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運命を変える力
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りおは、己の姿が映った姿見の前に立って、小刻みに前髪を震わせていた。その鏡の中のもう一人の彼女の背後に、魑魅魍魎たちの黒い頭数が、うっかり映り込みそうな奇体な感覚を味わった。
『わたしはこの透視能力を使って、世の中の困っている人を助けたかったのです。他の人には真似の出来ないこの特殊な能力は、困っている人の人生を豊かにする、そう信じて必死に透視の活動を行った結果、尊い四名の人命は奪われたのです。
わたしは、そのような血塗られた未来を望んではいなかった。わたしは自分がいじめに遭ったからと言って、そのいじめた彼女らを死んでしまえとは思わなかった。
彼女たちは、呪われた能力者と同じクラスとなり、いじめを通じて能力者と深く関わってしまったが為に、その尊い人生に終止符を打たされてしまったのです。
もしもわたしと関わる事がなければ、彼女らはこの先学業を修め、それぞれ不安と期待を胸に就職して、素敵な男性と巡り合い、仲間たちから祝福されながら結婚、そして可愛い赤ちゃんを授かった事でしょう。そしてその子にお乳をあげながら、ほんわりと満たされた幸福の時間の中で、まさか十年前にクラスメートの内履きを隠した事などは思い出さないでしょう。
それほどいじめとは罪の意識がないものです。いじめ、それはもしかしたら人間の本能の一部であり、法律や規律で律さられなければ自然に子供たちの間に生まれ出づるもの。若気の至りとはよく言ったもので、彼女らに靴を隠す罪の重さは頭になかった。いじめに対しての教育が十分になされなかった。生まれたままの本能から発芽したいじめの芽が規律の整備の整わなかった世界でみるみる開花しある種暴徒化した彼女らに一体どんな罪があったのでしょうか。いじめの問題の全ては話し合いや教育、いじめを打ち上げる規律の取り決めで解決が可能だったはずです。
それがわたしの未熟な能力者としての無責任さによって、彼女の幸福の全てが完全に破壊されてしまったのです。わたしの犯した大罪の下敷きになって息を引き取った彼女らに対して、わたしは一体何とお詫びをしたら良いのでしょうか。
突然の四名の変死者を出した教室の次の日は、異様な光景が広がっていました。六年生のクラスを受け持つ女の先生が、臨時の担任の先生として四年生のわたしの教室に顔を出した時、先生は丸眼鏡を下へずらして、意外な顔を見せました。なぜなら教室の机にはわたし一人だけが座っていたからです。
わたしがいじめを受けていたという事実はクラスのみんなが承知していました。そして、消極的にではありましたが、みんなはわたしの事を無視するなどいじめに加担していたと言っても過言ではありません。そこへ来ていじめを指示していたクラスの三人の主犯格が突然変死、警察でも説明のつかない猟奇的な解剖結果、落ち着く間もなく発生した担任の先生の不可解な自殺、それらは恐ろしい呪いの力としてクラスのみんなをただただ恐怖のどん底へ突き落したのだと思います。いつなんとき自分たちの身にも恐ろしい呪いが降り掛かって来るのか、そうガタガタと布団の中で震え上がっているみんなの姿が容易に想像できました。
クラスのみんなは当然わたしが四人の人間を呪い殺したのだと思ったに違いありません。特に良子ちゃんなんかはわたしの予知能力によっていじめの難から逃れられていた事実がありますから、その人知を超えた能力がいじめの復讐の為に悪用されて、いじめっ子たちは一瞬で呪い殺されたのだとそう考えたと思います。
それほどみんなが黒魔術か何かのようにわたしの能力を忌み恐れ、悪魔の手先のようなわたしをどうにかしてこの世から排除して欲しいと願ったと思います。しかしその一方で、わたしの呪いの報復のまだ続く事を警戒してか、警察による事情聴取や、心配した親の問い掛けに対しても、不登校を繰り返す恐怖の中身について、誰一人として証言する人はありませんでした。
