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氷菓の時間

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ここは可笑しなお菓子屋、灯屋(あかしや)。
私たちの住処のような、職場のような、まあそんな場所だ。

私はこの店を見守る熊のぬいぐるみだ。テディベアとも呼ばれている。
誰が私を作ったのか、いつから私はここにいるのか
全く覚えていないが、それは別にいい。

名前は恐らくない。名づけられた記憶がないからだ。
しかし少し前から店の奴らから【グレッド】と呼ばれるようになった。
グレーの毛とレッドのリボンだからというらしい。実に安直だ。

とはいえ名前がないのも不便なので
とりあえず「グレッド」と呼ばれたら「何だ?」くらいは答えてやっている。
断じて気に入っているわけではない。断じて。

・・・コホン、まあ私の話はここまでにしようか。



「あー・・・今日も実に平和だこと。うっし、次弥ー!終わったよー!」

私のすぐ隣で大欠伸しながら専用器具でバキバキと胡桃の殻を砕いていた
赤いシャツに黒エプロンのコイツはこの店の店長だ。・・・一応な。

寝癖そのままの赤茶色の髪をものぐさに掻きながら
眠そうな青い目で店のドアが開かないかなとぼんやり眺めてる。
それがこの男のお決まり行動。

なのだが、今は

「暇なら手を貸せ」

と洋菓子担当である双子の弟に使われている。
裏のボス命令だ、仕方がない。







カランカラン・・・コロンコロン・・・







「!」

おやおや、この可笑しな店の扉が軽快に歌い出したではないか。

「これはこれは、いらっしゃい!」

さてさて、本日のお客様はどんな味をご所望だろうね?
私は此の場で見物させてもらうとするよ。




「こんなお店が出来ていたのね・・・知らなかったわ」

キョロキョロと興味深げに店内を見回している華奢で上品な女性。
ウェーブがかった長い髪をサイドにまとめ
小さいが高級そうなアクセサリーを纏い
白いレディーススーツに身を包んでいる。

