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あずさの告白
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「君が、江口の携帯電話を?」
わたくしと美咲の二人の関係が、恋人の役を演じているだけの、事実上男女の関係にない事を、こうもあっさりあずさに見透かされて、半ば腹いせのように口を衝いて出た彼女への猜疑の質問が、案に反してそっくりそのまま認め返されたとあって、わたくしは反対にやり返された形となった。
「やっぱり、そうでしたか」
あずさの唇から目が離せなかった。
「宗村さんは最初から、あたしがやったって気が付いていたんですね」
なぜだか急に部屋の中が狭く感じた。
「まさか、君が? 君が、そうなのか? 今までの全ての事件は、君の仕業なのか? 最初に天道葵を殺し、木原を殺し、二人を心中したように見せかけて、更には江口をも殺した」
あずさは表情一つ変える事無く、不気味な微笑みを続けていた。
「どうなんだ」
「正解です。それ、全部あたしがやりました」
今の今まで、どうとでもなる気でいたあずさが、ここへ来て急に三名の殺害を告白したとあって、わたくしは、少女の化けの皮を被った恐ろしい悪魔を前にしたように、その場から一歩も動けなくなった。
『相手は無類の殺し屋だ。君みたいなずぶの素人など、ひとたまりもないからな』
『木原たちにしても、今回の江口にしても、つまり彼らは犯人の存在を知っていて、犯人に接近し過ぎた結果、あっさりと殺されている』
敷島の警告の言葉の数々が、わたくしの頭の中をぐるぐると駆け巡った。バイフーの正体があずさだった事実を、こんな逃げ場のない密室の状況下で、しかも目撃者のない二人きりの状態で暴いてしまうとは、わたくしの行動が余りに軽率だったと言わざるを得ない。
わたくしは喉を動かして生唾を飲み込んだ。
「なーんちゃって!」
「え」
あずさは両手に小さな拳を作って、口元を隠した。
「びっくりしました宗村さん?」
「え」
「バカみたい、どうしてこんな子供じみたウソを真に受けるんですか? あたしがそんな殺人なんてするわけないじゃないですか」
わたくしは肩の力が入っていた事を意識した。
「ウソ?」
「はいウソです」
あずさは小指で前髪を左右に分けた。
「そ、そうか。なんだ。冗談だったのか」
わたくしはぎこちない笑顔を作って、ベッドに弱腰を落とした。
「そうだよな、君がそんな、殺人だなんて、できる玉じゃないよな。ああびっくりした。大人をからかうんじゃないよまったく」
「でも、ケータイを部屋に置いたのは本当です」
わたくしの笑顔が固まった。
「なに」
「頼まれたんです、高田さんに」
あずさは膝を合わせて足を伸ばした後、スリッパの爪先を天井に向けた。
「高田さんに頼まれただって? 江口の携帯電話を彼の部屋に置くようにって、彼女はそう君に頼んだのか?」
そのスリッパの爪先を左右交互に上下させた。
「置くようにと言うか、ケータイの処分について相談されたんです。ああでも、高田さんは、何も悪くないんです。だって、この件に関しては、高田さんだって被害者なんですから」
「高田さんが被害者? それは、どういう意味だ」
爪先を上下させ過ぎて、右足のスリッパが床へ落ちた。
「だって、高田さんのショルダーバッグに、突然見覚えのないケータイが入っていたんですから」
わたくしは右足を折ってベッドに乗せて、上半身をあずさの方へと向けた。
「それは、本当の話か?」
「本当です。息子さんのケータイとは色が違うし、旦那さんはそもそも折り畳み式のケータイだし、全く心当たりがなかったそうです」
「いつ、高田さんは見知らぬケータイに気が付いたんだ? それは当然、江口サダユキが死亡した後の話、なんだよな?」
「はい。昨日の午後三時半頃の話だそうです。高田さんの勤務は、通常朝六時から始まって、お客さんのチェックアウトが終わる十一時過ぎに、一旦自宅へ帰るんです。そして、中抜けから再び仕事場に戻って、身支度の為にバッグを開けたら、見覚えのないケータイが入っていて、それを手に小首を傾げたそうです。だけど、その時はあまり深く考えもせず、ケータイをまたショルダーバッグに入れて、普段の通り仕事着に着替えたそうです」
