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春告げの迷い子
第2話
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「悪いけど、手は足りてるんだ。他をあたっておくれ」
ひらひらと手を振って、店の主人は取り合ってくれない。肩を落として、ランファは店を後にした。
あれから大通りの店や宿を一件ずつ訪れて、雇ってくれるところがないか探してみたが、どこも素気無く返されてしまう。
「みんな自分たちで手一杯って感じだね。どうしようか……」
店を出ると、もう陽は沈みかけていた。春になったとはいえ、夜になるとまだまだ冷え込む。このまま野宿をするのは得策ではないと考えて、宿屋へと足を向けた。
「悪いけど、違うところに行ってくれるかい?」
「えっ、お宿代はちゃんとありますよ」
「アンタのその連れがちょっとね」
宿屋の女将は愛想ない様子で、ランファの足下に一瞥をくれた。
クルルの白い毛に黒い模様、金色の瞳とくれば確かに物珍しいのもわかる。
「クルルはとっても大人しいんです。何も悪いことはしません!」
「でもねぇ……、他のお客に迷惑をかけられちゃたまったもんじゃないよ。所詮獣だろ、宿を汚されるのは御免だよ」
ふんと鼻を鳴らした女将に、ランファは返す言葉をなくして俯いた。
黙ってクルルを抱き上げると「失礼しました!」と踵を返した。大きな音を立てる扉に見向きもせずに、クルルを抱いたままランファは駆け出した。
道行く人が驚くのにも構わずただ走って走って、人影のない路地裏まで来たところでようやく足を止めた。壁に背をつけてしゃがみこむ。大人しく抱かれたままのクルルに顔を埋めると、ほんのりとお日様の匂いがした。
やわらかな温もりに涙が零れそうになって、ランファは唇を噛みしめた。
「舟にも乗れなくて、宿にも泊まれないなら町に出てくるんじゃなかったね」
山の中ならば人目を気にする必要もないし、寝床も探しやすかった。
ぼんやりと考え事をしながら、クルルの見た目ほどは柔らかくない毛を撫でた。溜息をつくと、クルルのざらりとした舌がランファの頬をなめた。ふふ、と小さく笑みがこぼれた。
山育ちで山に詳しいとはいえ、山賊が頻繁に出るなら、山の中も安全ではないだろう。まさか、ここで寝るわけにもいかない。
「うん、ここでこうしてても仕方ない。他の宿屋に行ってみようか……」
そうして立ち上がりかけたところで、自分に被さるように立つ影に気が付いた。腕の中のクルルが背中の毛を逆立てていた。
「こんなところでどうしたんだい」
「なんか変わったもん連れてんなぁ」
顔を上げると柄の悪そうな男が三人、ランファを取り囲むように立ちふさがっていた。
「ちょっとそれ、貸してくれないかな」
右手に居た男がランファの手を乱暴に引いて、クルルを奪い取ろうとした。ランファの支えを失ったクルルが地面にくるりと着地して、ランファの腕を握る男に牙を剥いた。
すかさず腕を引こうとするが、びくともしない力の差に背中を冷たい汗が伝った。
「なんだ、こいつ生意気だなあ、おい」
低く唸り声をあげて今にも飛びかかりそうなクルルに、男の一人が足を振り上げた。男の暴挙にランファが悲鳴をあげた。
「やめて……っ!!」
だがクルルに当たる寸前、男がその場に崩れ落ちた。何が起きたか理解するより早く聞き覚えのある声が凛と響いた。
「大の男がこんな少女に寄ってたかって何の騒ぎだ?」
「あなた、は……」
崩れ落ちた男の後ろに立っていたのは、昼間、馬車で一緒になった女だった。
「てめえ、何者だ!!」
ランファの手を掴んでいた男が、我に返って女に殴りかかった。危ない、と思う間もなかった。腕を振り上げた男は次の瞬間には地に伏していた。
言葉を失うランファを一瞥して、女は呆気にとられて固まっている最後の男を瞳に映した。
「――まだやるのか?」
冷たく投げかけられた声に、残された男は首を振ると地面に転がった仲間を叩き起こして、半ば引きずるように去っていった。
その背中を興味も無さそうに見送り、小さく溜息を吐いた。
