プルートーの胤裔

ゆさひろみ

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プロローグ

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 ネットカフェの個室から、若い刑事が出て来て、中へ向かって頭を下げた。
 これで一応、有料でインターネットに接続できる、通称ネットカフェと呼ばれる店舗の、全ての利用客の身元が判明した。そうした所で別段、二〇余名ある彼らの中から、本件の容疑者と思しき人物は一人も浮上しなかった。『容疑者はネットカフェにいる』という、捜査本部の見立ては、ここに来て大きく的を外した形となった。
「これは一体、どうした事でしょう」
 今回 捜査の指揮を執る、石動警部補は、アシンメトリーにした前髪にそっと手を触れた。
「このネットカフェの回線から、不正なアクセスがくり返されている事は間違いありません。そしてそれは、今もなお続いている。ところがそれを実行しているハッカーが、この店内に存在しないのであれば、犯人は一体どうやって不正行為を行っているのでしょうか」
 ネットカフェの見取り図を手に、わたくしも刑事たちの輪に加わる。
「素人が口出しするのもなんですが、専門機関に依頼して、詳しい回線の情報を調べてみる、というのはどうでしょうか? ネット回線は無数にあるにしても、固有IPアドレスというものが各部屋に割り当てられていると思うのですが」
 こちらの話を遮るように、石動は一歩前へ出た。
「我々は今回、某企業のサーバーデータが 複数にわたってハッキング被害を受けているとの情報を入手し、その発信元であるこのネットカフェを完全に包囲しました。そしてそのハッカーが、この店の中に袋のネズミとなった事から、我われは迅速かつ、綿密に、一部屋一部屋しらみ潰しに調べました」
 たっぷりと間を置いて、それから少し声のトーンを下げて、
「しかしその結果が、このような空振りに終わっては、いま宗村さんが言われたような 犯行に使用されたIPアドレスを特定する必要があります。
 おっとご安心ください。問題のIPアドレスについては、すでにこちらの羽賀さんがサイバー犯罪対策課に問い合わせしてあります」
 羽賀という、二〇代の女性刑事は、黒のパンツスーツのポケットから素早くスマートフォンを取り出して、
「石動警部補、噂をすれば です。さっそく不正アクセスが行われたというIPアドレスが送られてきました」
 そのIPアドレスの確認のため、店舗の受付へと向う石動と羽賀、すぐに二人は靴音を立てて戻って来た。
「みなさん、逆探知できた部屋の番号が判明しました。不正なアクセスが繰り返されている部屋は、27号室です!」
 メモを高く掲げて、石動は部屋番号を読み上げる。別ルートを当たった刑事二人は、同時に顔を合わせ、
「27号室? 確か その部屋のドアには『故障中』と張り紙が貼ってあったかと」
「そこだ! 急げ!」
 力の限り叫ぶ石動、それを受け刑事たちは一斉に走り出した。そして27号室のドアが開かれるや否や、中から大量の煙が吐き出された。
「火事だ!」
 次々に火災報知器が作動して、現場は一時騒然となった。
「中に人が倒れている!」
 ハンカチを口に当てた加藤、低く腰を屈め、煙と床の狭い隙間の中へもぐり込んで行った。
「加藤君!」
 石動の制止も聞かず、加藤が煙の中へ入った後、すぐに刑事たちのどよめきが聞こえた。全身に煙をまとった加藤が、その勇姿を我々の目の前に現したのだ。彼の腕の中には、スーツ姿の若い女性が、いかにも意識不明といった様子で抱えられていた。救出した女性の体を廊下に寝かせる加藤。そっと女性の左手を取って、脈を測る羽賀。ゆっくりと羽賀が上体を起こすと、背後にいる石動へ首を振って見せた。
「状況から考えて、自殺と思われます」
 わたくしは「うっ」と言って、思わず喉をつかんだ。酸鼻を極める毒殺の死体に、体が拒絶反応を起こしたのだ。
 その時「あれ?」といった、調子の外れた羽賀の声がした。
「待って下さい、この女性、見覚えがあります」
 石動と加藤が同時に顔を上げた。
「そうだわ、この人、配給センターの人。今朝、署に現れた女性によく似ています」
「何だって? それじゃこのホトケさんが、俺たちが追い求めていた『バイフー』なのか?」
 加藤が同僚の肩を揺する。
「そこまでは分かりません。だけど、容疑者の一人には違いないと思います」
「宗村さん、ついにこの時がやって来ました」
 この場にいる誰もが、後ろでうずくまるわたくしを見た。
「宗村さん、昨日の出来事をよく思い出して下さい。あなたはこの女性に、見覚えがありますか?」
 この質問の回答は、すでに用意してあった。
「どうですか宗村さん、この女性は昨日スキー場で」
「見覚えがありません」
 わたくしの回答に、石動は言葉を失った。
「この人は、バイフーではありません」
 沈黙のあと、石動は下を向く。
「という事です皆さん、我々は今回、まんまとホシを取り逃がしました。不正アクセスが繰り返された部屋の特定が、一足遅かったようです」
「石動警部補!」
 突然 廊下に大声が上がった。見ると、靴が脱げそうなほど、いや、脱げて引き返して慌てて戻って来る太った刑事が見えた。
「大変です! 店舗のあちこちから火の手が上がっています! 放火です! いま、二階のカラオケコーナーからも、火災検知器の反応がありました! もう手の施しようがありません、とにかく避難して下さい! バイフー探しは後回しです!」
 わなわなと拳を上げて、どんと壁を殴る加藤。
「やりやがったな、あの野郎!」
 発見した遺体をその場に残し、我われは避難の途に就いた。
「?」
 その時だった。ふと 誰かに呼ばれた気がして、わたくしは背後を振り返る。命からがら避難する人たちの中で、一人 平然と火事場を歩く、場違いな女がいるのだ。その女は混乱の波に逆らって、火元の方へと消えて行く。
 あやしい女に気を取られたわたくしは、あっと言う間に避難の列から離れた。
 君はいったい、何者なのだ。君はいったい何の目的があって、こんな残忍な犯行を繰り返すのだ。これだけ多くの人命を奪っておきながら、この先君はどこへ行こうというのだ。
「宗村さん? 宗村さん?」
 わたくしを探す羽賀の声、それが思ったより遠くに聞こえた。返答はしなかった。わたくしはすでに、晦冥会の暗殺者『バイフー』を追って、燃えさかる復讐のインフェルノへと走り出していた。
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