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暗殺のダイヤグラム
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石動は、容疑者に注意を払いながら、背後にいる敷島に向かって、
「敷島さん、成功率〇・二%の犯行って、いったいどんなもんでしょうか? もう一本のロープの使い方とは、いったい」
敷島は、フォックスファーを揺らして、ダウンの内ポケットから、一〇インチくらいあるタブレット端末を取り出した。
「百聞は一見にしかず。話だけ聞いていても、一回では理解できないだろうから、江口殺害の検証実験、そのコンピュータ・シミレーションをこれからご覧入れよう」
バックライトに顔を照らして、ゆっくりとタッチスクリーンを操作、何かのアプリを起動させた。
「こいつは、美咲が最後に送って来た、わずか〇・二%という江口殺害の成功例だ。タブレット端末のOSでは、スペックの容量不足から、コンピュータ・シミレーションソフトが起動できないため、こいつには、動画データだけダウンロードしてある。動画だから、〇・二%のAIが行った犯行に対して、注文や、変更は、受け付けられない、あらかじめ了承いただきたい。一〇〇〇体のうち、二体が成功した、江口殺害の仮想現実が、これだ」
敷島は、新元号の文字を見せる官房長官のように、タッチパネルを顔の横に掲げた。不知火は、我々よりも一段遠い所で、腕を組んだ。
タブレットの動画には、まず、スキー場の三次元コンピュータ・グラフィックスの映像が映し出された。グラフィックは、家庭用ゲーム機のCDR時代の荒いポリゴン、いわゆるローポリゴンの世界で構築され、ゲレンデ、木、雲、吹雪には、一応影がつけられるシェーディングが施されている。画面の右端には、灰色のツールバーが表示され、何らかのパラメーターの数字が、目まぐるしく動いていた。省略された英数字で、恐らくは、時間、経緯度、風速、成功率、などが表示されているようだ。ゲレンデには、フォン補間されたスキーヤーが、思い思いに滑っていたり、時折の強風で、四角い雪が、パーティクルシステムを使用して、本物の動きのように、細かく動いている。データの処理を軽くするためか、リフトはワイヤーフレームのみで表現されている、とまあ、社内デモンストレーションレベルのコンピュータ・グラフィックだった。
「いま、画面左下から、リフトの乗車停留所へ向かって、移動を開始したピンク色のモデルキャラクターが、今回の犯人だと考えてくれ」
敷島は、自らもタッチパネルをのぞき込んで、ピンク色の3Dモデルキャラクターが、スノーボードをこいで、第二リフトと表示された乗車停留所へと移動していく、そのローポリゴンの動作を指で差した。視点は、ゲレンデの斜面に対して、垂直になる上空から。動画画面右下、リフトの座席がグルグルと移動しているウィンドウがある。その一部座席が、赤く点滅して表示されている。
「十三時三十八分、犯人は今、リフトスタッフに対して、座席に雪が付いているとクレームをつけた。そら、リフトスタッフは両手を振り上げて、カンカンに怒っている。美咲、後を頼む」
美咲は、小さく腰を屈めて、タブレットの左側に移動した。
「はい、えーと、ですね、このプロセスでの最も重要なポイントは、犯人が、どれだけリストスタッフを怒らす事ができるのか、です。きわめて侮辱的な態度、常識では理解できない要求、一歩も引き下がらないガンコさ、これらがリフトスタッフの癇にさわれば、さわるほど、『無意識の転移』が引き起こされる。相手は、自分の姿、つまり江口に変装をした自分の姿に強い印象をもつ。
しかし、このコンピュータ・シミレーションソフトには、モデルキャラクターの性格、その短気さの度合いまでは、パラメーターとして振る事ができませんから、リフトスタッフは、犯人からクレームを受けて、リフトを停止させ、座席の雪を払う、という機械的な動作しかプログラムされていません。まあ、クレームからリフト停止、座席の雪を払うまで、モデルを動かして、その時間、約二分を一律のロスタイムとして課している、といのが実情です。実際に犯人を乗せたというリフトスタッフ、柵さんという方とお話をしましたが、当時のやり取りの内容から、このロスタイムは妥当と判断しています」
