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第4章
◇一堂くんが好き
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「一堂、満点だ。今回は、君がこのクラスでトップだった」
「ありがとうございます」
英語の授業中。昨日の授業での小テストを先生から返却された一堂くんが、笑みを浮かべる。
一堂くん、小テスト満点だったんだ。凄いな。それに比べてわたしは……50点。
自分の小テストの点数を見て、ガクッと肩を落とす。わたし、英語は苦手なんだよね。
ここ数日、一堂くんは授業を一度もサボることなく真面目に受けている。てっきり3日坊主なのかと思っていたら、今日で4日目に突入し出席記録を更新し続けている。
「今週は、授業も全くサボらずにちゃんと受けてるし。偉いぞ、一堂。この調子でな」
英語の先生は、ニコニコ顔。授業をただ真面目に受けているだけで、先生に褒められるなんて。彼の今までの学校での行いが、どんなに悪かったのだろうと思わされる。
でも、いくら2回目の高校1年生とはいえ、ここ数日真面目に授業を受けただけでもう小テストで満点をとれるなんて……さすが一堂くん。
ていうか、頬に絆創膏を貼ってるけど……一堂くん、怪我でもしたのかな?
英語の授業後は、お昼休み。
一堂くんといつものように一緒に昼食を摂ろうと声をかけると、『用があるから、先に中庭に行ってて』と彼に言われたわたし。
「いけない。お茶持ってくるの忘れてた」
中庭のベンチに腰を下ろしたわたしは、水筒を教室の机の上に置きっぱなしにしていたことを思い出した。
「お茶、取ってこようかな」
わたしはベンチから立ち上がり、校舎のほうへと向かって歩き出す。
「一堂くんのことが好きです!」
すると、どこからかそんな声が聞こえてきて、わたしは思わず足を止めた。
えっ、今……『一堂くん』って言った?
思わぬ名前が聞こえ、校舎の角の手前でわたしは動けなくなってしまう。
一堂くんの名前を耳にし、どうしても気になったわたしは壁越しにそっと覗くと、そこには一堂くんと2年生の女の先輩が向かい合って立っていた。
用があるって、一堂くん……女の子に呼び出されてたんだ。一堂くんが誰かに告白されている現場に遭遇するのは初めてで、胸がやけにドキドキする。
しかも告白しているあの先輩、すごく綺麗。確か、ファッション雑誌のモデルをやっているって聞いたことがある。
「……良かったら、私と付き合ってください」
モデルの先輩の声は、少し震えている。そりゃあ、そうだよね。好きな人に告白するのってすごく緊張するし、勇気がいることだもん。わたしも……そうだったから。
わたしは、小林くんに振られてしまったけど。来る者拒まずの一堂くんだから、今告白したモデルの先輩のことを振ることはない。きっと、OKするのだろう。
胸の底のほうにモヤモヤとした感情が広がるのを感じながら、わたしがその場を離れようとしたとき……。
「悪いけど、キミとは付き合えない」
……え?
一堂くんの口から予想外の言葉が飛び出し、わたしは歩きかけていた足を思わず止めた。
反射的に振り返ると、モデルの先輩は狐につままれたような顔をしていた。
「どっ、どうして? 一堂くん、OKしてくれるんじゃないの!?」
モデルの先輩が焦った様子で、一堂くんに詰め寄る。
「今までの俺だったら……いいよって、すぐにOKしてたんだろうけど。もう無理なんだ」
「なんで?! 私だからダメなの!?」
「違う。俺、本気で好きな子ができたから。これからは、その子だけを見ていたいんだ」
本気で好きな子ができたって……一堂くん、本当に?
