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カクテルの時間

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では寸止めをしていた『話の続き』をするとしようか。
あくまで続きだからいつもの自己紹介は今回はないぞ。

たまにはこういうことも良いだろう?

フルート片手に旅をする素晴らしい演奏家のお客がやってきた翌日・・・





カランカラン・・・コロンコロン・・・





店の扉がいつもの軽快なリズムで歌い出して


「ここは・・・?」

全く同じ時刻に大きな荷物を背負った男性が来店したところから始まる。



入り口に頭をぶつけそうな長身に色黒の肌、体格もがっしりしていて
服装も白いTシャツにジーンズに黒いジャケットとラフだが似合っている。

「いらっしゃい、お好きな席へどうぞ」

「えっと、いいんスか?」

「どうぞどうぞ!」

かけていた黒い色眼鏡・・・ああえっと、サングラス・・・
というんだったか?それを外しながら席に着くお客。
ふむ、切れ長な目といいスッとした鼻筋といい
なかなかいい面構えをしているな。

「わー!」

「うわー♪」

こらこら双子ちゃんたちよ・・・厨房からじっとお客を見るんじゃない。
そりゃあ女子が沸き立ってしまうのはわかるが
後ろでお兄ちゃんが複雑そうな顔をしているぞ?

「余計なこといわなくていいよ・・・」

そんなむすっとした顔でよくいうなお前・・・。
その間に店主がメニューがないことや
【悩めし人】のことなんかを説明する。
こちらはもう説明する必要はないだろう?
何度も何度も繰り返しいっているのだから。

「悩みを持っている人間が・・・来店出来る・・・」

「はい。その様子だと、お悩みに心当たりがあるようですね?」

「え?ああ、まぁ・・・」

「っと、その前に!こちらをどぞー!」

店主は『こちら』と厨房に手を向ける。
それを合図に双子姉妹が水とおしぼりそして実弦が菓子を運ぶ。
にしても眉間の皺は取らないか?

「「お兄さん、どうぞー!」」

黄色い声×2が綺麗にハモる。

いつもよりトーンが高い気がするのは気のせい・・・

「ありがとう、お嬢ちゃんたち」

「「はーい♪」」

「・・・・・・・」

じゃないな、うん。で、実弦・・・。
またどんな感情か説明しにくい顔で目を細めるな。

「・・・旨そう」

目の前に置かれた皿に盛られたものに夢中で運よく(?)
そんな実弦に気づいていないお客。
見た目ワイルドだが甘いものが好きなんだな。

「今回のスイーツは・・・」

店主の説明曰く、本日出された菓子はシャーベット三種らしい。
私も最初はアイスクリームとシャーベットの違いがわからなかったが
今は何度か見ているから少しはわかるぞ。

しかし、次弥曰く他にも
『ジェラート』『ラクトアイス』『ソルベ』
『グラニータ』『アイスミルク』等々あるらしい。
どれも似ているが微妙に違うとのことだが・・・
冷たくて甘いというのは同じではないのか?

おっと、私の疑問は今はいいか。で、説明の続きだが

真っ白な中にところどころあるライムの皮と
ミントの葉のグリーンが爽やかなモヒート
ブラッドオレンジの赤みとネーブルオレンジの皮の黄色み
その2色のコントラストが見事なカンパリオレンジ
ライチの香りとどこか遠い南の島の海のような
透明感が美しいチャイナ・ブルーとのことだ。