ピンクのモデルキャラクターと黄色のモデルキャラクターが、身振り手振り、ジェスチャーを繰り返して、怒った様子の黄色いモデルが、操作室に向かって手を振り上げた。すると、ワイヤーフレームで構成されたリフトの回転が停止、黄色いのが座席の雪を払い、その後で、ピンクが座席に乗って、原動機が再稼働する。その時刻が、十三時四〇分。オレンジネットやシュルンドやゲレンデを通過した頃、ピンク色のモデルは、実に、不可解な行動を始めた。
「あれ? どうした?」
ピンクのモデルキャラクターが、上下に、奇妙に、体を揺すっている。
「具合でも悪くなったのか?」
美咲は、わたくしの真剣な顔を見て、うつむいて、くすくす笑って、
「犯人は、体の具合が悪くなったわけではありません。ましてや、このようなキャラクターの不可解な動きは、バギープログラム、いわゆるバグでもありません。犯人は、ご覧の通り、自ら屈伸運動を開始しています」
「屈伸運動?」
加藤が頭を掻いた。
「はい。ここが、江口殺害計画の第一の関所です。六十八%のAIは、この運動がスムーズにできずに、江口殺害に失敗しています。犯人は、意図的に、リフトの座席を揺らしている。何のために? と疑問に思うでしょうが、これは、乗客という乗車物体が、リフトから落下した時に、ケーブルを大きく揺らして、その振動が支曳索に伝わって脱索させないための、必要な準備運動。この運動が無ければ、リフトから犯人が飛び下りた際、空席となった座席は、軽くなった反動で上方へ振れ、他の搬器をも揺らし、パルス状になって、リフト全体のワイヤーが波を打ちます。この揺れを検知して、リフトの原動機は緊急停止、点検や現場検証のために、しばらくはリフトの運転を見合わせる事となります。
そうなると、この、画面右下に動いている、赤く点滅した座席の動きが、完全に止まってしまいます。一時的にリフトが運休してしまえば、後で犯人がリフト乗り場へ戻って来た時に、赤く表示されたリフトの位置は、アトランダムとなって、あらかじめ決めておいた座席に乗る事ができません。これでは、江口殺害の計画は、台無しです」
「赤い座席に乗る事ができない?」
いち早く、石動が反応した。
「いま、画面右下で点滅している座席が、終点停留場の間近に位置している、この座席の位置が、今回最も重要な要素となります。座席の位置が江口殺害とどう関係しているのかは、後ほど詳しく説明します」
ふり返ると、不知火の真剣な表情があった。オーバルシェイプの眼鏡に、タブレットの光が映っている。
「十三時三十八分に、犯人がクレームをつけて、そこから二分、十三時四〇分にはリフトに乗って、最もゲレンデに接近する地点、リフトの乗車停留所から直線距離で二八〇メートル付近で、飛び下りる。ここまでの時間、やはり二分。この後ゲレンデに着地した、三十二%のAIは、猛スピードでレストハウスへ向かわなければなりません。時間制限は一分以内。十三時四十七分には、江口サダユキと密会する必要があるからです。
当時のゲレンデの環境については、気象庁の公開データと、スキー場の風速計データから、あいだを取って割り出して、その結果、当時は北北西の風、風速二十二メートルの暴風雪、新雪がうっすら積もっているバーン、平均斜度二十六度、ノットワックスの直滑降で時速七十三キロメートル、レストハウスまでの距離七〇〇メートル、トップスピードまでの時間も考慮して、計算上は約四十五秒でレストハウスに到着し、ボードを脱ぎ捨てるように更衣室へ飛び込む。そして、ロクハチの青いウェアと、ダイスのゴーグルを外して、まったく別のウェアに着替え、風のように施設内を移動して、中地下一階にある、筐体ゲームやUFOキャッチャーなどが置かれたゲームコーナーへ向かいます。リフトから飛び降りて、あらかじめコンタクトをとっておいた江口と、ゲームコーナーで密会するまで、この間わずか五分です。早くても遅くてもいけません。五分です。そして、実はこの密会、ペンションに宿泊している久慈さんの娘さんが、偶然にも目撃しています」