バクバクと、鼓動がどんどん速まっていく。
「だから……最近は、キミだけでなく女子からの告白は全て断ってる。いま付き合ってる彼女とも、全員別れるつもり。好きな子以外とは、もう誰とも付き合わないって決めたから」
自分に言われたわけじゃないのに。ハンマーでガツンと殴られたような、強いショックを受ける。
そっか。一堂くん、好きな子ができたんだ。
言い方は悪いけど、これまで女の子にだらしなかったあの一堂くんが女の子からの告白を全て断って。一途に、その人のことだけを好きでいようとするなんて。それだけ、本気ってことだよね。
プレイボーイだった一堂くんをそこまでさせるなんて、彼に想われている子はよほど魅力的な女の子なんだろうな。その女の子は……きっと、わたしじゃないってことだけは分かる。
わたしが小林くんに振られた日、公園で一堂くんに『俺と付き合う?』ってからかわれた際にも『そんなお子ちゃま体型のキミが俺の彼女だなんて、百年早い』って言われたし。
前に一堂くんに『好きだよ』って言われたこともあったけど……あれは、彼が風邪を引いて熱があるときだったから、信ぴょう性は低い。
それに、一堂くんは年下に興味がないとも言っていたから……そもそもわたしは、彼のタイプですらない。
わたしは背を壁にもたれかけたまま、ズルズルと力なく地面に座り込む。
そしてついに、堪えていた涙が堰を切ったように流れ出して止まらなくなった。
「……っうう」
地面が、ぽたぽたと涙で濡れていく。
一堂くんにたくさん優しくしてもらって、もしかして……? と思ったときも何度かあったけど。わたしは……一堂くんの親友の妹だから。
お兄ちゃんのよしみで毎日一緒にお昼ご飯を食べたりと、今まで他の彼女よりも良くしてもらっていただけだ。そう思うと、余計に悲しくなって。息が上手くできなくなるくらいに苦しい。
「……っう~っ」
さっきからずっと、涙がとめどなく溢れて一向に止まらない。
どうしてわたし……こんなに泣くほどショックなんだろう。
どうしてかって、その答えはもう自分が一番よく分かっている。わたしが……一堂くんのことを好きだからだって。
本当は、少し前からこの気持ちに気づいていたけれど。この気持ちに蓋をして、ずっと気づかないフリをしていた。
一堂くんは、女の子なら来る者拒まずのプレイボーイで。わたしたちは、1ヶ月限定の仮の恋人同士だから。
1ヶ月が経てば別れが訪れると最初から分かっていて、彼を好きになるわけにはいかなかった。
本気で好きになったところで、自分が辛いだけだから。そして何より、初恋のときみたいに振られて二度も傷つくのが怖かったから。
だけど、やっぱり……一堂くんを好きにならないなんて無理だった。彼は、あんなにも魅力的な人なんだもん。
明日で一堂くんとの約束の1ヶ月ってときに……こんな気持ちになるなんて。バカだ、わたし。
「一堂くん……きだよ」
好き、だよ……。
どうにもならないこの想いを、ひたすら心の中でつぶやく。
地面に体育座りをしたまま、わたしがしばらくじっと俯いていると、視界の隅っこに誰かのローファーが見えた。
「……依茉?」
名前を呼ばれて顔を上げると、一堂くんが目の前に立っていた。
「どうしたんだよ、こんなところに座りこんで……」
「……っ」
一堂くん、なんで……。
「ていうか、依茉……泣いてるのか?」
「なっ、泣いてない」
わたしは、慌てて目元の涙を手で拭う。だけど、拭っても拭っても涙は次から次へと溢れてくる。
「依茉、どこか痛むの? しんどい?」
一堂くんの問いかけに、わたしは首を横に振る。
「じゃあ、なんでそんなに泣いてるんだよ。依茉がずっと泣いてたら、心配になるだろ」
一堂くんの大きな手が、わたしの頬に優しく触れる。
自分の気持ちを自覚したせいか、彼に触れられると、いつも以上に胸が高鳴ってしまう。
ねぇ、一堂くん。心配になるとか、そんなこと言わないで。
「はい。これ、まだ使ってないやつだから。これで涙拭いて」
一堂くんが、わたしにハンカチを差し出してくる。
こんなときまで、優しくしてくれるなんて。一堂くんの “ 好きな子 ” が、わたしなんじゃないかって勘違いしそうになる。
「ねぇ、一堂くん。他に好きな子がいるんでしょう? だったら……もうわたしに優しくしないで」
「え? 好きな子って……もしかして依茉、俺がさっき女子を振るところ見てたの?」
わたしは、素直にこくりと頷く。
「そっか。依茉にあの場面を見られてたのか。だけど、それは誤解だよ」
誤解?
「……ごめん、依茉。ちょっと立って、こっちに来てくれる?」
地面に座り込んでいたわたしを強い力で立ち上がらせると、一堂くんがわたしの手を握って歩き出す。
「ちょっと、一堂くん!?」
「依茉に大事な話があるんだ」
彼に少し強引に手を引かれてやって来たのは、中庭の噴水の前。
噴水を取り囲むように設置されている花壇には、今日も色とりどりの花が咲いている。
「あのさ、依茉。俺がさっき言ってた好きな子っていうのは……依茉のことだよ」
「……え?」
わ、わたし!?