「大丈夫か? こんな裏通りで何をしている?」
声をかけられた途端、緊張の糸が切れたのか全身から力が抜けた。
「お、おいっ!?」
突然地面に座り込んだランファに、女が慌ててしゃがみこんだ。
「だ、大丈夫です。ちょっと、腰が抜けちゃって……。それより助けてくれて、ありがとうございました。ええと……」
へたり込みながら女を真っすぐ見上げた。
体の線を隠す藍色の装束に身を包んでいたが、その襟元からは李西では珍しい褐色に近い肌が覗いていた。一連の身のこなしといい、かなり腕の立つ人物であることはランファにもわかることだった。ただの旅人ではないらしい。
「私は沙南だ。お前の名は?」
「ランファです、こっちがクルル。本当にありがとうございました」
ランファの横に座るクルルが大きく尻尾を振った。
「それで、ランファはこんなところで何をしているんだ。馬車の主人にも気をつけるように言われただろう」
差し出された手を握ると、沙南が引っ張り起こしてくれた。服に着いた汚れを手で払う。
「えっと、少し休憩を」
「わざわざこんな裏通りでか? 襲ってくださいと言っているようなものだぞ」
「ごめんなさい……」
沙南の剣幕にしょんぼりと項垂れた。今日はやることなすこと空回りだ。沈んだ様子を見て取ったのか、とりなすように沙南が口を開いた。
「宿まで送ろう。また絡まれでもしたら堪ったものではないからな」
この場を後にしようと踏み出した沙南を慌てて呼び止めた。
「あの、宿はまだ決まってなくて。獣は、クルルは困るって言われて」
先程の宿屋の女将の態度を思い出して、ランファは眉を寄せた。
それきり黙り込んでしまったランファに、沙南は今日何度目かの溜息を吐くと、ランファの頭に手を置いた。
「なら、私が泊まる宿においで。たぶん、あそこならクルルも大丈夫だろう」
ぐりぐりと頭を撫でながらそう言うと、沙南は歩き出した。
「……」
撫でられた頭に手をやって、遠くなる沙南の背中を見つめた。と、彼女が振り返ってランファを呼んだ。
「早くしろ、置いていくぞ」
「はい!」
その声に我に返ると、ランファは弾かれたように駆け出した。それに応えるようにクルルもまたランファの後を軽やかに追った。
沙南に連れて来られたのは、大通りから一本筋を違えた裏通りの端の宿屋だった。外観は先ほどの宿屋よりずいぶん簡素な佇まいだ。宿屋の前で立ち止まって見上げるランファに構わず沙南が戸を開けて入っていった。ランファも慌てて続くと、沙南はランファと同じ年頃の少女に話しかけられていた。
「沙南さん、おかえりなさい。夕飯を食べられるようなら、食堂の方にお願いしますね」
「ああ、ありがとう。ところで明鈴、主人はいるか?」
「はい。お待ちくださいね」
そう言って明鈴が奥へと引っ込んでいった。二人のやりとりを入口で見ていたランファを沙南がこっちへ来い、と手招きした。
「沙南さん?」
何だろうと思っていると、明鈴を伴って現れた宿屋の主人には見覚えがあった。
「お呼びと聞いたんだがどうかした……っと、そっちのお嬢ちゃんは……」
「あなたは、あの時のっ」
昼間馬車に乗せてくれた主人だった。ランファを見て向こうも目を瞬かせている。
「ごろつきに絡まれているところを拾ったんだ。私の部屋に泊めてもいいだろうか?」
「ああ、そりゃあ構わねえが……。お嬢ちゃん大丈夫だったか?」
「無事でよかった。最近は夜になると裏路地も危なくて」
目線を合わせて問うてくる主人と心配してくれる明鈴にうなずいて、ランファはおずおずと沙南の前に出た。足下のクルルに目をやり、胸元で手をきつく握りしめた。
「あの、クルルも一緒でも大丈夫ですか? お代はちゃんとあります。もしお部屋が駄目なら厩舎でも廊下でも屋根さえあれば、どこでもいいんです!」
ランファの切実な訴えに二人は目を丸くした。
一瞬の間があり、主人が豪快に笑い出した。沙南も明鈴も釣られて肩を揺らしている。
「噛みついたりはしないんだろう? じゃあ、いいさ。うちはりっぱな厩舎もないただの安宿だよ。でも他のお客さんに迷惑にはならないようしてくれよ」
「はい!」
大きく頷くと、クルルの前にしゃがみこんだ。わしゃわしゃと艶やかな毛を撫でまわす。
