プルートーの胤裔

ゆさひろみ

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ペンション〝アルプホルン〟

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『久しぶりだな』
 敷島から電話があったのは、ペンション〝アルプホルン〟に到着して、間もなくの事だった。緋色のカザック絨毯に、シボ型押しソファーが置かれた、大人の雰囲気たっぷりの談話室で、わたくしが、伊藤清永の裸婦画を眺めていた時のこと。
『もう到着した頃だと思ってな』
「どこかで見ているんじゃないか? どんぴしゃだ」
 敷島は二秒黙った。
『今回は君に無理を言ってしまった。本来であれば、俺がそっちへ行って、現地入りをして、岸本の相談に乗ってやらなければならないところを、すまなかった』
 深々とソファーに腰かけて、わたくしは、ゆっくりと煙草を一本抜き取る。
「構わんさ。どうせ俺は暇人だから」
 ガラステーブルに、旅行ガイドブックが投げてあった。付箋があって、そのページをめくると、ここのペンションが紹介されていた。いくつかの写真があって、ペンションの玄関に立った岸本の、その頭には、ふさふさの毛があった。あわてて表紙を見ると、八年前に刊行されたものだった。
『ありがとう。とにかく現地の様子が知りたい。ペンションの雰囲気や、宿泊客の行動、ちょっと気になった事でも何でもいい』
「なるほど、あれこれ見ておけばいいんだな。とりあえず、談話室は豪華だ」
 鼻で笑う敷島。
「しかしなんだ、今回の件は、もう、岸本から聞いているのだろう?」
『ああ』
「だったら、この件はもう解決済だろう?」
 ちょっと腰を浮けて、ガラス製の卓上灰皿を引き寄せる。
『今から四週間前』と言って敷島、新聞の記事でも読み上げるみたいに、今回の事件を流暢に語り出す。
『昨年十二月十三日、ペンションのバイトの女が焼身自殺を図った。しかも当時ペンションに宿泊していた男と心中というかたちで。
 夜遅く、バイトの女と宿泊客の男は、こっそりと車に乗って、近くの廃業中の商店で停車、用意していた灯油を車内に撒いて、火を放った。炎上した車に気づいた近隣住民から、消防本部へ通報があり、駆けつけた消防隊によって直ちに消火活動が開始された。未明には鎮火、バイトの女の遺体は損傷が激しく、即死の状態。男も全身に火傷を負いその後N県立中央病院で死亡が確認された』
 ゆっくりと煙草に火を点ける、わたくし。
『翌日の新聞にはこの焼身自殺が小さく掲載されている。彼らの遺書は、見つかっていない。しかしバイトの女である、天道葵は、一緒に自殺を図った木原正樹と交際していた事が、関係者からの証言で明らかになっている。地元のM新聞社は、この情報を基に、本件を心中事件として報道した』
 そこまで話して、敷島は口を閉じた。
「ありふれた話じゃないのか? 地方の心中事件なんて、まあよくある話だ。どんな理由があったか知らないが、一緒になれないならいっそのことって」
 電話の向こうで、複数の男の声がした。雀荘にでもいるような、ガラの悪い雑音だった。
『岸本は、どんな様子だ?』
「ん? ああ、女のことで沈んでいる。口には出さないが、見え見えだ」
 受付のカーテンを閉めて、のそっと受付から出て来た岸本は、電話をしているわたくしに気が付いて、食堂のガラス戸を指さした。夕食はわたくしが最後の一人だと聞いている。携帯電話を持ちながら、大きく頷いて見せる。
『女の死を残念がっているか?』
「そうだな。どう見てもそんな風に見える。
 だって考えてもみろ、自分と愛し合っていた不倫相手が、実は別に交際相手がいて、その男と突然心中してしまったのだからね」
 吹き抜けの天井へ向かって、白い煙を吐いた。見ると、二階には客室が並んでいた。
 敷島はたっぷりと間を置いてから、
『君は、そう思うのか』
「うん? ああ、少なくとも岸本は、その件で俺たちに相談して来たのだからね」
 煙草の吸い殻を灰皿へ投げて、もう一本煙草を取り出す。
『では岸本は、これはありふれた心中事件ではない、自分の不倫相手が自ら死を選ぶはずはない、彼女は何らかの事件に巻き込まれた可能性があるから、俺たちにそれを調べて欲しい、こう相談を持ち掛けてきたのか?』
 電話口が、交通量の多い幹線道路を歩いているらしい、騒音に変わった。
「そうだな、俺にはそんな風に聞こえたな。あいつは今でも自殺したバイトの女に未練たらたらだ。そういえば、覚えているか? 学生時代のあいつが、行きつけの喫茶店の店員に惚れて、その女にヒモ男がいる事を知った時のことを。あいつはいつまでもその子の事があきらめきれないで、まあ未練たらたら、一年はその女の事をひきずっていた」
『覚えている』
 煙草に火をつけないで、しばらくそれをいろいろに眺めて、
「そうだな、まあこんや、酒でも入れば、もっと詳しい話が聞けるかも知れない」
『期待している』
 最後にわたくしは、どうしても聞いておかなければならない事を敷島にたずねた。
「敷島」
『なんだ』
 素っ気ない返事が返る。
「その、なんだ、君はまだ、あの時のまま、なのか? あの時のまま、今もずっと」
 コツコツいっていたヒールの音が、ぴたりと止まった。
『ああ、そうか、君は十年も俺に会っていないのだったな。心配してくれる君の質問に対しての俺の答えは、イエスだ。幸か不幸か、俺はあの時のまま、今も不思議な現象が続いている』
 わたくしは、敷島のこの言葉が、いちばん聞きたかった。ホッと安堵の胸を撫で下ろす。と同時に、鼓動が早まるような、不思議な興奮を味わった。
「そうか。それで君は、今も、元気なのだろうか」
 傍から聞いていれば、今の質問、妙に間の抜けた問いかけだったに違いない。しかし敷島は、この愚問を笑うどころか、丁寧な回答を見せた。
『元気だ。相変わらず時が止まっているかのように、この十年老けもしない。心配するな、レナの体にはキズ一つつけていない』
 わたくしは、この一点を確認したく、今回の話を引き受けたと言っても過言ではなかった。
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