・・・うん?これは食べ物のはずだよな?
しかし名前が以前、店主が作っていた飲み物と同じ名前のような気がするんだが・・・

「カクテルのシャーベットかー!飲むのは慣れてますけど食うって新鮮っスね!」

「うちは菓子屋なんで残念ながらノンアルコールですけどね」

「全然いいっスよ!いただきまーす!」

ふむ、話の内容からして飲み物を凍らせて食べ物にしたということか。
そういう菓子も何度かここで見たな。これもその一つなのだな。

「旨っ!うんまっ!シャリシャリしてて
 でも口に入れるとスゥーっと溶けてって・・・
 甘さも強くないし、これすんげぇ旨いっス!」

「お口に合って何よりですな!」

「むぐむぐ・・・で、確かここって悩みのある人間が入れる店なんスよね?」

「ですよ」

「じゃあ・・・その悩み、聞いてもらうことって・・・可能っスか?」

おお、今回はお客の方から悩みをいっていく流れか。
店主、どうやら今日のところは決め台詞はおあずけだな。
(うーん、ちと残念!by店主)
それにしてもお客は「~っス」という変わった口癖を持っているなぁ。
それと声が低い。店の中では一番低い次弥よりずっと低音だ。
だが、口調は柔らかめで威圧感的なものはないな。

「うちはそういう店ですから。あ、こちらもどうぞ」

何時の間に用意したのか
焙煎された深い香りと白い湯気を引き連れて
店主自慢の飲み物をテーブルに置く。
・・・本当にいつ淹れた?

「シャーベットで冷えた身体にどうぞ」

「どうも・・・って、あの、これって・・・」

コーヒーカップ横にある小皿を持ち上げるお客。
四角くてほんのり黄色い固形物・・・うーん、見たことがあるな。

「ああ、バターですよ」

「やっぱり!?」

おお、そうだバターだ!
次弥がケーキを作る時や実弦がどら焼き作る時に持っていたな。

「今回のドリンクはバターコーヒーです。
 その名の通り、コーヒーにミルクではなくバターを投入!
 バターのいい香りがしてまろやかなコクが味わえますよ!」

「へーぇ、そんな楽しみ方もあるんスねー」

「それで、お客さんのお悩みとは何でしょーかねー?」

店主の促しでお客も

「ああ、はい、それなんスけど・・・」

と話を戻す。って、話を一度遮ったのはお前だろうに・・・
おい、聞いていないだろ。
・・・コホン、あー、また脱線してしまったな。本題に戻ろう。

今回のお客の来店理由は簡潔にいうと

「約束をした女(ひと)がいる。でも、それが誰なのかわからない」

とのことだ。

「恐らく、コイツに何か関係があると思うんスけど・・・さっぱりわかんなくて」

お客が『コイツ』というのは隣の椅子に乗せていた大きな荷物。
ポケットがついた臙脂色でリュックタイプの鞄。
ジーッと音を立てて開き取り出された中身は

「おおー、アコーディオンですかー」

驚いた、まさか再び楽器とは。
何の因果かわからんが昨日はフルート奏者の女性
今日はアコーディオン奏者の男性・・・か。

「エレキギターとかドラムが似合いそうですが、渋いチョイスですなぁ」

失礼だなおい。
いいだろ、ロックが似合いそうな人がアコーディオン奏でても。
しかし、お客は

「よくいわれるんスけどね」

と笑って続きを話してくれた。
よかったな店主、気が短いお客でなくて。

「そーね」

相変わらず仮面の様な微笑みなのは放っておくとして・・・
お客は元々、バーという店の店員。
最初は音楽が趣味な同僚と店の奥で演奏する程度だったが
ある時、たまたま来店していたとある事務所の人間の目に留まり

「うちに来てくれ」

と猛烈なアピールを受けて事務所入り。
それからすぐに有名アーティストのバンドメンバーとしてデビューしたらしい。
厨房の奥からひょっこりと顔を出してこちらを見ている双子の

「やっぱりそうだったね!本物だね!」

「この間見た歌番組で弾いてたお兄さんだね!」

というひそひそ話が聞こえたが
きゃいきゃいとはしゃいでいたのはそれが理由か。
てっきり容姿が好みなのかと思っていたが

「グレッド・・・」

いやいやそう睨むでないよ。
そうなのか?と思っただけだ。思っただけ。

「子供の頃からある夢をずっと見るんスよ・・・
 俺と誰かが約束をしている夢・・・
 『いつか二人で世界一大きな舞台で一緒に楽器を奏でましょう?
 今際で果たせなかった夢をきっと、今度こそ・・・必ず』と・・・
 まるで靄がかかったような情景で
 その人の顔が見えたことはないんスけど・・・」

