イケメン御曹司は、親友の妹を溺愛して離さない

藤永ゆいか

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第1章

◇お兄ちゃんの友達

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 空がオレンジ色に染まる頃。クラスメイトとの親睦も兼ねたカラオケが終わり、わたしは家に帰ってきた。
 色々あったし、途中から合コンみたいな感じになりつつもあったけど……久しぶりに歌って食べて楽しかったな。

「ただいまー」

 二階建ての一般的な一軒家のドアを開けると、玄関には見慣れない大きめのローファーがあり、わたしは首を傾げる。

 お客さんでも来てるのかな?

「あっ、依茉。おかえり」

 キッチンのほうからはカレーのいい匂いがしてきて、お母さんが顔を覗かせる。

「お母さん、今日これから夜勤なのに。夕飯作ってくれてるの?! ごめんね、あとはわたしがやるよ」

 母子家庭の我が家は、お母さんが総合病院で看護師の仕事をしていて。夜勤で、夜に家を空けることも多い。

 毎日仕事を頑張ってくれているお母さんを少しでも楽にしてあげたいと、中学の頃から基本的に家事や料理はわたしが担当している。

「今日は時間あったから、大丈夫よ。それより、今お兄ちゃんの友達が来てるから。これを部屋まで運んでくれない?」

 お母さんがわたしに、クッキーとオレンジジュースの載ったトレイを渡してくる。

「分かった」

 わたしはお母さんからトレイを受け取ると、2階のお兄ちゃんの部屋へと向かった。

「あはは。マジでー!」

 階段をのぼると、お兄ちゃんの部屋のほうからは楽しそうな話し声が聞こえてくる。

 お兄ちゃんって、今まで家に友達を呼ぶことはほとんどなかったから。珍しいな。よほど仲の良い友達なんだろうか。

 ──コンコン。

「はーい」

 わたしがドアをノックすると、中からお兄ちゃんの声がする。

「お兄ちゃん、お菓子とジュース持ってきたんだけど。入るよー?」

 声をかけて、わたしはお兄ちゃんの部屋のドアを開ける。すると、お兄ちゃんとその隣に足を組んで座るもう一人の姿が見えた。

「えっ……」

 予想だにしない人物が兄の部屋にいて、わたしは後ずさる。

「なっ、なっ……!」
「やっほー、依茉ちゃん。今日はよく会うね」

 だってそこにいたのは、クラスメイトの一堂慧だったから。

「なっ、なんで、先輩がウチに!?」
「なんでって。俺、怜央の友達だから。遊びに来たんだよ」
「ええっ、一堂先輩がお兄ちゃんの友達!? 冗談でしょ……っうわあ」

 びっくりしすぎて、わたしの持っていたトレイが傾き、コップとお皿が床に落ちそうになってしまう。

「あっぶねえ」

 すんでのところで一堂先輩がコップとお皿を支えてくれたので、事なきを得た。
 一堂先輩、すぐに反応して駆けつけてくれるなんて。すごい瞬発力……。

「大丈夫? 依茉ちゃん。驚きすぎだよ」

 だって、授業をサボって留年したうえに、彼女を取っかえ引っ変えしているクズの代表みたいな人が、真面目なお兄ちゃんの友達だなんていうから。

「冗談じゃないよ、依茉。慧は、兄ちゃんが花城学園中等部に通ってた頃からの親友だ。同じバスケ部だったしな」
「へぇー」

 あの一堂先輩が、お兄ちゃんの親友だったなんて。しかもバスケ部って、意外すぎる。

「では、わたしはこれで。一堂先輩、どうぞごゆっくり」

 黒のローテーブルにジュースとお菓子を置くと、わたしはお兄ちゃんの部屋を出ていこうとしたのだけど。

「待って、依茉」

 わたしは、お兄ちゃんに引き止められてしまった。

「依茉に、大事な話があるんだ」
「大事な話?」
「ああ。ちょっとそこに座ってくれる?」

 お兄ちゃんの隣には一堂先輩が座り、テーブルを挟んで、彼らと向かい合うようにしてわたしは正座する。

 目の前のお兄ちゃんの顔は、とても真剣だ。
 大事な話って何だろう? なんとなく、嫌な予感がするんだけど。

「今日慧を家に呼んだのは、他でもない依茉のためなんだ」

 わたしのため……?

