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Ep03 赤黒の月2

Ep03_12 黄昏

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◆処分
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 国連軍統括本部にある、ソン・ヨシュウ少将の執務室にクロウは呼び出されていた。
 副官のリーゼロッテに渡された書類を、ヨシュウが読み上げる。

「辞令を言い渡します。『ミズナギクロウ、本日1200をもって貴君を枢機軍火星機動艦隊所属、少尉候補生に任ずる』これからも、よろしく頼みますよ」

 ヨシュウが辞令の書類をクロウに手渡した。しかし、クロウの表情は釈然としない。

「あの……。オレの処分は?」
「何のことでしょう?」
「オレが、クロトーで味方の兵を……」

 あの時の被害者は倫子だけではない。枢機軍の多くの将兵がクロウが操るクロトーの犠牲になったのだ。

「あれは、クロトーとか言うマガツカミのしわざです。あなたは関係ありません」

 ヨシュウはそう言ったが、クロウは納得出来なかった。厳重な処罰を受けたほうが、まだ気が楽だ。

「でも」
「以上。話は終わりです」
「…………」

 俯いてクロウが出口に向かう。その背中に、ヨシュウが声をかけた。

「起こってしまった事は仕方ありません。でも、君にはツクヨミの力がある。今回の犠牲者の、何十倍、何百倍もの人々を救うことの出来る力です。もし、それができれば、彼らもきっと許してくれるでしょう」
「……失礼します」

 クロウは、部屋を出た。
 ため息をつくヨシュウを、リーゼロッテが物言いたげに眺めていた。

「……なにか? 中尉?」
「別に」


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◆帰路
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 荷物の整理も終わり、シイナ、アリス、菜乃の3人は宿舎を後にした。
 アルバイトの管理人、テセラ達も、大して絡むことなく、すでに地球に帰っていた。
 宇宙港のロビーで、クロウと倫子(霊体)が3人に合流した。

「よう。お前にもメーワクかけたな。アリス」
「ああ。まったくだな、クロウ」
「えーと……」

 クロウはどちらかといえば口下手である。いろいろと言いたいことがあったのだが、うまく言葉に出来ない。

「ああ、もう、お前らしくない!!!!」

 そう言ってアリスは、おもむろにクロウの頬を平手打ちした。景気の良い音がロビーにこだまする。面食らったクロウが間抜けな声を漏らした。

「テメェ、何しやがる!! スカートめくるぞ、コラ!!」
「それだよ。やっと元のお前らしくなったな。もう、すんだことは気にするな。これからのことを考えればいい」
「……え? めくってもいいってことか!!?」

 自分で言っておいて、照れながらクロウが聞き返す。アリスの拳がクロウの顔面を直撃した。

「だいじょぶかい、クロウ」

 秕が声をかける。
 鼻血を拭きとって、クロウが不意に真面目な顔になった。

「……今回のことは、全部オレの責任だ。いつか必ず借りは返す」
「そんなこと、気にするなんてクロウらしくないよ。いいんだよ、今まで通りで」
「ああ? 何をエラそうに!! 借りを返すって言ってんだから、素直に返されてりゃいいんだよ!!」
「な、なんでキレてるんだようっ!!」
「――冗談だ」

 クロウは高笑いしながら秕の背中を何度もはたいた。
 恨みがましい視線をクロウに送って、しかし、すぐに秕の表情が明るくなる。クロウはなんとか立ち直ろうとしている。心配はいらないだろう。
 クロウが菜乃に話しかける。

「菜乃。礼を言っとくぜ。お前のおかげで、りんこのことに希望が持てるようになったんだ」
「まあ、私のおかげっていうより、遺跡のおかげだけどね。それより、りんこちゃんの魂を入れる、りんこちゃんそっくりのアンドロイドを作ろうかと思うんだけど、どうかな」
「……そんなこと、出来るのか?」
「任せといて。りんこちゃんの本体を再生できるメドが立つまでの、仮の体だけどね」

 皆と普通に話をするクロウのことを、嬉しそうに倫子の霊体が眺めていた。足の形が、よくあるオバケのようになっている。自由に形を変えられるらしい。
 クロウの目が倫子とあった。

「オラ、なにやってんだ。さっさとシャトルに乗るぞ」

 ぶっきらぼうにクロウは言った。その言い方はいささか冷たいように他人には感じられたが、倫子はさして気にした様子もなかった。

「うん」

 嬉しそうに倫子はうなずいた。


**********


 秕達は順次シャトルに乗り込み、置いてきぼりを喰らうこと無く、地球に向けて出発した。
 あれほどの事があった後だというのに、倫子はもう普段の調子を取り戻していた。のんきに先日見た夢の話を秕にしている。