が、OL・・・というものではなさそうだ。

それととても大きな荷物を抱えているのも少し気になる。
真っ黒で妙に横長なハンドバッグだ。

「お好きな席へどうぞー」

店主が声をかけると

「ありがとうございます」

といいながら壁際の席を選んだ。
一番奥の椅子に先ほどのバッグを置き、自身はその隣へ。

「いらっしゃいませー」

「ませー!」

手馴れたタイミングで梓雪がおしぼりを、乙季が水を運ぶ。

「あら可愛らしい!お店のお手伝いしているの?偉いわね」

「「えへへー!」」

微笑みながら褒めてくれるお客に双子姉妹は至極ご満悦。

普段は配り終えたらすぐ引っ込むか庭仕事に移るはずだが
褒めて上機嫌になったのか

「あのね、このテーブルのお花ね!梓雪が摘んだんだよ!」

「そうなの?ちょうど綺麗だなーと思ってたの。ありがとうね」

「ふふっ♪」

「あ!お姉ちゃんズルい!あたしもあたしも!
 この花瓶にしようっていったもん!」

「まあ、お洒落さんなのね!
 このお花にとてもよく合っていると思うわ」

「えへへ♪でしょでしょ!」

とまあ、楽しそうにお喋りをしている。
お客も子供は好きなようで対応に嫌味がない。

所謂、ガールズトーク・・・というものだったか?
明るくて宜しいことだ。

「お待たせしましたー」

お?どうやら双子姉妹が客の相手をして・・・いや、違うか。
お客に双子姉妹の相手をしてもらっている・・・だな、うん。

その間に店主が厨房に指示し、自身も飲み物を作っていたようだ。

「あら?私何か注文したかしら?」

「いえいえ、うちはメニューのない店なんですよ。
 その人に見合うお菓子とドリンクを提供する・・・
 そういうスタイルなんです!」

「まぁ素敵ね!私、そういうの好きです!」

今回の客は感じのいい人だな。

「自分で選ばせろ」だの「何だそのルールは」だの四の五のいうどころか
まるで宝箱を前にした子供のように目を輝かせている。
これは双子も懐くわけだ。

「今日のお菓子も美味しいよ!」

「お姉さん、いっぱい食べてってね!」

「ありがとう、何がいただけるのかしら?楽しみね」

「あ、二人とも!実弦が買出しに行くそうだから
 手を貸してあげてくんない?」

「「はぁーい!!」」

お兄ちゃんとお出かけが大好きな双子は
お客にバイバイと手を振りながら
作務衣から外出着に着替えているであろう実弦の元へと駆けていく。

「今日は蒸し暑いのでこちらをどうぞ!」

「わぁ!!」

平たい木の皿に並ぶ三色の球体。
中心には収穫したであろうミントの葉を飾っている。

「私、アイスクリーム大好きなんです!嬉しい!」

「そうですか、それはよかったです!ちなみに本日のラインナップは・・・」

店主によると、左上は胡桃入りのメープルアイス。
なるほど、これを作っていたからストックを拵える為にと
さっき店主に殻を割らせていたのか。

で、その隣がピスタチオ入りクリームチーズアイス。
白と黄緑が綺麗な彩りだ。
下にあるのはチョコチップ入りのかぼちゃアイスだそうだ。

「凡てクリーミーでこっくりとした味なので
 お飲み物は爽やかなベリーフレーバーの紅茶にしてみました。
 アイスで冷えた身体を温めるという意味でホットでどうぞ」

「ええ、ホント・・・ベリーのいい香りだわ・・・
 あら?その器は何かしら?」

店主がティーポットやカップと一緒に置いた白い器。
しかし中身は空っぽのようだ。
不思議そうにしているお客に紅茶を注ぎながら店主が説明する。

「こちらの器にアイスを入れて上から紅茶を注げば
 ティーアフォガードも楽しめるんですよ。
 勿論、別々にお召し上がりになるのも良しですしお好みで!」

「コーヒーじゃないアフォガードって初めてだわ!いただきまぁす!」

スプーンでアイスを掬い口に運ぶお客の顔は実に幸せそうだ。

「うーん、どれも濃厚で美味しいー!」

と冷たいアイスの味と

「はぁー、甘酸っぱい香りが素敵・・・」

と温かい紅茶の味を楽しむ。そしてまた暫く見守った後
ここだと思うタイミングでまたお客に歩み寄り

「どうです?お悩みを思い出す味だったかな?」

と、店主曰く決め台詞を口にし、きょとんとするお客に
どういうことかを説明するという毎度恒例の流れにもっていった。

「よくわかりましたね、私が悩みを抱いているって・・・」

「このご時勢、悩みのない人間の方が珍しいですから」

「ふふっ、確かにそうね」

そして今回のお客は本当に人がいいのか、割とすんなり受け入れている。
少しは「何だそれは」という反応をした方がいいと思うんだが・・・
まあ面倒臭くなくていいか。

「悩み・・・か。実は、その、私・・・」

アイスをむぐむぐと口の中で転がしながら己のことを話始めてくれた。

何でも今回来店したお客はフルートの天才奏者といわれているらしい。
ぬいぐるみである私にはよくわからんが、店主は名前を聞いた瞬間

「ああ!あの!」

と声をあげていたから本当に有名人なのだろう。
後から店主に聞いたんだがトーク番組なんかにも何度か出演しているらしい。

幼少期、誰にも教わっていないのに滑らかな指先で一曲披露し
それから吹けば吹くほどそのスキルは上達していき
あっという間に音楽界期待の新星として日本だけに留まらず
各国のコンサートに引っ張りだこなんだとか。
そうか、あの見たこともない横長バッグの中にはそれを入れていたんだな。

「では久しぶりに日本に?」

「ええ」

これだけの話だととても悩みを抱えてるようには聞こえんが・・・。
まさか恵まれすぎて困るという悩みではあるまいな?
もしそうだったらがっかりだぞ。

「でもずっと、フルートを吹けば吹くほど・・・
 心の奥底で何かが欠落しているのを感じるんです・・・
 子供の頃から今まで、ずっと・・・」

「ほほぅ」

・・・やっぱり自慢か?自慢なのか?
高みに上り詰めた人間の贅沢な願いというやつか?
人当たりがいい人だと思っていた分、余計にがっかりしてしまうぞ?

「何か、とても大切なことを忘れている気がするんです・・・
 それを探す為に私は演奏を続けているのかもしれません・・・」

おやおや?どうやらそうではないのか?

