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死にゆくクレーマー
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山頂から吹き下ろす突風が、固定循環式の折返装置の顎下を抜けて行った。行き来する座席が波を打って、セーフティーレバーがサスペンダーを叩く高い金属音が、その場の雰囲気を一層不気味なものに変えた。
「仕事にケチをつけたって、どう言う意味ですか?」
美咲は操作室の方へと回り込むように滑った。
「どう言う意味も何も、あいつは性格が悪いんだ」
柵はキュービクルのガラス窓の中にある、電力需給用計器や計器用変圧器のデジタル表示に目を凝らした。
「普段カメラの前では、宝くじが当たったドッキリを仕掛けられて、一日中誰とも口を利かない様子で会場を沸かしたり、アラスカへ行ってシロクマが出たぞってんでお風呂から飛び出して氷の上を走ったり、俺も腹を抱えて笑わしてもらったが、昨日のあいつの態度を見る限りでは、あれは人気者になって調子に乗っている感じだったな。俺はその事でずっとむしゃくしゃしていたんだ」
『ちょっと売れたからって、調子に乗っとるんとちゃうか!』
宿泊客のカップルと口論をしていた、江口の最初で最期の姿を思い出した。それから、紅ズワイガニの甲羅焼きが食べたいから用意しろと、岸本に無理を言う辺りも、彼が調子に乗っていた現れだろう。
「江口サダユキは、具体的にどんな事にケチをつけてきたんですか?」
はい検温終わり、と操作室に上半身を入れて、壁にバインダーを掛けて戻って来た柵を、美咲が待ち構えていた。
「ああ? ああ、まあ下らねえ、ホントつまんねえ事で奴とやり合ったんだ。俺は今思い出しただけでも、あの時の事が腹立つんだ」
頭に積もった雪を払って、ポケットから灰色のアクリルニット帽を取り出すと、前髪を掻き上げてそれを被った。
「あいつはだな、リフト乗り場の表示位置で待機していたかと思うと、座席の雪を指差して、俺の服を強く引っ張ったんだ」
「雪?」
我々の間を再び暴風が通過して、会話が一時中断となった。緊張滑車上部の単管にフランジ接続された、飛行機の形をした風向風速計が、プロペラを高速回転させた。
「座席の雪って、普通払わないんですか?」
美咲は、H鋼の柱に立て掛けた竹ぼうきに目を向けた。
「払うさあ。夜間に積もった座席の雪を、朝一の試運転で一払い。そんだけ。後はこの通りフードがあるから、ほとんど払う必要はない」
わたくしはグローブの手を叩いた。
「じゃあ、みんなフードを付けてしまえば、仕事が楽になるのでは」
柵はわたくしの肩に大きな手を置いた。
「違うんだな兄ちゃん。フードってのは非常に便利だが、風が吹き始めて真っ先に運休になるのがこいつだ。全部のリフトにフードが付いていたら、シーズン中の半分は運休になっちまう」
「そ、そうなんですか?」
わたくしは、風の日にフード付きリフトが運休するなんて、フード付きの意味が無いんじゃないかと頭を掻いた。
「まあ昨日は横殴りの吹雪だったから、多少は座席に雪はないでもなかった。だからって、そんな事で一々因縁をつけてくる奴なんて、今までお目にかかった事がない。吹雪の日にゃどこもかしこも雪まみれだ。座席に多少の雪があったって、普通そんなに気にしないだろう?」
「ケチをつけられて、それで柵さんは、どうしたんですか?」
美咲は、竹ぼうきを取りに行く柵の背中を追った。彼は顔だけ振り向いて、操作室の窓を顎で指した。
「どうしたかだって? わざわざリフトを停めて、座席の雪をホウキで払ったさ。厭味たっぷりにな。そうしたらあいつ、礼も言わずに悠然と一人で乗って行きやがった」
柵は竹ぼうきを手に取って、アメリカの警官が警棒で手の平を叩くような真似をした。
「その時、その男が江口サダユキだって、分かっていたんですか?」
柵は竹ぼうきを肩に担いで、質問をして来たわたくしの顔を見下ろした。