「う、うそでしょ!?」
「嘘じゃないよ。依茉……覚えてないかな? 俺が中学2年の頃、ここで女子に告白されたんだけど。そのとき花壇の水やりをしていた依茉に、誤ってホースの水をかけられてさ」
そういえば、そんなこともあった気がする。
花城学園は中高一貫校だから、中等部と高等部で校舎は別々だけど。同じ敷地内にあるこの中庭は、共有の憩いの場となっていて。
中学生の頃、花が好きだったわたしは昼休みに毎日ここで花壇の水やりをしていた。
あの日もいつものようにここで花壇の水やりをしていたら、偶然告白現場に遭遇して。
そういう場面に遭遇するのは初めてで、当時はわたしも小林くんに片想い中だったから。
自分のことのようにドキドキしながら人様の告白につい見入っていたら……ホースを持つ手が滑っちゃったんだよね。
「その翌日に、依茉がお詫びにって手作りのクッキーをくれて。律儀でいい子だなって思って。それからずっと、俺は依茉のことが気になっていた。だけど、実家のこととか色々あったから……」
それから一堂くんは、実家のことや女の子を来る者拒まずで受け入れるようになったワケなど、これまでのことを全て包み隠さずわたしに話してくれた。
一堂くんに、そんなことがあったなんて……わたしは、口元を手でおさえる。
中学生という多感な時期に、初めて付き合った女の子と強制的に別れさせられて。そのうえ、大好きだったバスケまで辞めさせられて。そんなの辛すぎるよ。
そのときの一堂くんのことを思うと、胸がズキズキと痛む。
女の子にだらしないのも、高校を留年したことももちろん良くはないけれど。いくら家や会社のためだとしても……あれもダメこれもダメと、自分のすること全てを親に否定されたら……一堂くんがこうなってしまったのも無理はない。
もしわたしが彼の立場だったなら、きっと自暴自棄になっていたに違いない。
「辛かったよね、一堂くん……ぐすっ」
「なんで、依茉が泣くんだよ」
「だって……」
一堂くんがわたしの目元の涙を、指で優しく拭ってくれる。
「こんな俺のために泣いてくれるなんて。依茉は、本当に優しい子だな。ますます好きになりそうだよ」
一堂くんがわたしを見つめながら、ニコリと微笑む。
でも、まさか……。ここで水をかけてしまった先輩と、今の一堂くんが同一人物だったなんて。しかも、一堂くんが中学生の頃からわたしのことを見ていてくれたなんてびっくり。
頭の中に薄らと残る当時の一堂くんは、黒髪でピアスもつけてなくて、真面目そうな少年という印象だった。
一堂くんとちゃんと話したのは、あのときの一度きりで。学年も違ったから、申し訳ないけどほとんど記憶に残ってなくて。
公園で一堂くんに失恋現場を目撃されて爆笑されたときは、中庭で初めて話したときと彼の雰囲気が180度変わっていたから。
あの日の公園での出会いが、一堂くんとの初対面だとばかり思っていた。
「俺、今までの女関係は全て終わらせたから。もちろん、連絡先も削除した」
「もしかして、それで頬に絆創膏を……?」
「ああ。来月付き合うことになっていた一人に、平手打ちにされた」
そうだったんだ……。
わたしは、一堂くんの絆創膏を貼っているほうの頬を指でそっと撫でる。
「俺、依茉のことがほんとに好きだ。これからは、依茉一筋で生きていくから……仮の彼女ではなく、今日からは俺の本当の彼女になって欲しい」
自分だけに向けられる真剣な眼差しに、胸のドキドキは止まらない。どうしよう。嬉しい……。
「わたしも、一堂くんのことが好き。だから……これからもよろしくお願いします」
1ヶ月が経ったら、一堂くんとは離れなければならないと心の底でずっと思っていたけれど。まさか、一堂くんと本当の恋人になれる日が来るなんて。
わたしは嬉しくて、また涙が溢れてしまう。
「依茉、また泣いてる」
「だって、嬉しくて……夢じゃないよね?」
一堂くんがわたしの腰に手をまわすと、わたしを自分のほうへと抱き寄せる。
「夢じゃないよ。俺たち、これからもずっと一緒だから」
一堂くんが、力強く抱きしめてくれる。そんな彼の背に、わたしもそっと手をまわした。
ひゅうっと風が吹き、花壇の色とりどりの花が静かに揺れる。
彼と想いが通じ合ったこのときは、本当に幸せで。今日は、わたしの人生で忘れられない日となった。
「ありがとうございます」
英語の授業中。昨日の授業での小テストを先生から返却された一堂くんが、笑みを浮かべる。
一堂くん、小テスト満点だったんだ。凄いな。それに比べてわたしは……50点。
自分の小テストの点数を見て、ガクッと肩を落とす。わたし、英語は苦手なんだよね。
ここ数日、一堂くんは授業を一度もサボることなく真面目に受けている。てっきり3日坊主なのかと思っていたら、今日で4日目に突入し出席記録を更新し続けている。
「今週は、授業も全くサボらずにちゃんと受けてるし。偉いぞ、一堂。この調子でな」
英語の先生は、ニコニコ顔。授業をただ真面目に受けているだけで、先生に褒められるなんて。彼の今までの学校での行いが、どんなに悪かったのだろうと思わされる。
でも、いくら2回目の高校1年生とはいえ、ここ数日真面目に授業を受けただけでもう小テストで満点をとれるなんて……さすが一堂くん。
ていうか、頬に絆創膏を貼ってるけど……一堂くん、怪我でもしたのかな?