「時々、ふと思い出しそうになる時があるんです。
 でも、もう少しで掴めそうという時にフッとその感覚が消えて・・・
 だからこそより知りたくなるというか・・・」

・・・これはこれは私としたことが。
何と失敬なことをしてしまったのか。
お客がろくに話してもいないのに
これまでの経験で勝手に自慢と決め付けてしまったな。

これは反省しなければならんな。
私は学習するぬいぐるみだ、賢いだろう?

「うーむ、全体的にぼんやりしているのですねぇ・・・
 そりゃもやもやするわけですわ」

「ええ・・・何かを忘れていることは確かなんです・・・
 でも、それ以外のことが全くわからないんです・・・
 ただ、脳裏に焼きついて離れないのは・・・
 ステンドグラスと、誰かの啜り泣くような声・・・かしら」

「ステンドグラス?」

「貴方がいったように全体的にぼんやりしている中、一際鮮明なんです・・・
 大きな大きな窓に飾られた、花の、そう!百合の花のステンドグラスです!
 白い花に緑の葉、花粉の部分は赤くて青い背景・・・それと黒いフレームの!」

配置や大きさ、更に五色の色まではっきりと記憶しているんだな。

「うーん、どっかにあるんですかね?そのステンドグラスが飾られた場所が」

まあ、そこまでいえるということは見たことがありそうなもんだがなぁ。

「やっぱり、そう思いますか?」

そうでしょうねぇ。お客もそんな気がしてならないらしく
日本でも海外でもコンサート出演の為に遠征したら
オフの日は必ずその場所を探して回るんだそうだ。

世界的スターが欠落した記憶を頼りにとはまるで流浪の旅人だな。
それもそれで洒落ている感じはするが。

「雰囲気的に教会かしらと思ってあちこち覗いてはいるのだけれど、成果はなし」

本当にこれだけしかわからない。
わかりそうな時もあるけれどもうあと一歩のところでという繰り返し。
なので結局、わからないままなのだというお客の声は
先ほどとは違い、少し寂しそうだった。

「何かを忘れていることはわかるのに、何を忘れているのかわからない・・・」

「手の尽くしようがないでしょう?このアイスクリームのように
 私の悩みの種もじわじわと溶けてきてくれればいいのに
 なかなかそうもいかなくて・・・」

「それでも、知りたい!という気持ちは溶けていかないんですね」

店主が微笑むと、つられてお客も

「そうみたい」

と悪戯がバレた子供のように笑った。

「私はきっとこれからもこの失くしたものを探して
 此の子(フルート)と共に旅をしていくのでしょうね・・・
 きっとそれは心のどこかで私が望んでいることだから」

ロマンチックなようで、とてつもなく途方もない旅だな・・・。

だが恐らく、お客にとってその旅は無駄なものではないんだろうと思う。
私は動けないぬいぐるみだから【旅】というものがよくわかってはいないが
それでも、お客の人柄からそんな感じがする。

旅を通じて色々吸収しているというか・・・。

「そして同時に、怖がっているのかもしれません・・・
 確かにこの胸のもやもやの正体を知りたい・・・
 でも、知ってしまったら私の旅はきっと終わってしまう・・・
 だから、知りたいけれど・・・知りたくないのかしれません・・・」

・・・ふぅん、そういう思いもあるのか。
でもまあ、わからなくはない。
楽しいことこそ終わってほしくないものだしな。

さっきから見ていたが
お客は目の前にあるアイスをチビチビとゆっくり食べている。
最初は小食なのか、それとも店主と話しているからかと思っていたが
この言葉から察するに、なくなるのが惜しいのだろう。

店主も店主で

「そうですねー」

なんて相槌を打ちながらティーカップに温め直した紅茶を注ぐ。
湯気をゆらゆらと漂わせて香りがまた流れてくる。

「きっと、今は未だお客さんは覚悟を決める時ではないんじゃないです?
 本当に答えが知りたくなり、今の旅が終わることを恐れなくなったその時が
 真実を知る時であり、また別の旅を始める時になると俺は思いますよ?」

まあ俺はここ何年も店から出てない引きこもりなのでいえた義理じゃないですけど。
とふざけた口調の店主に

「あら、それも素敵じゃないですか」

と優雅に微笑むお客は

「折角淹れていただいたから」

とポットに残った紅茶でティーアフォガードを作り嬉しそうに口に運ぶ。
さっきまで別々に食べていたのに、気が変わったのだろうか?

