロウの頬を平手打ちした。景気の良い音がロビーにこだまする。面食らったクロウが間抜けな声を漏らした。
「テメェ、何しやがる!! スカートめくるぞ、コラ!!」
「それだよ。やっと元のお前らしくなったな。もう、すんだことは気にするな。これからのことを考えればいい」
「……え? めくってもいいってことか!!?」
自分で言っておいて、照れながらクロウが聞き返す。アリスの拳がクロウの顔面を直撃した。
「だいじょぶかい、クロウ」
秕が声をかける。
鼻血を拭きとって、クロウが不意に真面目な顔になった。
「……今回のことは、全部オレの責任だ。いつか必ず借りは返す」
「そんなこと、気にするなんてクロウらしくないよ。いいんだよ、今まで通りで」
「ああ? 何をエラそうに!! 借りを返すって言ってんだから、素直に返されてりゃいいんだよ!!」
「な、なんでキレてるんだようっ!!」
「――冗談だ」
クロウは高笑いしながら秕の背中を何度もはたいた。
恨みがましい視線をクロウに送って、しかし、すぐに秕の表情が明るくなる。クロウはなんとか立ち直ろうとしている。心配はいらないだろう。
クロウが菜乃に話しかける。
「菜乃。礼を言っとくぜ。お前のおかげで、りんこのことに希望が持てるようになったんだ」
「まあ、私のおかげっていうより、遺跡のおかげだけどね。それより、りんこちゃんの魂を入れる、りんこちゃんそっくりのアンドロイドを作ろうかと思うんだけど、どうかな」
「……そんなこと、出来るのか?」
「任せといて。りんこちゃんの本体を再生できるメドが立つまでの、仮の体だけどね」
皆と普通に話をするクロウのことを、嬉しそうに倫子の霊体が眺めていた。足の形が、よくあるオバケのようになっている。自由に形を変えられるらしい。
クロウの目が倫子とあった。
「オラ、なにやってんだ。さっさとシャトルに乗るぞ」
ぶっきらぼうにクロウは言った。その言い方はいささか冷たいように他人には感じられたが、倫子はさして気にした様子もなかった。
「うん」
嬉しそうに倫子はうなずいた。
**********
秕達は順次シャトルに乗り込み、置いてきぼりを喰らうこと無く、地球に向けて出発した。
あれほどの事があった後だというのに、倫子はもう普段の調子を取り戻していた。のんきに先日見た夢の話を秕にしている。
「あのね、私が道を歩いてるとなぜかお花畑に出たの。それがね、どこまでもずっと続いていてすっごくキレイだったんだ」
「へえ」
「それで、その道をさらに進むと大きな川があってね、向こう岸にはなぜか、亡くなったおじいちゃんがいて、私のこと呼んでるの」
「え? それって、いつの話?」
「ええと、三日ぐらい前に見た夢なの」
「(……まさか。ひょっとしてそれは『あの時』の記憶?)」
秕の笑顔が引きつった。
正確には、倫子の「あの時」の体験が、後日意識下で再構成されたものだったが、倫子にはわからない。
「私、うれしくて、小船にのって向こうへ渡ろうとしたのよ。そしたら、もう少しってところで突然誰かに呼び戻されちゃって。せっかく、向こう岸に行けると思ったのに」
倫子は少しすねたように言った。
「……いや、それは行かなくてよかったんじゃないかな」
その、倫子の様子を抜け目なく観察し続ける者があった。長年、オカルトとしてまともに議論さえされなかった「霊」という存在が今、目の前にいるのだ。そもそも霊とは何か。どういった素材で構成され、如何様にしてこの世に存在しうるのか。科学の使徒として、菜乃はそれが気になってしようがなかった。
「ねえ、りんこちゃん。こんどゆっくり解ぼ……調査させてもらっていいかな?」
「うん、いいよー」
倫子は快諾したが、妹が不穏当なセリフを言い直したことを兄は聞き逃さなかった。
「それにしても、遺跡の装置のことだけど、同じ人間がそう何度も使えないでしょうね。よくわかんないけど魂が劣化すると思う」