〝娘はその後も、クレーンゲームのショーケース越しに、息を潜めて二人の様子を見守っていましたが、二人はすぐにどこかへ消えてしまったとの事です〟
〝娘の帰りの遅い事から、私は頻りに腕時計を見ていましたから、よく覚えているんですが、それはちょうど一時五〇分の事でした〟
久慈篤の今朝の話と、合っている。
「江口との密会の時間は、三分です。こちらも、クレームの時と同様、モデルの性格や、過去の記憶から来る話の流れまでは、最新のコンピュータ・シミレーションでも演算できませんから、一律に三分のロスタイムを課しています。ここは、優れた身体能力は必要ありません、相手をどううまく誘導できるかが勝負となります。ですから、もしかしたら、今回の犯人にとってこの密会というプロセスが、最も難易度の高い、超難関だったかも知れません」
〝あいつは、イヤな奴だった。初めて会った時から、イヤな奴だった〟
〝江口とは一緒にシゴトをする事が多かった。とにかくイヤな思いをした。氷室様は、どうしてあんなろくでもないクズ男に、チンロンをさせていたのか、私は、ずっと不思議に思っていた〟
確かに、不知火が心底嫌がっていた男、江口サダユキとの密会となれば、彼女は少なからず気が重かっただろう。
美咲は、こわごわと不知火の方向へ目を上げて、すぐにまた視線を下ろした。
「とにかく犯人は、腕時計の針を気にしながら、十三時五〇分までには再び、第二リフトへ戻らなければなりません。この時、江口のゴーグルと帽子は、死後の姿と別の物だったと想像できます。いま言った二つは、江口殺害後に、短時間で変更できるからです」
羽賀は、容疑者の無抵抗な様子から、銃を下ろして、
「なるほど、犯人による江口サダユキの変装は、少しアレンジが必要だった、というわけですね。再びリフト乗り場へ現れた時に、あれ? さっきリフトに乗せた江口がまた来た、とならないために」
美咲は、羽賀に頷きを与えて、
「そうです。犯人の変装に使用した、ダイスのゴーグルと帽子とフェイスマスクは、江口を殺害した後に、彼の遺体に着用させた。これで、犯人が江口に変装した時の姿と、首吊り遺体として発見された江口の姿が、完全に一致する。こうなれば、リフトスタッフは、江口の最期の目撃者として、彼が一人でリフトに乗った事を証言する、彼は間違いなく首吊り自殺をした、と目撃過誤を犯すのです」
横から、加藤の深い唸り声。
タブレットの動画では、ピンクとブルーの二体のモデルが、ゲレンデに向かって左からリフト乗り場へ入って来て、赤く点滅したリフトの座席に座った。ピンクが右、ブルーが左。
「見て下さい、右下に表示されているリフトの座席の動きを。二人は見事に、赤く表示した座席に乗る事ができました」
加藤は首の裏に手を当てて、
「この赤い座席の意味、もう教えてくれても」
「あー、はい。この赤く表示した座席、実は、リフトの背もたれのパイプの部分に、いかり結びという重い物を吊るす結び方で、合繊ロープが結ばれているのです」
「そうか、もう一本のロープの存在」
「その通りです」
少し離れた所で、質問も無く、黙然と話を聞いているは、石動だ。目が座っている。彼にはもう、犯行の真相が分かっているのかも知れない。
「一見、自殺とは無関係に思われていた、もう一本のロープの存在、それは、当時犯人によって結ばれたものではなく、あらかじめ、いかり結びで結ばれて、準備されていたものでした。それが前日に結んだものか、一週間前に結んだものか、そこまでは分かりませんが、後からスタッフの方に確認してもらったら、三座席、連続で結ばれていました」
これを聞いて、リフト上での美咲の言葉を思い出した。
〝ロープの先端は、ナイフか何か鋭利な刃物で、乱暴に切断された破断面となっています〟