「ああ・・・これも美味しいわ・・・今までとは違う、全く新しい味・・・!」

あ、口元がふにゃりと緩んでる。
どうやらこれもまた気に入ったらしい。

「ちょっと切り替えるだけでこんなに変わるものなのね・・・
 だったら私の旅も私の気持ち次第で、色々変わるのかもしれない・・・」

「そしていつか、いい方向に転換していくといいですね」

「ええ」

それからじわじわと食べる手が早くなり
溶けかけていたアイスたちはペロリとお客の胃袋に入っていった。
ところどころでアフォガードにもなりながら。

「ご馳走様!本当に美味しかったです!おいくらかしら?」

「ああ、支払いでしたら・・・」

次弥に食器の片づけを任せ、この店の支払い方法について説明する店主。
お客はきょとんとしながら

「あら、それはどうしましょう」

と考える。

【悩みと共に捨ててもいいもの】・・・悩みがぼんやりしていたからこそ
捨てていいものもぼんやりしているだろうしな。
何を選んだらよいやらと困るはずだ。

暫く悩んでいたお客だが、ふと自分が持っていた荷物の方を向き

「そうだわ」

と何かを閃き、バッグへと手を伸ばす。
店主は動向がわかっているのかいつものニコニコ顔を崩さないまま
私の横で頬杖をついている。

「これでは駄目かしら?」

バッグから取り出された銀色の輝きが眩しいフルート。
お客と共に旅をした相棒・・・

ってちょっと待て!いくら何でもそれを捨てるのはマズくないか!?

「構いませんよ!」

おいおい店主!さらっと了承していいのか!?いくら何でもそれは・・・

「大丈夫だって、グレちゃん♪」

私にだけ聞こえるようにボソッという店主。何が大丈夫なんだ。

・・・あと、この間もいったがグレちゃんいうな。

「折角ですので買出しに行った奴らにも聞かせてやりたいのですが」

聞かせてやりたい?・・ああ、何だ。
フルートそのものを貰うわけではなかったのか。
いくら何でも私から見てもあれは代金としては高過ぎると思ったから安心した。

「はい、勿論ですわ。私も音の調整をしたいですし」

「では準備しますね」

この会話に重なるように店の奥から

「ただいまー」

という声が聞こえてきた。

「お、噂をすれば!」

という店主は厨房メンバーを呼ぶ。

事情を聞いた三人は世界的フルート奏者の演奏を間近で
聞けると喜びテーブル席に腰掛ける。
珍しく実弦までわくわくした表情になっているのが少し面白い。
ちなみに店主は次弥を引き連れて

「では準備致しますので少々お待ち下さい」

と一旦店の奥・・・倉庫へと引っ込んでいる。

「どっこいしょっと!」

が、今戻ってきた。
しかも少しおっさん臭い掛け声と一緒に何かを運んで来た。

「俺はいっていないが?」

うむ、次弥はずっと黙っていたな。
で、そんな二人が運び出し、三兄妹が座っているテーブル席に置いたのは
どこぞの博物館にでも展示されていそうな古ぼけた蓄音機。

「まあ、アンティークものかしら?随分年季が入っていますね」

「ええ、結構前にとあるお客が下さりましてね。
 古くはありますがボロくはないし」

「これで録音だなんて貴重な経験だわ」

とお客は喜んでいたが、実弦たちは

「ああ、これか」

という表情に変わっている。
どうやらその蓄音機でお客の演奏を録音するつもりらしい。
が、ただの録音では当然、この店の支払いにはならない。
故にこの蓄音機もただの機械ではない。

「俺たちにとっちゃ最高の報酬ですが・・・本当にいいんですかね?」

この蓄音機で録音された声や音はその人の記憶から消え
録音レコードを流せばその記憶が戻るというものだ。
ただ、使うのは今回が初めてだろう。
じゃなければ埃被って倉庫に押し込められているなんてことはあるまい。