「劣化?」
秕が首をかしげる。
「やっぱり、人の体から魂を取り出すのって、魂自体に相当な負担がかかると思うのよ。それを何度もやると、おそらく、魂が壊れちゃうんじゃないかな」
「ふーむ。まあ、アレを何度も使う人はいないと思うけど」
「それもそうね」
「でも、他のカプセルが壊れてなければ、もっとたくさんの重症の人を助けられるかも知れなかったのに」
「結局、壊れてなかったのは3基だけ。他を修理するのは無理そうだし」
「そうかあ」
時刻は3時を示していた。秕がおやつを用意し始める。もちろんアリスのためだが、今回は他にも人数分準備してあった。
バナナプリンをアリスに差し出す。
「……まあ、今回はよくやった、と言っておこう。秕のくせに――いや、秕にしては」
プリンを受け取りながら、不本意そうにアリスが言った。
彼女の意外な言葉に、秕は自分の耳を疑った。
「え……!!? アリスちゃんが僕を、ホ、ホメてる!!? うそだ、そんなことあるわけがない!! なにかの作戦!!?」
「失礼な。私だって人を褒めることぐらいある」
そうではあるが、確かに彼女が秕を褒めたことはほとんどなかった。秕に、褒めるべき点が無い事が原因ではあるのだが。
秕の肩が小さく震えはじめた。顔を赤くして、目には涙があふれてくる。やがて、地面に倒れこむようにしてはいつくばった秕は、大声で泣き始めた。
「な、なぜ泣く!!?」
「こんな嬉しいことは初めてだよ。あの、アリスちゃんにホメられるなんて、一生に一度あるかないかだよう」
「……私はどれだけ冷血なんだ」
「だって、いつものアリスちゃんからはまるで想像がつかない……」
そこまで言って、秕ははっと口をつぐんだ。
「いつもの私がどうだって?」
アリスが秕を踏みつけ、秕が悲痛な叫び声を上げた。
「ご、ごめんなさいい!!」
秕が言いたかったのは、アリスのこういうところについてだろう。そんなこと本人には口が裂けても言えなかったが。
「しかし、褒められたからといって、調子に乗るなよ。地球に帰ってからも、さらに厳しい特訓の日々が待ってるんだからな。気を抜くな」
「うん。わかってるよ」
アリスの足の下で、秕は気の抜けた笑顔で言った。
「(……ったく、あれだけのことをやったっていうのに、中身は相変わらずのヘナチョコだな。これほど成長しないヤツも珍しい)」
アリスは軽くため息をついた。
彼らの乗るシャトルの行く先に、青く輝く地球と、それを取り囲む「オービタルリング」が見て取れた。
**********
ネクロポリス、国連軍統括本部の廊下で、杉藤が1人、座り込んでいた。
そこに、ベルアルビのお供をして歩いていたヨシュウが通りかかった。
「おや、どうしました、杉藤先輩」
「ヨシュウか……。実は俺、枢機軍を辞めようかと……」
「ああ、なるほど。秕君やクロウ君が大活躍するのをみて、自信をなくしたんですね」
杉藤が鈍いうめき声を漏らす。彼が気にしていた傷口を、ヨシュウがバッサリと斬り広げたのだ。
「そんなに気にしないで。杉藤先輩にもそれなりに使い道はありますから」
「それなりってなんだ、それなりって!!」
「それなりは、それなりですよ」
宇宙にも和やかな時間が流れていった。
若者たちの様子を眺めながら、モーガン=ベルアルビ元帥は彼らほど楽天的ではいられなかった。
「……今回はどうにか生き残ったか。しかし、あまり時間はない。クシヒルの実戦部隊の結成を急がねばな」
ベルアルビは、窓の外に見える半円の青い星を見上げ、独り言を言った。
―――――――――――――――――――
◆帰還
―――――――――――――――――――
世界にとりあえずの平和がもどった。
秕たちは地球に帰り、夏休みの終わりと共に、もとの学園生活を送っていた。