英語の授業後は、お昼休み。
一堂くんといつものように一緒に昼食を摂ろうと声をかけると、『用があるから、先に中庭に行ってて』と彼に言われたわたし。
「いけない。お茶持ってくるの忘れてた」
中庭のベンチに腰を下ろしたわたしは、水筒を教室の机の上に置きっぱなしにしていたことを思い出した。
「お茶、取ってこようかな」
わたしはベンチから立ち上がり、校舎のほうへと向かって歩き出す。
「一堂くんのことが好きです!」
すると、どこからかそんな声が聞こえてきて、わたしは思わず足を止めた。
えっ、今……『一堂くん』って言った?
思わぬ名前が聞こえ、校舎の角の手前でわたしは動けなくなってしまう。
一堂くんの名前を耳にし、どうしても気になったわたしは壁越しにそっと覗くと、そこには一堂くんと2年生の女の先輩が向かい合って立っていた。
用があるって、一堂くん……女の子に呼び出されてたんだ。一堂くんが誰かに告白されている現場に遭遇するのは初めてで、胸がやけにドキドキする。
しかも告白しているあの先輩、すごく綺麗。確か、ファッション雑誌のモデルをやっているって聞いたことがある。
「……良かったら、私と付き合ってください」
モデルの先輩の声は、少し震えている。そりゃあ、そうだよね。好きな人に告白するのってすごく緊張するし、勇気がいることだもん。わたしも……そうだったから。
わたしは、小林くんに振られてしまったけど。来る者拒まずの一堂くんだから、今告白したモデルの先輩のことを振ることはない。きっと、OKするのだろう。
胸の底のほうにモヤモヤとした感情が広がるのを感じながら、わたしがその場を離れようとしたとき……。
「悪いけど、キミとは付き合えない」
……え?
一堂くんの口から予想外の言葉が飛び出し、わたしは歩きかけていた足を思わず止めた。
反射的に振り返ると、モデルの先輩は狐につままれたような顔をしていた。
「どっ、どうして? 一堂くん、OKしてくれるんじゃないの!?」
モデルの先輩が焦った様子で、一堂くんに詰め寄る。
「今までの俺だったら……いいよって、すぐにOKしてたんだろうけど。もう無理なんだ」
「なんで?! 私だからダメなの!?」
「違う。俺、本気で好きな子ができたから。これからは、その子だけを見ていたいんだ」
本気で好きな子ができたって……一堂くん、本当に?