「依茉は、学校で慧と同じクラスになったんだよな?」
「うん、そうだけど。まさか年上の先輩がクラスメイトだなんて、こんなことは初めてで。正直驚いちゃった」

 わたしの言葉に、一堂先輩が苦笑する。

「俺にとっては、慧が留年して依茉と同じクラスになってくれて、むしろ有難いよ」

 有難いなんて、変なお兄ちゃん。わたしは一堂先輩がクラスメイトだなんて、嫌なんだけど。

「それで、今日慧を家に呼んだのは、お前に頼みたいことがあって」
「なに? 怜央」
「単刀直入に言う。お前に、妹に変な虫がつかないように、虫除けになって欲しい」
「虫除け?」
「ああ。要するに、慧には依茉の彼氏になってもらいたいんだ」
「は……?」

 間抜けな声を出す一堂先輩。

「俺が、依茉ちゃんの彼氏?」
「ああ」
「怜央……冗談だろ?」

 フッと鼻で笑う先輩。

「そっ、そうだよ。一堂先輩が、彼氏だなんて。何を言ってるのお兄ちゃん!」
「……冗談じゃない。俺は、真面目に話している」

 お兄ちゃんは、終始とても真剣な目をしていて。冗談じゃないと分かったのか、ずっと胡座をかいていた一堂先輩もその場に正座する。

「依茉、今日クラスの男と一緒にカラオケに行ったんだって?」

 お兄ちゃんに聞かれて、わたしは肩がビクッと跳ねる。

「しかも、そのカラオケで他校の男に、連絡先を聞かれたそうじゃないか。今朝、あれほど気をつけろと言っていたのに……」

 なっ、なんで、それをお兄ちゃんが知ってるの!?
 一堂先輩のほうを見ると、すぐに目をそらされた。

「慧からその話を聞いたら、兄ちゃんもう心配で心配で。もし依茉が変な男に目をつけられて襲われでもしたら、死んだ父さんに顔向けできなくなる」

 窓の外の夕焼け空を、じっと見つめるお兄ちゃん。

「だから、兄ちゃんは考えた。慧に、依茉の男避けになってもらえばいいんだと」

 男避けって、なんでそうなるの!?

「良い考えだろ?」と、お兄ちゃんは言うけど。意味が分からない。

 いくらわたしのことが心配だからって、あの一堂先輩に彼氏になって欲しいだなんて……我が兄ながら、きっと頭がおかしい。

「わたし、好きでもない人と付き合うなんて嫌だよ」
「ああ、それは大丈夫。彼氏と言っても、本当に付き合うワケじゃない。恋人のフリだけでいいんだ」

 恋人のフリ……?

「表面上だけでも、依茉に恋人がいるとなれば、さすがに男も近寄ってこないだろ。とりあえず、依茉が高校生活に慣れるまでの1ヶ月だけで良いから。二人とも頼むよ」

 お兄ちゃんが頭を下げる。


「怜央ってシスコンというか、何というか。本当に、依茉ちゃんのことが心配でたまらないんだな」
「ああ。そりゃあ、心配だよ……昔あんなことがあったんだから」

 お兄ちゃんの顔が曇る。

「あんなことって?」
「慧に、話してもいいか? 依茉」
「あっ、うん」

 私が返事すると、お兄ちゃんは話し始める。

「……実は、依茉は小学5年生の頃に、クラスメイトの男子から告白されたことがあるんだけど。それを断ってから、執拗に付きまとわれるようになって。それでしばらく学校にも通えなくなって。嫌な思いをしたことがあったからな。兄としては、そんな思いをもう二度として欲しくなくて」

 お兄ちゃん……5年も前のことを、今もずっと気にしてくれていたんだ。

 わたしは小学5年生の頃、カズキくんという男の子と仲が良くて。

『ボク、依茉ちゃんのことが好きなんだ』

 ある日、カズキくんから告白されたけど。わたしは断った。

『ボクはこんなにも依茉ちゃんのことが好きなのに。なんで分かってくれないの!?』

 告白を断ってからというもの、毎日学校の下駄箱にラブレターを入れられたり。学校帰りにカズキくんに付きまとわれたり。家の近くで待ち伏せされるようになった。
 怖くて、怖くて。しばらくはお兄ちゃん以外の男の子には近づくことも出来ないくらい深く傷ついた。
 それ以来不登校になってしまったわたしは、学校を転校して。カズキくんからも完全に離れることができた。

 あの一件があってからは、いつもお兄ちゃんが、わたしのそばにいて守ってくれたから。
 時間と共に傷も少しずつ和らいでいき、中学生になる頃には、小林くんに恋ができるようになるまで回復していた。

「そっか。依茉ちゃんに、昔そんなことがあったんだ。そりゃあ、怜央も心配になるよな」
「ああ。いくらなんでも慧に虫除けになってとか、無茶なことを言ってるって自分でも分かってるけど。依茉は俺にとって、たった一人の大切な妹だからな」

「俺には兄弟がいないから、よく分からないけど。そこまで思える存在がいるのって、なんか良いな」

 一堂先輩が、ふわりと微笑む。

「……よし、分かったよ」

 え?