「ふん」
「そして、いつもの通り食堂から談話室へと、せっせと除菌モップを掛けていると、突然警察から電話が掛かってきて、江口サダユキがここ『アルプホルン』に宿泊しているのか、率直な確認があったそうです。
高田さんは嫌な予感がしたと言っていました。顔を曇らせたオーナーと電話を代わって、江口サダユキの自殺が次第に現実のものとなると、バッグの中の見覚えのないケータイが、もしかして江口のものではないかと、いよいよ高田さんは不安になって来て、まさか自分が江口殺害の容疑者か、共犯者として疑われる事になるのではないかと、嫌な汗が出て来たそうです」
「その携帯電話には、既に彼女の指紋が付いているだろうからな」
わたくしは腕を組んで、うんうんと何度も頷いた。
「そして何より、江口のケータイを高田さんのバッグに入れた犯人がいるとすると、その人物が江口を殺した犯人であり、その犯人から高田さんが濡れ衣を着せられそうになった事を考えると、その行為自体が次なる殺害予告を意味しているのではないかと、高田さんは電話の声を震わせていました。次はお前の番だと、白羽の矢が立ったような気分だと」
「次はお前の番? 高田さんは、江口の自殺を知った当時から、既に彼の他殺の線を考えていたって事か?」
「そういう事になるんでしょうか。とにかくその時のあたしは、高田さんの大袈裟な表現や、被害妄想的な言動に、ただただ唖然として聞いていました」
「江口を殺した犯人がいる。そいつは高田さんのバッグに江口の携帯電話を入れた。だから、彼女は怖くなって警察に自分の身の安全を求めた。そういう事か?」
「はっきりとは聞いていませんが、多分そういう事だと思います。高田さんは、自分が不在の間の後釜を探して、あたしの働いている旅館に電話をしてきました。何たってあたしは、中学の頃から何度もここでバイトをした経験がありますから、高田さんが急に長期休暇を取ったとしても、あたしが代わりにこのペンションで働きさえすれば、ここのオーナーである岸本さんや、現在宿泊しているお客さんには、何の影響もありませんから」
「そして君は、緊急のヘルプで呼ばれて来た上に、命を狙われ怯えた高田さんから、江口の携帯電話を彼の部屋に置くよう、協力を依頼されたという事か?」
あずさは両手を前に出して、左右に振った。
「置くようには頼まれていません。ただ、不審なケータイの処分について、内密に相談を受けていたんです」
わたくしは眉根を寄せた。
「内密だなんて、そんなコソコソなんかしていないで、正々堂々と警察に相談すれば良かったじゃないか」
あずさは閉じ合せた内腿に両手を差し入れた。
「あたしも高田さんにそう勧めました。江口サダユキは自殺したんだし、彼の遺留品がどこから出て来たって、それほど気にする人はいないと思います。確かに警察の人には変な顔はされるでしょうけど、でも誰かが高田さんのショルダーバッグに遺留品のケータイを入れたのは事実なんだし、正直にありのままを説明して、警察にケータイを届け出た方が、下手なウソを吐くよりもずっとましですよね」
「そうだ」
「だけど、高田さんは全然、あたしの言う事なんて聞き入れてくれませんでした。食堂の片隅で相談に乗っていたんですけど、とにかく何かに怯えている様子で、誰もいない窓の外や、廊下が見えるガラス戸の向こうを、頻りに気にしているのが印象的でした。そして、高田さんは口にはしませんでしたけど、江口のケータイを警察に渡すという行動が、よくは分かりませんが、何かしらの裏切り行為に当たるような、そんな後ろめたさがあるように感じました」
「裏切り行為?」
「あたしはその時、高田さんの話や態度が、余りに大袈裟に思えましたから、まあ、自殺した江口のケータイを彼の部屋に置いておけば、それだけで済む話に思えたんです。だから、ケータイに付いた指紋を全部拭き取って、警察が引き上げた後を見計らって、江口の宿泊していた部屋のベッドの下に、ぽいとケータイを放りました。本当は、警察がここへ到着する前に、彼の部屋に置いておけば良かったんですけど、ちょっと間に合いませんでした」