「あれでも芸能人だからな、ゴーグルにフェイスマスクをばっちりキメて、その時は誰だか分からなかった」
「え」
『しかし娘の話では、江口さんは特に顔を隠す様子もなく、堂々と女性と話をしていたそうなんです』
久慈の娘がゲームコーナーで目撃した、江口の大胆な行動と話が食い違っている。
「それから後になって、俺がこの目で江口サダユキの遺体を見た時、あああの時ケチをつけた奴が、江口サダユキだったんだって、合点が行ったんだ」
美咲は小さい顎にグローブの指を当てた。
「リフトに乗る時には気が付かなくて、遺体を見た時に初めて江口サダユキだって気が付いたんですか?」
柵は斜め上を見てから、頷いた。
「そうだ。時間的に言えば、いちゃもんをつけた奴が上の降り場へ到着する時間と大体合っていたし、何しろ自殺した江口は一人でリフトに乗っていたし、ロクハチの青いウェアと、高そうなダイスのゴーグルが同じだったし、まあ間違いない」
美咲の目がいつになく真剣になった。
「どうした、なんか変な事を言ったか?」
「いえ、違うんです、そうですか、江口は柵さんにケチをつけた後で首吊り自殺をしたんですね。でも、どうして江口の遺体を見る事ができたんですか? 柵さんがリフト乗り場で仕事をしていれば」
「ああ、その事ね。警察にも昨日同じ質問を受けたんだ。いいか? 俺らリフト係は四人一組で仕事を回すんだ。乗客補助、降客補助、リフト操作、休憩、乗客補助って具合に三十分間隔で交代する。江口をリフトに乗せた後しばらくすると、休憩を終えた留学生のカーチスが欠伸をしながらやって来たから、俺は次の降客補助と交代するために、一人リフトに乗ったんだ。そうしたら風もないのにすぐに制動機が働いてリフトは停止、そのまま全く動く気配がなくなった。簡易無線で上と連絡を取ると、江口サダユキの首吊り遺体が見つかったって聞いて、俺は諦めて煙草を吸い始めたってわけ」
美咲は大きく腕を組んで、やや視線を落とした。
「もういいか? お前らこれに乗るんだろ? あんまり回していると他の客が勘違いして中へ入って来ちまう」
「ああはいすいません、すぐに乗ります。では最後に一つだけ、江口サダユキがリフトに乗る際、乗車を待つ客はどの程度いましたか?」
美咲はリフト乗り場の停止位置へ移動して、背中を回り込む柵を振り返った。わたくしも板を履いて歩くような形でそれに倣う。
「うん? リフト乗り場で待っていた客だって? さてどうだったかな? 悪天候の昼過ぎだったし、そんなに並んでいなかったと思うが。まああっても三、四人程度だな。それが、どうかしたか?」
「そうですか。まあ、江口サダユキがいちゃもんをつけて時間を稼いだとしても、それ程ほかの乗客には迷惑は掛からなかったという事ですね」
柵は仕事の立ち位置についた。昨日我々が乗車した時には別のリフト係がそこに立っていたという事になるが、正直どんな係員だったか全然覚えていない。
「ああそう言う事か。待っている客には掛かっていないが、乗っている客には迷惑はかかっただろうな。おう、雪、払わねえぞ。その方が都合が良いんだろう?」
美咲とわたくしは昨日と同じようにリフトに乗った。わたくしはやはり昨日と同じように座席で膝の裏を打った。これが結構痛い。それから首を振って座席を確かめると、座席の継ぎ目に吹き溜まりのような白い物が見られた。しかしそれはやはり、通常ケチをつける程のものではなかった。
「江口サダユキは自殺したんだ、間違いない。何たって奴はひとっ言も喋らなかったんだからな。相当一人で思い詰めていたに違いない」
大声に振り返ると、係員詰め所へ入って行く柵の遠ざかる姿が見えた。
「さっきの質問で、何か分かった?」
鋼製のケーブルが、受索と圧索に挟まれながら通過する時の、きゅるきゅるという軋む音と共に、座席はぐんぐんゲレンデ上空へと浮上して行った。美咲はセーフティーバーへ手を伸ばしたが、それからフードには一切手を付けなかった。
「興味深い情報は得られました。江口サダユキの行動に不可解な点が多数見られます」
