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六日目①
しおりを挟む目を開けると、そこは見慣れた自宅の天井だった。
だけど、ひょっこり顔を出してくるのは、見慣れた妻の顔じゃない。
「あー、良かった! お目覚めですね!」
ホッと笑うのは、職場でしか会わないはずの後輩の姿。
「な――おまえ、どーして⁉」
俺が慌てて布団から飛び起きると、後輩はボリボリと頭を掻く。
「どうして言われましても……今日も連絡無しで出社してこないから、代表としておれが様子を見に来たんすよ。てか係長、さすがに鍵もかけないのは危ないと思いますよ? そんなんじゃ、奥さんに怒られちゃいますって」
「今日も……?」
枕元に投げてあった携帯の画面を見れば、すでに日付が変わっていた。時間ももう昼過ぎだ。どうりで、外からの光が眩しいはずである。
それなのに、俺は昨日会社に行った時と変わらない姿。妻と選んだ大切なスーツも、ジャケットすら脱がずに寝てしまったからか、よれよれもいいとこだ。
「……てか、昨日の記憶すらないんだけど……」
思わず呟くと、後輩は一瞬顔をしかめつつも、ゆっくりと話してくれる。
「昨日も、給湯室で倒れたのは覚えてます?」
「あ、あぁ……ぼんやりとだけど」
「すぐに目を覚ましたけど、早退したじゃないっすか。病院は行かなかったんですか?」
「……記憶にない」
「まぁ、あの空き缶の山みたら、そーでしょうね」
後輩が見やるのは、ローテーブルに山程転がる缶ビールのゴミ。だけど、ゴミはそれだけじゃなかった。部屋中そこかしろに酒を飲んだ形跡が散乱しており、脱ぎ捨てられた洋服なども含め、足の踏み場がまともにない。
「あいつ、どんだけ部屋を汚せば……」
そうやって見渡しても、妻の姿はないが――あぁ、そうだ。妻は三センチのミニマムサイズになったんだった。ざっと見渡した限り、部屋の中に妖精モドキの姿もないな。そういや、スーツのポケットに入ってたんだっけ? あいつ潰れてなければいいけど――――
「――てか、係長きいてます⁉」
「あ? なんだよ。まだいたのか?」
「まだいたのか、じゃなくてですねー……」
俺がスーツのポケットを覗こうとした時、後輩は懇切丁寧に俺の声真似をしながらも、困ったように顔をしかめていた。
「こんな酒ばかり飲んでないでですねー、ちゃんと病院に行って、きちんと寝ましょうよ。まずはそれからでしょう? こんな姿の係長を奥さん見たら、間違いなく泣いちゃいますよ」
「……こないだもそんなこと言ってたな。おまえも知ってるだろ? あいつは酔いつぶれた俺なんか見ても、喧しい説教するだけで――」
「なにバカなこと言ってるんすか! 奥さんが倒れてから、ろくに寝れてないんですよね?」
――――え?
なんか、おかしなことを言われた気がする。
俺がバカだって……? そこからして気になりもするけれど、そうじゃなくて……。
「アナタ……」
ふと、小さく妻の声がした。
そうだよ、確かに最近まともに寝れてないけど、それは妻のせいなんだ。あいつがいきなり身長三センチなんかになりやがったせいで、余計に手間や心配ばかり掛けさせるから……。
スーツの胸ポケットを覗き込むと、やっぱり三センチの妻が俺を見上げていた。しいて俺の想像と違うことといえば、「窮屈だった!」て怒っているのではなく、泣きそうな顔で俺を見上げていることだ。
やばいな。そんなに苦しい思いさせてたか……とりあえず、後輩をさっさと追い返してから――
「奥さん説教したくても、病院のベッドで寝たきりで説教すらできないんすよ! こんな時ですから、仕事はどーでもいいんすよ。でもね、奥さんのお見舞いにすらまともに行ってないって話じゃないっすか! おれなんかが言うことじゃないかもしれないっすけど、奥さん身内もまともにいないんすよね? 係長がこんなで、どーするんすか⁉ 奥さんには、係長しかいないんですよっ!」
後輩は言いたいことだけ言って、立ち上がった。俺を見下ろす目が、とても悲しそうだった。
「先週、部長と一緒に奥さんのお見舞いに行ったんです。気のせいかもしれないですけど、奥さんの寝顔、すごく寂しそうに見えました。部長にはおれから、具合悪そうだから休むと伝えておきます。明日ちょうど土曜ですから、今日ゆっくり休んで、明日こそ奥さんに会いに行ってあげてくださいね!」
後輩が何を言っているのか、理解ができなかった。
妻のお見舞い? そんなんじゃまるで、妻が入院しているみたいじゃないか。
俺が呆然としている間に、後輩は家から出ていく。
あーそういや、鍵を閉めてなかったんだっけ? 俺は足をもたつかせながらも、玄関に向かおうとした。確かに頭が割れそうに痛い。
ふと、テーブルの空き缶の山が目に入った。少なく見積もっても、十本近く空いている。そんなに飲んだ記憶はないし、そもそも俺も妻も酒は強くないから、買い置きもしていなかったはずだが――と、そこで、空き缶の下に埋もれている一枚の紙が目に止まった。
それを手に取ってみると、あまり読みやすいとは言えない字と、簡単な絵で何かを説明しているようなものだった。その中でも、一際大きな文字で『脳卒中』と書いてある。
「アナタ……」
ポケットの中の妻が、膝を崩した俺を呼んだ。
再びポケットを押さえる俺の手に、微かな温もりを感じる。穴から手を出したのだろう、妻の小さすぎる手に、思わず涙が出そうになった。
「はは……なぁ? どうしておまえ、ちゃんと温かいんだよ……?」
俺の質問に、いつもうるさいはずの妻は、何も答えてくれない。
「なぁ? どうしてなんだよ……なぁ! なんでおまえは、そんな姿になってまで、こんな俺の心配なんかしてるんだよっ‼」
俺はテーブルの上の物を薙ぎ払う。それは、妻のお飯事のような生活用品紛いのものではない。全部ただのゴミだった。俺が現実から逃げるための道具にすぎないゴミだったのだ。
「くそっ‼」
テーブルに顔を伏せると、ふと鼻頭に温かいものを感じた。少しだけ顔を上げると、どうやって移動したかわからない三センチの妻が、心配そうな顔で俺の鼻頭を撫でている。
「おまえは……何者なんだよ?」
「わたしは……」
しぼむように細まる声は、肝心な単語を俺の耳まで届けてはくれない。
「どうして……どうして……!」
俺はテーブルを叩いて、そのまま再び目を閉じる。
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