以前にもましてクロウは修行に打ち込むようになっていた。普段は明るく振舞ってはいたが、自らの犯した罪を償うために、他にどうしていいかわからなかったのだ。今はわずかに残された希望に向かって、全力で努力する。それだけだった。
倫子は四六時中クロウにくっついていた。
その様子は文字通り「取り憑いた」といってよい。遺跡によって抽出された霊だからか、倫子の姿は誰でも見ることができた。最初のうち、クラスメイトたちは気味悪がっていたが、倫子本人に陰鬱な暗さが全くなかったためそのうちなれて、皆、受け入れてしまった。
アリスは、日々修行に明け暮れていた。
特に、オガミヤの能力を得るために、厳しい試練を自らに課していた。
菜乃はその技術力の高さをかわれて、ときどき枢機軍に呼び出しされていた。
「ふーん。これが次世代搭乗式歩行重機……『セグメンタータ』ね」
水を得た魚のように、菜乃は嬉々として枢機軍の施設に通った。対霊子兵装の改良と、更なる新兵器開発をめざして。
そして、秕は。
「ねえねえ、聞いた? 枢機軍の二人のエースって、この学園の生徒なんでしょ?」
「どんなコかなー?」
「スッゴイ、カッコイイんだってー」
廊下いっぱいに広がって歩きながら、女生徒たちが噂話に花を咲かせていた。
「ちょっとそこ、どきなさいよ!!」
「あ、すすすみませんっ!!」
向かいから歩いてきた少年が、軽く突き飛ばされた。
「たく、なにアレー?」
「すこしは枢機軍のエースを見習ったら?」
「無理よーそいつにはー!!」
黄色く弾けるような、毒のある笑い声が廊下に木霊した。秕が深くため息をつく。
「僕って一体……」
秕とクロウが枢機軍の「切り札」であることは軍の最高機密にカテゴライズされている。クラスメイトはもちろんそのことを知っていたが、他の生徒たちの中には知らない者も多かった。
**********
アリスに呼び出された秕が屋上に現れた。見るとすでにクロウとアリスが待っていた。
「――というわけで、特訓だ!! 貴様らのたるんだ根性を、私がみっちり鍛えなおしてやる!!!!」
陸上競技のトレーニングウェアを身にまとい、鞭を持ったアリスが仁王立ちして宣言した。自らの修行も大変だろうに、それでも、クロウと秕の事も心配しているのだ。
とりわけ秕の能力・性格にはまだまだ未熟な点が多い。敵がいないわずかの間に、出来るだけの事はさせておきたかった。
「なんだよ、アリス、特訓ならオレと二人でやろうぜ。秕なんかほっといてよ」
クロウがさりげなくアリスの肩に手をかける。
「ええー? な、なに言ってるんだよう。クロウはもう十分強いんだから、特訓なんかしなくていいだろ」
アリスとクロウの間に、秕は体ごと割って入った。
「アリスちゃん、ぼくを厳しく特訓してください。二人っきりで!!」
秕も対抗意識を燃やして、アリスに懇願する。
「ジャマすんな、コラ!!」
「そっちこそ!!」
「アリスにはオレみたいな強い男が似合うんだよ!!」
「そんなことないよ、アリスちゃんに必要なのは優しさだよ!!」
「アァ!? やんのかテメェ!!?」
「アリスちゃん、タスケテ。クロウがいじめるよー!!」
二人は取っ組み合いを始めた。
もちろん本気ではなく、半分冗談のようなものなのだが。
「なによ、お兄ちゃんてば、デレデレしちゃってさ」
菜乃が物陰でこっそり兄の様子をうかがっていた。その横には偶然出くわした、霊体が浮かんでいる。
「いいの? りんこちゃんはクロウさんのこと……」
「いいの。くろう君がアリスちゃんのこと好きなのは昔からだし。私は『あいじん』でもいいから」
「は?」
幸せそうに倫子は言った。菜乃は面食らって次の言葉を失ってしまった。
「(……ひょっとして、りんこちゃんてもうオトナ!!?)」
菜乃は顔を真っ赤にして、まじまじと倫子の顔を覗き込んだ。しかし。
「だけど、あいじんってなにをすればいいのかなあ? 菜乃ちゃん、知ってる?」
「……さあ」
しかし、倫子の世間知らずぶりは、菜乃の想像をはるかに上回っていた。
