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一章 神童
2.笑えない笑顔 頭痛が痛い
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それは徐々に片鱗を見せ始めた。9歳。ドラマ化が決まり彼女のスケジュールが大人の手によって管理され始めた頃のこと、
初めに、普通の子供としての生活を失った。
小学校に通うことができなくなった。毎日毎日仕事、仕事、仕事。ランドセルなどほぼ新品のまま机の上に置きっぱなし、朝起きたらすぐにも着替え、仕事場へ向かう毎日。
ただ、それが苦とは思わなかった。元々彼女の目的は『母親の笑顔が見たい』であり、その過程が仕事をすることであるならば、学校に行かなくても構わないのだ。
ーー毎日母親の笑顔見られるから彼女は頑張ることが出来たのだ。
次に、彼女へ求められるハードルがどんどんと肥大化した。
人は慣れる生き物である。歩くことも、話すことも、服を着ることも。生まれ出た時はそれをするだけで褒められていたものだが、それが当たり前となったとき人は褒めてくれるだろうか。
9歳の子供に「話せて凄いね、偉いね」と褒める大人がいるわけもなく、それが彼女にとっては「演技ができて凄いね、偉いね」に変わっていく。
「お疲れ様。今日は昨日と同じ内容だったから簡単だったでしょう。疲れたならシャワー浴びてもう寝なさい」
「……ん」
母親は、結果で人を判断する性格である。経過など見ない、頑張った過程を判断の基準に入れるのではなく結果のみで人を判断する。つまりは母親が彼女の許容量を判断し始めたのだ。ここまでなら出来る、ここまでなら出来て当然だと、ハードルが高く高くなり始め、
「お疲れ様」
もしそのハードルを超えられなかった場合、その一言で終わるようになった。見たかった母親の笑顔も、今までと同じでは見れなくなる環境下、
それも神童にはまだなんとかなるレベルであった。
ハードルが上がるのならそれだけ自分を高めればいい、毎日上がるのならば毎日彼女自身が成長していけばいい、そうすれば毎日母親に褒められる。事実として彼女は毎日何かしらの新しい技術を習得し母親に毎日褒められていた。
心を塞ぐ鎖が、ひと回りした程度、この程度なら彼女はびくともしない。
ーー毎日母親の笑顔を見られるから彼女は頑張ることが出来たのだ。
頑張った、頑張れた。今までは。
睡眠3時間という過密スケジュールでも、普通の人間なら無理難題だと泣き叫ぶような依頼を文句一つ言わずやってこれた彼女、そんな彼女の心を深淵まで叩き落とし塞ぎ込ませた、最後の鎖は、、、
「ママ、私今日もがんばったよ」
「前出来なかったのがもう出来るようになったのね、流石は私の娘」
「……。」
ハードルのさらに先へ、昨日の自分より何か成長を。そうやって毎日やっているからこそ褒められる。この日も彼女は3メートルもの高い高い崖から生身一つで落ち生還するという人間離れした演技を行い、それを母親に伝え笑顔を向けられていた。この笑顔を見るために彼女は今日も頑張って、そして今最高の時間を過ごしている。
ーー過ごしている、はずなのに。
その言葉が、流石という褒め言葉が素直に受け取れないのは、何故だろう。
「……ママ、それ、買ったの?」
「ええ。純銀使ってるのに凄く安くなってたのよ、似合うかしら?」
「ん、凄く綺麗」
いや、彼女はすでにわかっていた。心理学の本を読み漁り、人間の視線や動きの由来もある程度把握できていた彼女は母親の僅かな目線の動きも見逃さなかった。
褒めてくれる、凄いと言ってくれる母親の目。ニコッと笑ってくれる大好きな母親の目が、
テーブルに置かれた、通帳をチラと見たのだ。
それは彼女が稼いだお金だった。演技、取材、雑誌、テレビ、ドラマ。彼女が母親に喜んでもらうために頑張ってきたことには必ず金銭の受け取りがあった。そのお金は母親が管理し、そして使用していた。