「良いって、クルル! よかったね」
クルルが喉を鳴らして、一際大きく尻尾を振った。
ひらひらと手を振って、店の主人は取り合ってくれない。肩を落として、ランファは店を後にした。
あれから大通りの店や宿を一件ずつ訪れて、雇ってくれるところがないか探してみたが、どこも素気無く返されてしまう。
「みんな自分たちで手一杯って感じだね。どうしようか……」
店を出ると、もう陽は沈みかけていた。春になったとはいえ、夜になるとまだまだ冷え込む。このまま野宿をするのは得策ではないと考えて、宿屋へと足を向けた。
「悪いけど、違うところに行ってくれるかい?」
「えっ、お宿代はちゃんとありますよ」
「アンタのその連れがちょっとね」
宿屋の女将は愛想ない様子で、ランファの足下に一瞥をくれた。
クルルの白い毛に黒い模様、金色の瞳とくれば確かに物珍しいのもわかる。
「クルルはとっても大人しいんです。何も悪いことはしません!」
「でもねぇ……、他のお客に迷惑をかけられちゃたまったもんじゃないよ。所詮獣だろ、宿を汚されるのは御免だよ」
ふんと鼻を鳴らした女将に、ランファは返す言葉をなくして俯いた。
黙ってクルルを抱き上げると「失礼しました!」と踵を返した。大きな音を立てる扉に見向きもせずに、クルルを抱いたままランファは駆け出した。
道行く人が驚くのにも構わずただ走って走って、人影のない路地裏まで来たところでようやく足を止めた。壁に背をつけてしゃがみこむ。大人しく抱かれたままのクルルに顔を埋めると、ほんのりとお日様の匂いがした。
やわらかな温もりに涙が零れそうになって、ランファは唇を噛みしめた。
「舟にも乗れなくて、宿にも泊まれないなら町に出てくるんじゃなかったね」
山の中ならば人目を気にする必要もないし、寝床も探しやすかった。
ぼんやりと考え事をしながら、クルルの見た目ほどは柔らかくない毛を撫でた。溜息をつくと、クルルのざらりとした舌がランファの頬をなめた。ふふ、と小さく笑みがこぼれた。
山育ちで山に詳しいとはいえ、山賊が頻繁に出るなら、山の中も安全ではないだろう。まさか、ここで寝るわけにもいかない。
「うん、ここでこうしてても仕方ない。他の宿屋に行ってみようか……」
そうして立ち上がりかけたところで、自分に被さるように立つ影に気が付いた。腕の中のクルルが背中の毛を逆立てていた。
「こんなところでどうしたんだい」
「なんか変わったもん連れてんなぁ」
顔を上げると柄の悪そうな男が三人、ランファを取り囲むように立ちふさがっていた。
「ちょっとそれ、貸してくれないかな」
右手に居た男がランファの手を乱暴に引いて、クルルを奪い取ろうとした。ランファの支えを失ったクルルが地面にくるりと着地して、ランファの腕を握る男に牙を剥いた。
すかさず腕を引こうとするが、びくともしない力の差に背中を冷たい汗が伝った。
「なんだ、こいつ生意気だなあ、おい」
低く唸り声をあげて今にも飛びかかりそうなクルルに、男の一人が足を振り上げた。男の暴挙にランファが悲鳴をあげた。
「やめて……っ!!」
だがクルルに当たる寸前、男がその場に崩れ落ちた。何が起きたか理解するより早く聞き覚えのある声が凛と響いた。
「大の男がこんな少女に寄ってたかって何の騒ぎだ?」
「あなた、は……」
崩れ落ちた男の後ろに立っていたのは、昼間、馬車で一緒になった女だった。
「てめえ、何者だ!!」
ランファの手を掴んでいた男が、我に返って女に殴りかかった。危ない、と思う間もなかった。腕を振り上げた男は次の瞬間には地に伏していた。
言葉を失うランファを一瞥して、女は呆気にとられて固まっている最後の男を瞳に映した。
「――まだやるのか?」
冷たく投げかけられた声に、残された男は首を振ると地面に転がった仲間を叩き起こして、半ば引きずるように去っていった。
その背中を興味も無さそうに見送り、小さく溜息を吐いた。
「大丈夫か? こんな裏通りで何をしている?」
声をかけられた途端、緊張の糸が切れたのか全身から力が抜けた。
「お、おいっ!?」
突然地面に座り込んだランファに、女が慌ててしゃがみこんだ。