バクバクと、鼓動がどんどん速まっていく。
「だから……最近は、キミだけでなく女子からの告白は全て断ってる。いま付き合ってる彼女とも、全員別れるつもり。好きな子以外とは、もう誰とも付き合わないって決めたから」
自分に言われたわけじゃないのに。ハンマーでガツンと殴られたような、強いショックを受ける。
そっか。一堂くん、好きな子ができたんだ。
言い方は悪いけど、これまで女の子にだらしなかったあの一堂くんが女の子からの告白を全て断って。一途に、その人のことだけを好きでいようとするなんて。それだけ、本気ってことだよね。
プレイボーイだった一堂くんをそこまでさせるなんて、彼に想われている子はよほど魅力的な女の子なんだろうな。その女の子は……きっと、わたしじゃないってことだけは分かる。
わたしが小林くんに振られた日、公園で一堂くんに『俺と付き合う?』ってからかわれた際にも『そんなお子ちゃま体型のキミが俺の彼女だなんて、百年早い』って言われたし。
前に一堂くんに『好きだよ』って言われたこともあったけど……あれは、彼が風邪を引いて熱があるときだったから、信ぴょう性は低い。
それに、一堂くんは年下に興味がないとも言っていたから……そもそもわたしは、彼のタイプですらない。
わたしは背を壁にもたれかけたまま、ズルズルと力なく地面に座り込む。
そしてついに、堪えていた涙が堰を切ったように流れ出して止まらなくなった。
「……っうう」
地面が、ぽたぽたと涙で濡れていく。
一堂くんにたくさん優しくしてもらって、もしかして……? と思ったときも何度かあったけど。わたしは……一堂くんの親友の妹だから。
お兄ちゃんのよしみで毎日一緒にお昼ご飯を食べたりと、今まで他の彼女よりも良くしてもらっていただけだ。そう思うと、余計に悲しくなって。息が上手くできなくなるくらいに苦しい。
「……っう~っ」
さっきからずっと、涙がとめどなく溢れて一向に止まらない。
どうしてわたし……こんなに泣くほどショックなんだろう。
どうしてかって、その答えはもう自分が一番よく分かっている。わたしが……一堂くんのことを好きだからだって。
本当は、少し前からこの気持ちに気づいていたけれど。この気持ちに蓋をして、ずっと気づかないフリをしていた。
一堂くんは、女の子なら来る者拒まずのプレイボーイで。わたしたちは、1ヶ月限定の仮の恋人同士だから。
1ヶ月が経てば別れが訪れると最初から分かっていて、彼を好きになるわけにはいかなかった。
本気で好きになったところで、自分が辛いだけだから。そして何より、初恋のときみたいに振られて二度も傷つくのが怖かったから。
だけど、やっぱり……一堂くんを好きにならないなんて無理だった。彼は、あんなにも魅力的な人なんだもん。
明日で一堂くんとの約束の1ヶ月ってときに……こんな気持ちになるなんて。バカだ、わたし。
「一堂くん……きだよ」
好き、だよ……。
どうにもならないこの想いを、ひたすら心の中でつぶやく。
地面に体育座りをしたまま、わたしがしばらくじっと俯いていると、視界の隅っこに誰かのローファーが見えた。
「……依茉?」
名前を呼ばれて顔を上げると、一堂くんが目の前に立っていた。
「どうしたんだよ、こんなところに座りこんで……」
「……っ」
一堂くん、なんで……。
「ていうか、依茉……泣いてるのか?」
「なっ、泣いてない」
わたしは、慌てて目元の涙を手で拭う。だけど、拭っても拭っても涙は次から次へと溢れてくる。
「依茉、どこか痛むの? しんどい?」
一堂くんの問いかけに、わたしは首を横に振る。
「じゃあ、なんでそんなに泣いてるんだよ。依茉がずっと泣いてたら、心配になるだろ」
一堂くんの大きな手が、わたしの頬に優しく触れる。
自分の気持ちを自覚したせいか、彼に触れられると、いつも以上に胸が高鳴ってしまう。
ねぇ、一堂くん。心配になるとか、そんなこと言わないで。
「はい。これ、まだ使ってないやつだから。これで涙拭いて」
一堂くんが、わたしにハンカチを差し出してくる。
こんなときまで、優しくしてくれるなんて。一堂くんの “ 好きな子 ” が、わたしなんじゃないかって勘違いしそうになる。
「ねぇ、一堂くん。他に好きな子がいるんでしょう? だったら……もうわたしに優しくしないで」
「え? 好きな子って……もしかして依茉、俺がさっき女子を振るところ見てたの?」
わたしは、素直にこくりと頷く。
「そっか。依茉にあの場面を見られてたのか。だけど、それは誤解だよ」
誤解?
「……ごめん、依茉。ちょっと立って、こっちに来てくれる?」
地面に座り込んでいたわたしを強い力で立ち上がらせると、一堂くんがわたしの手を握って歩き出す。
「ちょっと、一堂くん!?」
「依茉に大事な話があるんだ」
彼に少し強引に手を引かれてやって来たのは、中庭の噴水の前。
噴水を取り囲むように設置されている花壇には、今日も色とりどりの花が咲いている。
「あのさ、依茉。俺がさっき言ってた好きな子っていうのは……依茉のことだよ」
「……え?」
わ、わたし!?