活躍するようになって数ヶ月、母親の身に付けている服装がみるみると派手になり始めた。エステ、サロンに頻繁に通うようになり、艶々した肌を嬉々として見せてくる。今も手につけた指輪を嬉しそうに見せ、ニコニコと笑っていた。
ーーママ、嬉しそう。よかった。
いや、それ自体も全く構わないのだ。本心からそう思う。何度でも言う。彼女の目的は『母親の笑顔を見るため』である、その笑顔を作るための経過が『彼女の金銭による物的欲求の解消』であるならば彼女は喜んで自身お金を母親に捧げる。元々同じ理由で演劇、芸能界に入ったのだから母親が購入した高額な品々を見てもなんとも思わない。
それで母親が自身に笑顔を向けて微笑んでくれるならそれでいいのだ。
ーー……わからない。
なのに、分からない。それでいいはずなのに、それだけで満足するはずなのに、彼女の心は何かがポッカリと欠けてしまったかのように満足しない。頭ではわかる、理屈ではわかる、母親が喜んでくれている、だから自分も嬉しい、お金には興味ないから勿体ないとも思わない、全て本心だ。
母親は、優しかった。
「公園? 連れて行きたいけどスケジュールに休みがないわね。休みたいならマネージャーに掛け合うわよ」
平凡な生活。同じ年齢の子供が、公園で遊んでいる姿に少しだけ羨ましいと思ったこともあり一度母親に相談してみたことがある。
母親は彼女の希望を不意にすることも、強引に仕事をさせることもしなかった。休みたいと、公園に行きたいと言えば本当に連れて行ってくれただろう。
少しでも、たった一度でも母親の残念そうにする顔を見たくなかった。見たくなかったのだ。
「……。」
それほどまでに尽くして、頑張ってきて、得た成果であるはずの母親の笑顔が、つまらないと思うのはなぜだろう。その答えは、神童である彼女ですら答えが見つからなかった。
全くわからない違和感、それが少しずつ彼女の心を壊していくーー
喜怒哀楽。母親を悲しませないように、残念だと思われないように、彼女は自身の感情を次第と表に出さなくなり、可能性が少しでもあれば文句を言わず、湧き出た感情を殺し始めた。駄々をこねるなど一度もなく、母親が自身から湧き出る金銭にしか目が行かなくなったとしても母親の悲しむ顔が見たくないと彼女は必死に頑張った。
頑張ってそして、
「……………………………。」
彼女から感情そのものが消滅した。
日常、自然と溢れていた笑顔が消えた、母親に嫌味を言う大人たちに対して何とも思わなくなった、以前は感情移入して泣いた動物の映画も全く心に響かなくなった、そして。
楽しいと思うことが、一切無くなった。
母親には気付かせなかった。表情筋を喜怒哀楽で動かす方法を理解していた彼女は日常生活でも演技を始めたのだ。口数は減り、口元や顔の表情筋はピクリとも動かない。僅か9歳、小学生に入って学校が足し算引き算の勉強をし始めた時のことである。
世間で天才と呼ばれる彼女の演技に母親は気づくことすらなかった。神童が、その全ての行動の根源である母親に対して演技すれば、母親は気づけるわけもなく。いつも通りの彼女、心が何十もの鎖に絡まり壊れてしまう前の彼女を彼女自身が毎日毎日演じ続ける。
矛盾、それが堪らなく悔しかった。
完璧な演技をしている自分に気づいて欲しい、母親だから、親なのだから自分の辛い現実に気づいて欲しい。彼女の叫びはしかし、鎖がガチガチに絡まり埋もれてしまった心の中から外に出ることはない。
自分で隠しておきながら、それでも見抜いて欲しい、わかって欲しいと思う。それに気づかれず、騒がれず、そのたびに彼女の心は無残にも傷つき、
結果、彼女は壊れた。僅か9歳の出来事である。
「………………………………………。」