警察は、教室で一人座っている異様な光景に目を大きくしながら、変死した彼女らとの関係など、一般的な事情聴取をわたしに行いました。その時にはいじめに関する質問は一切ありませんでした。しかし、今現在の状況証拠から考えて、わたしの存在の異常さ、なぜわたしだけが三人のクラスメートの変死の現実に恐れをなさずに登校しているのか、その点が警察の人の心に引っ掛かっているようでした。一通りの事情聴取が終わっても尚、刑事さんはいつまでもわたしの暗く落ち込んだ表情に鋭い目を向けていました。きっと、彼女らを殺したのは君ではないか? その質問が喉まで出かかっていたと思います。しかし、大人たちが最も大切にする事実や証拠の数々には、それを許さないだけの他殺が不可能な証拠や証言が揃っていましたから、それ以来刑事さんはわたしの前に姿を現しませんでした。
結局わたしは法律から見ても学校側から見ても何の嫌疑も掛けられないまま、彼女らは異状死として報告書がまとめられました。犯罪が明らかであれば、これは警察が犯罪捜査として行う事になりますが、今回は犯罪かどうか分からない事例となりました。
わたしはけれども人として当たり前の自戒の念と、教室で一人自習をさせられる不毛の日々から、とうとう学校へ登校する事が途絶えてしまいました。当時の学校関係者は、校舎内で発生した先生の自殺の後処理や、四年生ほぼ全員の謎の登校拒否の問題の対応で四苦八苦していて、わたしの不登校にまで手が回らない状態でした。そこへ来て、父の会社の新工場立ち上げなどの都合があり、わたしは不登校のそのままで他校へ転校する事に決まりました。
その夜、わたしはいつものように別の世界へ行って、亡き母と再会していました。母は毎日変わらぬ優しい表情を作って、縋り来る我が子の頭を撫でてくれました。わたしは安らかな気持ちで母の顔を見上げ、お互い微笑み合いました。
その時です。わたしは母の目の奥に誰か別人がこちらを覗き込んでいるような錯覚を覚えました。それは木に竹を接いだような、柔らかい表情とは全く別物の冷酷な生き物の目でした。わたしはこの時やっと気が付いたのです。わたしが縋っているその体は、母のものではなかった。なぜ今の今までソレがわたしの母だと認識していたのか不思議に思うくらい、体の正面だけが母の姿に変わった恐ろしい擬態の悪魔だったのです。わたしはもはや完全に奴らに背中を取られていたのです。なんて愚かだったのでしょう。なんて未熟だったのでしょう。わたしはわたしの心の弱さ、経験の乏しさから、悪魔に心を盗まれていたのです。
わたしは大粒の涙を左右に飛ばしながら、晦冥の荒野を必死に走りました。背中からわたしの名を呼ぶ禍々しい生き物の声が迫って来ます。全てが恐ろしくて、全てが悔しくて、顎がガクガクと震えて止まりません。わたしはこの世の境を飛び越えて、重い鉄の扉の隙間を閉じると、最後は背中を使って扉を押さえました。すぐに分厚い扉の内側から、長い爪で鉄を引っ掻くような嫌な音が聞こえてきました。わたしは両目から涙を流して、両鼻から鼻水を流して、白い歯をがちがちと食いしばりました。なんて事をしてしまったのでしょう、わたしは知らず知らずの内に悪魔の類と同盟を結んでしまっていたのです』
りおの話を聞く内に、わたくしはこれと似たような話を思い出した。
透視ができるという友人がいて、その透視能力は確かに本物としか思えなかった。しかしその男は精神が不安定で破滅的だった。ある日有名な霊能力者にこの事を相談すると、それは彼の能力ではなく、彼と似た怨念をもったこの世のものではない存在の証言だと言うのだ。その男は結果的に精神科医に入院し、すっかり精神の状態が良くなって退院して来た。それ以来彼には透視能力が失われて、普段の生活が送れるようになった。
この話を聞いた当時、わたくしは単なる都市伝説の一つに過ぎないと、よく考えもせずにこの話を片付けていた。しかし、今のりおの話の聞いた後では、一時的な透視能力を持った男の話は、強ち作り話とは言い切れなくなった。
