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#8 臆病な恋
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「……っていう流れで、昨日はタクシー呼んで、アパートまで送ったんだけど」
空になったグラスにもう一度、白ワインが静かに注がれていく。
淡い琥珀色が照明を透かし、細く波紋を描いてグラスの内側をなぞった。
その音を聞きながら、胸の内にじんわりと熱が広がる。それは酔いというより——恥ずかしさだった。
「……昨夜はいろいろと、すみませんでした。その……ひどかったみたいで」
田上さんはワインボトルを静かに置きながら、クスッと笑った。
「あの……私、何か変なこと……」
「可愛いかったよ。普段とキャラが全然違って」
思わぬ返しに両手で顔を覆い、テーブルに肘をついてうつむいた。
「……お上手ですね。さすが」
言葉を濁したけれど、それに重ねるように返ってきたのは、やわらかな笑顔だった。
「……最悪です」
両手で顔を覆ったまま、そう呟いた。
「そんなの……覚えてないです……」
「思い出せない?」
「思い出していたらこんなところで顔を合わせられません!」
ただ真っ赤な顔でうつむくことしかできなくて、田上さんの優しい笑い声だけが、耳に残った。
「あの……本当にすみませんでした」
私はもう一度、深く頭を下げた。
「花田さんってさ……人と距離を置いてるでしょ?」
「え……?」
まっすぐな指摘に、グラスの縁で指が止まった。
「最初、真面目で冷たい人なのかなって思ってた」
そこまで聞いて、思わず視線を上げる。
田上さんは続けた。
「でも違った。俺が勝手に思い込んでただけ」
記憶をなぞるように語る彼の声は、どこか優しくて、遠くを見ているようだった。
「一ヶ月くらい前だったかな。ちょっと仕事で気持ちが折れそうになってた日。……給湯室で、コーヒーくれたよね?」
「あ……」
咄嗟に思い出す。紙コップにボールペンで落書きみたいな応援メッセージを書いた、あの日のこと。
「“もう一息。力抜いて頑張りましょう”って書いてあってさ。」
「あ…それ……」
「あのメッセージ。めちゃくちゃ刺さったんだよね。肩の力が抜けて、頑張ろうって思えた。」
田上さんの真剣な眼差しが、私の瞳を捉えた。
「それからかな。何となく目で追うようになってた」
喉の奥で出しかけた言葉を詰まらせたまま、彼の言葉を待った。
「それで気づいた。……“なんとなく付き合ってる”だけの子と一緒にいても、気持ちが動かないことに」
フォークを持つ手が止まる。
「だからあの日、別れた。」
田上さんが給湯室で言った言葉が脳裏に浮かぶ。
『別れ話したら泣かれちゃって。』
屋上で言われた言葉が急に浮かんで消えた。
「田上さんの言ってる"返事"って……」
田上さんがいたずらっぽく笑う。
「昨日の返事、もう一度聞いてもいい? 今度はちゃんと、意識があるときに」
記憶を辿れば微かに頭の中で響く田上さんの"俺専用"って言葉が夢か現実かは、わからないままだった。
空になったグラスにもう一度、白ワインが静かに注がれていく。
淡い琥珀色が照明を透かし、細く波紋を描いてグラスの内側をなぞった。
その音を聞きながら、胸の内にじんわりと熱が広がる。それは酔いというより——恥ずかしさだった。
「……昨夜はいろいろと、すみませんでした。その……ひどかったみたいで」
田上さんはワインボトルを静かに置きながら、クスッと笑った。
「あの……私、何か変なこと……」
「可愛いかったよ。普段とキャラが全然違って」
思わぬ返しに両手で顔を覆い、テーブルに肘をついてうつむいた。
「……お上手ですね。さすが」
言葉を濁したけれど、それに重ねるように返ってきたのは、やわらかな笑顔だった。
「……最悪です」
両手で顔を覆ったまま、そう呟いた。
「そんなの……覚えてないです……」
「思い出せない?」
「思い出していたらこんなところで顔を合わせられません!」
ただ真っ赤な顔でうつむくことしかできなくて、田上さんの優しい笑い声だけが、耳に残った。
「あの……本当にすみませんでした」
私はもう一度、深く頭を下げた。
「花田さんってさ……人と距離を置いてるでしょ?」
「え……?」
まっすぐな指摘に、グラスの縁で指が止まった。
「最初、真面目で冷たい人なのかなって思ってた」
そこまで聞いて、思わず視線を上げる。
田上さんは続けた。
「でも違った。俺が勝手に思い込んでただけ」
記憶をなぞるように語る彼の声は、どこか優しくて、遠くを見ているようだった。
「一ヶ月くらい前だったかな。ちょっと仕事で気持ちが折れそうになってた日。……給湯室で、コーヒーくれたよね?」
「あ……」
咄嗟に思い出す。紙コップにボールペンで落書きみたいな応援メッセージを書いた、あの日のこと。
「“もう一息。力抜いて頑張りましょう”って書いてあってさ。」
「あ…それ……」
「あのメッセージ。めちゃくちゃ刺さったんだよね。肩の力が抜けて、頑張ろうって思えた。」
田上さんの真剣な眼差しが、私の瞳を捉えた。
「それからかな。何となく目で追うようになってた」
喉の奥で出しかけた言葉を詰まらせたまま、彼の言葉を待った。
「それで気づいた。……“なんとなく付き合ってる”だけの子と一緒にいても、気持ちが動かないことに」
フォークを持つ手が止まる。
「だからあの日、別れた。」
田上さんが給湯室で言った言葉が脳裏に浮かぶ。
『別れ話したら泣かれちゃって。』
屋上で言われた言葉が急に浮かんで消えた。
「田上さんの言ってる"返事"って……」
田上さんがいたずらっぽく笑う。
「昨日の返事、もう一度聞いてもいい? 今度はちゃんと、意識があるときに」
記憶を辿れば微かに頭の中で響く田上さんの"俺専用"って言葉が夢か現実かは、わからないままだった。
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