これから先の未来、自分がどのような人生を歩むのかもう分かりきっている。自分のためではなく母親の笑顔のために、彼女はその身を捧げ、精神がおかしくなろうとも、彼女はひたすらに頑張り続けるのだろう。
そう考えていた彼女は、
とある1人の少年に出会うのである。
初めに、普通の子供としての生活を失った。
小学校に通うことができなくなった。毎日毎日仕事、仕事、仕事。ランドセルなどほぼ新品のまま机の上に置きっぱなし、朝起きたらすぐにも着替え、仕事場へ向かう毎日。
ただ、それが苦とは思わなかった。元々彼女の目的は『母親の笑顔が見たい』であり、その過程が仕事をすることであるならば、学校に行かなくても構わないのだ。
ーー毎日母親の笑顔見られるから彼女は頑張ることが出来たのだ。
次に、彼女へ求められるハードルがどんどんと肥大化した。
人は慣れる生き物である。歩くことも、話すことも、服を着ることも。生まれ出た時はそれをするだけで褒められていたものだが、それが当たり前となったとき人は褒めてくれるだろうか。
9歳の子供に「話せて凄いね、偉いね」と褒める大人がいるわけもなく、それが彼女にとっては「演技ができて凄いね、偉いね」に変わっていく。
「お疲れ様。今日は昨日と同じ内容だったから簡単だったでしょう。疲れたならシャワー浴びてもう寝なさい」
「……ん」
母親は、結果で人を判断する性格である。経過など見ない、頑張った過程を判断の基準に入れるのではなく結果のみで人を判断する。つまりは母親が彼女の許容量を判断し始めたのだ。ここまでなら出来る、ここまでなら出来て当然だと、ハードルが高く高くなり始め、
「お疲れ様」
もしそのハードルを超えられなかった場合、その一言で終わるようになった。見たかった母親の笑顔も、今までと同じでは見れなくなる環境下、
それも神童にはまだなんとかなるレベルであった。
ハードルが上がるのならそれだけ自分を高めればいい、毎日上がるのならば毎日彼女自身が成長していけばいい、そうすれば毎日母親に褒められる。事実として彼女は毎日何かしらの新しい技術を習得し母親に毎日褒められていた。
心を塞ぐ鎖が、ひと回りした程度、この程度なら彼女はびくともしない。
ーー毎日母親の笑顔を見られるから彼女は頑張ることが出来たのだ。
頑張った、頑張れた。今までは。
睡眠3時間という過密スケジュールでも、普通の人間なら無理難題だと泣き叫ぶような依頼を文句一つ言わずやってこれた彼女、そんな彼女の心を深淵まで叩き落とし塞ぎ込ませた、最後の鎖は、、、
「ママ、私今日もがんばったよ」
「前出来なかったのがもう出来るようになったのね、流石は私の娘」
「……。」
ハードルのさらに先へ、昨日の自分より何か成長を。そうやって毎日やっているからこそ褒められる。この日も彼女は3メートルもの高い高い崖から生身一つで落ち生還するという人間離れした演技を行い、それを母親に伝え笑顔を向けられていた。この笑顔を見るために彼女は今日も頑張って、そして今最高の時間を過ごしている。
ーー過ごしている、はずなのに。
その言葉が、流石という褒め言葉が素直に受け取れないのは、何故だろう。
「……ママ、それ、買ったの?」
「ええ。純銀使ってるのに凄く安くなってたのよ、似合うかしら?」
「ん、凄く綺麗」
いや、彼女はすでにわかっていた。心理学の本を読み漁り、人間の視線や動きの由来もある程度把握できていた彼女は母親の僅かな目線の動きも見逃さなかった。
褒めてくれる、凄いと言ってくれる母親の目。ニコッと笑ってくれる大好きな母親の目が、
テーブルに置かれた、通帳をチラと見たのだ。
それは彼女が稼いだお金だった。演技、取材、雑誌、テレビ、ドラマ。彼女が母親に喜んでもらうために頑張ってきたことには必ず金銭の受け取りがあった。そのお金は母親が管理し、そして使用していた。
活躍するようになって数ヶ月、母親の身に付けている服装がみるみると派手になり始めた。エステ、サロンに頻繁に通うようになり、艶々した肌を嬉々として見せてくる。今も手につけた指輪を嬉しそうに見せ、ニコニコと笑っていた。