〝江口を殺害した後で、短いロープの先端を現場に残しては、バイフーにとって非常に都合が悪かった。未だ発見されていないロープの先端にこそ、バイフーの犯行のヒントが隠されているのではないでしょうか〟
当時美咲は、野鳥が飛び立つような、些細な動きでも、きっかけがあれば、木の枝に降り積もった大量の雪でさえ、一気に落ちてしまう、という自然界の現象から、犯行のヒントを得た。
〝一本目の短いロープは、きっかけに過ぎない。そう、それは江口を殺すためのものではなかった〟
タブレットの動画は、吹雪に揺れたリフトが、一定の速度で雪山を上って行く、平凡な映像が続いた。ところが次の瞬間、ピンクのモデルが、小脇から丸い物を取り出して、ブルーのモデルの頭に、その輪を入れた。
「え?」
わたくしは、あまりの目を疑う映像に、
「おいおい、これはいったい、何をやっているんだ?」
「いま犯人が取り出したのは、ハングマンズノットという結び方をした、市販の合繊ロープです」
平気な顔で、美咲は答える。
「あれ? だって、なんで? 江口はどうして、まったくの無抵抗で、あっさりと首にロープを巻かれたんだ? このコンピュータ・シミレーション、おかしくないか?」
わたくしは、タブレットの動画と、美咲のすまし顔とを、交互に見た。
「このコンピュータ・シミレーションは、リグレッション試験が行われる、バグトラッキングシステムで管理されていますから、バギープログラムは存在しません。ですからこのAIは、当時の犯行を忠実に再現しているものとなります。ご覧の通り、犯行当時の江口は、全く抗うことなく、それどころか、かえって自ら協力するように、犯人に首吊りロープをかけさせたのです。合意のもとで」
加藤は肩透かしを食って、声を荒げた。
「合意のもと⁉ バカな、やっぱり自殺だったとでも!」
「いいえ、江口サダユキは自殺などしていません。彼は、これから自分が死ぬ事すら、考えずに、自分の首にロープを回したのです」
「敷島さん、成功率〇・二%の犯行って、いったいどんなもんでしょうか? もう一本のロープの使い方とは、いったい」
敷島は、フォックスファーを揺らして、ダウンの内ポケットから、一〇インチくらいあるタブレット端末を取り出した。
「百聞は一見にしかず。話だけ聞いていても、一回では理解できないだろうから、江口殺害の検証実験、そのコンピュータ・シミレーションをこれからご覧入れよう」
バックライトに顔を照らして、ゆっくりとタッチスクリーンを操作、何かのアプリを起動させた。
「こいつは、美咲が最後に送って来た、わずか〇・二%という江口殺害の成功例だ。タブレット端末のOSでは、スペックの容量不足から、コンピュータ・シミレーションソフトが起動できないため、こいつには、動画データだけダウンロードしてある。動画だから、〇・二%のAIが行った犯行に対して、注文や、変更は、受け付けられない、あらかじめ了承いただきたい。一〇〇〇体のうち、二体が成功した、江口殺害の仮想現実が、これだ」
敷島は、新元号の文字を見せる官房長官のように、タッチパネルを顔の横に掲げた。不知火は、我々よりも一段遠い所で、腕を組んだ。
タブレットの動画には、まず、スキー場の三次元コンピュータ・グラフィックスの映像が映し出された。グラフィックは、家庭用ゲーム機のCDR時代の荒いポリゴン、いわゆるローポリゴンの世界で構築され、ゲレンデ、木、雲、吹雪には、一応影がつけられるシェーディングが施されている。画面の右端には、灰色のツールバーが表示され、何らかのパラメーターの数字が、目まぐるしく動いていた。省略された英数字で、恐らくは、時間、経緯度、風速、成功率、などが表示されているようだ。ゲレンデには、フォン補間されたスキーヤーが、思い思いに滑っていたり、時折の強風で、四角い雪が、パーティクルシステムを使用して、本物の動きのように、細かく動いている。データの処理を軽くするためか、リフトはワイヤーフレームのみで表現されている、とまあ、社内デモンストレーションレベルのコンピュータ・グラフィックだった。
「いま、画面左下から、リフトの乗車停留所へ向かって、移動を開始したピンク色のモデルキャラクターが、今回の犯人だと考えてくれ」