「けど?」

「その人の両手は包帯だらけだったんス・・・理由はわかりません。
 ただ、凄く痛々しい感じはしました・・・そして俺が
 『約束する!絶対に忘れないから』って返答するとその人は震える声で
 『私も見つけるね、いつかきっと、貴方のことを』って・・・」

「そこで夢が終わるんですね」

「・・・馬鹿みたいな話っスけど」

実際、誰も信じてくれてないしと笑うお客。
話すテンションはさほど変わらないが
目線が一瞬、下がったような気がする。
杞憂だろうか、どうだろう。

「ところで、アコーディオンはどこか教室とかで習ったんですか?」

「いや、それが・・・」

何と驚きであろうか。
彼は一度触っただけで演奏できてしまったらしい。
そう、昨日やって来たあのフルート奏者の女性客と同じだ。
こう連続で天才奏者が来店するものか?
偶然というにはでき過ぎているだろうに。

「自分でも不思議でした。何でピアノでもギターでもなく
 いきなりこれだったんだろうって・・・
 でも、ずっとずっと頭から離れない音色を奏でられるのは
 コイツしかいなかった・・・」

ずっと頭から離れない音色・・・?

「それを休憩時間中とか暇な時に何度も繰り返し弾いていたら
 奥のスペースをステージにしてお客に披露しようって話になって
 それを続けてたらデビューしてたっス・・・」

何が起こるかわからないっスねーと
自分のことなのにどこか不思議そうにいうお客。
連日来店する二人の天才奏者・・・。
色白で華奢の女性と色黒でがっしりな体格な男性と
見た目は正反対、弾く楽器も異なるわけだが・・・どうも気になるな。
店主も何かに気づいているのか、お客にコーヒーのおかわりを注ぎながら

「あの、もしよかったら聞かせていただけませんか?その運命の一曲!」

興味あるなぁと微笑む。
そんな店主の飄々とした態度ににきょとんとしながらも

「あ、はい・・・いいっスけど・・・」

と答え、アコーディオンを取り出すお客。
シャーベットはいつの間にか完食していた。
残っているのは注ぎたてで熱々のコーヒーだけ。
一曲演奏し終える頃にはコーヒーもいい具合に冷めそうだな。
とはいえ、これは支払いではないので
前回のようなミニ演奏会紛いなことはしない。

といいつつ折角だから有名アーティストのお手並みをと皆で顔を覗かせている。
どこぞの家政婦かお前たちは・・・。
ちらちらと視界に入る彼らが気になるところではあるが

「じゃあ、いきます」

というお客の声と、息を吹き込まれるアコーディオンの鳴き声により
一瞬で変わった空気に意識を持っていかれた。
低音ながら、ふわりふわりと優しく伸びていく音色。
目を閉じると(といっても私に瞼はないが)
どこか見知らぬ異国の地が自然と思い浮かぶ。

例えるなら・・・そうだなぁ・・・。
石畳の道にレンガ造りの色鮮やかな家々・・・
窓辺や玄関には鉢植えの花が飾られていたり
蔦の葉がカーテンのように伸びている・・・
そんな情景が似合いそうだ。

しかも陽だまりのような温かみもある・・・。
さっきまでトロピカルなカラーリングのものを食していたのが嘘のようだ。
なーんて余韻に浸ってしまいたいところではあるが、今の私の心境は
「ゆったり」というより「びっくり仰天」だ。
実際に天は仰げないがな。

「偶然なのか、必然なのか・・・」

お客が奏でた曲・・・
弾き手と楽器が違うからリズムや雰囲気は異なるが
先日やって来たお客が支払った自作曲と全く同じではないか。
店主はふふっと微笑んでいるが、他の従業員たちも
私と同じことを思ったらしく目をまん丸にしている。

・・・私のこのくりくりの黒い目といい勝負だな。

「いやー、本当に素晴らしい一曲ですなぁー」

「ということは・・・忘れてることって・・・」

「え?」

「ああ、いや、えっと!何でもないです!
 その、すすす素晴らしい演奏だなぁと思って!」

お客と目が合ったことに慌てた実弦は白々しくすっとぼける。
次弥みたいなポーカーフェイスは生真面目過ぎるコイツには難儀だわなぁ。

「今のがずっと頭から離れない音色・・・ですか?」

「はい。習ったわけでも楽譜を見たわけでもなく・・・
 ガキの頃からずっと頭ん中をエンドレスループしてて・・・」

昨日のお客は数年前に自分で作ったオリジナル曲といった。
しかし今のお客は物心ついた頃から頭の中にあったといった。

ふぅむ、どういうことだ?