『わたしはそれ以来、もう一つへと通じる鉄の扉に、青銅の閂を横に刺して、鉄の鎖でがっちりと施錠をしました。そして、晦冥の荒野へ行くという禁断の行為、つまり透視能力を完全に封印したのです。もう、あんな恐ろしい過ちは決して起こしてはならない』
りおは姿見に歩み寄って、鏡の中の自分と顔を寄せ合った。
「しかし、それじゃあ、どうして今回美咲の透視を」
りおはコクーンスカートの左のポケットに手を忍ばせて、その中から四つ折りにした画用紙を取り出した。それを無言で差し出すりおの白い顔と、質問に対する回答の役割を持った画用紙とを、交互に見比べた。
「開いて見て下さい」
りおの顔から目を離さないようにして、わたくしは一つ二つと画用紙を開き、それを水銀灯の光に照らした。
「これは」
画用紙の中央には、先程の透視画のような構築的な素描で、中国人風の美女が描かれていた。シミのついたコンクリートの外壁の窓には、刑務所で見るような鉄格子が嵌っている。堅そうな木の椅子に座った女は、修道服らしき衣装に足を組み、頬杖を突いている。その顔の殆どが逆光となってはいるが、悲しみとも怒りともつかない表情が印象的だった。
『おじさん、そこに描かれた女性が誰だか、もうお分かりですよね?』
わたくしは画用紙から顔を上げた。
「これは、昨日のスキー場で美咲と衝突した女、不知火忍だ」
りおは姿見から離れて、ベッドの上に腰を下ろすと、スカートの足を前へ伸ばした。
『晦冥会の伝説のバイフーでありながら、突如として晦冥会から脱走、このペンションで天童葵として逃亡生活を送った後、四週間前からとても恐ろしい犯罪を繰り返している不知火忍さん。おじさんも美咲さんも刑事さんも、彼女の行方を追っているのですよね? 江口サダユキが殺害されて、二人のバイフーが返り討ちに遭って、今度は美咲さんも』
わたくしは不知火の素顔を深く観察した。間違いない、この女こそ昨日に美咲と衝突し、不知火の隠れ家で火炎瓶を投げつけた女だ。
「これも、透視能力なのか?」
りおは腿とベッドの間に両手を差し入れて、じっと下を向いていた。こちらからその表情は見えないが、激しく前髪が震えていた。
「どうした?」
わたくしは一歩、りおに近づいた。
『わたしがいけなかったのです。わたしが誤った判断をしたばっかりに、忍さんは。わたし、みなさんに何てお詫びをしたらいいのか』
「誤った判断? それにお詫びって、君は一体何を言っているんだ?」
『今回の一連の事件は全てわたしに責任があります。これ以上忍さんを暴走させてはなりません。忍さんは、忍さんは、本当に最期の最期まで行こうとしています。晦冥会という大きな組織を道連れにして、破滅の世界へ向かって今も暴走を続けています。そんな彼女を止める事が出来るのか、出来ないのか、それはきっとおじさん、あなたに懸かっているのです。
これからわたしは美咲さんについて透視を行います。その透視によって判明した彼女の居場所へ、これからおじさんに行ってもらいます。おじさんが美咲さんを救出する事で、今後の未来が少しずつ変化して行くはずです』
「ちょっと待て。美咲は既に死ぬ運命にあるのだろう? そう君は最初に言ったじゃないか。その運命が変わってしまうという事は、それは君の透視能力を否定する事に繋がるのではないか?」
りおは前髪の奥に鋭い目を見せた。
『それは違います。美咲さんの死ぬ運命とは、わたしが現在の世界に存在しなかった場合の話です』
「はあ?」
『加世様がその運命を変えてしまおうと、そもそも晦冥会が引き起す前代未聞の大災害の未来を変えてしまおうと、今から一年半前に、未来の世界へとわたしの魂を送り込んだのです』
「か、加世様だと? それに未来の世界へ魂を送り込むって、君は一体、本当にあの久慈さんの娘なのか⁉」
りおは静かに目を閉じた。
『先程の話、尊い四名の死者を出してしまったわたしの大罪、その災厄を犯す事前に、なぜわたしは予知能力を以てして悪魔の罠を回避できなかったのか。まずはその説明が必要のようですね。