これは、罪の意識のない人間のやる行動というものが、案外誰にも目撃されずにすんなり成功するという良い例だろうか。
「なぜだ。なぜ君は、そこまでリスキーな隠蔽工作を、高田さんの肩代わりにやってあげたんだ? 君だって、江口の部屋に忍び込んで、しかもベッドの下に彼の携帯電話を置くという怪しい姿を、偶然誰かに目撃でもされたら、君はその人に対して、後に警察に対して、何て言い訳をするつもりだったんだ」
あずさはきゅっと口を尖らせた。
「そんなこと、全く考えていませんでした。だってあたし、江口サダユキは自殺だって聞いていたし、まさか高田さんが殺人犯だなんて、あたし夢にも思いませんでしたし、きっと何かの拍子に、彼のケータイが高田さんのバッグに紛れ込んだんじゃないかなあって、気楽に考えていました。だってたかが遺留品の事ですよ?」
「たかが遺留品って。前にも言ったがな、変死体の遺留品は、犯罪立証の成否に大きく影響を及ぼす重要な証拠物件だ。君のやった事は、罪の意識の有無を問わず、まずいなんてもんじゃない」
「以後気をつけまーす」
「まあ、やってしまった事は仕方がない。それで、昨夜高田さんからの電話の中で、その事について話をしたの?」
「はい。一応はうまくいきましたからね。警察の捜査後に、江口のケータイが発見されたという、順番的におかしな事になってはしまいましたけど、江口サダユキ殺しの嫌疑が、高田さんに向けられてしまう事だけは、何とか回避できましたから」
わたくしは大きく腕を組んだ。
「なぜ高田さんのバッグに江口の携帯電話が入っていたのだろうか? それは普通に考えて、何者かがこのペンションに忍び込んで、高田さんのバッグに江口の携帯電話を入れたという事だろうか」
「ああそれは違います。さっきも言いましたけど、高田さんは昼ごろ一回、仕事を中抜けしてK坂の自宅へ帰るんです。そして、ショルダーバッグを車の中において、洗濯や皿洗いなどちょっとした家事と、軽い睡眠を取って、再び午後三時頃にはペンションに戻って来るんです。その数時間の間、車内に放置されたショルダーバッグに、何者かが江口のケータイを入れた可能性があると、本人も言っていました」
「何だいそれは。そんなの、彼女の行動パターンを熟知した、身近な人間の犯行じゃないか」
「ですよね」
「ですよねって」
『犯人は今や自分が透明人間にでもなった気でいる。犯人として誰からも意識されない透明な状態なのだから、今や君たちの回りを自由に行動している』
『いま君が言った透明人間という意味と、俺の言った透明人間という意味は、微妙にそのニュアンスが違うのだ』
そう言えば、敷島が妙な事を言っていたな。透明人間には、自由な透明人間と不自由な透明人間の二種類があり、バイフーは現在、不自由な透明人間に該当する。その不自由な透明人間は、昼に中抜けした高田の車に忍び寄り、誰も見ていない事を確認した後に、彼女のバッグに江口の携帯電話を入れた。この、中抜けした高田の車に忍び寄り、というのと、誰も見ていない事を確認してから、という二つの行動が、不自由な透明人間という事になるのだろうか。
ふと顔を横へ向けると、音もなく部屋のドアが開いていた。そのまま顔を上げると、ムスッとした仏頂面の岸本が、大きく腕を組んで立っているのが見えた。
「あ、オーナー。宗村さん起きましたよ」
あずさは嬉しそうにまた一つ、わたくしの隣にお尻を移動させた。岸本はそのままドア枠に左肩を預けた。
「宗村、恋人が出かけているのを良い事に、お前は一体何をやっているんだ。これはどう見たって、米元君にちょっかいを出しているとしか思えないぞ」
「あのなあ」
わたくしは右の手の平で顔を覆った。しかしこの時、ある事を岸本に聞いてみたくなった。
「ああそうだ岸本、また突然変な事を聞いてすまないが」
「なんだ、また心理テストか」