「もしかしたらですけど
 夢で会う約束の女(ヒト)とこの曲は
 何か関係があるのかもですねー」

もしかしなくともそう考えるだろこの流れなら。
それくらいは私もわかるわ。

「俺もそう思ってるんスよ・・・
 けど、未だに収穫っていう収穫はなくて・・・
 たかが夢って片付けりゃいいと思っていても
 どうしても捨てきれなくて・・・」

そこからは昨日のお客と全く同じだ。
もやもやとしたものの【答え】を知りたくて模索しつつも
まだ答えが知るのが怖い・・・
そして、どういうことだと右往左往する
今という名の【過程】の楽しさや興味深さが手放せない。

好奇心と探究心が旺盛なのは良いことだがなぁ。
シャーベットのように爽やかに
すぅーっと悩みが溶けていく日は先の先のようだ。

「ふぅん・・・そういうことだったとはねー」

いつもの能天気な笑みから
(おいちょっと!どういう意味だよ!By壱夜)
何かを含んだ笑みに変わる店主。
今度は一体何だというんだ?

「んー?・・・内緒♪」

・・・だろうよ。今度はとても悪戯っ子な笑みだ。
だがツッコむのはやめにしよう。
叩いたところでこの男には無駄だ。
本人が「喋りたい!」と思う時まで待つのが勝ちだ。

「ここにもまた、旅人か・・・」

「旅人?」

「いえいえ、こちらの話です。
 さて、素晴らしい演奏の報酬を用意しないと!
 おかわりは何がいいですかー?」

「いや、悪いっスよ」

「いえいえ、ご馳走させて下さいな。
 こちらがお願いしたことですし」

「そ、そうっスか?・・・じゃあ、モヒートのやつをもう一個もらえます?」

「かしこまりました!」

それから次弥が持ってきたモヒートシャーベットと
いい具合に冷めたバターコーヒーを
楽しんだお客はお代を支払って帰って行った。

ちなみに支払ったものは黒い箱型のケースに入った大量のギターピック。
ギターは一時期練習していたことがあったが
どうしても上手くいかず挫折。
しかしピックの種類の多さとデザインは好きだったので
それからずっと集めていたらしい。

「色々なことに興味を持つのは大事っスけど
 だからって無理矢理欲張っても何もいいことがないってわかったっスから!
 俺、二足の草鞋とかそんな器用なこと出来るタマじゃねぇっスし!」

そう笑った顔はまるで少年のようにあどけなかった。
そしてまたそのギャップに双子がきゃいきゃいと喜んでいるが
そこは無視しよう。

「大事なものですが、よろしいんですか?」

「はい、俺は俺のやり方でこれからもコイツと演奏していきます。
 そうしたら・・・もしかしたらっスけど・・・
 夢の中のあの女(ヒト)がテレビやライブを通して
 俺のことを見てくれるかもしれないっスから・・・」

それこそ完全な夢物語だ。・・・少なくとも、今はな。
だが、お客のキラキラとした期待に満ちた目を見てしまったら
安易にそんなことはいえまい。

「しんどくなったらこの店のシャーベットを思い出しますよ!
 そうすりゃまた活力が出る気がしますし!」

「元バー店員さんならアルコール入った
 大人のデザートも作れそうですもんね!」

話の内容からして、自分を励ましたい時は
店の味を真似して作るというわけか。それはまた新しいな。

「ただ凍らせるだけでなくしっかりと空気を含ませるのがコツだ」

珍しく自主的に喋ったと思ったらレシピのアドバイスをする次弥。
それどころか簡易的なメモまでご丁寧に渡していた。
珍しくお客のこと気に入ったのか?