我々人間の未来や運命は、それを予知や透視した能力者の活動によって、多少なりとも変わっていきます。良い方向へ運命が変わる事もあれば、悪い方向へ運命が変わる事もあります。したがって、わたしが透視能力を使っていじめから良子ちゃんを救おうと活動した結果、そもそも存在していたいじめっ子たちの未来、可愛い我が子にお乳をあげている幸福の未来の光景が、失われてしまったのです』
「そんな。それがもし本当の話であれば、俺たちの運命を左右させる君という存在は、実に恐ろしい存在だ」
『わたしが犯した大罪とは、つまりそう言った恐ろしい一面を持っていたのです』
「しかし、それでも今回の場合では、君は美咲の運命を変える事が出来るという事か?」
『そうです。わたしとおじさんが誤った判断をせずに、二人が信頼関係の中で大きな仕事をやってのければ、きっと運命は良い方向へ変わると思います。
ただ、これだけは絶対に約束して下さい。これからどんな過酷な試練が待ち受けていようとも、忍さんにだけは立ち向かおうなんて下らない考えを起こさないと。忍さんの目を盗んで、彼女の視界の届かい所でこっそりと全てをやり遂げるのです。もしも忍さんに見つかったとしても、その時はあの人の言う通りにして下さい。潔く降伏して下さい。忍さんの本当の恐ろしさを知った時、おじさんはもう死んでいます。刑事さんたちにもそう伝えて下さい。あの人の居場所が特定されて、その姿が発見されても、そのまま彼女を見逃すようにと』
りおの指先は細かく震えていた。
「それは無理な相談だ。警察を相手に、そんなバカな依頼ができるか。現在本庁の刑事たちが全力で不知火忍の行方を追っている。彼女の行方が分かり次第、刑事たちは所持した銃を上げて、彼女の身柄を確保する」
『そんな事をしたら、そんな事をしたら、刑事さんたちは全員死にます』
りおは激しく左右に髪の毛を振った。
「そんなわけがないだろう。複数の人間から取り囲まれるようにして、引き金に指を掛けた銃を向けられたら、どんな恐ろしい奴だって刃向う事は」
『おじさんは何も分かっていません。忍さんに銃なんて通用しません。もちろん他の武器も同じ事です。返り討ちに遭ったバイフーの二人を思い出して下さい』
わたくしは肩を落として、ゆっくりと左右に首を振った。
「もう少し現実的な話をしよう。いくら悪魔がかった君の能力を使ったとしても、周囲から銃口を向けられたらどうにもならないだろう。それよりも、君はなぜ不知火忍についてそこまで詳しい事情を知っているのか、そこを聞かせて欲しい。これも透視能力の一端か?」
りおはベッドの上をお尻で移動して、そのまま仰向けの姿勢を取った。
『不知火忍、彼女は一年半前までわたしと生活を共にしていた女性です。いつも優しくて、とても正義感の強い女性でした』
『わたしはこの透視能力を使って、世の中の困っている人を助けたかったのです。他の人には真似の出来ないこの特殊な能力は、困っている人の人生を豊かにする、そう信じて必死に透視の活動を行った結果、尊い四名の人命は奪われたのです。
わたしは、そのような血塗られた未来を望んではいなかった。わたしは自分がいじめに遭ったからと言って、そのいじめた彼女らを死んでしまえとは思わなかった。
彼女たちは、呪われた能力者と同じクラスとなり、いじめを通じて能力者と深く関わってしまったが為に、その尊い人生に終止符を打たされてしまったのです。
もしもわたしと関わる事がなければ、彼女らはこの先学業を修め、それぞれ不安と期待を胸に就職して、素敵な男性と巡り合い、仲間たちから祝福されながら結婚、そして可愛い赤ちゃんを授かった事でしょう。そしてその子にお乳をあげながら、ほんわりと満たされた幸福の時間の中で、まさか十年前にクラスメートの内履きを隠した事などは思い出さないでしょう。
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それがわたしの未熟な能力者としての無責任さによって、彼女の幸福の全てが完全に破壊されてしまったのです。わたしの犯した大罪の下敷きになって息を引き取った彼女らに対して、わたしは一体何とお詫びをしたら良いのでしょうか。