「あのね、私が道を歩いてるとなぜかお花畑に出たの。それがね、どこまでもずっと続いていてすっごくキレイだったんだ」
「へえ」
「それで、その道をさらに進むと大きな川があってね、向こう岸にはなぜか、亡くなったおじいちゃんがいて、私のこと呼んでるの」
「え? それって、いつの話?」
「ええと、三日ぐらい前に見た夢なの」
「(……まさか。ひょっとしてそれは『あの時』の記憶?)」

 秕の笑顔が引きつった。
 正確には、倫子の「あの時」の体験が、後日意識下で再構成されたものだったが、倫子にはわからない。

「私、うれしくて、小船にのって向こうへ渡ろうとしたのよ。そしたら、もう少しってところで突然誰かに呼び戻されちゃって。せっかく、向こう岸に行けると思ったのに」

 倫子は少しすねたように言った。

「……いや、それは行かなくてよかったんじゃないかな」

 その、倫子の様子を抜け目なく観察し続ける者があった。長年、オカルトとしてまともに議論さえされなかった「霊」という存在が今、目の前にいるのだ。そもそも霊とは何か。どういった素材で構成され、如何様にしてこの世に存在しうるのか。科学の使徒として、菜乃はそれが気になってしようがなかった。

「ねえ、りんこちゃん。こんどゆっくり解ぼ……調査させてもらっていいかな?」
「うん、いいよー」

 倫子は快諾したが、妹が不穏当なセリフを言い直したことを兄は聞き逃さなかった。

「それにしても、遺跡の装置のことだけど、同じ人間がそう何度も使えないでしょうね。よくわかんないけど魂が劣化すると思う」
「劣化?」

 秕が首をかしげる。

「やっぱり、人の体から魂を取り出すのって、魂自体に相当な負担がかかると思うのよ。それを何度もやると、おそらく、魂が壊れちゃうんじゃないかな」
「ふーむ。まあ、アレを何度も使う人はいないと思うけど」
「それもそうね」
「でも、他のカプセルが壊れてなければ、もっとたくさんの重症の人を助けられるかも知れなかったのに」
「結局、壊れてなかったのは3基だけ。他を修理するのは無理そうだし」
「そうかあ」

 時刻は3時を示していた。秕がおやつを用意し始める。もちろんアリスのためだが、今回は他にも人数分準備してあった。
 バナナプリンをアリスに差し出す。

「……まあ、今回はよくやった、と言っておこう。秕のくせに――いや、秕にしては」

 プリンを受け取りながら、不本意そうにアリスが言った。
 彼女の意外な言葉に、秕は自分の耳を疑った。

「え……!!? アリスちゃんが僕を、ホ、ホメてる!!? うそだ、そんなことあるわけがない!! なにかの作戦!!?」
「失礼な。私だって人を褒めることぐらいある」

 そうではあるが、確かに彼女が秕を褒めたことはほとんどなかった。秕に、褒めるべき点が無い事が原因ではあるのだが。
 秕の肩が小さく震えはじめた。顔を赤くして、目には涙があふれてくる。やがて、地面に倒れこむようにしてはいつくばった秕は、大声で泣き始めた。

「な、なぜ泣く!!?」
「こんな嬉しいことは初めてだよ。あの、アリスちゃんにホメられるなんて、一生に一度あるかないかだよう」
「……私はどれだけ冷血なんだ」
「だって、いつものアリスちゃんからはまるで想像がつかない……」

 そこまで言って、秕ははっと口をつぐんだ。

「いつもの私がどうだって?」

 アリスが秕を踏みつけ、秕が悲痛な叫び声を上げた。

「ご、ごめんなさいい!!」

 秕が言いたかったのは、アリスのこういうところについてだろう。そんなこと本人には口が裂けても言えなかったが。

「しかし、褒められたからといって、調子に乗るなよ。地球に帰ってからも、さらに厳しい特訓の日々が待ってるんだからな。気を抜くな」
「うん。わかってるよ」

 アリスの足の下で、秕は気の抜けた笑顔で言った。

「(……ったく、あれだけのことをやったっていうのに、中身は相変わらずのヘナチョコだな。これほど成長しないヤツも珍しい)」

 アリスは軽くため息をついた。

 彼らの乗るシャトルの行く先に、青く輝く地球と、それを取り囲む「オービタルリング」が見て取れた。


**********


 ネクロポリス、国連軍統括本部の廊下で、杉藤が1人、座り込んでいた。
 そこに、ベルアルビのお供をして歩いていたヨシュウが通りかかった。

「おや、どうしました、杉藤先輩」
「ヨシュウか……。実は俺、枢機軍を辞めようかと……」
「ああ、なるほど。秕君やクロウ君が大活躍するのをみて、自信をなくしたんですね」

