プルートーの胤裔

ゆさひろみ

文字の大きさ
3 / 131

十年振りの再会

しおりを挟む
 ベントレーは雪の写真家として有名である。農夫の子として生まれ、農業のかたわらで、ファインダーの向こうに広がる雪の結晶を撮り続けた。それらの写真は、『Snow Crystals』という写真集に収められ、一九三一年、マック・グロービル社から出版された。その明るいニュースは、彼の死の直前に間に合う形となった。
 それと時を同じく、北海道で雪の研究をしていた、中谷教授は、その写真集をひらいて、中から雪の妖精が舞い上がって来るような、そんな美しい空想にひたった。その感動はのちに、彼の雪への探究心を揺るぎのないものへと押し上げた。
 世界で初めて人工雪を製作したという、中谷宇吉郎、彼の科学随筆本を手に、わたくしは、北陸の鉄道に揺られていた。昭和レトロが感ぜられる、国鉄形の車両には、わたくしのほか、一人の乗客もなかった。その、がらあきの車室が、いかにも『銀河鉄道の夜』の軽便鉄道を思わせて、わたくしは、しばらくは銀河ステーションの空想にひたっていたが、突然、バリバリっと音割れした、カーボンマイクの放送が流れ、次の停車駅を聞いたわたくしは、本を閉じ、頭上の網棚へと手を伸ばした。そこでふと、目の前の異変に気が付く。
 ベントレーと中谷、この二人の偉人が愛してやまなかったという、雪の妖精。その、メルヘンチックなイメージとは、遠くかけ離れた狂気、としか言いようのない、すさまじい吹雪が、夜の車窓を白く降り積もっていた。
 それからわたくしは、目的地であるM高原という駅に到着し、標高五〇〇メートルのプラットホームに降り立つ。マグロを保管する冷凍倉庫、そんな、全てを凍り尽くすような冷気の中、吐く息といえば真っ白で、その白い息は、風に乗って遠くへ行っても、まだ白かった。積雪も、人の何倍もあって、正確には何メートルくらいあるのかと、比較になるような物を駅の中から探していると、突然横殴りの吹雪に襲われた。目の前が真っ白になる。トラスに組んだ屋根がぎしぎしと軋む。わたくしは悲鳴を上げる代わりに、トレンチコートの襟をつかんで、近くの跨線橋へと逃げ込んだ。
「なんて所だ」
 恐ろしい吹雪をふり返りふり返り、入った改札に駅員の姿はなし。戸惑いながら、白い箱に切符を入れろとあるから、切符を入れて、皓々と電灯の灯った待合室に入る。強力な石油ストーブがひとりで部屋を暖めている。一回正面へ出て、軒をつたって、吹きさらしの喫煙所へ入った。凍えながら、煙草を一本吸う。吹き回した強風によって、火がよく燃えて、ろくに吸わないうちに煙草は灰になった。まったくひどい天候だった。
 二本目に火をつけようと、強風を背に小さく縮こまっていると、駐車場に一台のSUVが入って来た。どっさりと雪を積んだボンネットに、ワイパーが激しく動いている。迎えの車が一台しかなかったので、わたくしは、コートの襟を立てて雪の中を走った。
「うわー、すごいな。ちょっと走っただけでもうこんなだ」
 車体を揺らして、慌ただしく車に乗り込む、わたくし。
「待ったか?」
 運転席の岸本が、ラジオのボリュームを下げる。
「いま来た所だ。それにしてもすごい降りだ」
 頭に積もった雪を払い落とす。
「夕方からずっとこの降りだ。上下線とも電車は運休を決めた。宗村、お前は雨男ならず、雪男だ」
 岸本は後方を振り返り、ギアをバックに入れた。轍となった雪を踏み超えて、車体は大きく揺れる。この時わたくしは、間近になった旧友の顔を見た。それは実に十年振りに見る横顔だった。
「久しぶりだな」
 わたくしはしみじみと言った。
「そうだな。宗村とは年賀状のやり取りだけで、会うのは十年振り。思えば学生の頃、敷島の葬式以来だ」
 岸本は、白髪頭を坊主にして、山男風の髭を生やしていた。それが一層、老けて見えた。
「まじまじ見やがって。お前だって十分ふけたぞ」
 笑い皺が深かった。
「お互い、三十も半ばだもんな。月並みな言葉だが、歳は取りたくないものだ」
 岸本は何か言うかと思えば、パイプを一つ吹かして、苦笑しただけだった。
 わたくしはこの男に呼ばれて、東京から、こんな雪深い土地へとやって来た。服装について注意を受けなかったせいで、トレンチコートに革靴という、完全に雪国をなめた恰好でやって来た。
『相談に乗って欲しい事がある』
 岸本からこんな電話が入ったのは、ちょうど一週間前のこと。
『警察へはまだ連絡していない。その前に、敷島と宗村に相談してから、どうするか決めたいんだ』
〝警察〟その言葉を聞いて、わたくしはテレビのリモコンを取った。
『俺の身の回りで何かマズい事が起きいている、そんな気がするんだ』
 どんな? と聞くその前に、懐かしい名前が出たので、敷島の消息について訊ねた。
『敷島は今、沖縄は那覇に滞在している。俺の話を聞いたら、ちょっと今は(仕事で)手が離せないから、宗村に連絡して、すぐに来てもらうように、というふうに言っていた。急で申し訳ないが、来週くらいにこっちへ来られるか?』
 岸本は、北陸の高原リゾートで、ペンション経営をやっていた。
「俺は自由の身なんでね。切符さえ買えばいつでもそっちへ向かえるが」