「心理テスト? ああ、そんなんじゃないが、君はこのペンションのどこかで、透明人間を見かけた事はないか?」
「ああ?」
わたくしと美咲の二人の関係が、恋人の役を演じているだけの、事実上男女の関係にない事を、こうもあっさりあずさに見透かされて、半ば腹いせのように口を衝いて出た彼女への猜疑の質問が、案に反してそっくりそのまま認め返されたとあって、わたくしは反対にやり返された形となった。
「やっぱり、そうでしたか」
あずさの唇から目が離せなかった。
「宗村さんは最初から、あたしがやったって気が付いていたんですね」
なぜだか急に部屋の中が狭く感じた。
「まさか、君が? 君が、そうなのか? 今までの全ての事件は、君の仕業なのか? 最初に天道葵を殺し、木原を殺し、二人を心中したように見せかけて、更には江口をも殺した」
あずさは表情一つ変える事無く、不気味な微笑みを続けていた。
「どうなんだ」
「正解です。それ、全部あたしがやりました」
今の今まで、どうとでもなる気でいたあずさが、ここへ来て急に三名の殺害を告白したとあって、わたくしは、少女の化けの皮を被った恐ろしい悪魔を前にしたように、その場から一歩も動けなくなった。
『相手は無類の殺し屋だ。君みたいなずぶの素人など、ひとたまりもないからな』
『木原たちにしても、今回の江口にしても、つまり彼らは犯人の存在を知っていて、犯人に接近し過ぎた結果、あっさりと殺されている』
敷島の警告の言葉の数々が、わたくしの頭の中をぐるぐると駆け巡った。バイフーの正体があずさだった事実を、こんな逃げ場のない密室の状況下で、しかも目撃者のない二人きりの状態で暴いてしまうとは、わたくしの行動が余りに軽率だったと言わざるを得ない。
わたくしは喉を動かして生唾を飲み込んだ。
「なーんちゃって!」
「え」
あずさは両手に小さな拳を作って、口元を隠した。
「びっくりしました宗村さん?」
「え」
「バカみたい、どうしてこんな子供じみたウソを真に受けるんですか? あたしがそんな殺人なんてするわけないじゃないですか」
わたくしは肩の力が入っていた事を意識した。
「ウソ?」
「はいウソです」
あずさは小指で前髪を左右に分けた。
「そ、そうか。なんだ。冗談だったのか」
わたくしはぎこちない笑顔を作って、ベッドに弱腰を落とした。
「そうだよな、君がそんな、殺人だなんて、できる玉じゃないよな。ああびっくりした。大人をからかうんじゃないよまったく」
「でも、ケータイを部屋に置いたのは本当です」
わたくしの笑顔が固まった。
「なに」
「頼まれたんです、高田さんに」
あずさは膝を合わせて足を伸ばした後、スリッパの爪先を天井に向けた。
「高田さんに頼まれただって? 江口の携帯電話を彼の部屋に置くようにって、彼女はそう君に頼んだのか?」
そのスリッパの爪先を左右交互に上下させた。
「置くようにと言うか、ケータイの処分について相談されたんです。ああでも、高田さんは、何も悪くないんです。だって、この件に関しては、高田さんだって被害者なんですから」
「高田さんが被害者? それは、どういう意味だ」
爪先を上下させ過ぎて、右足のスリッパが床へ落ちた。
「だって、高田さんのショルダーバッグに、突然見覚えのないケータイが入っていたんですから」
わたくしは右足を折ってベッドに乗せて、上半身をあずさの方へと向けた。
「それは、本当の話か?」
「本当です。息子さんのケータイとは色が違うし、旦那さんはそもそも折り畳み式のケータイだし、全く心当たりがなかったそうです」
「いつ、高田さんは見知らぬケータイに気が付いたんだ? それは当然、江口サダユキが死亡した後の話、なんだよな?」
「はい。昨日の午後三時半頃の話だそうです。高田さんの勤務は、通常朝六時から始まって、お客さんのチェックアウトが終わる十一時過ぎに、一旦自宅へ帰るんです。そして、中抜けから再び仕事場に戻って、身支度の為にバッグを開けたら、見覚えのないケータイが入っていて、それを手に小首を傾げたそうです。だけど、その時はあまり深く考えもせず、ケータイをまたショルダーバッグに入れて、普段の通り仕事着に着替えたそうです」