突然の四名の変死者を出した教室の次の日は、異様な光景が広がっていました。六年生のクラスを受け持つ女の先生が、臨時の担任の先生として四年生のわたしの教室に顔を出した時、先生は丸眼鏡を下へずらして、意外な顔を見せました。なぜなら教室の机にはわたし一人だけが座っていたからです。
わたしがいじめを受けていたという事実はクラスのみんなが承知していました。そして、消極的にではありましたが、みんなはわたしの事を無視するなどいじめに加担していたと言っても過言ではありません。そこへ来ていじめを指示していたクラスの三人の主犯格が突然変死、警察でも説明のつかない猟奇的な解剖結果、落ち着く間もなく発生した担任の先生の不可解な自殺、それらは恐ろしい呪いの力としてクラスのみんなをただただ恐怖のどん底へ突き落したのだと思います。いつなんとき自分たちの身にも恐ろしい呪いが降り掛かって来るのか、そうガタガタと布団の中で震え上がっているみんなの姿が容易に想像できました。
クラスのみんなは当然わたしが四人の人間を呪い殺したのだと思ったに違いありません。特に良子ちゃんなんかはわたしの予知能力によっていじめの難から逃れられていた事実がありますから、その人知を超えた能力がいじめの復讐の為に悪用されて、いじめっ子たちは一瞬で呪い殺されたのだとそう考えたと思います。
それほどみんなが黒魔術か何かのようにわたしの能力を忌み恐れ、悪魔の手先のようなわたしをどうにかしてこの世から排除して欲しいと願ったと思います。しかしその一方で、わたしの呪いの報復のまだ続く事を警戒してか、警察による事情聴取や、心配した親の問い掛けに対しても、不登校を繰り返す恐怖の中身について、誰一人として証言する人はありませんでした。
警察は、教室で一人座っている異様な光景に目を大きくしながら、変死した彼女らとの関係など、一般的な事情聴取をわたしに行いました。その時にはいじめに関する質問は一切ありませんでした。しかし、今現在の状況証拠から考えて、わたしの存在の異常さ、なぜわたしだけが三人のクラスメートの変死の現実に恐れをなさずに登校しているのか、その点が警察の人の心に引っ掛かっているようでした。一通りの事情聴取が終わっても尚、刑事さんはいつまでもわたしの暗く落ち込んだ表情に鋭い目を向けていました。きっと、彼女らを殺したのは君ではないか? その質問が喉まで出かかっていたと思います。しかし、大人たちが最も大切にする事実や証拠の数々には、それを許さないだけの他殺が不可能な証拠や証言が揃っていましたから、それ以来刑事さんはわたしの前に姿を現しませんでした。
結局わたしは法律から見ても学校側から見ても何の嫌疑も掛けられないまま、彼女らは異状死として報告書がまとめられました。犯罪が明らかであれば、これは警察が犯罪捜査として行う事になりますが、今回は犯罪かどうか分からない事例となりました。
わたしはけれども人として当たり前の自戒の念と、教室で一人自習をさせられる不毛の日々から、とうとう学校へ登校する事が途絶えてしまいました。当時の学校関係者は、校舎内で発生した先生の自殺の後処理や、四年生ほぼ全員の謎の登校拒否の問題の対応で四苦八苦していて、わたしの不登校にまで手が回らない状態でした。そこへ来て、父の会社の新工場立ち上げなどの都合があり、わたしは不登校のそのままで他校へ転校する事に決まりました。
その夜、わたしはいつものように別の世界へ行って、亡き母と再会していました。母は毎日変わらぬ優しい表情を作って、縋り来る我が子の頭を撫でてくれました。わたしは安らかな気持ちで母の顔を見上げ、お互い微笑み合いました。
その時です。わたしは母の目の奥に誰か別人がこちらを覗き込んでいるような錯覚を覚えました。それは木に竹を接いだような、柔らかい表情とは全く別物の冷酷な生き物の目でした。わたしはこの時やっと気が付いたのです。わたしが縋っているその体は、母のものではなかった。なぜ今の今までソレがわたしの母だと認識していたのか不思議に思うくらい、体の正面だけが母の姿に変わった恐ろしい擬態の悪魔だったのです。わたしはもはや完全に奴らに背中を取られていたのです。なんて愚かだったのでしょう。なんて未熟だったのでしょう。わたしはわたしの心の弱さ、経験の乏しさから、悪魔に心を盗まれていたのです。