まあそんなこんなでお客は「ありがとうございましたー!」と
本来こっちがいわないといけない台詞を爽やかにいって帰って行った。


・・・のはいいが!!


「どったの?グレッド。何か不服そうだけど?」

当然だ。昨日今日と来店したお客・・・菓子を食べて
胸の奥のもやもやについて話をして
結果的にすっきりとした顔で新たな旅へ・・・という流れ自体はいいが
結局のところ、二人のお客のおぼろげな記憶や
ぼんやりとした夢の正体は何だったんだ?

それがわからないまま帰ってしまっているせいで
むしろこちらが物凄くもやもやしているんだが!?

「あー、何か実弦も同じように考え込んでたねー」

「ふぅん・・・そういうことだったとはねー」

とかいってのける時点でお前は答えに辿り着いているんだろう?
それで他人事の様な口ぶりとは私たちを小馬鹿にしているのか?

「やだなぁ、そんなつもりないってば」

だったら答えを教えろ。双子姉妹みたいに

「不思議だったねー」

で終わらせるのも次弥のように

「俺たちが干渉することじゃない」

と静観することも知りたくてそわそわしている私たちには無理だ。

「そうだよ店長、教えてよ。僕らなら他言しないし、別にいいだろ?」

仕込みを終えたのか実弦が厨房から顔を出す。
その顔は私以上に今回の件の答えを欲している。
だが、私だって顔に出ないだけで気持ちは同じだぞ。

「ふーん、ここまでぐいぐい来る二人も珍しいし・・・まあいいか」

なーんか癪に障るいい方ではあるが・・・

「ホントにね」

店主は鼻歌混じりにレジ下の引き出しを開けてごそごそと何かを漁っている。
ん?確かそこは客から支払われたものを収納している引き出しだよな?
何故そこを探る必要が?

「あったあった!ほいっ!」

「わっ!!」

いきなり店主が何かをこちらへ放り投げて来た。
私に当たりそうになったが咄嗟に実弦が受け止めてくれた。
とてもぶ厚く色褪せた本だ。
臙脂色に金のラインが入った表紙のタイトル欄には【Diary】とある。
誰かの日記帳・・・ということか?

それはいいとして・・・おい店主!
私が動けないことをわかってやったのか!

「ごめんごめん手元狂っちゃった」

本当だろうな?全く。あと、本にかぶっていた埃が
私のふわふわな灰色の毛に落ちてしまったんだが!?
どうしてくれるんだ!!

「後でお風呂入れてあげるから許してよー」

・・・ならいい。いいか、ちゃんといつもの石鹸で洗っておくれよ?
毛並みは傷めないよう丁寧にな。
あ、毛がキシキシにならないよう柔軟剤で仕上げも忘れてくれるな?
ブラッシングしながらドライヤーも大切だ。あ、風は冷風だぞ!

「注文多いな・・・」

「店長のせいだから責任とってやってもらうからね?」

「えー・・・」

面倒くさいと顔面中に描かれている店主は無視して
(何が何でも風呂手伝わせるからな!)
私は実弦が取ってくれた本に意識を向ける。

「店長、これって・・・」

実弦が問うと、店主はいつもより目を細めた感じの笑いになり

「読めばわかるよ」

とだけいって

「今日のおやつは何かなー?」

と厨房に引っ込んでしまった。
店主があんな調子じゃこちらがやいのやいのいったところで無駄。
それは実弦も重々わかっているから

「ふーん」

とだけ呟いて近くの席に座った。
が、そこは私の座っているレジと向かい合わせな為
私からは表紙と背表紙の臙脂色が広がるのしか見えない。
実弦、私も気になっているといったはずだ。本を見せてくれ。

「え?・・・えぇー・・・」

きょとんとしたのは一瞬ですぐに嫌々な顔になったが
私は引かんぞ。見せてくれ。
二人で店主を説得したのに一人だけ楽しむのはズルいだろう?
私なんか頭に埃をふりかけられるなんて目にも遭っているんだぞ?