「ふん」
「そして、いつもの通り食堂から談話室へと、せっせと除菌モップを掛けていると、突然警察から電話が掛かってきて、江口サダユキがここ『アルプホルン』に宿泊しているのか、率直な確認があったそうです。
高田さんは嫌な予感がしたと言っていました。顔を曇らせたオーナーと電話を代わって、江口サダユキの自殺が次第に現実のものとなると、バッグの中の見覚えのないケータイが、もしかして江口のものではないかと、いよいよ高田さんは不安になって来て、まさか自分が江口殺害の容疑者か、共犯者として疑われる事になるのではないかと、嫌な汗が出て来たそうです」
「その携帯電話には、既に彼女の指紋が付いているだろうからな」
わたくしは腕を組んで、うんうんと何度も頷いた。
「そして何より、江口のケータイを高田さんのバッグに入れた犯人がいるとすると、その人物が江口を殺した犯人であり、その犯人から高田さんが濡れ衣を着せられそうになった事を考えると、その行為自体が次なる殺害予告を意味しているのではないかと、高田さんは電話の声を震わせていました。次はお前の番だと、白羽の矢が立ったような気分だと」
「次はお前の番? 高田さんは、江口の自殺を知った当時から、既に彼の他殺の線を考えていたって事か?」
「そういう事になるんでしょうか。とにかくその時のあたしは、高田さんの大袈裟な表現や、被害妄想的な言動に、ただただ唖然として聞いていました」
「江口を殺した犯人がいる。そいつは高田さんのバッグに江口の携帯電話を入れた。だから、彼女は怖くなって警察に自分の身の安全を求めた。そういう事か?」
「はっきりとは聞いていませんが、多分そういう事だと思います。高田さんは、自分が不在の間の後釜を探して、あたしの働いている旅館に電話をしてきました。何たってあたしは、中学の頃から何度もここでバイトをした経験がありますから、高田さんが急に長期休暇を取ったとしても、あたしが代わりにこのペンションで働きさえすれば、ここのオーナーである岸本さんや、現在宿泊しているお客さんには、何の影響もありませんから」
「そして君は、緊急のヘルプで呼ばれて来た上に、命を狙われ怯えた高田さんから、江口の携帯電話を彼の部屋に置くよう、協力を依頼されたという事か?」
あずさは両手を前に出して、左右に振った。
「置くようには頼まれていません。ただ、不審なケータイの処分について、内密に相談を受けていたんです」
わたくしは眉根を寄せた。
「内密だなんて、そんなコソコソなんかしていないで、正々堂々と警察に相談すれば良かったじゃないか」
あずさは閉じ合せた内腿に両手を差し入れた。
「あたしも高田さんにそう勧めました。江口サダユキは自殺したんだし、彼の遺留品がどこから出て来たって、それほど気にする人はいないと思います。確かに警察の人には変な顔はされるでしょうけど、でも誰かが高田さんのショルダーバッグに遺留品のケータイを入れたのは事実なんだし、正直にありのままを説明して、警察にケータイを届け出た方が、下手なウソを吐くよりもずっとましですよね」
「そうだ」
「だけど、高田さんは全然、あたしの言う事なんて聞き入れてくれませんでした。食堂の片隅で相談に乗っていたんですけど、とにかく何かに怯えている様子で、誰もいない窓の外や、廊下が見えるガラス戸の向こうを、頻りに気にしているのが印象的でした。そして、高田さんは口にはしませんでしたけど、江口のケータイを警察に渡すという行動が、よくは分かりませんが、何かしらの裏切り行為に当たるような、そんな後ろめたさがあるように感じました」
「裏切り行為?」
「あたしはその時、高田さんの話や態度が、余りに大袈裟に思えましたから、まあ、自殺した江口のケータイを彼の部屋に置いておけば、それだけで済む話に思えたんです。だから、ケータイに付いた指紋を全部拭き取って、警察が引き上げた後を見計らって、江口の宿泊していた部屋のベッドの下に、ぽいとケータイを放りました。本当は、警察がここへ到着する前に、彼の部屋に置いておけば良かったんですけど、ちょっと間に合いませんでした」