「だ、大丈夫です。ちょっと、腰が抜けちゃって……。それより助けてくれて、ありがとうございました。ええと……」
へたり込みながら女を真っすぐ見上げた。
体の線を隠す藍色の装束に身を包んでいたが、その襟元からは李西では珍しい褐色に近い肌が覗いていた。一連の身のこなしといい、かなり腕の立つ人物であることはランファにもわかることだった。ただの旅人ではないらしい。
「私は沙南だ。お前の名は?」
「ランファです、こっちがクルル。本当にありがとうございました」
ランファの横に座るクルルが大きく尻尾を振った。
「それで、ランファはこんなところで何をしているんだ。馬車の主人にも気をつけるように言われただろう」
差し出された手を握ると、沙南が引っ張り起こしてくれた。服に着いた汚れを手で払う。
「えっと、少し休憩を」
「わざわざこんな裏通りでか? 襲ってくださいと言っているようなものだぞ」
「ごめんなさい……」
沙南の剣幕にしょんぼりと項垂れた。今日はやることなすこと空回りだ。沈んだ様子を見て取ったのか、とりなすように沙南が口を開いた。
「宿まで送ろう。また絡まれでもしたら堪ったものではないからな」
この場を後にしようと踏み出した沙南を慌てて呼び止めた。
「あの、宿はまだ決まってなくて。獣は、クルルは困るって言われて」
先程の宿屋の女将の態度を思い出して、ランファは眉を寄せた。
それきり黙り込んでしまったランファに、沙南は今日何度目かの溜息を吐くと、ランファの頭に手を置いた。
「なら、私が泊まる宿においで。たぶん、あそこならクルルも大丈夫だろう」
ぐりぐりと頭を撫でながらそう言うと、沙南は歩き出した。
「……」
撫でられた頭に手をやって、遠くなる沙南の背中を見つめた。と、彼女が振り返ってランファを呼んだ。
「早くしろ、置いていくぞ」
「はい!」
その声に我に返ると、ランファは弾かれたように駆け出した。それに応えるようにクルルもまたランファの後を軽やかに追った。
沙南に連れて来られたのは、大通りから一本筋を違えた裏通りの端の宿屋だった。外観は先ほどの宿屋よりずいぶん簡素な佇まいだ。宿屋の前で立ち止まって見上げるランファに構わず沙南が戸を開けて入っていった。ランファも慌てて続くと、沙南はランファと同じ年頃の少女に話しかけられていた。
「沙南さん、おかえりなさい。夕飯を食べられるようなら、食堂の方にお願いしますね」
「ああ、ありがとう。ところで明鈴、主人はいるか?」
「はい。お待ちくださいね」
そう言って明鈴が奥へと引っ込んでいった。二人のやりとりを入口で見ていたランファを沙南がこっちへ来い、と手招きした。
「沙南さん?」
何だろうと思っていると、明鈴を伴って現れた宿屋の主人には見覚えがあった。
「お呼びと聞いたんだがどうかした……っと、そっちのお嬢ちゃんは……」
「あなたは、あの時のっ」
昼間馬車に乗せてくれた主人だった。ランファを見て向こうも目を瞬かせている。
「ごろつきに絡まれているところを拾ったんだ。私の部屋に泊めてもいいだろうか?」
「ああ、そりゃあ構わねえが……。お嬢ちゃん大丈夫だったか?」
「無事でよかった。最近は夜になると裏路地も危なくて」
目線を合わせて問うてくる主人と心配してくれる明鈴にうなずいて、ランファはおずおずと沙南の前に出た。足下のクルルに目をやり、胸元で手をきつく握りしめた。
「あの、クルルも一緒でも大丈夫ですか? お代はちゃんとあります。もしお部屋が駄目なら厩舎でも廊下でも屋根さえあれば、どこでもいいんです!」
ランファの切実な訴えに二人は目を丸くした。
一瞬の間があり、主人が豪快に笑い出した。沙南も明鈴も釣られて肩を揺らしている。
「噛みついたりはしないんだろう? じゃあ、いいさ。うちはりっぱな厩舎もないただの安宿だよ。でも他のお客さんに迷惑にはならないようしてくれよ」
「はい!」
大きく頷くと、クルルの前にしゃがみこんだ。わしゃわしゃと艶やかな毛を撫でまわす。
「良いって、クルル! よかったね」
クルルが喉を鳴らして、一際大きく尻尾を振った。
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