「・・・わかったよ」

そういうと私は低位置のレジ横から実弦の膝の上へと移動した。
仕方ないだろう、こうしなければ見えないんだ。

「何で大の男がテディベア膝に乗せて読書しないといけないんだよぉ・・・」

ぼそぼそと何かいってないではよページめくれ。
それから渋々といった感じだったが
無事に私も本の中身を拝むことが出来た。
1ページ目はでかでかと【筆者・時子(ときこ)】
という文字が書かれていた。ご丁寧に右下に判まで押してある。

「これって時子さんのなんだ」

そのようだな。ああ、時子というのは
この店の常連の一人でもある時を統べる魔女。
要するに【異界の者】だ。
ということはこれは時子のある日の支払いということか。

「そういえば時子さんって
 あらゆる世界のいかなる時間にも行けるっていってたね」

そういえばそうだったな。いつだったかは忘れたが
店主と話しているのを聞いたことがある。
パラパラとページをめくる度にその時の会話もじわじわと思い出していく。

時の魔女、時子は気紛れに様々な時間へ行って
時の流れを見るという趣味を持つ。
時間を止めたり戻したりと
その時代に干渉することは禁止とされているが
それ以外の制約はないらしい。

「折角興味深い人生を送っているのに、誰からも気にも留められず
 そのまま風化されて忘れられていくなんて勿体無いでしょ?」

そしてその時代の最も興味深い人物を書き記すのにハマっていると。
これもその一冊ということか。
ちなみに今や教科書に載っているような
偉人たちの歴史も全て見てきたらしいが

「ああいう人らはわざわざ私が書かなくても人間の誰かが書くでしょ?
 自叙伝とかいって自分で書いちゃうのだっているし。
 そこんところはぶっちゃけ興味ないのよ」

ということらしい。
あくまでもどこかで生き、どこかで死んだ一般人の人生が
つらつらと書かれたあらゆる時間の日記帳。
それが時子のポリシーなんだそうな。
確かに内容はどれもこれも興味惹かれるものがある。
時間潰しに読むには最高だ。

しかし、この本と私たちが疑問に思っている
二人の演奏家のことと、一体何の関係があるんだ?

「あ・・・」

と思ったのは一瞬で、最終章と書かれた
残り数ページのストーリーを読み始めて
ようやく点と点が繋がった。

「ねぇグレッド、これって・・・」

うむ、きっと私とお前・・・考えていることは同じだよ。

「・・・そっか」

本に書かれていたのは、こんな内容だった。
といってもかなりのページ数の大作なので少し簡略した説明としよう。
じゃないと途中で疲れてしまうからな、私が。


―――――――――――――――――――――――――――

昔々、とある山奥の小さな国に一人の旅人がやって来た。
国の門番に名を聞かれると旅人は

【名前はありません。ただのしがない音楽家です】

といった。怪しい奴だと城に連れて行かれると

【音楽家というならば腕前を見せろ。酷い演奏だったら首を落としてやる】

という王様の横暴な命令を受ける。だが、旅人は

【お安い御用で御座います】

と了承し一曲弾いてみせた。
すると険しい顔をしていた城の者たちは嘘のように拍手喝采。
特に王様は旅人の才能を高く評価し

【これからも私の為に音色を奏でよ】

と、城の専属音楽家として旅人を雇い傍に置いた。
多額の報酬を手に入れることに成功した旅人は
暫くの間は仕事に専念していたが、そろそろ次の旅にでも出ようか
それともこの国に永住するかを考える為に散歩に出た。
そこで旅人の運命は大きく変わった。