体を捩ってヒップパックのチャックを開けると、中から様々な計器を取り出して、美咲はそれらを腿の上に置いた。
「江口のいちゃもんだろう? 座席にちょっと雪がついていたくらいで、普通ケチをつけるかね」
レーザー距離計を取り出して、それをマジックテープで手すりに固定し、そのケーブルを手の平サイズのデータロガーに繋いだ。
「それはわたしも同感です。神経質と言えばそれまでですが、何だか妙に引っかかります。これから自殺をするのであれば、そんなのどうでも良い事ですし、ゴーグルにフェイスマスクを着用しているという事は、芸能人である事を隠していたと思われます。しかし、リフト係にケチをつけて騒ぎを起こして周囲の注目を集めるなど、相反する行動をとっています」
レーザー距離計は、座席と目下の雪との距離データを集積するらしい。他にもクリップ付の全天球カメラを背凭れにセットし、携帯電話と接続して映像の記録を始めた。
『今回の調査目的は、実際に犯行の行われたリフトに乗る事にあります。そして、現場でしか分からない情報をとにかくデータ化します』
美咲がデータデータと言っていた意味が、せいぜいリフトから見た地形を手帳に書く程度にわたくしは考えていたが、更に設置を開始している風向風速計、超広帯域電磁波メーターなどを見る限りでは、データ化とは伊達や酔狂で言った言葉ではないらしかった。
「江口は何かの意図があって、わざと係員にいちゃもんをつけたような気もするね」
「意図?」
データロガーを配線しながら、美咲は目を上げた。
「そう。例えば江口は、時間稼ぎの為に、わざとリフト係にからんだ」
「時間を稼ぐには、あまりに短い時間ではないでしょうか? そもそも、時間を稼ぎたいなら、リフト乗り場の手前で待機していれば済む話です」
美咲はデータロガーの波形を読んで、こちらに目を向けさえしなかった。
「まあそうだね」
「でも、江口が何らかの目的があってわざとケチをつけたというのは、間違った考えではないと思います。自分の乗るリフトの順番を敢えて変えたとか、係員ともめる事自体が目的だったとか、そこまでは今のところ分かりませんが」
わたくしもデータロガーの画面を覗き込んだ。それは電位の周期的変化を波形で表示するオシロスコープにも似ていた。
「それから宗村さん、何か忘れてはいませんか? ペンション宿泊客の久慈理穂の目撃談です」
「うん、江口は美人の女性と一緒にいたって、あれか。そう言えば江口は、なんで女と待ち合わせた後で、一人でリフトに乗ったんだ?」
「しかも彼はその後に首を吊った変死体として発見されています。その女は江口とゲームコーナーを立ち去った後、一体どこへ消えたのでしょうか」
合計四種類の測定器をリフトの座席に広げた美咲の姿は、索道メーカーの技術スタッフと言っても通用しそうだった。
「その女がもしや晦冥会の暗殺者『バイフー』だったとすると、次に彼女が我々の前に姿を現したのが、視界ゼロの吹雪のゲレンデであり、君と正面衝突をして所持品をぶちまけた」
支柱の天頂部には電線が架設され、脱索防止各装置のデータ送受信が行われていた。
「衝突の衝撃でわたしは遠くへ吹き飛ばされて動けませんでしたから、その女の顔を見る事が叶わなかったのですが、どうですか、その顔を見たという宗村さん、その女は久慈理穂の言うような美人でしたか?」
わたくしは顎にグローブの指を当てた。
「うーん、多分ね。顔よりも目の色が変わったように見えて、そっちの方が印象的だった。でも、恐らくは久慈の娘が目撃した美人と同一人物に間違いないと思う。何て言うんだろう、男って遥か遠い位置からでも美人って雰囲気で分かるんだよね」
美咲が波形から顔を上げた。
「すごい力」
「まあ男って言うのは思春期の頃からそんなのばっかり興味があるからね。校舎の屋上からグラウンドの女子を眺めて、いち早くかわいい娘を探して自慢するってのもやっていたな」
わたくしはスノーボードをぶらつかせた。
