上司が猫を脱いだなら。

yuzu

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今日から第五資料室管理課。

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 朝のフロアは、いつもよりざわついていた。

 コピー機の音、キーボードを叩く音、その隙間に、ひそひそとした声が混じる。

 視線の先は、掲示板と私。

 張り出されたばかりの異動辞令の前に集まっている社員たちは、囁き声で話しながら目を泳がせている。

「……辞令って、こんな時期に誰が?」

 誉がコーヒー片手に歩いてきて、私にそう声をかけた。けれど、返事をしない私に怪訝な目を向けて、それから何気なく掲示板を覗き込む。

最初は、特に興味もなさそうだった。 

でも——
数秒後、誉の動きは止まった。

「……は?」


――企画営業課 多部由佳里
 第五倉庫勤務を命ずる

その一行が書かれた張り紙に釘付けになり、それから私の方へ振り返った。

「……多部が?」

 信じられない、というように名前を口にして、周囲を見回す。

 ざわつく空気。

 目を逸らす同僚たち。

 その反応で、冗談ではないと悟ったのだろう。

「……まじかよ」

 視線が合いそうになって、慌てて逸らす。
 次の瞬間、誉は一直線にこちらへ向かってきた。

「多部」

 低く、強い声。

「これ、どういうことだよ。希望したのか?」
「……わからない」

 できるだけ平静を装ったつもりだった。
 けれど、声が少し震える。

「昨日遂行した企画書、出して」
「……あれは、もういいから」
「よくない」
 
 語気を強めた言葉は、オフィス中の視線を集めた。

「見せろよ」

 有無を言わせない口調に、私は何も言えなくなる。

 その間に、誉は私のデスクの引き出しを勝手に開けた。

「ちょっと……!」
「あるじゃん、貸して」

 企画書を引き抜き、その場でページをめくり始める。

「……」

読むにつれ、誉の表情が変わっていく。
私を一瞥して頷いてみせた誉は、企画書を握ったまま踵を返した。

向かった先は——係長席。

「企画書の確認をお願いします。」

 静かに、けれど悔しさが滲む様な声だった。

「誉、いいから!」

 慌てて止めるけれど、誉は黒木係長の机の前に立ち、企画書を突き出した。

「あいつ、まだいい企画出せますよ。これを見てください!」

 黒木係長は、一瞬だけ企画書に目を落とし——
すぐに、いつもの穏やかな表情に戻った。

「安西」

 静かに、諭すように名前を呼ぶ。

「努力は全て報われるわけじゃないだろ?」

 優しい口調。
それなのに、刃物みたいに胸に刺さる。

「それに、多部さんにはもっと適正な仕事があると会社が判断したんだ。」
「適正ってなんですか。だってあそこは__」

 誉は、何も言えなくなった。
 だってあそこは……窓際部署。

 "使われていない倉庫に仕事なんて、あるわけがない"

  そう言われた様な気がした。

 悔しさを噛み殺すような顔で誉が振り返るけれど、ダンボールに詰めた自分の荷物を抱えて立ち上がり、すぅっと息を吸ってみんなに頭を下げた。

 「みなさんとお仕事を出来て、楽しかったです。新しい環境で、私に何ができるか自分を見つめ、会社の役に立てる様に邁進いたします。今日まで、ありがとうございました!」

 可哀想だなんて、思われたくない。
 だから、涙は昨日の夜……自分のベッドに置いてきた。

 黒木係長にも一礼し、私は企画営業課を後にした。

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