わたしは大粒の涙を左右に飛ばしながら、晦冥の荒野を必死に走りました。背中からわたしの名を呼ぶ禍々しい生き物の声が迫って来ます。全てが恐ろしくて、全てが悔しくて、顎がガクガクと震えて止まりません。わたしはこの世の境を飛び越えて、重い鉄の扉の隙間を閉じると、最後は背中を使って扉を押さえました。すぐに分厚い扉の内側から、長い爪で鉄を引っ掻くような嫌な音が聞こえてきました。わたしは両目から涙を流して、両鼻から鼻水を流して、白い歯をがちがちと食いしばりました。なんて事をしてしまったのでしょう、わたしは知らず知らずの内に悪魔の類と同盟を結んでしまっていたのです』
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りおはコクーンスカートの左のポケットに手を忍ばせて、その中から四つ折りにした画用紙を取り出した。それを無言で差し出すりおの白い顔と、質問に対する回答の役割を持った画用紙とを、交互に見比べた。
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りおの顔から目を離さないようにして、わたくしは一つ二つと画用紙を開き、それを水銀灯の光に照らした。
「これは」
画用紙の中央には、先程の透視画のような構築的な素描で、中国人風の美女が描かれていた。シミのついたコンクリートの外壁の窓には、刑務所で見るような鉄格子が嵌っている。堅そうな木の椅子に座った女は、修道服らしき衣装に足を組み、頬杖を突いている。その顔の殆どが逆光となってはいるが、悲しみとも怒りともつかない表情が印象的だった。
『おじさん、そこに描かれた女性が誰だか、もうお分かりですよね?』
わたくしは画用紙から顔を上げた。
「これは、昨日のスキー場で美咲と衝突した女、不知火忍だ」
りおは姿見から離れて、ベッドの上に腰を下ろすと、スカートの足を前へ伸ばした。
『晦冥会の伝説のバイフーでありながら、突如として晦冥会から脱走、このペンションで天童葵として逃亡生活を送った後、四週間前からとても恐ろしい犯罪を繰り返している不知火忍さん。おじさんも美咲さんも刑事さんも、彼女の行方を追っているのですよね? 江口サダユキが殺害されて、二人のバイフーが返り討ちに遭って、今度は美咲さんも』
わたくしは不知火の素顔を深く観察した。間違いない、この女こそ昨日に美咲と衝突し、不知火の隠れ家で火炎瓶を投げつけた女だ。
「これも、透視能力なのか?」
りおは腿とベッドの間に両手を差し入れて、じっと下を向いていた。こちらからその表情は見えないが、激しく前髪が震えていた。
「どうした?」
わたくしは一歩、りおに近づいた。
『わたしがいけなかったのです。わたしが誤った判断をしたばっかりに、忍さんは。わたし、みなさんに何てお詫びをしたらいいのか』
「誤った判断? それにお詫びって、君は一体何を言っているんだ?」
『今回の一連の事件は全てわたしに責任があります。これ以上忍さんを暴走させてはなりません。忍さんは、忍さんは、本当に最期の最期まで行こうとしています。晦冥会という大きな組織を道連れにして、破滅の世界へ向かって今も暴走を続けています。そんな彼女を止める事が出来るのか、出来ないのか、それはきっとおじさん、あなたに懸かっているのです。
これからわたしは美咲さんについて透視を行います。その透視によって判明した彼女の居場所へ、これからおじさんに行ってもらいます。おじさんが美咲さんを救出する事で、今後の未来が少しずつ変化して行くはずです』
「ちょっと待て。美咲は既に死ぬ運命にあるのだろう? そう君は最初に言ったじゃないか。その運命が変わってしまうという事は、それは君の透視能力を否定する事に繋がるのではないか?」