敷島は、自らもタッチパネルをのぞき込んで、ピンク色の3Dモデルキャラクターが、スノーボードをこいで、第二リフトと表示された乗車停留所へと移動していく、そのローポリゴンの動作を指で差した。視点は、ゲレンデの斜面に対して、垂直になる上空から。動画画面右下、リフトの座席がグルグルと移動しているウィンドウがある。その一部座席が、赤く点滅して表示されている。
「十三時三十八分、犯人は今、リフトスタッフに対して、座席に雪が付いているとクレームをつけた。そら、リフトスタッフは両手を振り上げて、カンカンに怒っている。美咲、後を頼む」
美咲は、小さく腰を屈めて、タブレットの左側に移動した。
「はい、えーと、ですね、このプロセスでの最も重要なポイントは、犯人が、どれだけリストスタッフを怒らす事ができるのか、です。きわめて侮辱的な態度、常識では理解できない要求、一歩も引き下がらないガンコさ、これらがリフトスタッフの癇にさわれば、さわるほど、『無意識の転移』が引き起こされる。相手は、自分の姿、つまり江口に変装をした自分の姿に強い印象をもつ。
しかし、このコンピュータ・シミレーションソフトには、モデルキャラクターの性格、その短気さの度合いまでは、パラメーターとして振る事ができませんから、リフトスタッフは、犯人からクレームを受けて、リフトを停止させ、座席の雪を払う、という機械的な動作しかプログラムされていません。まあ、クレームからリフト停止、座席の雪を払うまで、モデルを動かして、その時間、約二分を一律のロスタイムとして課している、といのが実情です。実際に犯人を乗せたというリフトスタッフ、柵さんという方とお話をしましたが、当時のやり取りの内容から、このロスタイムは妥当と判断しています」
ピンクのモデルキャラクターと黄色のモデルキャラクターが、身振り手振り、ジェスチャーを繰り返して、怒った様子の黄色いモデルが、操作室に向かって手を振り上げた。すると、ワイヤーフレームで構成されたリフトの回転が停止、黄色いのが座席の雪を払い、その後で、ピンクが座席に乗って、原動機が再稼働する。その時刻が、十三時四〇分。オレンジネットやシュルンドやゲレンデを通過した頃、ピンク色のモデルは、実に、不可解な行動を始めた。
「あれ? どうした?」
ピンクのモデルキャラクターが、上下に、奇妙に、体を揺すっている。
「具合でも悪くなったのか?」
美咲は、わたくしの真剣な顔を見て、うつむいて、くすくす笑って、
「犯人は、体の具合が悪くなったわけではありません。ましてや、このようなキャラクターの不可解な動きは、バギープログラム、いわゆるバグでもありません。犯人は、ご覧の通り、自ら屈伸運動を開始しています」
「屈伸運動?」
加藤が頭を掻いた。
「はい。ここが、江口殺害計画の第一の関所です。六十八%のAIは、この運動がスムーズにできずに、江口殺害に失敗しています。犯人は、意図的に、リフトの座席を揺らしている。何のために? と疑問に思うでしょうが、これは、乗客という乗車物体が、リフトから落下した時に、ケーブルを大きく揺らして、その振動が支曳索に伝わって脱索させないための、必要な準備運動。この運動が無ければ、リフトから犯人が飛び下りた際、空席となった座席は、軽くなった反動で上方へ振れ、他の搬器をも揺らし、パルス状になって、リフト全体のワイヤーが波を打ちます。この揺れを検知して、リフトの原動機は緊急停止、点検や現場検証のために、しばらくはリフトの運転を見合わせる事となります。
そうなると、この、画面右下に動いている、赤く点滅した座席の動きが、完全に止まってしまいます。一時的にリフトが運休してしまえば、後で犯人がリフト乗り場へ戻って来た時に、赤く表示されたリフトの位置は、アトランダムとなって、あらかじめ決めておいた座席に乗る事ができません。これでは、江口殺害の計画は、台無しです」
「赤い座席に乗る事ができない?」
いち早く、石動が反応した。