「う、うそでしょ!?」
「嘘じゃないよ。依茉……覚えてないかな? 俺が中学2年の頃、ここで女子に告白されたんだけど。そのとき花壇の水やりをしていた依茉に、誤ってホースの水をかけられてさ」
そういえば、そんなこともあった気がする。
花城学園は中高一貫校だから、中等部と高等部で校舎は別々だけど。同じ敷地内にあるこの中庭は、共有の憩いの場となっていて。
中学生の頃、花が好きだったわたしは昼休みに毎日ここで花壇の水やりをしていた。
あの日もいつものようにここで花壇の水やりをしていたら、偶然告白現場に遭遇して。
そういう場面に遭遇するのは初めてで、当時はわたしも小林くんに片想い中だったから。
自分のことのようにドキドキしながら人様の告白につい見入っていたら……ホースを持つ手が滑っちゃったんだよね。
「その翌日に、依茉がお詫びにって手作りのクッキーをくれて。律儀でいい子だなって思って。それからずっと、俺は依茉のことが気になっていた。だけど、実家のこととか色々あったから……」
それから一堂くんは、実家のことや女の子を来る者拒まずで受け入れるようになったワケなど、これまでのことを全て包み隠さずわたしに話してくれた。
一堂くんに、そんなことがあったなんて……わたしは、口元を手でおさえる。
中学生という多感な時期に、初めて付き合った女の子と強制的に別れさせられて。そのうえ、大好きだったバスケまで辞めさせられて。そんなの辛すぎるよ。
そのときの一堂くんのことを思うと、胸がズキズキと痛む。
女の子にだらしないのも、高校を留年したことももちろん良くはないけれど。いくら家や会社のためだとしても……あれもダメこれもダメと、自分のすること全てを親に否定されたら……一堂くんがこうなってしまったのも無理はない。
もしわたしが彼の立場だったなら、きっと自暴自棄になっていたに違いない。
「辛かったよね、一堂くん……ぐすっ」
「なんで、依茉が泣くんだよ」
「だって……」
一堂くんがわたしの目元の涙を、指で優しく拭ってくれる。
「こんな俺のために泣いてくれるなんて。依茉は、本当に優しい子だな。ますます好きになりそうだよ」
一堂くんがわたしを見つめながら、ニコリと微笑む。
でも、まさか……。ここで水をかけてしまった先輩と、今の一堂くんが同一人物だったなんて。しかも、一堂くんが中学生の頃からわたしのことを見ていてくれたなんてびっくり。
頭の中に薄らと残る当時の一堂くんは、黒髪でピアスもつけてなくて、真面目そうな少年という印象だった。
一堂くんとちゃんと話したのは、あのときの一度きりで。学年も違ったから、申し訳ないけどほとんど記憶に残ってなくて。
公園で一堂くんに失恋現場を目撃されて爆笑されたときは、中庭で初めて話したときと彼の雰囲気が180度変わっていたから。
あの日の公園での出会いが、一堂くんとの初対面だとばかり思っていた。
「俺、今までの女関係は全て終わらせたから。もちろん、連絡先も削除した」
「もしかして、それで頬に絆創膏を……?」
「ああ。来月付き合うことになっていた一人に、平手打ちにされた」
そうだったんだ……。
わたしは、一堂くんの絆創膏を貼っているほうの頬を指でそっと撫でる。
「俺、依茉のことがほんとに好きだ。これからは、依茉一筋で生きていくから……仮の彼女ではなく、今日からは俺の本当の彼女になって欲しい」
自分だけに向けられる真剣な眼差しに、胸のドキドキは止まらない。どうしよう。嬉しい……。
「わたしも、一堂くんのことが好き。だから……これからもよろしくお願いします」
1ヶ月が経ったら、一堂くんとは離れなければならないと心の底でずっと思っていたけれど。まさか、一堂くんと本当の恋人になれる日が来るなんて。
わたしは嬉しくて、また涙が溢れてしまう。
「依茉、また泣いてる」
「だって、嬉しくて……夢じゃないよね?」
一堂くんがわたしの腰に手をまわすと、わたしを自分のほうへと抱き寄せる。
「夢じゃないよ。俺たち、これからもずっと一緒だから」
一堂くんが、力強く抱きしめてくれる。そんな彼の背に、わたしもそっと手をまわした。
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彼と想いが通じ合ったこのときは、本当に幸せで。今日は、わたしの人生で忘れられない日となった。
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