「あまり感心できませんけど。でもまあ今回は宗村さんのその特殊な能力が発揮されて、ゲームコーナーで江口と接近していた美女がわたしと衝突した女と同一人物である可能性が高い事が分かりました。そしてその女は衝突の衝撃によって、晦冥会の会員証を落として行った」
わたくしは手すりに左腕を乗せた。
「そうだ、昨夜見せてもらった晦冥会の会員証だよ。それって、一体誰のカードだか分かった?」
美咲は電磁波メーターのヒストグラムに首を傾げて、ガウスセンサーを覗き込んだ。
「会員証のIDを入手しても、晦冥会のサーバーは一流プログラマーに守られていますから、幾らなんでもわたしの手には負えません。ですから昨日の内にSТGの本部へ連絡して、会員証にあるID番号と用途不明な数字の配列を伝えました。彼らはバックドアと呼ばれるハッキングの一種を駆使し、晦冥会の会員名簿から会員証の名前を割り出したそうです」
「え! すごいねSТG。それで、そのカードは誰のものだった?」
美咲は真っ直ぐに顔を上げて、雲の中にあるだろう山頂の辺りへ目を上げた。
「ついさっき本部から連絡のあったその女性の名前は、一年前わたしが晦冥会の秘密の部屋で見つけた謎の名簿にあった、不知火忍でした」
「仕事にケチをつけたって、どう言う意味ですか?」
美咲は操作室の方へと回り込むように滑った。
「どう言う意味も何も、あいつは性格が悪いんだ」
柵はキュービクルのガラス窓の中にある、電力需給用計器や計器用変圧器のデジタル表示に目を凝らした。
「普段カメラの前では、宝くじが当たったドッキリを仕掛けられて、一日中誰とも口を利かない様子で会場を沸かしたり、アラスカへ行ってシロクマが出たぞってんでお風呂から飛び出して氷の上を走ったり、俺も腹を抱えて笑わしてもらったが、昨日のあいつの態度を見る限りでは、あれは人気者になって調子に乗っている感じだったな。俺はその事でずっとむしゃくしゃしていたんだ」
『ちょっと売れたからって、調子に乗っとるんとちゃうか!』
宿泊客のカップルと口論をしていた、江口の最初で最期の姿を思い出した。それから、紅ズワイガニの甲羅焼きが食べたいから用意しろと、岸本に無理を言う辺りも、彼が調子に乗っていた現れだろう。
「江口サダユキは、具体的にどんな事にケチをつけてきたんですか?」
はい検温終わり、と操作室に上半身を入れて、壁にバインダーを掛けて戻って来た柵を、美咲が待ち構えていた。
「ああ? ああ、まあ下らねえ、ホントつまんねえ事で奴とやり合ったんだ。俺は今思い出しただけでも、あの時の事が腹立つんだ」
頭に積もった雪を払って、ポケットから灰色のアクリルニット帽を取り出すと、前髪を掻き上げてそれを被った。
「あいつはだな、リフト乗り場の表示位置で待機していたかと思うと、座席の雪を指差して、俺の服を強く引っ張ったんだ」
「雪?」
我々の間を再び暴風が通過して、会話が一時中断となった。緊張滑車上部の単管にフランジ接続された、飛行機の形をした風向風速計が、プロペラを高速回転させた。
「座席の雪って、普通払わないんですか?」
美咲は、H鋼の柱に立て掛けた竹ぼうきに目を向けた。
「払うさあ。夜間に積もった座席の雪を、朝一の試運転で一払い。そんだけ。後はこの通りフードがあるから、ほとんど払う必要はない」
わたくしはグローブの手を叩いた。
「じゃあ、みんなフードを付けてしまえば、仕事が楽になるのでは」
柵はわたくしの肩に大きな手を置いた。
「違うんだな兄ちゃん。フードってのは非常に便利だが、風が吹き始めて真っ先に運休になるのがこいつだ。全部のリフトにフードが付いていたら、シーズン中の半分は運休になっちまう」
「そ、そうなんですか?」
わたくしは、風の日にフード付きリフトが運休するなんて、フード付きの意味が無いんじゃないかと頭を掻いた。
「まあ昨日は横殴りの吹雪だったから、多少は座席に雪はないでもなかった。だからって、そんな事で一々因縁をつけてくる奴なんて、今までお目にかかった事がない。吹雪の日にゃどこもかしこも雪まみれだ。座席に多少の雪があったって、普通そんなに気にしないだろう?」