「いま、画面右下で点滅している座席が、終点停留場の間近に位置している、この座席の位置が、今回最も重要な要素となります。座席の位置が江口殺害とどう関係しているのかは、後ほど詳しく説明します」
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「十三時三十八分に、犯人がクレームをつけて、そこから二分、十三時四〇分にはリフトに乗って、最もゲレンデに接近する地点、リフトの乗車停留所から直線距離で二八〇メートル付近で、飛び下りる。ここまでの時間、やはり二分。この後ゲレンデに着地した、三十二%のAIは、猛スピードでレストハウスへ向かわなければなりません。時間制限は一分以内。十三時四十七分には、江口サダユキと密会する必要があるからです。
当時のゲレンデの環境については、気象庁の公開データと、スキー場の風速計データから、あいだを取って割り出して、その結果、当時は北北西の風、風速二十二メートルの暴風雪、新雪がうっすら積もっているバーン、平均斜度二十六度、ノットワックスの直滑降で時速七十三キロメートル、レストハウスまでの距離七〇〇メートル、トップスピードまでの時間も考慮して、計算上は約四十五秒でレストハウスに到着し、ボードを脱ぎ捨てるように更衣室へ飛び込む。そして、ロクハチの青いウェアと、ダイスのゴーグルを外して、まったく別のウェアに着替え、風のように施設内を移動して、中地下一階にある、筐体ゲームやUFOキャッチャーなどが置かれたゲームコーナーへ向かいます。リフトから飛び降りて、あらかじめコンタクトをとっておいた江口と、ゲームコーナーで密会するまで、この間わずか五分です。早くても遅くてもいけません。五分です。そして、実はこの密会、ペンションに宿泊している久慈さんの娘さんが、偶然にも目撃しています」
〝娘はその後も、クレーンゲームのショーケース越しに、息を潜めて二人の様子を見守っていましたが、二人はすぐにどこかへ消えてしまったとの事です〟
〝娘の帰りの遅い事から、私は頻りに腕時計を見ていましたから、よく覚えているんですが、それはちょうど一時五〇分の事でした〟
久慈篤の今朝の話と、合っている。
「江口との密会の時間は、三分です。こちらも、クレームの時と同様、モデルの性格や、過去の記憶から来る話の流れまでは、最新のコンピュータ・シミレーションでも演算できませんから、一律に三分のロスタイムを課しています。ここは、優れた身体能力は必要ありません、相手をどううまく誘導できるかが勝負となります。ですから、もしかしたら、今回の犯人にとってこの密会というプロセスが、最も難易度の高い、超難関だったかも知れません」
〝あいつは、イヤな奴だった。初めて会った時から、イヤな奴だった〟
〝江口とは一緒にシゴトをする事が多かった。とにかくイヤな思いをした。氷室様は、どうしてあんなろくでもないクズ男に、チンロンをさせていたのか、私は、ずっと不思議に思っていた〟
確かに、不知火が心底嫌がっていた男、江口サダユキとの密会となれば、彼女は少なからず気が重かっただろう。
美咲は、こわごわと不知火の方向へ目を上げて、すぐにまた視線を下ろした。
「とにかく犯人は、腕時計の針を気にしながら、十三時五〇分までには再び、第二リフトへ戻らなければなりません。この時、江口のゴーグルと帽子は、死後の姿と別の物だったと想像できます。いま言った二つは、江口殺害後に、短時間で変更できるからです」
羽賀は、容疑者の無抵抗な様子から、銃を下ろして、
「なるほど、犯人による江口サダユキの変装は、少しアレンジが必要だった、というわけですね。再びリフト乗り場へ現れた時に、あれ? さっきリフトに乗せた江口がまた来た、とならないために」
美咲は、羽賀に頷きを与えて、
「そうです。犯人の変装に使用した、ダイスのゴーグルと帽子とフェイスマスクは、江口を殺害した後に、彼の遺体に着用させた。これで、犯人が江口に変装した時の姿と、首吊り遺体として発見された江口の姿が、完全に一致する。こうなれば、リフトスタッフは、江口の最期の目撃者として、彼が一人でリフトに乗った事を証言する、彼は間違いなく首吊り自殺をした、と目撃過誤を犯すのです」