 敷島の顔が浮かんだ。
「敷島も来るのか?」
『ああ、一応来るような事は言っていた。俺の用件を聞いて、電話の向こうでスケジュール帳を捲っているようだったから。とりあえず、先に現地入りした宗村に連絡を入れると言っていた』
 岸本の車は、シャッター街を突っ切って、旧国道へと入った。交通量の少ない静かな町、道路の真ん中から、消雪パイプという、雪を溶かすための地下水が出ていて、それが水たまりとなって、車が走る度に大きな水しぶきが上がった。
 会話が途中で切れて、車のエンジン音がやけに大きく聞こえる、車内。岸本は突然ひとり言のように、
「嫁が出て行ってしまった」
 雪国らしい縦型の信号機、赤色の灯火に照らされる岸本。
「先々週の話だ。高校一年の一人娘を連れて、小田原の実家へ引き上げてしまった。今は古い従業員が一人だけだから、何だか急にさみしくなってね。だから今回、宗村が来てくれて本当に嬉しい」
 正面に立ちはだかる黒い山脈、その中腹に、スキー場のナイター営業の灯りが、キラキラと瞬いて見えた。こんな悪天候でもスキー場は営業するのかと、前のめりになってフロントガラスをのぞき込むと、ピステンの圧雪だよ、と岸本はアクセルを踏んだ。
「最近では、海外からの宿泊客がどっと増えてね。国際社会だか、なんだか、とにかく英会話教室に娘を通わせていたんだ。ありがたい事に、娘は頭が悪くないようで、今年は進学校にも合格。これからって時に、俺は何をやっているんだか」
 子供を持たないわたくしは、この時なんとも答えなかった。
「嫁は何も言わなかったが、きっと俺に愛想が尽きたんだ。映画『私をスキーに連れてって』のヒットで再燃したスキーブーム、それも、臨時列車『シュプール号』の運行取りやめとともに、宿泊客は右肩下がり。ペンション経営も空室を埋める事ができなくなった。赤字経営を打破させるべく、嫁の考えたコストパフォーマンス経営が、シェフ上りの俺にはどうも受け入れられなくて。お客様は一度でも手を抜くとリピートしてくれなくなる、こう主張する俺と、無駄を省いた低コストの経営を推し進めようとする嫁とで、考えの食い違いによって、口喧嘩が増えた。何か悪い事でも起きそうな、そんな胸騒ぎはしていたんだ」
「女か」
 先回りしたわたくしの言葉に、岸本、パイプのダボを抜いて息を吹きかけた。
「そうか、君なら分かってしまうか。うん、ありふれた話だ。三十六にもなって、俺は、若くてキレイなバイトに熱を上げてしまったのさ」
 わたくしは、芸能界のそういった類の記事を書いていた。
「相談とは、その事か?」
「そうだ」
 車は、旧国道から国道へと合流、そこからさらに、A観光リゾートという大きな看板の下を右折、あとは延々上り坂となった。ホテルの灯りがちらほら目につくようになると、ロータリ除雪車の作業中と遭遇。もう一台の除雪グレーダが、スリップ事故防止のため、雪の表面を粗くしている、とまあ、我われの行く手は完全にふさがれてしまった。岸本は慣れた様子でサイドブレーキを引く。
「だけど、女がバレて嫁と別居したって、君の言う警察沙汰にはならないだろう」
 黒煙を巻き上げる除雪ドーザ、その作業風景にわたくしは好奇の目を向けていた。
「警察か。そうだったな。その件で、宗村を呼んだんだったな」
 岸本は突然ギアをバックに入れて、いま来た道を引き返し始めた。そしてあれよあれよと五〇メートルはバックして、つい見逃しそうな脇道にハンドルを切った。脇道かと思ったが、そこには小さな駄菓子屋が、半ば雪に押しつぶされて建っていた。
「おごるよ。何か飲もう」
 昭和風情の商店の軒下に、自動販売機が一台、降り積もる雪に半分埋まっていた。
「飲もうって」
「近くに便利なコンビニなんかもできたが、やっぱり俺はこの自販機を使ってしまう」
 そう言って岸本、エンジンを掛けたまま降車し、カナダ製のブーツで新雪を蹴って行く。まばゆい自販機の照明が、たっぷりと降り積もった雪に大小様々な影をつけている。
「どうしたんだ急に。ペンションに到着すればいくらでも」
 同じく車を降りたわたくしに、ほらと言って缶コーヒーを投げてよこした。
「一応除雪(車)が入るんだな」
 岸本は、雪囲いの軒下に入って、柱に立てたアルミスコップを手にした。そしてせっせと軒端の除雪を始めた。
「君の所有地、てわけないよな」
 カチッとタブを引いて、熱々のブラックを飲むわたくし。雪山で、しかも吹雪の夜に味わう缶コーヒーは、都会のそれとはまるで別物だった。
「お、あったあった」
 掘り集めた雪の山に、さくっとスコップを突き立てて、岸本、中から水仙の供え花を取り出した。
「? 何だそれ」
 わたくしが見ている前で、岸本は、近くの柱に供え花を置いた。そして、そこだと駐車スペースらしい雪の上を指した。
「そこで、うちのバイトが死んだのだ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく… なお、スピンオフもございます。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

処理中です...