「ケチをつけられて、それで柵さんは、どうしたんですか?」
美咲は、竹ぼうきを取りに行く柵の背中を追った。彼は顔だけ振り向いて、操作室の窓を顎で指した。
「どうしたかだって? わざわざリフトを停めて、座席の雪をホウキで払ったさ。厭味たっぷりにな。そうしたらあいつ、礼も言わずに悠然と一人で乗って行きやがった」
柵は竹ぼうきを手に取って、アメリカの警官が警棒で手の平を叩くような真似をした。
「その時、その男が江口サダユキだって、分かっていたんですか?」
柵は竹ぼうきを肩に担いで、質問をして来たわたくしの顔を見下ろした。
「あれでも芸能人だからな、ゴーグルにフェイスマスクをばっちりキメて、その時は誰だか分からなかった」
「え」
『しかし娘の話では、江口さんは特に顔を隠す様子もなく、堂々と女性と話をしていたそうなんです』
久慈の娘がゲームコーナーで目撃した、江口の大胆な行動と話が食い違っている。
「それから後になって、俺がこの目で江口サダユキの遺体を見た時、あああの時ケチをつけた奴が、江口サダユキだったんだって、合点が行ったんだ」
美咲は小さい顎にグローブの指を当てた。
「リフトに乗る時には気が付かなくて、遺体を見た時に初めて江口サダユキだって気が付いたんですか?」
柵は斜め上を見てから、頷いた。
「そうだ。時間的に言えば、いちゃもんをつけた奴が上の降り場へ到着する時間と大体合っていたし、何しろ自殺した江口は一人でリフトに乗っていたし、ロクハチの青いウェアと、高そうなダイスのゴーグルが同じだったし、まあ間違いない」
美咲の目がいつになく真剣になった。
「どうした、なんか変な事を言ったか?」
「いえ、違うんです、そうですか、江口は柵さんにケチをつけた後で首吊り自殺をしたんですね。でも、どうして江口の遺体を見る事ができたんですか? 柵さんがリフト乗り場で仕事をしていれば」
「ああ、その事ね。警察にも昨日同じ質問を受けたんだ。いいか? 俺らリフト係は四人一組で仕事を回すんだ。乗客補助、降客補助、リフト操作、休憩、乗客補助って具合に三十分間隔で交代する。江口をリフトに乗せた後しばらくすると、休憩を終えた留学生のカーチスが欠伸をしながらやって来たから、俺は次の降客補助と交代するために、一人リフトに乗ったんだ。そうしたら風もないのにすぐに制動機が働いてリフトは停止、そのまま全く動く気配がなくなった。簡易無線で上と連絡を取ると、江口サダユキの首吊り遺体が見つかったって聞いて、俺は諦めて煙草を吸い始めたってわけ」
美咲は大きく腕を組んで、やや視線を落とした。
「もういいか? お前らこれに乗るんだろ? あんまり回していると他の客が勘違いして中へ入って来ちまう」
「ああはいすいません、すぐに乗ります。では最後に一つだけ、江口サダユキがリフトに乗る際、乗車を待つ客はどの程度いましたか?」
美咲はリフト乗り場の停止位置へ移動して、背中を回り込む柵を振り返った。わたくしも板を履いて歩くような形でそれに倣う。
「うん? リフト乗り場で待っていた客だって? さてどうだったかな? 悪天候の昼過ぎだったし、そんなに並んでいなかったと思うが。まああっても三、四人程度だな。それが、どうかしたか?」
「そうですか。まあ、江口サダユキがいちゃもんをつけて時間を稼いだとしても、それ程ほかの乗客には迷惑は掛からなかったという事ですね」
柵は仕事の立ち位置についた。昨日我々が乗車した時には別のリフト係がそこに立っていたという事になるが、正直どんな係員だったか全然覚えていない。
「ああそう言う事か。待っている客には掛かっていないが、乗っている客には迷惑はかかっただろうな。おう、雪、払わねえぞ。その方が都合が良いんだろう?」
美咲とわたくしは昨日と同じようにリフトに乗った。わたくしはやはり昨日と同じように座席で膝の裏を打った。これが結構痛い。それから首を振って座席を確かめると、座席の継ぎ目に吹き溜まりのような白い物が見られた。しかしそれはやはり、通常ケチをつける程のものではなかった。