 杉藤が鈍いうめき声を漏らす。彼が気にしていた傷口を、ヨシュウがバッサリと斬り広げたのだ。

「そんなに気にしないで。杉藤先輩にもそれなりに使い道はありますから」
「それなりってなんだ、それなりって!!」
「それなりは、それなりですよ」

 宇宙にも和やかな時間が流れていった。
 若者たちの様子を眺めながら、モーガン=ベルアルビ元帥は彼らほど楽天的ではいられなかった。

「……今回はどうにか生き残ったか。しかし、あまり時間はない。クシヒルの実戦部隊の結成を急がねばな」

 ベルアルビは、窓の外に見える半円の青い星を見上げ、独り言を言った。


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◆帰還
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 世界にとりあえずの平和がもどった。
 秕たちは地球に帰り、夏休みの終わりと共に、もとの学園生活を送っていた。

 以前にもましてクロウは修行に打ち込むようになっていた。普段は明るく振舞ってはいたが、自らの犯した罪を償うために、他にどうしていいかわからなかったのだ。今はわずかに残された希望に向かって、全力で努力する。それだけだった。

 倫子は四六時中クロウにくっついていた。
 その様子は文字通り「取り憑いた」といってよい。遺跡によって抽出された霊だからか、倫子の姿は誰でも見ることができた。最初のうち、クラスメイトたちは気味悪がっていたが、倫子本人に陰鬱な暗さが全くなかったためそのうちなれて、皆、受け入れてしまった。

 アリスは、日々修行に明け暮れていた。
 特に、オガミヤの能力を得るために、厳しい試練を自らに課していた。

 菜乃はその技術力の高さをかわれて、ときどき枢機軍に呼び出しされていた。

「ふーん。これが次世代搭乗式歩行重機アーマチュア……『セグメンタータ』ね」

 水を得た魚のように、菜乃は嬉々として枢機軍の施設に通った。対霊子兵装の改良と、更なる新兵器開発をめざして。

 そして、秕は。

「ねえねえ、聞いた? 枢機軍の二人のエースって、この学園の生徒なんでしょ?」
「どんなコかなー?」
「スッゴイ、カッコイイんだってー」

 廊下いっぱいに広がって歩きながら、女生徒たちが噂話に花を咲かせていた。

「ちょっとそこ、どきなさいよ!!」
「あ、すすすみませんっ!!」

 向かいから歩いてきた少年が、軽く突き飛ばされた。

「たく、なにアレー?」
「すこしは枢機軍のエースを見習ったら?」
「無理よーそいつにはー!!」

 黄色く弾けるような、毒のある笑い声が廊下に木霊した。秕が深くため息をつく。

「僕って一体……」

 秕とクロウが枢機軍の「切り札」であることは軍の最高機密にカテゴライズされている。クラスメイトはもちろんそのことを知っていたが、他の生徒たちの中には知らない者も多かった。


**********


 アリスに呼び出された秕が屋上に現れた。見るとすでにクロウとアリスが待っていた。

「――というわけで、特訓だ!! 貴様らのたるんだ根性を、私がみっちり鍛えなおしてやる!!!!」

 陸上競技のトレーニングウェアを身にまとい、鞭を持ったアリスが仁王立ちして宣言した。自らの修行も大変だろうに、それでも、クロウと秕の事も心配しているのだ。
 とりわけ秕の能力・性格にはまだまだ未熟な点が多い。敵がいないわずかの間に、出来るだけの事はさせておきたかった。

「なんだよ、アリス、特訓ならオレと二人でやろうぜ。秕なんかほっといてよ」

 クロウがさりげなくアリスの肩に手をかける。

「ええー? な、なに言ってるんだよう。クロウはもう十分強いんだから、特訓なんかしなくていいだろ」

 アリスとクロウの間に、秕は体ごと割って入った。

「アリスちゃん、ぼくを厳しく特訓してください。二人っきりで!!」

 秕も対抗意識を燃やして、アリスに懇願する。

「ジャマすんな、コラ!!」
「そっちこそ!!」
「アリスにはオレみたいな強い男が似合うんだよ!!」
「そんなことないよ、アリスちゃんに必要なのは優しさだよ!!」
「アァ!? やんのかテメェ!!?」
「アリスちゃん、タスケテ。クロウがいじめるよー!!」