一人の女性が彼に声をかけたからだ。

【その大きな荷物は何ですか?】

ボロボロのワンピースいうよりは布を巻きつけただけにも見える頬がこけた娘。

【これは私の永遠の相棒さ】

【相棒・・・その大きなものが・・・?】

【・・・お嬢さん、失礼だが、楽器を観るのは初めてかい?】

【がっき・・・?それはそう呼ぶのですか?】

娘は楽器の存在を知らなかった。
どの国に行ってもそんなことはなかった旅人は驚き
相棒である手風琴を見せて更に一曲弾いて見せた。

見るもの聞くもの全て初めてだったのだろう
泥のような目をしていた娘は
サンタクロースにプレゼントを貰った子供のような
キラキラとした瞳に変わっていく。
その無垢な愛らしさに旅人は一目惚れ。
娘も娘で旅人に心を開いていった。

話をしていくと、娘はこの国で娼婦として働いていることを知る。
貧しい家に生まれ、流行病で両親を亡くして独りだった自分を
娼館の主が拾ってくれたらしい。
だが、売り上げは全て盗られてしまうので自分には金は残らない。
それでもそこしか生きる場所がないので身を売り続けるしかないのだと。

旅人はその話を聞いて改めて国の様子を見た。
華やかで明るいのは自分を雇ってくれた城の人間たちのみ。
国の人間たちは明日の食料どころか
その日何を食べて凌げばいいのかも怪しいほど困窮している。
光と闇を絵に描いたような有様だと身をもって知った。

旅人は思った。娘を救いたいと。
だが国にいては自分は城の兵士たちの目が
娘は娼館の目が厳しく再びこうして会うのもままならない。
ならば、蓄えがある今のうちに二人でどこか逃げてしまえばと考えてしまった。

【どうしたの?】

厳しい顔になってしまっていた旅人に娘が問う。

【この国で生きる道が一つしかないなら、外で他の道を探せばいい】

【え?】

【私と一緒に来てくれ。君に外の世界を教えてあげる】

娘の手をとって旅人はいった。お金なら自分が持っている。
別の国に行けば今よりもっと自由がある。
ここにいて一生を終える必要なんかない。旅人は娘にそう訴えた。
娘も生まれて初めてそんな言葉をかけられたと涙を流した。

【じゃあ・・・貴方が聴かせてくれたあの音・・・もう一度聴けるのかしら】

【一度といわず何度でも、満足するまで聴かせてあげるよ。
 いや、むしろ一緒に演奏しよう。
 そうやって流しの演奏家として日銭を貰い
 ゆったりと歩いていくのも悪くはないだろう?】

【演奏?私も・・・一緒に?】

【ああ、心配しなくても私が教えるよ。
 君の細く長い指なら横笛なんかどうだろう?
 きっと吹いている姿も奏でる音色もとても美しく
 多くの客を魅了するだろうね】

【あら、お上手ね。でも、そうなったらきっと
 人生で一番幸せな時間になるわ】

それからは話が早く、二人は一度別れて荷物を纏め
寝静まった真夜中に脱走を試みた。
成功するはずだった、いや、成功しなければいけなかった。
だが、城の門を抜けるまであと2、3歩というところで
旅人の動きを怪しんだ兵士たちに囲まれて脱走計画は失敗に終わった。

旅人は地下の牢に拘束。娘は娼館に戻された。

【女を売る娼婦が芸を売って生きていくだと!?生意気な!
 今までの恩を忘れたか!?お前は一生奴隷なんだよ!】

こういう時に限って与えたこともない恩を振りかざす強欲な雇い主は
「仕置きだ」と称してゴボゴボと煮え立つ熱湯に
娘の両手を入れるという暴挙に出た。娘は泣き叫んだ。

【いやあああああああ!ごめんなさい!!許して下さい!!】

だが、誰も娘を助けなかった。
そんなことをしたら自分が同じ目に遭うからだ。
旅人が「細く長い指」と誉めた娘の両手は見るも無残な姿形になった。
手に感覚がないので歯を使って巻かれたガタガタの包帯の隙間からも
爛れた皮膚が見え隠れしているその様は3秒も見つめてはいられない。

ある日、旅人は牢屋から出ることを許された。
まともに食料を与えられなかったのでげっそりと痩せ細り
過度のストレスのせいか金色の髪は真っ白になっており
城の人間たちすら「アイツは誰だ?」というほど見た目が変化していた。
だからこそ変装する必要がなく、そのまま娘がいる娼館に向かえた。