ーーママ、嬉しそう。よかった。
いや、それ自体も全く構わないのだ。本心からそう思う。何度でも言う。彼女の目的は『母親の笑顔を見るため』である、その笑顔を作るための経過が『彼女の金銭による物的欲求の解消』であるならば彼女は喜んで自身お金を母親に捧げる。元々同じ理由で演劇、芸能界に入ったのだから母親が購入した高額な品々を見てもなんとも思わない。
それで母親が自身に笑顔を向けて微笑んでくれるならそれでいいのだ。
ーー……わからない。
なのに、分からない。それでいいはずなのに、それだけで満足するはずなのに、彼女の心は何かがポッカリと欠けてしまったかのように満足しない。頭ではわかる、理屈ではわかる、母親が喜んでくれている、だから自分も嬉しい、お金には興味ないから勿体ないとも思わない、全て本心だ。
母親は、優しかった。
「公園? 連れて行きたいけどスケジュールに休みがないわね。休みたいならマネージャーに掛け合うわよ」
平凡な生活。同じ年齢の子供が、公園で遊んでいる姿に少しだけ羨ましいと思ったこともあり一度母親に相談してみたことがある。
母親は彼女の希望を不意にすることも、強引に仕事をさせることもしなかった。休みたいと、公園に行きたいと言えば本当に連れて行ってくれただろう。
少しでも、たった一度でも母親の残念そうにする顔を見たくなかった。見たくなかったのだ。
「……。」
それほどまでに尽くして、頑張ってきて、得た成果であるはずの母親の笑顔が、つまらないと思うのはなぜだろう。その答えは、神童である彼女ですら答えが見つからなかった。
全くわからない違和感、それが少しずつ彼女の心を壊していくーー
喜怒哀楽。母親を悲しませないように、残念だと思われないように、彼女は自身の感情を次第と表に出さなくなり、可能性が少しでもあれば文句を言わず、湧き出た感情を殺し始めた。駄々をこねるなど一度もなく、母親が自身から湧き出る金銭にしか目が行かなくなったとしても母親の悲しむ顔が見たくないと彼女は必死に頑張った。
頑張ってそして、
「……………………………。」
彼女から感情そのものが消滅した。
日常、自然と溢れていた笑顔が消えた、母親に嫌味を言う大人たちに対して何とも思わなくなった、以前は感情移入して泣いた動物の映画も全く心に響かなくなった、そして。
楽しいと思うことが、一切無くなった。
母親には気付かせなかった。表情筋を喜怒哀楽で動かす方法を理解していた彼女は日常生活でも演技を始めたのだ。口数は減り、口元や顔の表情筋はピクリとも動かない。僅か9歳、小学生に入って学校が足し算引き算の勉強をし始めた時のことである。
世間で天才と呼ばれる彼女の演技に母親は気づくことすらなかった。神童が、その全ての行動の根源である母親に対して演技すれば、母親は気づけるわけもなく。いつも通りの彼女、心が何十もの鎖に絡まり壊れてしまう前の彼女を彼女自身が毎日毎日演じ続ける。
矛盾、それが堪らなく悔しかった。
完璧な演技をしている自分に気づいて欲しい、母親だから、親なのだから自分の辛い現実に気づいて欲しい。彼女の叫びはしかし、鎖がガチガチに絡まり埋もれてしまった心の中から外に出ることはない。
自分で隠しておきながら、それでも見抜いて欲しい、わかって欲しいと思う。それに気づかれず、騒がれず、そのたびに彼女の心は無残にも傷つき、
結果、彼女は壊れた。僅か9歳の出来事である。
「………………………………………。」
これから先の未来、自分がどのような人生を歩むのかもう分かりきっている。自分のためではなく母親の笑顔のために、彼女はその身を捧げ、精神がおかしくなろうとも、彼女はひたすらに頑張り続けるのだろう。
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