恋が温まるまで

yuzu

文字の大きさ
17 / 17
#8 臆病な恋

1

しおりを挟む
 「……っていう流れで、昨日はタクシー呼んで、アパートまで送ったんだけど」

 空になったグラスにもう一度、白ワインが静かに注がれていく。

 淡い琥珀色が照明を透かし、細く波紋を描いてグラスの内側をなぞった。

 その音を聞きながら、胸の内にじんわりと熱が広がる。それは酔いというより——恥ずかしさだった。

「……昨夜はいろいろと、すみませんでした。その……ひどかったみたいで」

田上さんはワインボトルを静かに置きながら、クスッと笑った。

 「あの……私、何か変なこと……」
 「可愛いかったよ。普段とキャラが全然違って」

 思わぬ返しに両手で顔を覆い、テーブルに肘をついてうつむいた。

「……お上手ですね。さすが」

 言葉を濁したけれど、それに重ねるように返ってきたのは、やわらかな笑顔だった。

 「……最悪です」

 両手で顔を覆ったまま、そう呟いた。

「そんなの……覚えてないです……」
「思い出せない?」
「思い出していたらこんなところで顔を合わせられません!」

 ただ真っ赤な顔でうつむくことしかできなくて、田上さんの優しい笑い声だけが、耳に残った。

 「あの……本当にすみませんでした」

 私はもう一度、深く頭を下げた。

 「花田さんってさ……人と距離を置いてるでしょ?」

「え……?」

 まっすぐな指摘に、グラスの縁で指が止まった。

 「最初、真面目で冷たい人なのかなって思ってた」

 そこまで聞いて、思わず視線を上げる。
 
 田上さんは続けた。

 「でも違った。俺が勝手に思い込んでただけ」

 記憶をなぞるように語る彼の声は、どこか優しくて、遠くを見ているようだった。

 「一ヶ月くらい前だったかな。ちょっと仕事で気持ちが折れそうになってた日。……給湯室で、コーヒーくれたよね?」

 「あ……」

 咄嗟に思い出す。紙コップにボールペンで落書きみたいな応援メッセージを書いた、あの日のこと。

 「“もう一息。力抜いて頑張りましょう”って書いてあってさ。」

 「あ…それ……」

 「あのメッセージ。めちゃくちゃ刺さったんだよね。肩の力が抜けて、頑張ろうって思えた。」

田上さんの真剣な眼差しが、私の瞳を捉えた。

 「それからかな。何となく目で追うようになってた」

 喉の奥で出しかけた言葉を詰まらせたまま、彼の言葉を待った。

 「それで気づいた。……“なんとなく付き合ってる”だけの子と一緒にいても、気持ちが動かないことに」

 フォークを持つ手が止まる。

 「だから、別れた。」

田上さんが給湯室で言った言葉が脳裏に浮かぶ。

 『別れ話したら泣かれちゃって。』

屋上で言われた言葉が急に浮かんで消えた。

 「田上さんの言ってる"返事"って……」

 田上さんがいたずらっぽく笑う。

「昨日の返事、もう一度聞いてもいい? 今度はちゃんと、意識があるときに」

 記憶を辿れば微かに頭の中で響く田上さんの"俺専用"って言葉が夢か現実かは、わからないままだった。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

デネブが死んだ

ありがとうございました。さようなら
恋愛
弟との思い出の土地で、ゆっくりと死を迎えるつもりのアデラインの隣の屋敷に、美しい夫婦がやってきた。 夫のアルビレオに強く惹かれるアデライン。 嫉妬心を抑えながら、妻のデネブと親友として接する。 アデラインは病弱のデネブを元気付けた。 原因となる病も完治した。それなのに。 ある日、デネブが死んだ。 ふわっとしてます

溺婚

明日葉
恋愛
 香月絢佳、37歳、独身。晩婚化が進んでいるとはいえ、さすがにもう、無理かなぁ、と残念には思うが焦る気にもならず。まあ、恋愛体質じゃないし、と。  以前階段落ちから助けてくれたイケメンに、馴染みの店で再会するものの、この状況では向こうの印象がよろしいはずもないしと期待もしなかったのだが。  イケメン、天羽疾矢はどうやら絢佳に惹かれてしまったようで。 「歳も歳だし、とりあえず試してみたら?こわいの?」と、挑発されればつい、売り言葉に買い言葉。  何がどうしてこうなった?  平凡に生きたい、でもま、老後に1人は嫌だなぁ、くらいに構えた恋愛偏差値最底辺の絢佳と、こう見えて仕事人間のイケメン疾矢。振り回しているのは果たしてどっちで、振り回されてるのは、果たしてどっち?

勘違い

ざっく
恋愛
貴族の学校で働くノエル。時々授業も受けつつ楽しく過ごしていた。 ある日、男性が話しかけてきて……。

25年の後悔の結末

専業プウタ
恋愛
結婚直前の婚約破棄。親の介護に友人と恋人の裏切り。過労で倒れていた私が見た夢は25年前に諦めた好きだった人の記憶。もう一度出会えたら私はきっと迷わない。

実在しないのかもしれない

真朱
恋愛
実家の小さい商会を仕切っているロゼリエに、お見合いの話が舞い込んだ。相手は大きな商会を営む伯爵家のご嫡男。が、お見合いの席に相手はいなかった。「極度の人見知りのため、直接顔を見せることが難しい」なんて無茶な理由でいつまでも逃げ回る伯爵家。お見合い相手とやら、もしかして実在しない・・・? ※異世界か不明ですが、中世ヨーロッパ風の架空の国のお話です。 ※細かく設定しておりませんので、何でもあり・ご都合主義をご容赦ください。 ※内輪でドタバタしてるだけの、高い山も深い谷もない平和なお話です。何かすみません。

友達婚~5年もあいつに片想い~

日下奈緒
恋愛
求人サイトの作成の仕事をしている梨衣は 同僚の大樹に5年も片想いしている 5年前にした 「お互い30歳になっても独身だったら結婚するか」 梨衣は今30歳 その約束を大樹は覚えているのか

今宵、薔薇の園で

天海月
恋愛
早世した母の代わりに妹たちの世話に励み、婚期を逃しかけていた伯爵家の長女・シャーロットは、これが最後のチャンスだと思い、唐突に持ち込まれた気の進まない婚約話を承諾する。 しかし、一か月も経たないうちに、その話は先方からの一方的な申し出によって破談になってしまう。 彼女は藁にもすがる思いで、幼馴染の公爵アルバート・グレアムに相談を持ち掛けるが、新たな婚約者候補として紹介されたのは彼の弟のキースだった。 キースは長年、シャーロットに思いを寄せていたが、遠慮して距離を縮めることが出来ないでいた。 そんな弟を見かねた兄が一計を図ったのだった。 彼女はキースのことを弟のようにしか思っていなかったが、次第に彼の情熱に絆されていく・・・。

疑惑のタッセル

翠月るるな
恋愛
今、未婚の貴族の令嬢・令息の中で、王国の騎士たちにタッセルを渡すことが流行っていた。 目当ての相手に渡すタッセル。「房飾り」とも呼ばれ、糸や紐を束ねて作られた装飾品。様々な色やデザインで形作られている。 それは、騎士団炎の隊の隊長であるフリージアの剣にもついていた。 でもそれは──?

処理中です...