りおは前髪の奥に鋭い目を見せた。
『それは違います。美咲さんの死ぬ運命とは、わたしが現在の世界に存在しなかった場合の話です』
「はあ?」
『加世様がその運命を変えてしまおうと、そもそも晦冥会が引き起す前代未聞の大災害の未来を変えてしまおうと、今から一年半前に、未来の世界へとわたしの魂を送り込んだのです』
「か、加世様だと? それに未来の世界へ魂を送り込むって、君は一体、本当にあの久慈さんの娘なのか⁉」
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我々人間の未来や運命は、それを予知や透視した能力者の活動によって、多少なりとも変わっていきます。良い方向へ運命が変わる事もあれば、悪い方向へ運命が変わる事もあります。したがって、わたしが透視能力を使っていじめから良子ちゃんを救おうと活動した結果、そもそも存在していたいじめっ子たちの未来、可愛い我が子にお乳をあげている幸福の未来の光景が、失われてしまったのです』
「そんな。それがもし本当の話であれば、俺たちの運命を左右させる君という存在は、実に恐ろしい存在だ」
『わたしが犯した大罪とは、つまりそう言った恐ろしい一面を持っていたのです』
「しかし、それでも今回の場合では、君は美咲の運命を変える事が出来るという事か?」
『そうです。わたしとおじさんが誤った判断をせずに、二人が信頼関係の中で大きな仕事をやってのければ、きっと運命は良い方向へ変わると思います。
ただ、これだけは絶対に約束して下さい。これからどんな過酷な試練が待ち受けていようとも、忍さんにだけは立ち向かおうなんて下らない考えを起こさないと。忍さんの目を盗んで、彼女の視界の届かい所でこっそりと全てをやり遂げるのです。もしも忍さんに見つかったとしても、その時はあの人の言う通りにして下さい。潔く降伏して下さい。忍さんの本当の恐ろしさを知った時、おじさんはもう死んでいます。刑事さんたちにもそう伝えて下さい。あの人の居場所が特定されて、その姿が発見されても、そのまま彼女を見逃すようにと』
りおの指先は細かく震えていた。
「それは無理な相談だ。警察を相手に、そんなバカな依頼ができるか。現在本庁の刑事たちが全力で不知火忍の行方を追っている。彼女の行方が分かり次第、刑事たちは所持した銃を上げて、彼女の身柄を確保する」
『そんな事をしたら、そんな事をしたら、刑事さんたちは全員死にます』
りおは激しく左右に髪の毛を振った。
「そんなわけがないだろう。複数の人間から取り囲まれるようにして、引き金に指を掛けた銃を向けられたら、どんな恐ろしい奴だって刃向う事は」
『おじさんは何も分かっていません。忍さんに銃なんて通用しません。もちろん他の武器も同じ事です。返り討ちに遭ったバイフーの二人を思い出して下さい』
わたくしは肩を落として、ゆっくりと左右に首を振った。
「もう少し現実的な話をしよう。いくら悪魔がかった君の能力を使ったとしても、周囲から銃口を向けられたらどうにもならないだろう。それよりも、君はなぜ不知火忍についてそこまで詳しい事情を知っているのか、そこを聞かせて欲しい。これも透視能力の一端か?」
りおはベッドの上をお尻で移動して、そのまま仰向けの姿勢を取った。
『不知火忍、彼女は一年半前までわたしと生活を共にしていた女性です。いつも優しくて、とても正義感の強い女性でした』
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さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。
この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。
さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。
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