「うーん、やっぱり名残惜しいですけど・・・何とかなりますって!」

ポジティブだなお客。となると今回の支払いは
【お客が生まれて初めて作ったオリジナル曲】に決まったようだな。

「これもこれで、覚悟を決めないといけないのかもしれないし・・・」

そういうお客はどこか寂しそうに、でも何故か嬉しそうに
フルートを吹く準備をしていく。
その間に教えてくれたのだが、そのオリジナル曲を披露した時は

「演奏だけでなく作曲も出来るのか」とか
「初めてとは思えない完成度だ」とか
各業界から様々な賞賛を貰ったのだが
それからすぐにとんでもないスランプに陥ってしまったらしい。

大ブーイングを受けたならわかるが、賞賛されてスランプとは如何に?
人間とはつくづくわからんものだな・・・。

「この時気づいたの。私の演奏は『満足』する時が濁りの時なんだって・・・」

「満足することが?」

「ええ、現状に満足してしまったらそれ以上の進化はありえないわ。
 でも私は初めて自分で作曲をし、それが想像以上に評価されたことで
 少なからず満足してしまった。達成感と満足感は違う。
 私は私に満足することで勝手に自分を終わらせてしまったの」

ふむ、『達成感』と『満足感』は違う・・・か。ものはいい様だな。
ただ、ぬいぐるみである私はどっちも味わったことがないから
実際どう違うのかはよくわからない。
メープル味とカボチャ味、同じ『甘いもの』でも
それぞれの味の違いがわからないように
人の感情の感受や起伏もわかりそうでやはりわからん。

「だからそれからが辛かったわ・・・
 思うような音が出ず指も動かない・・・
 今まで出来たことが突然出来なくなって
 完全に停滞した自分になってしまった・・・」

「根っからの職人気質なんですねぇ」

店主が微笑むと、其れはどうなのかわからないけれどとまたつられてお客も笑う。
店主の場合、笑い過ぎて逆に感情が読み取れない時があるが
このお客は気持ちのままに表情が変わる人柄のようだ。素直なんだなぁ。

「それから私は音楽に関しては絶対に満足しないようにしているの。
 褒められたらもっと褒められるようにしよう。
 感動したと目尻に涙を浮かべる人がいたら次はその涙を零すくらい
 更に洗練された演奏をしてみせる・・・ってね?ちょっと傲慢かしら?」

「いいえ、全く!」

と従業員全員首を振る。私の首は固定されているから振れないが皆と同意見だ。
傲慢というにはあまりにもまっすぐ過ぎるからな。

「でも、いいんですか?うちがいただくものは
【悩みと一緒に捨ててもいいもの】ですよ?
 捨てるということはお客さんの中から
 この曲がなくなるということになりますが・・・」

「ええ、構わないわ。私はこれからも旅を続けていきたいの・・・
 だから、歩みを止めない為にも『初めて作ったから』という
 甘えた気持ちだけでいつまでもくくり付けてもいられないし」

「音色の断捨離ですかぁ。繊細な音楽家さんにしては大胆な発想だ」

「あら?大胆な女はお嫌いかしら?」

なんてお客がおちゃらけるものだから

「滅相もございません」

と店主も合わせておちゃらける。
・・・何だか妙に気が合っているな。
それだけ今回のお客は本当に不思議な魅力を持ったお人のようだ。

そんなこんなでようやく準備が整い、支払いという名のミニコンサートがスタート。

さほど大きくない店内にフルートのなめらかで優雅な高音が響き渡り
従業員皆、自然と目を閉じて音色に聞き入る。

喩えるならそうだな・・・脚が長く真っ白な鳥が湖を跳ね回るような・・・
そんなイメージかな。バレエのようなしなやかな感じじゃなく
何というか、子供がキャッキャッとはしゃいでいるような・・・

ううむ、形のないものを表現するのはなかなかどうして難しいな・・・。

しかし、音楽とやらに疎い・・・というより
まるで縁のない私のふわふわの耳でさえ
この跳ね回る音色はとても心惹かれる。

世界的フルート奏者の名は伊達ではないということか。
これは世界から求められるわけだ。

「・・・お見事」

あー、名残惜しいが、演奏終了かぁ。
短い曲ではなかったはずなのにあっという間だった気がする。
店主もパチパチと拍手しながら吐息混じりに賞賛している様子だ。
あまりに感動し過ぎて逆に声がでなくなっている感じか。
普段賑やかな双子でさえもキラキラと目を輝かせて余韻に浸っている。