 二人は取っ組み合いを始めた。
 もちろん本気ではなく、半分冗談のようなものなのだが。

「なによ、お兄ちゃんてば、デレデレしちゃってさ」

 菜乃が物陰でこっそり兄の様子をうかがっていた。その横には偶然出くわした、霊体が浮かんでいる。

「いいの? りんこちゃんはクロウさんのこと……」
「いいの。くろう君がアリスちゃんのこと好きなのは昔からだし。私は『あいじん』でもいいから」
「は?」

 幸せそうに倫子は言った。菜乃は面食らって次の言葉を失ってしまった。

「(……ひょっとして、りんこちゃんてもうオトナ!!?)」

 菜乃は顔を真っ赤にして、まじまじと倫子の顔を覗き込んだ。しかし。

「だけど、あいじんってなにをすればいいのかなあ? 菜乃ちゃん、知ってる?」
「……さあ」

 しかし、倫子の世間知らずぶりは、菜乃の想像をはるかに上回っていた。

 背後からの凄まじい殺気を感じて、ケンカをしていた二人は手をとめた。振り返ると鬼神のごとく怒り狂ったアリスが、手にした鞭をしごきながら彼らをにらみつけていた。

「お前ら。私が特訓するっていったのが、聞こえなかったのか?」

 ゆっくりとアリスは二人に近づいた。

「あ……」
「いや、その……。ちょ、ちょっと待て……アリス!!」
「おおおちついて、アリスちゃん……!!」

 秕とクロウは動けなかった。まるでヘビに睨まれたカエルのように。

「私の命令が聞けないとは、二人とも偉くなったもんだな……。さすが、『切り札』のお二人は私なんかとは違うなあ」

 珍しくアリスがイヤミを言った。その瞳には太陽も凍らせるほどの冷気が宿っていた。

「ひっ!! コ、コロサレル……!!」
「に、にげろっっ!!!!」
「にがすかああ!!」

 鞭が足に絡み付いて、クロウを引き倒した。恐怖に引きつった絶叫が響き渡る。

「や、やめろおおお!!」

 アリスに捕まったクロウが、無残に散った。

「ク、クロウ、君の犠牲は無駄にはしないよっ!!」

 クロウをおとりにして、秕はまんまと逃げおおせた。給水タンクの物陰に身を隠す。

「……ふう。アリスちゃん、何をイライラしてるんだろ。やっぱり、やきもちかな? 僕達が式神の力を手に入れたから……」
「だれがやきもちだって!!?」
「ひっ!!」

 背後からの声と同時に、アリスの手が秕の首根っこを捕まえていた。秕の顔から血の気が引いて、歯の根も合わないほど震え、慌てふためく。

「おお、おゆるしをぉぉ!!」

 もはや、どんなにもがいても逃げ出すことはかなわなかった。

「――成敗!!」

 秕の体が中に舞い、地面にたたきつけられた。

「……あ、ありすちゃん、……キャラ……かわってる……よ」

 秕は気を失った。
屋上には、無残にKOされた二人の間に、アリスが一人取り残されたように立っていた。

「……あ、しまった。つい……」

 アリスが我に返ったときは、すでに二人は行動不能に陥っていた。

「……まあ、たまにはいいか」

 彼女の脳裏に三年前の日々がよみがえる。以前全く同じようなことがあった気がした。アリスの美しくも厳しい顔が、少しだけ柔和になったが、それに気付くものはいなかった。


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◆黄昏の始まり
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 ウキフネ「イワクス」の中にカグツチはいた。
 熱のない氷のような視線を向け、傍らの従者に問いただす。

「先遣隊は?」
「は、本陣に帰投した模様です」
「フン、無様だな。地球人どもをあなどるから、こうなる」
「先遣隊もそうですが、あのクロウとかいう地球人も結局役にはたちませんでしたな」

 カグツチが、発言した従者を見た。カグツチにそのような意図はなかったが、見られた方は恐怖で縮み上がった。

「あれはあれでよい。おかげで時間稼ぎが出来た。我々の任務はあくまで『術式』の準備だ」

 ほんの僅か、目を細めてカグツチは言った。

「……なるほど、準備をする間スサノオにウロウロされては目障りゆえ、あの人間に相手をさせた、ということですね」
「その意味では、先遣隊も役に立ってくれた。それで、準備のほうは出来ているのだろうな」
「は。抜かりなく」