「江口サダユキは自殺したんだ、間違いない。何たって奴はひとっ言も喋らなかったんだからな。相当一人で思い詰めていたに違いない」
大声に振り返ると、係員詰め所へ入って行く柵の遠ざかる姿が見えた。
「さっきの質問で、何か分かった?」
鋼製のケーブルが、受索と圧索に挟まれながら通過する時の、きゅるきゅるという軋む音と共に、座席はぐんぐんゲレンデ上空へと浮上して行った。美咲はセーフティーバーへ手を伸ばしたが、それからフードには一切手を付けなかった。
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「江口のいちゃもんだろう? 座席にちょっと雪がついていたくらいで、普通ケチをつけるかね」
レーザー距離計を取り出して、それをマジックテープで手すりに固定し、そのケーブルを手の平サイズのデータロガーに繋いだ。
「それはわたしも同感です。神経質と言えばそれまでですが、何だか妙に引っかかります。これから自殺をするのであれば、そんなのどうでも良い事ですし、ゴーグルにフェイスマスクを着用しているという事は、芸能人である事を隠していたと思われます。しかし、リフト係にケチをつけて騒ぎを起こして周囲の注目を集めるなど、相反する行動をとっています」
レーザー距離計は、座席と目下の雪との距離データを集積するらしい。他にもクリップ付の全天球カメラを背凭れにセットし、携帯電話と接続して映像の記録を始めた。
『今回の調査目的は、実際に犯行の行われたリフトに乗る事にあります。そして、現場でしか分からない情報をとにかくデータ化します』
美咲がデータデータと言っていた意味が、せいぜいリフトから見た地形を手帳に書く程度にわたくしは考えていたが、更に設置を開始している風向風速計、超広帯域電磁波メーターなどを見る限りでは、データ化とは伊達や酔狂で言った言葉ではないらしかった。
「江口は何かの意図があって、わざと係員にいちゃもんをつけたような気もするね」
「意図?」
データロガーを配線しながら、美咲は目を上げた。
「そう。例えば江口は、時間稼ぎの為に、わざとリフト係にからんだ」
「時間を稼ぐには、あまりに短い時間ではないでしょうか? そもそも、時間を稼ぎたいなら、リフト乗り場の手前で待機していれば済む話です」
美咲はデータロガーの波形を読んで、こちらに目を向けさえしなかった。
「まあそうだね」
「でも、江口が何らかの目的があってわざとケチをつけたというのは、間違った考えではないと思います。自分の乗るリフトの順番を敢えて変えたとか、係員ともめる事自体が目的だったとか、そこまでは今のところ分かりませんが」
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わたくしは手すりに左腕を乗せた。
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美咲は電磁波メーターのヒストグラムに首を傾げて、ガウスセンサーを覗き込んだ。
「会員証のIDを入手しても、晦冥会のサーバーは一流プログラマーに守られていますから、幾らなんでもわたしの手には負えません。ですから昨日の内にSТGの本部へ連絡して、会員証にあるID番号と用途不明な数字の配列を伝えました。彼らはバックドアと呼ばれるハッキングの一種を駆使し、晦冥会の会員名簿から会員証の名前を割り出したそうです」
「え! すごいねSТG。それで、そのカードは誰のものだった?」
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青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
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