娘にまた会えた。
だが、自分以上に酷い有様になった娘を見て旅人は絶望した。

【ごめんなさい、折角教えてくれるっていってくれたのに・・・
 手が使い物にならなくなってしまったわ・・・ごめんなさい・・・
 ごめんなさい・・・】

娘は泣き続けた。旅人も娘を抱きしめて声を殺して泣いた。

【君は悪くない。私のせいだ。全部、私のせいなんだ・・・】

そう己を責め続けた。

【ねぇ、旅人さん・・・お願い、私を連れてって・・・
 遠くへ・・・もっともっと遠くへ・・・】

ぐしゃぐしゃになった声で娘がいったこの言葉に旅人はより大粒の涙を流した。
だが、その迷いのない声に、それが君の望みであるならと聞き入れた。
旅人はそのまま娘を抱えて、国の外れになる小さな教会へと身を潜めた。
神父もいない、至る所の木材が腐り落ちているいわば建物の亡骸。

しかし、そんな場所には似合わないほど
美しいステンドグラスが奥の壁一面に輝いている。

【今にも崩れ落ちそうな場所なのに・・・
 あそこだけはまだ必死に生きているのかしら・・・?】
 
【・・・かもしれないね】

旅人はそこに娘を座らせ
砕けた窓ガラスを石で更に砕いて簡易過ぎる刃物を作った。
娘はそんな旅人の行動に恐れる様子もなく
むしろ微笑を携えて見つめていた。

【次に会う時は私も楽器を演奏してみたいわ・・・あの曲を・・・ね】

【出来るさ、きっと・・・私が実現させてみせるよ・・・】

【嬉しい・・・いつか二人で世界一大きな舞台で一緒に楽器を奏でましょう?
 今際で果たせなかった夢をきっと、今度こそ・・・必ず】

【ああ、一緒に奏でよう。きっと、世界一素晴らしいセッションとなるだろう】

右手に鋭利なガラスナイフ、左手にはステンドグラスと同じ姿をした白い花二輪。
花はお互いの胸に飾り、その花目掛けて旅人は娘にナイフを突き立てた。

【・・・さっきの約束・・・忘れないでね?】

【ああ・・・約束する!絶対に忘れないから】

【ありがとう・・・私も見つけるね、いつかきっと、貴方のことを・・・】

その後は書かなくても良いでしょう。
白い花が二輪とも赤い花になった。

ただ、それだけなのだから・・・。

―――――――――――――――――――――――――――



「二人ともー!そろそろおやつの準備するよー?」

「・・・・・・・・・・・」

店主の謀ったかのようなタイミングで余韻に浸る間がなかった。

「はいはいグレちゃんもお風呂の準備出来たから入っちゃおうよー」

赤いシャツの袖を捲くり、しかも水しみが点々とついているということは
私たちが読んでいる間に風呂の用意をしてくれていたのか?
あのぐうたら店主が・・・自分から行動を・・・だと!?

もしや偽者では・・・

「失礼しちゃうな!ちゃんとやったのに!」

まあいい。わかりたいことはわかったし
おやつの時間までに早く綺麗にしてくれ。

「実弦も準備手伝ってあげてねー?」

「う、うん」

「今日のおやつはパイナップルとイチゴのシャーベットを炭酸水で割った
 スペシャルフローズンドリンクだってよー♪
 俺は酒入りのが嬉しいんだけどねー♪」

また今日のおやつもトロピカルだな。
その前に私は風呂だ風呂!

「ねぇ店長」

「ん?」

「・・・会えるかな。この二人」

ちょいちょい思っていたことだが
実弦は少々ロマンチストな気があるよなぁ。
本人にいえば顔を真っ赤にして怒るだろうからいわんけどな。

「んー・・・まあ、大丈夫なんじゃない?
 【忘れていることを忘れなければ】さ・・・」

シャーベットの様な氷菓子は溶けると飲み物になる。
では、彼らの忘れたことが溶けた時は、一体どうなるのだろうか。


・・・ふふっ、どうやら私も人のことはいえないクチだったな。



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