 作戦の進行状況を示した図が、幻術のように揺らめくスクリーンに映しだされた。地球を取り囲む位置に不気味な光点がいくつか点灯している。その脇には、5つの通信用ウィンドウが開いており、それぞれマガツカミの顔が映しだされていた。

「もう、いつまで待たせますの? カグツチ」

 ウィンドウの中の、花のように美しい少女の形をしたマガツカミ、ハルナがしびれを切らせて言う。

「そう焦るな、ハルナ。我々はもう十分に待った。後数時間がなんだと言うのだ」

 落ち着いてハルナを諌めたのは、重厚な体躯の偉丈夫といった風体の、イスラだ。

「そうだよハルナ。イスラの言うとおり!! あと少し。もうすぐいっぱい人がしぬんだよ!!」

 無邪気に言ったのは、少年なのか少女なのか分からないマガツミ、キッカだった。その発言にもかかわらず、無邪気と表現したとおり、キッカには邪気が無かった。

「…………」

 彼らの話に参加しているのかどうなのか、イズナと呼ばれるマガツカミが、ブツブツと呟いていた。会話は成り立たないが、意思の疎通はできるし、カグツチの命令にも従順だ。見た目は他の六族同様、非常に整っていて美しい女性の形をしている。その表情には狂人めいた薄笑いが常に張り付いていたが、目は笑っていなかった。

「……始まる」

 最後にもう1体、ナルカミと呼ばれるマガツカミが、他の者達の会話を聞きながら、静かに呟いた。

 ハルナ、イスラ、キッカ、イズナ、ナルカミ。彼らにカグツチを加えた、マガツカミ・魔民モノマ六族の6体が、ついに動き始めた。

 そして。

 カグツチの見上げる、一際豪奢な一角に1体の人影が現れた。銀色の髪を持つ、線の細い、少年のようなマガツカミ、レタルヒュレウだ。物憂げな、幽かな微笑をたたえカグツチを見下ろす。しかし、その瞳には光はなく、宇宙のような深淵が、奈落のような冥闇があるだけだった。
 カグツチが膝をつき、頭を垂れた。

「すべての準備が整いましてございます」
「面をあげよ」

 カグツチが立ち上がり、レタルヒュレウを見て、レタルヒュレウがカグツチを見る。遠目にはわからなかったが、2体は互いに頷いたようだった。
 レタルヒュレウが手を振りかざす。

「さあ、始めよう。『永遠の終わり』を」
「はっ」

 六族、それぞれの顔が、歓喜に歪んだ。
 地球を取り囲むように、カグツチ他、6体のマガツカミの乗るウキフネが展開していた。その6体のウキフネからそれぞれ、天体サイズの巨大な「杭」が2本ずつ、計12本吐き出された。表面には複雑な模様が刻まれ、半透明で薄く発光している。
 それは、かつてこの地にあったとされる「天御柱アメノミハシラ」に似ていたが、その事を知る者は地球人の中にはいなかった。ただし、それの性質は、アメノミハシラとは大きく異なっていた。
 超音速で打ち出された12本の「杭」は遠目にはゆっくりと、地球にむかって降下して行った。
 人々がそれに気づき、見上げ、呆然となった。

「お、おい、なんだよあれ!!?」
「で、でかい……」

 地球を正20面体に見立てた12の頂点の位置に、12本の天体サイズの「杭」が轟音とともに突き刺さる。実体ではないため、地球が破壊されることはなかったが、それでも震度5クラスの地震が地球上を襲い、地上はパニックに陥った。人々は逃げ惑い、各国の軍隊も出動したが、パニックが拡大するだけでしか無かった。
 杭の長さは地球の半径の約1.5倍ほどで、それぞれ地球の中心を目指して進み続け、やがて中心で出会うと、先端部のみが融合して一塊となった。
 地表から飛び出したままの杭の残りの部分は、つるを伸ばすように、隣接する杭と杭とを地表と平行に結んでいった。さらに、そのつるとつるの間に薄い幕が張られていき、地球は完全に覆い尽くされてしまった。陽の光は、その8割近くがカットされ、地上は薄暗い「黄昏」に覆い尽くされた。

 程なく、地上は地獄と化した。

 黄昏の下で、突如人々の理性が消失し、互いに、無差別に殺し合いをはじめたのだ。
 それはまさに筆舌に尽くしがたい、恐怖と憎悪、殺戮と惨殺の舞台であった。ありとあらゆる負の感情に地上は支配された。
 最初の1週間で人口は半分に減り、続く1ヶ月で約1/100にまで激減した。
 それは呪い……。「蟲毒」という名の、非道極まる惑星規模の呪いだった……。


 【続く】

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