背後からの凄まじい殺気を感じて、ケンカをしていた二人は手をとめた。振り返ると鬼神のごとく怒り狂ったアリスが、手にした鞭をしごきながら彼らをにらみつけていた。
「お前ら。私が特訓するっていったのが、聞こえなかったのか?」
ゆっくりとアリスは二人に近づいた。
「あ……」
「いや、その……。ちょ、ちょっと待て……アリス!!」
「おおおちついて、アリスちゃん……!!」
秕とクロウは動けなかった。まるでヘビに睨まれたカエルのように。
「私の命令が聞けないとは、二人とも偉くなったもんだな……。さすが、『切り札』のお二人は私なんかとは違うなあ」
珍しくアリスがイヤミを言った。その瞳には太陽も凍らせるほどの冷気が宿っていた。
「ひっ!! コ、コロサレル……!!」
「に、にげろっっ!!!!」
「にがすかああ!!」
鞭が足に絡み付いて、クロウを引き倒した。恐怖に引きつった絶叫が響き渡る。
「や、やめろおおお!!」
アリスに捕まったクロウが、無残に散った。
「ク、クロウ、君の犠牲は無駄にはしないよっ!!」
クロウをおとりにして、秕はまんまと逃げおおせた。給水タンクの物陰に身を隠す。
「……ふう。アリスちゃん、何をイライラしてるんだろ。やっぱり、やきもちかな? 僕達が式神の力を手に入れたから……」
「だれがやきもちだって!!?」
「ひっ!!」
背後からの声と同時に、アリスの手が秕の首根っこを捕まえていた。秕の顔から血の気が引いて、歯の根も合わないほど震え、慌てふためく。
「おお、おゆるしをぉぉ!!」
もはや、どんなにもがいても逃げ出すことはかなわなかった。
「――成敗!!」
秕の体が中に舞い、地面にたたきつけられた。
「……あ、ありすちゃん、……キャラ……かわってる……よ」
秕は気を失った。
屋上には、無残にKOされた二人の間に、アリスが一人取り残されたように立っていた。
「……あ、しまった。つい……」
アリスが我に返ったときは、すでに二人は行動不能に陥っていた。
「……まあ、たまにはいいか」
彼女の脳裏に三年前の日々がよみがえる。以前全く同じようなことがあった気がした。アリスの美しくも厳しい顔が、少しだけ柔和になったが、それに気付くものはいなかった。
―――――――――――――――――――
◆黄昏の始まり
―――――――――――――――――――
ウキフネ「イワクス」の中にカグツチはいた。
熱のない氷のような視線を向け、傍らの従者に問いただす。
「先遣隊は?」
「は、本陣に帰投した模様です」
「フン、無様だな。地球人どもをあなどるから、こうなる」
「先遣隊もそうですが、あのクロウとかいう地球人も結局役にはたちませんでしたな」
カグツチが、発言した従者を見た。カグツチにそのような意図はなかったが、見られた方は恐怖で縮み上がった。
「あれはあれでよい。おかげで時間稼ぎが出来た。我々の任務はあくまで『術式』の準備だ」
ほんの僅か、目を細めてカグツチは言った。
「……なるほど、準備をする間スサノオにウロウロされては目障りゆえ、あの人間に相手をさせた、ということですね」
「その意味では、先遣隊も役に立ってくれた。それで、準備のほうは出来ているのだろうな」
「は。抜かりなく」
作戦の進行状況を示した図が、幻術のように揺らめくスクリーンに映しだされた。地球を取り囲む位置に不気味な光点がいくつか点灯している。その脇には、5つの通信用ウィンドウが開いており、それぞれマガツカミの顔が映しだされていた。
「もう、いつまで待たせますの? カグツチ」
ウィンドウの中の、花のように美しい少女の形をしたマガツカミ、ハルナがしびれを切らせて言う。
「そう焦るな、ハルナ。我々はもう十分に待った。後数時間がなんだと言うのだ」
落ち着いてハルナを諌めたのは、重厚な体躯の偉丈夫といった風体の、イスラだ。