「そういうことなら俺、引き受けても良いよ。依茉ちゃんの恋人役」
「慧、本当か!? いやぁ、そうしてもらえると助かるよ。サンキュ」

 お兄ちゃんが笑顔で、一堂先輩の手を握りしめる。

「慧がOKしてくれたんだ。依茉もいいだろ?」
「……分かったよ」

 そもそもお兄ちゃんは、わたしを思って言ってくれたことなんだし。一堂先輩も、こんな面倒なことをせっかく引き受けてくれたんだから。たとえ嫌でも、わたしに断る権利なんてない。

「それじゃあ、さっそく今日から開始ってことで。あと確認だけど、あくまでも恋人のフリだけで良いから。もちろん、キスもハグも禁止な?」
「分かったよ、怜央」

 お兄ちゃんからキスもハグも禁止だと言われて、わたしは胸を撫で下ろす。

「いやぁ。慧が依茉の近くにいてくれるって思うと、俺も安心だ……あっ、わりぃ。バイト先から電話がかかってきた。俺、ちょっと抜けるわ」

 お兄ちゃんがスマホを手に部屋から出ていき、わたしは一堂先輩とふたりきりになる。

「あの。なんか、兄のワガママに付き合わせてしまってすいません」

 今回は、一堂先輩も巻き込まれた一人だと思うと、わたしは自然と彼に謝罪の言葉が出た。

「ううん? 大事な親友の頼みだからね。断るなんてできないよ」

 先輩、意外と友達想いの良い人なのかもしれない……と思っていたら。

「まあ、彼女を1ヶ月に3人掛け持ちってしたことなかったから。面白そうだなって思ったし?」

 ……はい?


「い、一堂先輩?」

 今のは、聞き間違いだろうか。
 すると一堂先輩の人差し指が、わたしの唇にちょんと当てられる。

「俺たち、これからは仮にでも恋人同士なんだから。その “ 一堂先輩 ” って呼び方はやめて欲しいかな」
「えっ?」
「“ 先輩 ” はつけなくていい。あと、敬語もなしで」
「えっと、それじゃあ……一堂くん?」
「うん。なんか、一気に同級生っぽくなって良いね」

 満足そうに微笑むと、一堂くんの整った顔が少しずつこちらへと近づいてきて。彼の柔らかい唇が、わたしの唇にそっと重なった。

「いっ、一堂くん!? 何をして……」
「何って、ご褒美のキスだけど?」
「ご褒美って、何の!?」
「俺のこと、ちゃんと『一堂くん』って呼べたご褒美」

 そんなご褒美、いらないよ……!

「キ、キスはお兄ちゃんが禁止って、さっき言ってたよね!?」
「あれ。そうだっけ?」

 首を傾げる一堂くん。

 カラオケのときといい、まさか1日に2回もこの人に唇を奪われるなんて!

「仮と言っても、今日から俺たち恋人同士なんだから。キスしても別に問題はないよね?」
「……っ!」

 それは、そうだけど……。

「それに……」
「きゃっ!?」

 気づいたときには、わたしは一堂くんに床に押し倒されていた。

「俺、女の子と付き合うってなったからには、仮も何も関係ないから」

 息がかかるくらい彼に間近で見下ろされ、鼓動がバクバクと跳ね上がる。

「俺がハグしたくなったらするし。キスしたくなったらする。もしかしたら……それ以上のことも?」
「えぇ!?」

 それ以上のことって、なに!?

「まあ、これからは俺の彼女として、たーくさん可愛がってあげるから。今日から1ヶ月、よろしく依茉」
「うう……」

 ねぇ、お兄ちゃん。恋人役に指名した人、絶対に間違ってるよ。
 ああ……これからのわたしの1ヶ月、一体どうなるんだろう。
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