「えっと・・・支払い忘れはないかしら?」

ついさっき説明した通り、蓄音機に吸い取られて
既に演奏した曲が何なのか忘れたお客。
正確には忘れたのは曲だけでフルートを吹いたことは覚えているので
そう店主に確認を取っている。

店主も店主で

「はい、素晴らしい大金を頂戴した気分です」

と笑顔で答え、他の従業員たちも満足そうに頷く。

「そうですか、それならよかったです・・・では、私はそろそろ」

「はい、ありがとうございました。ちなみに、次の旅の行方は?」

「ハンガリーです。一週間後、知り合いが主催のチャリティーコンサートに参加を。
 その後も転々と。次に日本でコンサートがある際は是非いらして下さいね」

来週開催ということはすぐに発たないといけないな。
ハンガリーという国までどれくらいかかるのかわからないが
遠い遠い異国であることは確かだ。

「それは素敵ですね。今度は一体どんな曲が聴けるのか楽しみです」

「基本、私はノンジャンルですのでそういう意味でも楽しめるよう努めますわ」   

疲れた顔を見せず、むしろ前向きな言葉の数々。それに感銘を受けたのか

「彼女の意欲はアイスのように溶けたりはしなさそうだな」

と次弥のぼやきが聞こえた。

「ご自分の曲とかは吹いたりしないのですか?」

って、おいこら店主。
そんな質問をしたらさっきの支払いの意味が・・・

「ああ、私はアドリブ演奏をすることはあっても
 作曲はしないようにしているんです」

・・・お?

「何となくですけど・・・そういうのは向かない気がして」

おおっ!?

「今は世界各国にある沢山の曲に触れて、それらを吸収するのが楽しいんです」

おおー・・・!

「中途半端に手を出したら停滞しそうですし」

忘れているけれど忘れていない!こいつは驚きだ。
店主は見抜いていたのか?
このお客がそういう人だろうということを・・・?
聞いたところでしらばっくれて終わりという流れが読めるけどな。
私も他の従業員たちも同じことを考えているのか口を開く者もいない。

そしてお客は

「素敵な時間だったわ、ありがとう!」

と明るく帰って行った。

忘れたことを取り戻す。
たったそれだけの為に溶けない情熱を持って東へ西へ。
それはどれだけ大変で、どれだけ楽しいことだろうと
私も想像してみることとしよう。




「おーい、おやつだよー!」

おや、もうそんな時間か。
今回のおやつもきっとアイスか・・・
っと、さっきと色が違うんだな。

製作者である次弥に何味かと聞くと真っ赤なのはトマト。
こちらは蜂蜜とヨーグルトを混ぜているとのこと。
緑色は抹茶かと思えばほうれん草・・・濃いな、色が。
そしてどこか青々とした匂いがするようなしないような・・・。
真っ白なのはバニラではなく大根ミルク・・・らしい。
摩り下ろした大根を混ぜているそうだが、根元を使ったら大変だな。

随分とまあ冒険したもんだ。変り種を作るというのも珍しい。

「試作品だ」

お前、昨日もそういってアイスを作っていなかったか?
店主が全部平らげていたが。

「可能性の数だけ、試してみないことには始まらないからな」

・・・ここにもいたな。職人気質が。

「取りあえず食べてみようよ!あのお客を見習って、
 いつも通りではなく、俺らも少しは道を変えないとね!」

その日はいつも通り、お客一人が来店して店じまい。毎度の流れだ。


・・・ん?アイスの味だって?


それは・・・その・・・ぬいぐるみの私に聞かないでくれ。
食べていないのだから。
口に入れた瞬間の皆の反応もバラバラだったしな。説明し辛い。

まあ、「知りたい!」という気持ちがあるのなら
自分で挑戦するのが早いんじゃないか?
やってみてどうなるかは保証出来ないが。
だからこそ面白いかもしれないぞ?



ああそうそう!あと、実はこの話には続きがあるんだ。

だが、さっきもいったが今日は店じまい。

この続きはまた今度、話すとしようか。


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