横から、加藤の深い唸り声。
タブレットの動画では、ピンクとブルーの二体のモデルが、ゲレンデに向かって左からリフト乗り場へ入って来て、赤く点滅したリフトの座席に座った。ピンクが右、ブルーが左。
「見て下さい、右下に表示されているリフトの座席の動きを。二人は見事に、赤く表示した座席に乗る事ができました」
加藤は首の裏に手を当てて、
「この赤い座席の意味、もう教えてくれても」
「あー、はい。この赤く表示した座席、実は、リフトの背もたれのパイプの部分に、いかり結びという重い物を吊るす結び方で、合繊ロープが結ばれているのです」
「そうか、もう一本のロープの存在」
「その通りです」
少し離れた所で、質問も無く、黙然と話を聞いているは、石動だ。目が座っている。彼にはもう、犯行の真相が分かっているのかも知れない。
「一見、自殺とは無関係に思われていた、もう一本のロープの存在、それは、当時犯人によって結ばれたものではなく、あらかじめ、いかり結びで結ばれて、準備されていたものでした。それが前日に結んだものか、一週間前に結んだものか、そこまでは分かりませんが、後からスタッフの方に確認してもらったら、三座席、連続で結ばれていました」
これを聞いて、リフト上での美咲の言葉を思い出した。
〝ロープの先端は、ナイフか何か鋭利な刃物で、乱暴に切断された破断面となっています〟
〝江口を殺害した後で、短いロープの先端を現場に残しては、バイフーにとって非常に都合が悪かった。未だ発見されていないロープの先端にこそ、バイフーの犯行のヒントが隠されているのではないでしょうか〟
当時美咲は、野鳥が飛び立つような、些細な動きでも、きっかけがあれば、木の枝に降り積もった大量の雪でさえ、一気に落ちてしまう、という自然界の現象から、犯行のヒントを得た。
〝一本目の短いロープは、きっかけに過ぎない。そう、それは江口を殺すためのものではなかった〟
タブレットの動画は、吹雪に揺れたリフトが、一定の速度で雪山を上って行く、平凡な映像が続いた。ところが次の瞬間、ピンクのモデルが、小脇から丸い物を取り出して、ブルーのモデルの頭に、その輪を入れた。
「え?」
わたくしは、あまりの目を疑う映像に、
「おいおい、これはいったい、何をやっているんだ?」
「いま犯人が取り出したのは、ハングマンズノットという結び方をした、市販の合繊ロープです」
平気な顔で、美咲は答える。
「あれ? だって、なんで? 江口はどうして、まったくの無抵抗で、あっさりと首にロープを巻かれたんだ? このコンピュータ・シミレーション、おかしくないか?」
わたくしは、タブレットの動画と、美咲のすまし顔とを、交互に見た。
「このコンピュータ・シミレーションは、リグレッション試験が行われる、バグトラッキングシステムで管理されていますから、バギープログラムは存在しません。ですからこのAIは、当時の犯行を忠実に再現しているものとなります。ご覧の通り、犯行当時の江口は、全く抗うことなく、それどころか、かえって自ら協力するように、犯人に首吊りロープをかけさせたのです。合意のもとで」
加藤は肩透かしを食って、声を荒げた。
「合意のもと⁉ バカな、やっぱり自殺だったとでも!」
「いいえ、江口サダユキは自殺などしていません。彼は、これから自分が死ぬ事すら、考えずに、自分の首にロープを回したのです」
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さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。
この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。
さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。
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