これは、罪の意識のない人間のやる行動というものが、案外誰にも目撃されずにすんなり成功するという良い例だろうか。
「なぜだ。なぜ君は、そこまでリスキーな隠蔽工作を、高田さんの肩代わりにやってあげたんだ? 君だって、江口の部屋に忍び込んで、しかもベッドの下に彼の携帯電話を置くという怪しい姿を、偶然誰かに目撃でもされたら、君はその人に対して、後に警察に対して、何て言い訳をするつもりだったんだ」
あずさはきゅっと口を尖らせた。
「そんなこと、全く考えていませんでした。だってあたし、江口サダユキは自殺だって聞いていたし、まさか高田さんが殺人犯だなんて、あたし夢にも思いませんでしたし、きっと何かの拍子に、彼のケータイが高田さんのバッグに紛れ込んだんじゃないかなあって、気楽に考えていました。だってたかが遺留品の事ですよ?」
「たかが遺留品って。前にも言ったがな、変死体の遺留品は、犯罪立証の成否に大きく影響を及ぼす重要な証拠物件だ。君のやった事は、罪の意識の有無を問わず、まずいなんてもんじゃない」
「以後気をつけまーす」
「まあ、やってしまった事は仕方がない。それで、昨夜高田さんからの電話の中で、その事について話をしたの?」
「はい。一応はうまくいきましたからね。警察の捜査後に、江口のケータイが発見されたという、順番的におかしな事になってはしまいましたけど、江口サダユキ殺しの嫌疑が、高田さんに向けられてしまう事だけは、何とか回避できましたから」
わたくしは大きく腕を組んだ。
「なぜ高田さんのバッグに江口の携帯電話が入っていたのだろうか? それは普通に考えて、何者かがこのペンションに忍び込んで、高田さんのバッグに江口の携帯電話を入れたという事だろうか」
「ああそれは違います。さっきも言いましたけど、高田さんは昼ごろ一回、仕事を中抜けしてK坂の自宅へ帰るんです。そして、ショルダーバッグを車の中において、洗濯や皿洗いなどちょっとした家事と、軽い睡眠を取って、再び午後三時頃にはペンションに戻って来るんです。その数時間の間、車内に放置されたショルダーバッグに、何者かが江口のケータイを入れた可能性があると、本人も言っていました」
「何だいそれは。そんなの、彼女の行動パターンを熟知した、身近な人間の犯行じゃないか」
「ですよね」
「ですよねって」
『犯人は今や自分が透明人間にでもなった気でいる。犯人として誰からも意識されない透明な状態なのだから、今や君たちの回りを自由に行動している』
『いま君が言った透明人間という意味と、俺の言った透明人間という意味は、微妙にそのニュアンスが違うのだ』
そう言えば、敷島が妙な事を言っていたな。透明人間には、自由な透明人間と不自由な透明人間の二種類があり、バイフーは現在、不自由な透明人間に該当する。その不自由な透明人間は、昼に中抜けした高田の車に忍び寄り、誰も見ていない事を確認した後に、彼女のバッグに江口の携帯電話を入れた。この、中抜けした高田の車に忍び寄り、というのと、誰も見ていない事を確認してから、という二つの行動が、不自由な透明人間という事になるのだろうか。
ふと顔を横へ向けると、音もなく部屋のドアが開いていた。そのまま顔を上げると、ムスッとした仏頂面の岸本が、大きく腕を組んで立っているのが見えた。
「あ、オーナー。宗村さん起きましたよ」
あずさは嬉しそうにまた一つ、わたくしの隣にお尻を移動させた。岸本はそのままドア枠に左肩を預けた。
「宗村、恋人が出かけているのを良い事に、お前は一体何をやっているんだ。これはどう見たって、米元君にちょっかいを出しているとしか思えないぞ」
「あのなあ」
わたくしは右の手の平で顔を覆った。しかしこの時、ある事を岸本に聞いてみたくなった。
「ああそうだ岸本、また突然変な事を聞いてすまないが」
「なんだ、また心理テストか」
「心理テスト? ああ、そんなんじゃないが、君はこのペンションのどこかで、透明人間を見かけた事はないか?」
「ああ?」
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