「そうだよハルナ。イスラの言うとおり!! あと少し。もうすぐいっぱい人がしぬんだよ!!」
無邪気に言ったのは、少年なのか少女なのか分からないマガツミ、キッカだった。その発言にもかかわらず、無邪気と表現したとおり、キッカには邪気が無かった。
「…………」
彼らの話に参加しているのかどうなのか、イズナと呼ばれるマガツカミが、ブツブツと呟いていた。会話は成り立たないが、意思の疎通はできるし、カグツチの命令にも従順だ。見た目は他の六族同様、非常に整っていて美しい女性の形をしている。その表情には狂人めいた薄笑いが常に張り付いていたが、目は笑っていなかった。
「……始まる」
最後にもう1体、ナルカミと呼ばれるマガツカミが、他の者達の会話を聞きながら、静かに呟いた。
ハルナ、イスラ、キッカ、イズナ、ナルカミ。彼らにカグツチを加えた、マガツカミ・魔民六族の6体が、ついに動き始めた。
そして。
カグツチの見上げる、一際豪奢な一角に1体の人影が現れた。銀色の髪を持つ、線の細い、少年のようなマガツカミ、レタルヒュレウだ。物憂げな、幽かな微笑をたたえカグツチを見下ろす。しかし、その瞳には光はなく、宇宙のような深淵が、奈落のような冥闇があるだけだった。
カグツチが膝をつき、頭を垂れた。
「すべての準備が整いましてございます」
「面をあげよ」
カグツチが立ち上がり、レタルヒュレウを見て、レタルヒュレウがカグツチを見る。遠目にはわからなかったが、2体は互いに頷いたようだった。
レタルヒュレウが手を振りかざす。
「さあ、始めよう。『永遠の終わり』を」
「はっ」
六族、それぞれの顔が、歓喜に歪んだ。
地球を取り囲むように、カグツチ他、6体のマガツカミの乗るウキフネが展開していた。その6体のウキフネからそれぞれ、天体サイズの巨大な「杭」が2本ずつ、計12本吐き出された。表面には複雑な模様が刻まれ、半透明で薄く発光している。
それは、かつてこの地にあったとされる「天御柱」に似ていたが、その事を知る者は地球人の中にはいなかった。ただし、それの性質は、アメノミハシラとは大きく異なっていた。
超音速で打ち出された12本の「杭」は遠目にはゆっくりと、地球にむかって降下して行った。
人々がそれに気づき、見上げ、呆然となった。
「お、おい、なんだよあれ!!?」
「で、でかい……」
地球を正20面体に見立てた12の頂点の位置に、12本の天体サイズの「杭」が轟音とともに突き刺さる。実体ではないため、地球が破壊されることはなかったが、それでも震度5クラスの地震が地球上を襲い、地上はパニックに陥った。人々は逃げ惑い、各国の軍隊も出動したが、パニックが拡大するだけでしか無かった。
杭の長さは地球の半径の約1.5倍ほどで、それぞれ地球の中心を目指して進み続け、やがて中心で出会うと、先端部のみが融合して一塊となった。
地表から飛び出したままの杭の残りの部分は、つるを伸ばすように、隣接する杭と杭とを地表と平行に結んでいった。さらに、そのつるとつるの間に薄い幕が張られていき、地球は完全に覆い尽くされてしまった。陽の光は、その8割近くがカットされ、地上は薄暗い「黄昏」に覆い尽くされた。
程なく、地上は地獄と化した。
黄昏の下で、突如人々の理性が消失し、互いに、無差別に殺し合いをはじめたのだ。
それはまさに筆舌に尽くしがたい、恐怖と憎悪、殺戮と惨殺の舞台であった。ありとあらゆる負の感情に地上は支配された。
最初の1週間で人口は半分に減り、続く1ヶ月で約1/100にまで激減した。
それは呪い……。「蟲毒」という名の、非道極まる惑星規模の呪いだった……。
【続く】
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
9
この作品の感想を投稿する
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる